「Single8」監督の郷愁映画である以上の、未来への提言が欲しかった!
この題名は、J・J・エイブラムス監督「SUPER8」に対してつけられたものだろう。こちらも宇宙人の話になってるしね。しかし、しょぼいのは致し方ないところか・・・。Single8というと、この間亡くなられた扇千景さんが「私にも映せます」とCMで一躍有名になった、富士フィルムの8mm規格である。それを使った自主映画を作る話であり、監督、小中和哉の自叙伝的な作品だ。ちょうど、時を同じくして、S.スピルバーグ監督の映画自叙伝的な作品「フェイブルマンズ」が公開されたのも何かの因縁か?そういういろんなものが重なって観たくなった作品ではあった。そして、ヒロインが「ベイビーわるきゅーれ」の髙石あかりであり、「これは観ないと!」となったわけである。
小中監督は1963年生まれ。庵野秀明監督とは三歳違いだが、特撮の8mmを作っていたことでは、同時代に同じ棲家にいたような人だ。やはりこの間亡くなった大森一樹や長崎俊一、石井岳龍などよりは一世代下の8mm映画青年だ。実際に私もお会いして話したことがあるが、この映画の主人公のように物静かで穏やかな人だった。そして、この映画は彼以外が撮らないだろう作品に仕上がっている。
観終わって思ったのだが、この8mm青年たちの映画制作現場は、もはや時代劇であった。安いカメラでどう逆回転のフィルムを作るか?露出の決め方、撮影時にファイドインをやっていたり、そして、フィルムに傷をつけてアニメにする方法など、当時の8mm映画制作マニュアルみたいな流れで、その現場を追うかたち。そして、その無理くりなエフェクトは、今では編集段階でソフトウェアが全て解決してしまうもの。そう、今考えれば、こういう現実になるとは夢にも思ってなかったし、この映画の中の高校生たちは携帯電話が実現することも知らないのだ。その中で映画を作るという話は、時代劇以外の何者でもない。
そう、小中監督はそんな自分の思い出をうまくまとめて映画にしているし、映画自体のまとまりは悪くない。映画の中にもその名前は出てくるが、いわゆる「NHK少年ドラマシリーズ」のテイストの映画にはなっている。そして、8mm部分もちゃんと再度、40年前の気持ちに帰って撮ったのだろうから、それなりに、監督個人的には撮りたいものが撮れたのではないか・・・。
でも、これを今の高校生、大学生が観てどう思うかだ?結果的には当時の自主映画世界にあったのは、あくまでも自己満足だったのだと思う。それに対し、カメラも編集も自由度が高い今の自主映画は、そこにとどまらず他人を意識したものになっているのは間違いない。そして、配信も世界にできる時代だと考えると、ここで提示される文化祭の話はあまりにもチンチクリンに感じられてしまうわけだ。当時としては、拍手ものの仕事なのだが、それが当時の映画青年たち以外にはわからないよね?
やはり、現代のデジタルの中での彼自身の姿も映画の中に入れ込んで、40年前を懐かしむ映画にするべきだったと私は思った。そして、その中で友情、失恋みたいなものが描けたらそれの方が今の若い観客にも色々考えさせられる部分があるのではないかと思ったりもした。結果的に言えば、映画の世界が、ここにいる高校生以上に広がらない感じなのである。それが、小中監督の世界だといえば、そうなのだと思うが・・・。
その中で、ヒロインの髙石あかりは、「ベイビー〜」の少しイカれた感じの役ではなく、かなり正攻法なクラスのマドンナ的存在を演じていた。この人の演じる役の振り幅はすごく大きいようだ。確実にこれからブレイクしてくる一人だと思う。この映画では、観ているものの視線を集めることに普通に成功してるしね。主役の深夜ドラマも始まったし、とにかく楽しみである。
ということで、同世代の映画好きの皆様、8mmを玩具として使っていた皆様には、それなりに懐かしさを感じさせる作品でしたが、最後に自分の8mm作品を入れ込んでしまうあたりも含め、見事な大人のマスターベーションというのが、私の感想です。スピルバーグが、映画の最後にジョン・フォード監督を出して、「映画とは何か?」みたいなのを入れていたが、そういう未来に向けた部分をこの映画でも見せて欲しかったのは、私だけではないはずだ。ファンドに協力したみなさんの名前が最後に出ていたが、彼らはこれで満足したのでしょうか?聴きたいところである・・。