「あの頃、文芸坐で」【91】マキノ雅弘、山中貞雄監督オールナイト。山中貞雄の凄みがわからなかった頃
久しぶりにこの連作の執筆。どうしても、現在の映像に関しての印象をリアルに書き残したいと思うところがあり、昔話は後になってしまう。しかし、そんなことをやっていると、この連作も未完のままに終わる可能性もあり、難しいところである。
時は1982年8月14日この日は前回書いた【90】と同じ日にそのままオールナイトに流れこむということをやっている。ということで、プログラムは割愛。この頃は、同じプログラムが2、3枚あるものが多い。まあ、文芸坐に通うことが楽しかったのは覚えている。そんな中で見た、マキノ雅弘監督と山中貞雄監督をフューチャーした5本立て。山中監督の作品が三作しか残ってないことで、同じ時代劇を撮っていたマキノ監督とプログラムを組んだということである。しかし、日本映画を語る上では、重要なマキノ監督も、この週と次の週の「次郎長三国志」の5本立てで終わりとは悲しい状況だが、当時、東映の時代劇や任侠映画などはフィルム状態がすこぶる悪かったせいだと思われる。昨今では、ビデオも絡んでニュープリントや、ビデオのニューマスターも作られる時代だが、当時、ニュープリントということを大声で言い出すものはいなかった。名画座が多くあっても、焼いてもビジネスにならなかったのだ。そういう意味で、本当に、昨今の日本映画を体験できる環境は嘘のよう。まあ、映画産業が衰退してもネガまでは焼かれたりしなかったのは幸運でした。
それで、この5本立ての話なのだが、正直、時代劇というやつが苦手な私であるからかもしれないが、この5本の全体像にあまり記憶がつながらない。ということでビデオが見られないかと探す。奇しくも、アマプラにこの日の5本が全て見放題になっていた。ということで、このシリーズでは初めて、全て見返してからの感想というか寸評を書かせてもらう。
「血煙高田馬場」マキノ雅弘監督(1937年日活)
まずは、忠臣蔵四十七士、堀部安兵衛の話として有名なものを映画化したもの。主演、阪東妻三郎。バンツマの殺陣を見るには良い作品である。とはいえ、映画のほとんどが酔っ払いの演技である。そのおかげで、お祖父さんの助太刀に高田の馬場にいくのが遅くなる話だ。この映画は、当時見た時の記憶が結構あるのだが、高田の馬場に駆けるシーンで、同じカメラフレームで右から左にかける姿を繰り返し流し、スピード感を出す感じが自主映画的で面白かった。この当時の映画は、そういうカメラワークのアイデア的なものを考えながら見ると面白い。とはいえ、こういう映画を今、作りたいかと言ったらそんなことは思わないですよね。だいたい、最近は、ここに出てくるような酔っ払いはいないし、この間の14日にも、忠臣蔵などニュースにすらならなかったですものね。NHKの大河ドラマも、流石にもう忠臣蔵は題材としてはないのではないか?そうなると、堀部安兵衛なる名前も「誰?」という話になってる人がほとんどなのだと思う次第です。
「清水港代参夢道中」マキノ雅弘監督(1939年日活)
この映画、ビデオで見返す前はほとんど覚えていなかったが、観たら、広沢虎造の声だけが妙に印象的に残っていた。そう、その名前も知ってる若者は少ないだろう。「浪曲とはなんぞや」という方も多いかも。しかし、一度この声を聞くと忘れられないものがある。ある意味、他にいない声の持ち主なのだ。彼が唸る映画だ。次郎長の話が主題ではあるが、この映画はそこに一捻りがある。まずは、現代の清水次郎長の芝居をやっている場面から始まり、芝居がうまくいかない主役の片岡千恵蔵が、時代を遡り、つまりタイムスリップして、森の石松になり、旅をする話なのだ。あの有名な「寿司食いねえ」のシーンもある。マキノ監督は「鴛鴦歌合戦」などもそうだが、こういう変形時代劇をよく撮っている。かなりポップなものを作ろうと考えた節はある。そういう目で見ると面白い。あと、見どころは、ここで出てくる子役が長門裕之であるということだ。彼のデビュー作だそうだが、本人が亡くなって、もう11年経つ。もはや、本当に過去の人だと思ったりする。そう、こんな古い映画をアマプラで観る若者はほぼいないでしょうな。
「丹下左膳余話・百万両の壺」山中貞雄監督(1935年日活)
この映画に関しては、以前書いたから特に色々書かないが、この5本の中では一番面白い。大河内傳次郎、扮する丹下左膳はなかなか圧巻。そして、話は子供を交えた金目当ての壺探しの話であるので、まあ、現代劇にしても成立する話。今回は、山中監督の何がすごいのか?というところを考察しようと観ていたのだが、まあ、こういうコメディを描けたことは、オールマイティの演出力はあったのだろう。そして、スタンダード画面の中に人を縦に移動させて奥行きを出す技法はなかなか興味深かった。
「河内山宗俊」山中貞雄監督(1936年日活)
最近、NHKのBSで「本日も晴天なり」という朝ドラが再放送されているが、ここで長門裕之の弟でもある津川雅彦が宗俊という名前で、皆から「河内山」と呼ばれている。その河内山宗俊を描いた映画がこれである。茶坊主で、侠客という感じの男だったのだろう。歌舞伎などでも演じられる日本のダーティーヒーローというところか?この映画、観た時も、最後には売られてしまう原節子ばかりを観ていた気がする。モノクロの画面の中でその美しさは光っている。作品的にはまとまりがあるが、そんなに面白い話ではない。
「人情紙風船」山中貞雄監督(1937年日活)
「日本映画ベストテン」などというものをやると、この当時は必ずランク内に入ってくる映画だった。私は、これを劇場で観た時は、オールナイトの5本目ということもあり、半分眠っていたと思う。だいたい、白黒映画の5本立て、それも今ひとつ好きというわけではない時代劇であるわけで無理もない。ということで、ひさびさで見返したのだが、長屋の人情噺で特に私の琴線には引っ掛からなかった。確かにスタンダード画面の使い方は上手いのだが、それが、映画のダイナミズムみたいなものにつながってはいないと思う。そう考えると、識者たちが何をしてこの映画を評価するのかがわからないのだ。まあ、山中貞雄に関しては、もはやリアルタイムで観ている評論家もいないだろうから、こういう評価のままで時を越えるのだろう。こういうものを論じる感じで書いてみると、映画っていうのは、その公開されたリアルで観ることが重要だと再認識したりするわけですよね。
これから、時代の中で昔以上に映像作品は消費されるだけのものになっていくと思うのですが、山中貞雄やマキノ雅弘の作品というのは、その映画の未開拓の時代の中で作られたゆえに傑作として残されているわけで、それを、現代の映画を比較することには意味はないということですね。
私にとっては、この5本、観た当時も今も、あまり印象は変わっていない気がします。そう考えれば、今の若い人たちに勧められる映画ではない。とはいえ、アマプラで自由に観られる今、ちょっと最初の方だけ見てみるのもいいのではないかとは思います。日本の映画ってこんなものだったのですよ、というのがわかります。