見出し画像

「あの頃、文芸坐で」【33】黒澤明の影武者が撮ったのではないのかと思った「影武者」

画像1

画像2

封切りで観ていなかった、黒澤明「影武者」を初めて観た日。はっきり言って、迫力はあったが、面白くはなかったという印象だったと思う。黒澤に時代遅れを感じた日がこの日だったかもしれない。

*     *     *

コラムは、オードリー・ヘップバーンと監督の話。この手の話は、今に及んでも同じようなことを書く人がいる。そのくらいオードリー・ヘップバーンという人は時代を超えて、映画好きやそれ以外の人たちも魅了していると言える。本当に永遠のスターだと思う。そして、それに類するスターが現代のハリウッドにいないのもまた彼女を輝かせているのだろう。ご存命なら今年91歳である。まだまだ若いw。

*     *     *

プログラムは、前回と1週違いなのであまり語るところはないが、文芸坐に「ジャスティス」「ブルベイカー」の二本立て、当時はアル・パチーノとロバート・レッドフォードのコンビでの名画座二本立てはよくあった気がする。ハリウッド映画の代名詞的なところがある。今やアル・パチーノ80歳、ロバート・レッドフォード83歳。本当に年月が経ったものだと思う。

オールナイトの「日本映画監督大事典」は渋谷実の登場。松竹大船の巨匠であるが、今やその名前さえ知らない方の方が多い気もする。ここで上映されている「大根と人参」は 野田高梧 と小津安二郎の原案を映画化したもの。小津の死後、それを許された監督でもあるのだ。結果はともかく…。

*     *     *

そして、先にも書いたように、この日は「影武者」を観た。私はこの時に「七人の侍」と「羅生門」くらいしか黒澤映画を観ていなかった。だからこそ期待した分もあったのかもしれない。撮影風景もたびたびTV等で紹介されていたし、何よりも勝新太郎降板のニュースはセンセーショナルだった。黒澤も勝も自分の世界を持って、引かないような映画人のぶつかり合いとは、そんなものなのだろう。そう考えると、勝新太郎という俳優は、大映映画だから成立した人だったのかもしれない。最初から東宝が勝を俳優として迎えることがあったら、どうだったのか?とも思えるが、まあタラレバはないのですよね。

そして、この日観た記憶。眠くなった記憶である。後で、ビデオで観ても似たようなことを感じた。勝新太郎だったらまた違うものができたのは確かだろうが、黒澤映画は仲代達矢が正解である。そして、部分部分は確かに黒澤の映画だし、金もかかっているし、迫力もある。だが、エンターテインメントとして歴史に残るものにはならなかったということだろう。

角川映画が日本映画を見事に振り回していた時代、それ以上の金をグローバルに集め作られた作品は、世の中を圧倒はしなかった。ただ、アカデミー賞にノミネートもされたし、世界的な注目を浴びた一本として歴史に残るのみというところ。

映画に同時代性の迫力的なものを求めるならば、「影武者」以降の黒澤映画にそれはない。映画のそういう難しさをこの映画で初めて感じていたような気もする。

映画製作というものが年齢とともに質を保つのが難しかった時代でもあるのだろう。もう少し、黒澤が後に生まれ、デジタル時代の映画を作るようになっていたら黒澤はもっといろいろできたのではないか?という思いもあります。でも、それもタラレバ。昭和の時代に黒澤明という巨匠がいたことも、今では知らぬ若い人も多い。先に書いたヘップバーンの話に比べれば、監督は時代をなかなか超えずに古典になって終わるものなのかもしれない。でも、今を撮りたくて監督志望者はたえないわけである…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?