進撃の巨人 完結編をみて なぜミカサだったのか
すごかった。漫画は近くの喫茶店でちょこちょこ読んでいたが、アニメの完結編を昨日見た。
それが良い悪いとかではなく、人間ってどんなか。そういう世界観を感じた。
そして、エンディングの近代都市での爆撃シーンは、この進撃の巨人で描かれた惨劇が、決して今の現実とかけ離れたフィクションではなく地続きの呪いを私も背負っているということを突きつけられる。
以下ネタバレもあるのでご注意。
なぜミカサがユミルに選ばれたのか、色々考えていたが、エレンは、始祖ユミル同様、運命に囚われた人。
その運命から愛をもって解放をもたす存在、それがミカサだったのではないだろうか。
エレンは進撃の巨人であり、過去も未来も現在も、全てがイマで、たとえ未来を知っていても過去を変えることはできない。
そのある種の呪いであり運命によって、人類の大多数を踏み潰し、母も、友をも殺す。
彼の意思は無意味であり、強く望んだはずの自由とは程遠い。
ミカサは運命に囚われたエレンを、彼女自身が背負う運命を超えて解き放つ救世主だと、そのようにユミルは考えたのではないだろうか。
ミカサはアッカーマン一族で、バチっときた相手に一生を賭けて仕い、並外れた力を見せる。
そして彼女の一族は、その力によって迫害を受け、運命に囚われる側の人間でもある。
しかし、子供の頃からエレンたちと生活を共にし、主従関係以上の関係をエレンとの間に築き上げる。
そして、最後にエレンの首を切る。
本来、その命を持って仕えるべき相手の命を絶つのだ。
そしてそこにはきっと愛がある。
愛を期待し王に仕えつづけてしまったユミルの呪われた運命、その視点でみたミカサとエレンの関係は呪縛を紐解く希望に見えたのではないだろうか。
この作品で描かれるのは、良い悪いではなく、人類ってそういうものという感じ、断罪ではなく、罪悪感を持ちながらも戦い続ける。
それぞれの選択があっていまがある。
一人一人がイマへの責任を負っている。
そして、実際の歴史がそうであるように、みんなが平和を望んでいるはずなのに、分断と戦争は止まない。
殺戮の歴史、それを一時的にでも避けるための希望として、最後に提示されるのは調査兵団の本質。
未知への興味とそれを物語ること。
物語こそが人を対話に引きづり込み、種族や背景を完全には引き離せないながらも、ほんの少しの望みだけれども戦いのない世代をつくれるかもしれない。
ただ命を繋ぐという尊さ、いかにその命が呪われていたとしても、アルミンがただ走っていたその瞬間に生きる意味を見出したように、呪われた過去も何も関係ない。
ただ生きているだけでいい、誰がその存在を認めるわけではなく、自身が意味を見出すことができる。
そういう瞬間を物語にして、その尊さが共有できれば、少しは戦争の時代を避ける時間を設けることができるだろうか。
以上。