バービーとウーマントーキング
8月はあまり映画を観なかった。
そんな中でもバービーとウーマントーキングは、考えることのきっかけになる作品だったので、考えたことを記しておく。
ネタバレもあります。
バービー(2023)監督 Greta Gerwig
バービーランドで暮らす バービー人形のバービーとケンが、人間の暮らす現実世界を目の当たりにし、自分を再発見していくお話。
バービーランドでは、バービー(女性型人形)が大統領、司法の長を務め、医者、文学者など、いわゆる高学歴職に女性だけが務めており、道路整備のブルーワーカーのバービーもいる。
実際にバービー人形は、そのようなバージョンのものが発売されているらしい。
一方で、バービーの"パートナー"のケンは、これといった職を持たず、ビーチにただいるムキムキなナイスガイ、そしてバービーに認められ、好意を向けられることを生きがいに存在している。
ところが、バービーランドから、人間の世界に行ってみると、現実社会では女ではなく男が社会を回していて、バービーはそのスタイルも含め理想化された非現実的な存在が、むしろ女性の社会進出を遅らせた、と女の子に攻撃されてしまう。
この映画がすごいのは、そのバランスだと思う。
明確に、男性社会のコントロールを批判しているものの、全体にコミカルで普通に面白いし、何より物語の設定が秀逸に思う。
バービーランドは、性別を逆にした現実世界の鏡写しで、現実世界での男性社会の女性達への抑圧は、バービーランドのバービー達のケン達への抑圧と、類似の構造を持つ。
観ていて、ケンがかわいそうと思うと、それは現実社会で確かにこういう苦しみを覚える女性はいる。
バービーやりすぎじゃない?と思うと、それは現実社会でいかに社会をコントロールする地位にいまだに男性がほとんどを占める状態を思わずにいられない。
最初のシーケンス、2001年宇宙の旅のパロディで、不気味な赤ちゃん人形で遊ぶ女児達が、バービー人形の発売で目が覚めるシーン、あそこが一番好きかもしれない。
女の子は子育てをすべき、という規範が、子供の頃から遊びに寄って刷り込まれ、文化というのは強者、支配者によって維持、強化されてしまう。
それをバービー人形は完璧な形ではないものの、確かに女性も母親だけでなくいろんな将来の夢を持っていい、とそう思える大きいブレークスルーだったのだと思う。
そのパワーが、赤ちゃん人形をぶち壊し、プラスあの音楽でとてもアがった。
バービーが現実世界に向ける温かい眼差しと希望、そしてこの作品が大ヒットしているらしいという現実は救いになる。
ウーマン・トーキング 私たちの選択 (2022) 監督 Sarah Polley
日本公開は2023年だったけど、映画館で見るタイミングを逃し、アマプラで視聴。
ある村で、女性達は男性達によって常習的に薬により眠らされレイプをされていた。
それは妄想であると信じ込まされていたが、ある日犯人が目撃され、男性陣は一時勾留される。
村には女性陣だけが残るが、男性陣はまたすぐ帰ってくる。
それまでに女性達は選択をしなくてはいけない。
何もしないか、闘うか、逃げるか。
村の代表者の女性達が集まり、自らの傷と向き合いながら、選択のための話し合いをする話。
限られた空間で、話し合いによって、登場人物の傷つきが、思想がだんだんと浮かび上がってくる。
対立もあるけど、受容を基本的な姿勢としてもつ彼女達の話し合いは、とにかく優しくて、彼女達を構造的に抑圧していた男性陣の加害性が際立つ。
ただ、私は書記役として唯一彼女達の話し合いに参加した先生に強く感情移入した。
自分が男性であることは自明で、でも男性陣が彼女達を傷つけるこの構造を、いかにして改善していけばよいか道筋が示せない。
答えのない問いに何もできず、でも自分の属性が確かな加害性を帯びている。
男性であることが罪なわけではなく、支配の構造が差別を生んでいることが問題なはずなのに、なかなかそこを切り離すのは難しい。
そして、途中で明かされるのは舞台は2010年、女性に読み書きが許されていないという設定から、もっと昔の話とどこか割り切って見ていたところにナイフで刺されたように、今と地続きの問題であると現実へ突き戻される。
終わりに
バービーも、ウーマントーキングも、悔しさと怒りが溢れている中で、それを理性的に処理して、なんとか全面に押し出さずに、でもその怒りが漏れ溢れる瞬間を確かに感じる。
ポジティブな方向への改善のため、全面戦争をせずに、でもその有害な価値観、規範を変えようと、もがく作り手が透けて見えるようで、いろんな感情が湧き出てくる。
別の作品になるが「She Said」は観ると悔しさと怒りで支配されてしまいそうになる。
Apple TVの「The Morning Show」も最高だったな、と見返したくなった。
何も一人一人の人間が悪いわけではない、悪いのは差別を許容する社会システムであって、それを示すかのようにどの作品でも、パートナーとしての男性は、人間的に、愛すべき対象として描かれている。
さて、自分が生きたい世界で生きるために、どう行動すればいいのだろう。
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