太平記 現代語訳 27-4 足利直義、高師直殺害を決意
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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上杉重能(うえすぎしげよし)と畠山直宗(はたけやまなおむね)の讒言(ざんげん)は、さらにその激しさと執拗さを増していった。妙吉(みょうきつ)もまた、それに歩調を合わせ、足利直義(あしかがただよし)に対してしきりに、「高師直(こうのもろなお)、師泰(もろやす)兄弟に、誅罰を加えるべし!」と、訴えてやまない。(注1)
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(訳者注1)彼らの讒言については、26-7, 26-8 を参照。
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ついに、直義は決意した。
直義は、尊氏(たかうじ)には何も知らせずに、自らに近いメンバーらに対して密かに招集をかけた。それに応じて直義邸に集まってきたメンバーは、以下の通りである。
上杉重能、畠山直宗、大高重成(だいこうしげなり)、粟飯原清胤(あいはらきよたね)、斎藤実持(さいとうさねもち)、他若干名。
足利直義 君たちに今日集まってもらったのは、他でもない、私の重大な決意を、君たちに伝えるためだ。
メンバー一同 (かたずをのみながら)・・・。
足利直義 決めたよ!
メンバー一同 ・・・。
足利直義 高兄弟に、誅罰を加える!
上杉重能 !(ニッコリ)
畠山直宗 !(深くうなづく)
足利直義 重成!
大高重成 ははっ!
足利直義 朝重(ともしげ)!
宍戸朝重(ししどともしげ) ははっ!
足利直義 戦いなれたる剛の者、おまえたち二人に、この任務を任せる。近日中に、師直をこの館へ招くからな、やって来た所を襲え、わかったな!
大高重成 ははっ!
宍戸朝重 ははっ!
足利直義 万が一の事も考えて、うでききの者100人ほど、邸内に潜ませておくとしよう。
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このような事になっているとは夢にも知らず、高師直は、招待に応じて足利直義邸にやってきた。
若党(わかとう)や中間(ちゅうげん)の部下たちを全員、遠侍(とおざむらい:注2)や庭に待機させ、師直一人、中門の塀の中に入り、面積6間の客殿に座した。
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(訳者注2)中門付近にある建物で、日直当番の警護の者らが詰めている。
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まさに、師直の命、今にも風が吹かんとする直前の露よりも危うき状態。ところがここに、思いもかけぬ救い主が現われた。粟飯原清胤である。
口を極めて、高兄弟誅罰を訴えてきた粟飯原清胤であったのに、ここにきて、にわかに心変わりしたのであろう、ちょっとあいさつすると見せかけながら、師直に対して、キッと目配せした。
カンが鋭い師直、とっさに、自らが、何やら重大な危機に直面している事に気付いた。
高師直 あっ、いけねぇ! 大事な事忘れてた、ちょっと、自宅に戻らしていただきますよ!
師直は門から出るや、サッと馬にまたがり、自らの館へ電光のごとく逃げ帰った。
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その夜、粟飯原清胤と斎藤実持が、隠密裏(おんみつり)に師直を訪ねてきた。
粟飯原清胤 執事殿、ほんと、今日はあぶないとこだったんですよぉ! どうなることかと、ハラハラしましたわ。
斎藤実持 じつはね、ついこないだ、直義様から、貴方たち兄弟を殺害する計画を、打ち明けられましてね。
粟飯原清胤 すべては、上杉重能と畠山直宗が仕組んだ陰謀なんですよ。彼らが直義様に、あれやこれやとね・・・。
二人の話を聞いて、師直はビックリ。
高師直 いやぁーー、こりゃぁ驚いたねぇ! いやね、あんたがミョーな視線送るもんだからさぁ、こりゃ、なんかあるなってんで、あわてて逃げて帰ってきたんだけど・・・。ふーん、直義様がねぇ・・・。
高師直 あ、いやいや、とにかく、お二人にはお礼をさしあげないとね・・・えぇっと、何がいいかなぁ・・・。
師直は、あれやこれやの品々を取りそろえて、二人の前に差し出した。
高師直 とにかく、これは、ほんの感謝の気持ち、どうぞ、お持ち帰り!
斎藤実持 いやぁ、わるいですねぇ、こんなにいただいちゃって。
粟飯原清胤 じゃぁ、遠慮なく。
高師直 ねぇねぇ、これからも、何か変わった事あったらさ、逐一教えてよね、頼むから。
粟飯原清胤 はいはい、分かりましたよ。
斎藤実持 執事殿も、せいぜい気をつけられる事ですなぁ、昨今の世の中、一寸先は闇だもん。
高師直 まったくねぇ!
それ以降、師直は用心怠りなく、一族若党数万人を自宅近辺の民家に詰めさせ、仮病を使って、幕府への出仕をストップした。
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昨年の正月より、楠(くすのき)氏討伐のため、河内国(かわちこく:大阪府南東部)の石川河原(いしかわがわら)に向かい城を築いて滞陣していた(注3)高師泰(こうのもろやす)のもとに、京都の師直から密書が届いた。
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(訳者注3)高師泰の石川河原布陣については、26-5 を参照。
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密使 師直様よりの密書を持って参りました。これでございます。(密書を手渡す)。
高師泰 なんだなんだぁ? 密書たぁ、おだやかじゃねぇなぁ。いってぇ何があったんでい?(パサパサ・・・密書を開く音)。
高師泰 ・・・(密書を読む)・・・ナァニィ! なんだとぉ!・・・うーん・・・。
高師泰 おい、たしか、畠山国清(はたけやまくにきよ)は、紀州にいたっけなぁ?
師泰側近A さいです、紀伊国(きいこく:和歌山県)の守護として、現地に赴任中ですわいな。
高師泰 すぐにここへ呼べ! 石川城を守らせるんだ。
師泰側近B えっ?
高師泰 ただちに、全軍転進だぁ!
師泰側近A えーっ!?
師泰側近B いったいどこへ転進するんですか?
高師泰 決まってるだろ、京都だよぉ!
師泰側近A えーっ!? えーっ!?
高師泰 次の戦場はな、京都、京都なんだよぉ!
師泰側近一同 えーっ!? えーっ!? えーっ!?
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「高師泰が大軍を率いて上洛してくる」との情報に、足利直義は、
足利直義 (内心)まずいな、あいつに、今攻めこまれてきたんでは、形勢不利になってしまう。なんとかして、あいつの機嫌をとって、懐柔しとかないと。
直義は、飯尾宏昭(いいおひろあき)を高師泰のもとへ使いにやった。
飯尾宏昭 直義さまから、次のようにお伝えするようにと・・・「高師直の行状、すべてにおいて、才に欠け、愚かなる面、多々見受けられる。ゆえに当分の間、現在の職務を解く。その後任として、高師泰を執事職に任命するものなり。以後、幕府政所(まんどころ)のトップとして、政務万端きめこまかく執行すべし」。
高師泰 ふーん・・・おいらに、執事をやれっておっしゃるんですかい。おいらみてぇなソコツモノにねぇ・・・まことにありがたくもおそれ多いお言葉で・・・。
飯尾宏昭 ・・・。
高師泰 へん! どうせ、まずは枝を切って、それから後、ゆっくり根を切ろうって事でしょう?
飯尾宏昭 師泰殿!
高師泰 とにかく、お返事は京都へ帰りやしてから、いたしやすよ! そのように直義さまには、お伝えなまし!
飯尾宏昭 (内心)これはまた、予想外の返事だったなぁ。
師泰は、すぐに石河の陣を引き払い、京都へ向かった。甲冑を帯した3000余騎に加え、人夫7,000余人に持盾や一枚盾を持たせ、完全武装・臨戦態勢のまま、わざと白昼、京都に入った。まさに、万人の目を驚かす一大デモンストレイションである。
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「高師泰、高師直の館に到着、両人、足利直義との合戦の準備に余念無し!」との情報に、8月11日夕、赤松円心(あかまつえんしん)とその子息の則祐(そくゆう)、氏範(うじのり)は、700余騎を率いて高師直邸に向かった。
師直に対面するやいなや、円心は、
赤松円心 執事はん、いったいどないなっとぉねん? あんたら兄弟と直義様とが、戦やらかすとかいうて、京都中えらい騒ぎやがな。こらまたいったい、ナニがどないで、どないなってしもとぉねん?
高師直 いやぁ、よぉ聞いてくださったやんどすか。実はね、直義様が何のいわれもなく、わたいらの一族滅ぼしてしまっちゃえぃなんてね、思い立たたれたんですよねぇ! こうなっちゃ、喉元に刃(やいば)突きつけられたようなもんですやん? そやからな、わて、将軍様に内々に泣き付きましたんどすよ。「将軍さまぁ、なんとかしてくださいよぉ」ってね。
高師直 するとね、将軍さまがおっしゃいますには、「なに! 直義がそんな事考えてるのか、それはまた穏かではないな。そんな事、すぐに止めさせなくっちゃいかん! それにしても、まったくけしからんのは、おまえたちへの讒言を直義に吹き込みまくった連中らだ。やつら、厳罰に処さなきゃ、いかんなぁ! よし、しっかりと守りをかためてな、陰謀を未然に食い止めろよ!」。
高師直 で、あたしゃ、こう言ったんだな、「陰謀を食い止めろと、言われましても・・・そんなのムリですよぉ。直義様はあぁいったご性格でしょ、いったんこうと決めたら、トコトンですからね。絶対に、私らんとこに、討手差し向けてこられますってぇ。」
高師直 するってぇと、将軍様はね、「そうなった時には、私の館へ逃げ込んでこい。私と師直と一緒に、運命を共にするんだぁ!」ってねぇ、そうおっしゃってくださいますんですよぉ・・・まぁ、ありがたいお言葉じゃ、ござんせんかい、グスン・・・。
高師直 ってわけでぇ、将軍様のお心に従ってね、おそれながら、直義さまよりの討手に対して、矢の一本でも送って進ぜようかなって気にぃ、おいら、なってきましたんどすわ。
赤松円心 ふーん・・・将軍はんが、そないな事をなぁ・・・。
高師直 いやね、京都の中の事なんか、あたしゃ、ちぃとも心配しとらへんのどす。京都中、あたしのお味方、わんさといはりますから。あたしが気になっとりますのは、中国地方の事だわね。
赤松円心 中国地方なぁ・・・直冬(ただふゆ)殿か?
高師直 さすがに赤松円心様、ご明察! 足利直冬殿に、中国地方の勢力引き連れて京都へ攻めてこられたんじゃぁ、こりゃぁコトですわいな。
赤松円心 そら、そやわな。
高師直 赤松様、たってのお願いでございますが・・・。
赤松円心 うん、なんや!?
高師直 今夜中にでも急ぎ、京都をお発ちになって、ご当家の領国・播磨(はりま:兵庫県南西部)に戻られ、山陰と山陽の両道を、杉坂(すぎさか:兵庫県・佐用郡・佐用町-岡山県・美作市)と船坂(ふなさか:兵庫県・赤穂郡・上郡町-岡山県・備前市)の両急所で塞いでくださいませんでしょうか? 中国地方からの敵襲に備えて。
赤松円心 うーん・・・そやなぁ・・・。
高師直 おやおや、すっかり話に夢中になっちまって、お酒のご用意も何もせずに・・・なんともはや、失礼をお許しあれ。おぉい、酒、酒!
酒がやってくると、さっそく師直は、手ずから円心に杓をする。
高師直 あ、そうそう! 赤松様に、プレゼントさしあげなくっちゃ!
師直は、細長い錦の袋を取りだしてきた。その中には一本の懐剣が入っていた。
高師直 赤松様、ご覧くださいよ。この懐剣はね、かの有名な藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の持ち物だったんですよ。それがいつの頃からか、わが家の宝になりましてね、先祖代々、「わが身を放さずの守刀」として、伝えてきたんですけどぉ、以前から、「これ、赤松様にプレゼントしちゃおうかなぁ」なんて、思ってたんですよねぇ。
赤松円心 えー! そらまたなんと、まぁ・・・。
剣を受け取った円心は、その夜直ちに京都を出発、播磨に馳せ下った。
円心は、手勢3,000余騎を二手に分け、備前の船坂と美作の杉坂に送り、山陽、山陰の両街道を塞いだ。
円心の義侠心を示す旗は空高く翻り、その方面の形勢を一変させてしまうような勢いを見せ付けた。この勢いに押されてか、大軍を率いて京都上洛を目指していた足利直冬であったが、その計画に様々の支障を来してしまった。
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(訳者注4)[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書 2443 中央公論新社] 53P には、以下のようにある。
「閏六月七日には、将軍尊氏が三条殿を訪問して先日の騒動について直義と相談した。そして同月十五日、高師直は執事を解任された。所領なども没収され、他人に与えられた。上杉重能の讒言によるとする史料もあるが、ともかく直義の攻勢が成功した。」
[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書 2443 中央公論新社] 57P には、以下のようにある。
「やがて、師直の反撃が始る。本項の記述は、主に『太平記』『園太暦』『師守記』に依拠した。」
「まず貞和五年(一三四九)七月二十一日、当時河内国石川城に駐屯していた高師泰が紀伊守護畠山国清を石川城に呼んで同城を守備させ、自らは大軍を率いて京都へ向かった(集古文書)。その目的は、師直に協力して直義に軍事的圧力をかけ、政敵を排除することである。場合によっては、直義との一戦もこの時点では覚悟していたのかもしれない。」
「・・・八月九日、師泰は入京した(前掲集古文書)。」
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