太平記 現代語訳 2-3 三人の僧侶、鎌倉へ護送される

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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鎌倉幕府より派遣されて京都へやってきた、二階堂時元(にかいどうときもと)、長井遠江守(ながいとおとうみのかみ)は、6月8日、三人の僧侶を伴い、関東へ向けて出発した。

ここでその僧侶たちについて、経歴等、簡単に紹介しておこう。

忠円僧正(ちゅうえんそうじょう):
 この人は、浄土寺(じょうどじ)(注1)の慈勝僧正(じしょうそうじょう)の門弟である。様々な宗教上の議論において、的確な論述を展開できる秀才であり、その学識の深さは、宗門中並ぶものがない。

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(訳者注1)銀閣寺は、浄土寺の跡地に建てられた。現在は[浄土寺]という地名にのみ、その名残をとどめている。
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文観僧正(もんかんそうじょう):
 元、播磨国(はりまこく:兵庫県南西部)の法華寺(ほっけじ:兵庫県加西市)の住職である。壮年に達した頃に、醍醐寺(だいごじ:京都市山科区:注2)に移った。やがて、真言宗(しんごんしゅう)の大阿闍梨(だいあじゃり:注3)となり、東寺(とうじ:注4)のトップ、醍醐寺のトップに任ぜられ、真言密教・最高指導者の地位にまで登りつめた。

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(訳者注2)弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の孫弟子に当たる聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)により、創建された。

(訳者注3)阿闍梨(あじゃり)ācārya:弟子の行為を矯正し、その師範となり指導する高徳の僧をいう。(仏教辞典 大文館書店)。なお、左記の資料によると、阿闍梨の位はもともと仏教各教団の私的なものであったのが、西暦836年からは、朝廷がこれを任命するようになったようである。

(訳者注4)教王護国寺(きょうおうごこくじ)の別名。京都市南区に現存する、真言宗の大寺院。
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円観上人(えんかんしょうにん):
 元、延暦寺(えんりゃくじ)の僧である。顕教・密教の双方に精通したその才学は、比叡全山に光を放って輝き、智行兼備のほまれの高さは群を抜く。しかし彼は、「延暦寺の人々は軽薄な気風に流されること久しく、思い上がりの心、甚だしいものがある。やがては、天魔(てんま)の掌中(しょうちゅう)に落ちてしまうであろう。この際、自分は、宗教界の論客としての名声を捨て、開祖・伝教大師(最澄)の立教(りっきょう)の原点に還るべきである」と決意、名利(みょうり)追求の道より離脱し、心静かなる仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)に没頭していった。

円観上人は、比叡山西塔エリアの黒谷(くろだに)というところに、房を定めて修行した。その姿はまさに、

 法衣を 蓮葉の上の 秋の霜に重ね
 托鉢の鉢を 松の花舞う 朝の風にさらし

といった状態。

しかしながら、

 「人徳というものは、あらゆる隔絶を超越し、周囲にその影響を確実に及ぼしていくものである。」(注5)
 
 と、論語にもあるように、太陽はその光を、隠しきれるものではない、いつしか円観上人は、五代にわたる天皇の戒師として、朝廷から招聘(しょうへい)を受ける身となり、三聚浄戒(さんじゅじょうかい:注6)の始祖となった。

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(訳者注5)原文では、「徳は孤なら不(ず)、必ず隣有り」。

(訳者注6)仏教の修行者が受持すべき三つの戒を授ける儀式。
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このような有智高行(うちこうぎょう)の聖僧であったにもかかわらず、今回の不慮の災難を免れることが、できえなかった、というのもまた、前世に犯した行いの因果応報(いんがおうほう)であるのかもしれない。幕府によって囚われの身とされ、つらい逆旅(げきりょ)にさすらう事となってしまうとは、全く、想像だにできえない事であった。

鎌倉への護送においては、円観上人のみは特別扱い、宗印(そういん)、円照(えんしょう)、道勝(どうしょう)の弟子三人の随行が認められた。彼らは、影が形にそうがごとく、上人の乗る輿(こし)の前後に付き従うこととなった。

文観僧正、忠円僧正の方は、あい従う者も無し。宿場常備のみすぼらしい馬に乗せられ、ふだんは身辺に寄せつけたこともないような武士たちに囲まれて、まだ夜も明けやらぬうちから、関東への旅に出発・・・彼らの心中、思いやるも哀れなるかな。

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 「あの僧侶たち、鎌倉まで連行されずに、道中で殺されてしまうかもヨ」

などというような風説も、耳に入ってくる。あそこの宿場に着けば今や限り、こちらの山で休憩をとればこれや限り・・・命ばかりは、か細く保たれているとはいえ、心の方が先に消え失せてしまいそうな道中が続く。

昨日という日は、はや過ぎ去り、今日という日も、また暮れた・・・。

急ぎたくもない道中も、日数積もって6月24日、一行は鎌倉に到着。

円観上人は、佐介越前守(さすけえちぜんのかみ)に、文観僧正は、佐介遠江守(さすけとおとおみのかみ)に、忠円僧正は、足利貞氏(あしかがさだうじ:注7)に、預け置かれることとなった。

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(訳者注7)足利尊氏の父。
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鎌倉に帰還の後、二階堂時元と長井遠江守は、幕府に対して、僧侶たちが京都で行っていた修法の際の、本尊(ほんぞん)の形状と檀のレイアウトを写し取った絵図を提出した。

俗人が見ても判断不可能な事ゆえ、幕府は、佐々目頼禅(ささめらいぜん)僧正にこの絵図を渡し、鑑識を依頼した。

その回答は、

 「まさにこれは、いわゆる「調伏の法(ちょうぶくのほう)」に、相違ありません。」

そこで、「よぉし、拷問(ごうもん)だ!」という事となり、侍所(さむらいどころ)に身柄を引き渡し、水火(すいか)の責めを加えた。

文観は、しばらくの間、いかなる責めを加えられようとも拷問には屈しなかった。しかしながら、水責めのあまりの厳しさに、身も疲れ、心も弱りはてたのであろう、ついに、

文観 あぁ、やった・・・(ハァハァ)・・・やった・・・(ハァハァ)・・・へいか(陛下)の・・・(ハァハァ)・・・ごめ・・・ごめいれい(御命令)・・・(ハァハァ)・・・ちょ・・・ちょうぶく(調伏)・・・(ハァハァ)・・・やった。(ガクッ)

次は、忠円の番。

この人は、天性臆病な人であった。何も責めを加えない前に、天皇が延暦寺(えんりゃくじ)を倒幕計画の仲間に引き入れようとしたこと、護良親王(もりよししんのう)の日常の様、日野俊基(ひのとしもと)の陰謀等々、事実も事実でないこともとりまぜて、余すところ無く白状、調書一巻が仕上がってしまった。

幕府高官A 天皇の倒幕計画、もうバレバレェ。疑いの余地無しだよなぁ。

幕府高官B もう拷問、いいんじゃねぇのぉ? 円観にまでやる必要、ねぇだろう。

幕府高官C いやいや、そうはいかんよ。あいつだって同罪なんだもん。

幕府高官D じゃ、円観に対しては明日、拷問を加えて尋問ってセンでいこう。

このように議決が行われたその夜、北条高時(ほうじょうたかとき)は、ミョーな夢を見た。

北条高時 おう・・・あそこに一人の僧侶が。ははぁん、あれが例の、円観ってヤツだなぁ。

北条高時 ・・・ヤイヤイ、あれいってぇなんだぁ? あの群れ・・・ははぁ? 猿・・・エライ数の猿どもだ・・・2,000、いや、3,000。

北条高時 おぉい、そこのぉ、てめぇらいってぇ、ナニモンだぁ? どこの猿だぁ?

猿のリーダー わしらはなぁ、比叡山の東山麓、坂本(さかもと:滋賀県大津市:注8)のモンやゾォ、キッキィキィッ!

北条高時 いってぇなんでまた、比叡山から鎌倉くんだりまで。

猿のリーダー うるさい、黙って見とれぇ、キッキィキィッ!

北条高時 ・・・。

猿のリーダー みんな、スタンバイ、ええか?

猿全員 スタンバイ、OK!

猿のリーダー よーし、いけぇ!

猿たちは一斉に、円観上人めがけて駆け寄っていった。そして、上人を守護するかのように、その前に列をなして並び立った。

北条高時 あぁぁ、テメェラァ!

北条高時 (ガバッ)・・・あぁ、夢かぁ・・・。

北条高時 (内心)うーん・・・ヤァナ夢見ちゃったなぁ・・・。

北条高時 (内心)・・・あの円観ってやつ、どうもタダモンじゃぁねぇみてぇだなぁ・・・こりゃぁちょっと、拷問、中止させた方がいいかもよ。

未明のうちに高時は、円観を預かっている佐介越前守のもとへ使者を送り、「円観に対する拷問を中止、しばらくそのままにしておくべし」との命を伝えさせた。

ところが、それと入れ違いに、当の佐介越前守が、高時のもとへやってきていわく、

佐介越前守 例の円観上人の事でごぜぇやすが・・・さぁいよいよ拷問だぁってんで、さきほどね、あのお方のところへ参ったんですが・・・そこでねぇ、とんでもねぇ不思議を見ちまいましてね!

北条高時 いったいどんな!

佐介越前守 私が参りましたその時にですね、あのお方はですね、燈をともしならが、定(じょう:注9)に入っておられるようでした。

佐介越前守 でぇ、後ろの障子にうつってる、あのお方の影・・・なんと、それがですよぉ、不動明王(ふどうみょうおう)の形、してるんですわぁ!

北条高時 ・・・。

佐介越前守 もう、ビックラこいちまってぇ、まずはこれ、殿にお知らせした方がいいんじゃぁねぇかなぁって、思いましてねぇ、それでぇ・・・。

北条高時 ・・・。

高時が見た夢といい、佐介越前守の目撃内容といい、「この円観という人、タダモノではないな」ということで、「拷問無しに」となった。

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(訳者注8)坂本には、[日吉大社]がある。ここは、比叡山に延暦寺が開かれてから後、延暦寺を守る護法神・[山王権現]が鎮座する所とされてきた。猿が、その神の使いである([神猿(まさる)])とされてきた。上記にもあるように、円観は、元、延暦寺の僧である。よって、延暦寺の守り神の使いである猿が、円観を守護するために出現した、というストーリー構成になっているのだろう。

(訳者注9)仏教の修行の一。精神を集中して仏を念じ、深い祈りに入る。
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7月13日、三人に対する処分が発表された。

 文観:硫黄島(鹿児島県)への流罪に処す
 忠円:越後国(新潟県)への流罪に処す
 円観:罪一等を減じ、結城宗広(ゆうきむねひろ)預かりとする。

かくして円観は、奧州(おうしゅう)への護送の長旅に出ることになった。

この処分、「左遷遠流(させんおんる)」の文字こそ無いが、遠い未開の地に遷されるのであるからして、そのつらさに変わりはない。古代中国の肇法師(じょうほうし)が苦刑に伏し、一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)が火羅国(からこく)に流された際の、水宿山行(すいしゅくさんぎょう)の悲しみも、かくのごとくであったか、と思い知られる。

名取川(なとりがわ:宮城県)を越える時、円観上人の詠んだ歌一首:

 陸奥(みちのく)の 憂(う)き名取川(なとりがわ) 流れ来て 沈みや果てん 瀬々(せぜ)の埋木(うもれぎ)

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仏の化身のような大聖者といえども、その時々の災を免れることは不可能のようである。

昔、インドのハラナイという国に、戒定智(かいじょうえ)・三学兼備の修行者(注10)がいた。国王の師にして国家の大黒柱、天下の皆が彼に帰依し、その指導を仰ぐさまは、あたかも大聖世尊(だいしょうせそん:注11)の出家・成道(じょうどう:注12)された時のごとくであった。

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(訳者注10)原文では、「沙門」。

(訳者注11)「おしゃかさま」(釈尊)の事である。

(訳者注12)「出家」とは教えを求めて生家から出られた時の事を言い、「成道」とは、菩提樹下にて衆生を救う道(仏教)を発見された時の事を言う。
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ある日、国王主催の法要の執行のため、王はその導師として、この修行者を招聘(しょうへい)した。

彼は、ただちにその命に従い、王宮にやってきた。

伝奏(てんそう)の者が、修行者の到着を国王に告げにやってきた、ちょうどその時、王は囲碁に熱中していた。

伝奏の者 申し上げ奉ります! 国師猊下(こくしげいか)がただ今、参内してこられました。いかが、とりはからいましょうや?

王 (囲碁に完全に没入)(内心)うーん・・・うーん・・・あぁ打てばこう打ってくるであろう、こう打てばあぁ打ってくるであろう・・・うーん・・・わからぬ・・・ヨメぬ、ヨメぬぞ、この局面。

伝奏の者 ・・・。

王 (内心)うーん・・・うーん・・・エェイ、あの一団の白石をば・・・。

伝奏の者 ・・・。

王 キ(切)レェ!(注13)(黒石を碁盤の上に置く)

黒石 パァシィ!(碁盤の上で)

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(訳者注13)囲碁においては、下図のように、相手の石の列を斜め方向に分断することを、「切る」と言う。
  ○○●
  ●●○○
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伝奏の者 ハハッ!

伝奏の者はそく、修行者を宮殿の外に連行し、刑務担当者に彼の首をはねさせてしまった!

その後、大分たってから、王の囲碁はようやく終わった。

王 ム、イカン、これは不覚! 囲碁に夢中になって、猊下の事をすっかり忘れておった! これ、ただちに猊下を、ここにお通ししろ。

王の側近たち !!!(王宮内、パニック状態)

やがて、

刑務担当者 (おそるおそる、王の御前へ歩み出て)おそれながら・・・猊下の首を、さきほどはねたところです・・・陛下の御命令と、お聞きしましたもので。

王 ナ、ナ、ナニィー! い、い、いったいいかなる輩が、かような命令を!

刑務担当者 先ほど伝奏担当の方から、「「猊下をいかがいたすべしや」とおうかがいせしに、「ただちに斬(き)れ」との陛下のおおせ。なんじ速やかに、陛下の命を実施すべし」と・・・。(ガタガタガタ・・・)

王 (激怒)う、う、ウツケモノめがーっ・・・ナンタルことを!

刑務担当者 !!!

王 いにしえより、「死罪の命が下りし後も、三度(みたび)国王に奏上し、「その刑を執行せよ」との命は確かなりや否や、念を押すべし」と言うではないか! しかるに、ただ一度、我の言葉を聞きしのみにて、かくも重大なる誤りをば、しでかしおるとは!

王 あぁ・・・我は、大いなる不徳を背負い込む事になってしもぉた。かかる罪、親殺しにも等しい極悪のものじゃ! エェィ、あのバカ者の伝奏者と、その三族(注14)、まとめて死刑に処せい!

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(訳者注14)父母、兄弟、妻子。
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その後、王は、

王 (内心)それにしても、国師猊下、いったい何ゆえに、かくなる「何の咎もなく死刑」というような事に、なってしまわれたのであろうか・・・。

王 (内心)これにはきっと、深いわけがあるのであろう、さだめし、前世での身の行いの因果ではあるまいか・・・。

ということで、王は、ある高僧(注15)に、サーベイを依頼した。

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(訳者注15)原文では、「阿羅漢」。
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高僧は、7日間の定に入り、宿命神通力(しゅくみょうじんつうりき:注16)を得て、かの修行者の過去と現在を透視した。

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(訳者注16)原文では、「宿命通」。他人の前世などの様子を透視する力。
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それによれば、修行者は、その前世においては、耕作を業(ぎょう)とする農夫であった。かたや、王は、その前世においては、水に棲む蛙であった。

ある日、春の山田をすき起こしていた、この農夫は、誤って、鋤(すき)の刃先で、この蛙の首を切断してしまった。

因果の車輪は廻(めぐ)り、農夫は修行者としての生を受け、蛙はハラナイ国王としての生を受けた。そして今度は、王が誤って、修行者の首を斬らせてしまったのである・・・まことに哀れなるかな。

円観上人もまた、いかなる前世の因果応報により、このような不慮の罪に沈む事になってしまったのであろうか・・・まことにもって、人の運命というものは、不可思議なものである。
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