太平記 現代語訳 11-7 越前においても、幕府側勢力、消滅
太平記 現代語訳 インデックス 6 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----
京都において、六波羅庁攻防戦が行われていた時、淡河時治(あいかわときはる)は、北陸方面の反乱軍鎮圧のため、越前国(福井県東部)に赴き、大野郡(おおののこおり)の牛原(うしがはら:福井県・大野市)という所に陣を構えていた。
ほどなく、その地にも、六波羅庁陥落の知らせが伝わってきた。彼に従っていた諸国の武士たちは、あっという間に逃亡してしまい、残るは妻子と家臣たちだけになってしまった。
やがて、平泉寺(へいせんじ:福井県・勝山市)の衆徒らが、「恩賞に預かる絶好のチャンス」と考え、越前や他国の者らをかたらって7,000余騎の軍を編成、5月12日の白昼、牛原に押し寄せてきた。
雲霞(うんか)のごとき相手方の勢いを見て、時治は、抵抗してみても幾ほども持ちこたえられないだろうと、思った。
彼は、20余人の郎等にとりあえず敵を防がせ、その間に、近在の寺の僧侶を招き、夫人と幼い子供たちの髪に剃刀(かみそり)を当てて、受戒させた。
自らの死後の往生への準備を、涙の中に営む家族たち・・・。
僧侶が帰った後、時治は、妻にいわく、
淡河時治 うちの子らは二人とも男子だからな、いくら幼いからといっても、敵は命を助けてくれないだろう。だからな、冥土の旅にいっしょに連れて行くよ。
夫人 (涙)・・・。
淡河時治 でも、君は女性だからさ、たとえ敵に身分を知られても、命を失うまでの事にはならんだろう。だからな、何としてでも命長らえてな、いい人と再婚してな、このつらい運命を慰める手だてを、見つけてくれ。
淡河時治 おれが死んだ後にも、この世のどこかで、君が心安く生きてくれてるならば、もうそれでいいんだ・・・草の陰に行こうとも、苔の下に朽ち果てようとも、それでいいよ、おれは。(涙、涙)
夫人 (うらみがましい目つきで)「水に棲むオシドリ、家の梁に巣を作る燕といえども、翼を交わした契りを忘れず」って言うじゃない。
淡河時治 ・・・。
夫人 結婚してから、もう10年になるのよ、わたしたち・・・いつの間にか・・・。
夫人 あなたといっしょに、二人の子供、育てた・・・。
夫人 わたしたち一家の別れが、どうか永遠に来ませんようにって、祈ってたわ、わたし。でも、その甲斐もなく、あなたは今、剣の下に命失い、幼い子供たちは、朝露の前に消え果てようとしてる。
淡河時治 ・・・。
夫人 わたし一人だけ、後に残されて生きていくだなんて・・・そんなの、悲しすぎる・・・わたし、とても生きていけない、耐えられないわ。そんなの、いや!
夫人 愛するあなたといっしょに、命終わって、苔の下にいっしょに埋もれたい。「一緒に、同じ墓の中に眠ろうね」って約束してくれたでしょ、忘れてちゃったの、あなた!
淡河時治 ・・・。
やがて、防ぎ矢を射ていた郎等たちも皆討たれ、衆徒たちは、箱の渡し(福井県・勝山市)を越えて、後方の山へ回りこんだ、との知らせがあった。
時治は、5歳と6歳になった幼い人を、鎧収納用の唐櫃(からびつ)に入れた後、乳母二人を呼び寄せていわく、
淡河時治 おまえたち、それ、鎌倉川まで持っていってな、そこの淵の底に、二人をな、沈めてやってくれ。
乳母たち ・・・(涙)
子らの母も、共にその淵に身を投げんと、唐櫃の紐に取り付いて歩み行く、その心中の悲しさよ。
時治は、館の前に立ち、彼らを遥かに見送り続けた。
やがて一行は、鎌倉川に到着。
唐櫃を岸の上に置いて蓋を開けると、二人の幼ない人たちは、櫃から顔を差し上げて、
長男 ねぇねぇ、お母さま、どこ行くの?
次男 お母さま、お歩き? かわいそう。これに乗ったら?
夫人 (流れる涙を押さえながら)見てごらん、この前を流れてる川はね、極楽浄土(ごくらくじょうど)の八功徳(はちくどく)の池って言ってね、幼い子供たちが、ここの中で生まれて来て、楽しく遊んでるところなの。だからね、あなたたち、母さんの真似してね、お念仏お唱えしてから、この川に飛び込むのよ、いいね、分かったわね!(涙、涙)
二人の息子 うん、わかった!
二人の幼い人たちは、母と共に手を合わせ、西方の空を仰ぎながら、念仏を高らかに唱えた。
二人の乳母は、めいめい一人づつをかき抱いて、緑の色濃き深い淵の底へ、飛び込んでいった。母も続いてその身を投げて、幼き人らとともに、淵の底に沈んでいった。
その後、淡河時治も自害して、一塊の灰となってしまった。
人間がこの世に生まれ出る瞬間、その人は、自分の前世にあった事を、忘却し尽くすと言う。しかしながら、たった1回心中に抱いた念であっても、その後の500回の生まれ変わる生の中にも、それは潜在して消滅せず、と言う。
このように、執念というものは、無限の時間にわたって続いていく業(ごう)となるのであるからして、地獄八万由旬(ゆじゅん)の底までも、互いにもう一度めぐり会いたい、との彼らの念(おも)いは、炎となって立ち上り、その身を焼き焦がすのであろう・・・あぁ、まことに哀れな事である。
-----
太平記 現代語訳 インデックス 6 へ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?