太平記 現代語訳 2-6 日野俊基の最期~その時、忠臣・後藤助光は
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「日野俊基(ひのとしもと)こそは、今回の倒幕計画の張本人である。よって、遠国流刑などというような緩い処置などもってのほか、近日中に鎌倉にて、斬首刑に処すべし!」
との決定が、幕府においてなされた。
それを聞き、俊基は懇願を繰り返した。
日野俊基 私は、法華経(ほけきょう)600部・読経(どきょう)の願(がん)を立てた。残すところ、あと200部というとこまで、来てる。せめて、この願を達成できるまで、刑の執行を延期してもらえへんやろか。その後やったら、もう、どうにでもしてくれてえぇから。
なるほど、それほどの大願を果たさせないままに、命を奪ってしまうのも罪なことだ、ということで、彼の願いは聞き届けられた。
1日、また1日・・・200部の読経が完了するまでのわずかの日数も、どんどん残り少なくなってきて、命終わる日がじわじわと迫ってくる・・・あぁ、哀れなるかな、日野俊基。
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ここに、後藤助光(ごとうすけみつ)という、俊基に長年仕えてきた身分低き侍がいた。
主君が囚われの身となってからは、俊基の妻に仕えながら嵯峨野(さがの:京都市右京区)の奧に潜んでいたのだが、「俊基、鎌倉へ護送!」との知らせを聞いて、悲しみにうちひしがれる夫人の姿を見ていると、彼もまた、たまらなく悲しくなってくる。
そこで、彼は夫人に願い出て、俊基への手紙をしたためてもらい、それを持って鎌倉へと旅立った。
後藤助光 (内心)今日、明日にでも、てなうわさもあったからなぁ。すでに、処刑の憂き目に遭うてしまわはったかもしれん・・・もう、気が気やないで。
道中に出逢う人々に俊基の消息を尋ねつつ、やがて鎌倉へ到着した。
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