太平記 現代語訳 13-5 護良親王の最期
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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山の内(やまのうち:鎌倉市)のあたりを過ぎた後、足利直義(あしかがただよし)は、淵辺義博(ふちべよしひろ)を身近に呼び寄せた。
足利直義 今は多勢に無勢の状態だからさ、いったんは鎌倉を退くしかないよね。でもまぁ、見てるがいい、美濃(みの:岐阜県南部)、尾張(おわり:愛知県西部)、三河(みかわ:愛知県東部)、遠江(とおとうみ:静岡県西部)の勢力を集めたら、またすぐに鎌倉へ攻め込んで、北条時行なんか、あっという間にやっつけてやるわさ。
淵辺義博 はぁい!
足利直義 ところでだな、例の護良親王(もりよししんのう)なんだけど。
淵辺義博 ・・・。
足利直義 あの親王殿下ってお人はなぁ・・・結局のとこ、どこまで行っても、わが足利家の永遠の仇(かたき)さぁねぇ。
淵辺義博 ・・・。
足利直義 今回の親王に対する朝廷の裁決、「親王を死刑にせよ」とまでは、さすがに、陛下もおっしゃってはいないんだけどさぁ。
淵辺義博 ・・・。
足利直義 このどさくさに紛れて、親王を殺してしまおうとな、私は決心した。で、淵辺、お前な、ここから急いで薬師堂谷へとって返して、親王を刺し殺してこい!
淵辺義博 あい分かりました!
淵辺義博・主従7騎は、山の内から引き返し、護良親王が幽閉されている土牢へ向かった。
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護良親王は、年がら年中闇夜のように光もささない、土牢の中に閉じこめられていた。すでに夜が明けたことにも気づかず、なおも灯火をかかげながら読経をしている親王の側に、義博はにじりよっていった。
淵辺義博 殿下、一大事です、反乱軍が鎌倉に迫っております! 殿下を急ぎ鎌倉からお出しするために、私、お迎えに参りました。さ、あの庭に据えました輿に、早く!
護良親王 ふん! お前は、私を殺すために差し向けられた刺客なんやろ。そないな手に乗るもんかい!
相手の太刀を奪おうと、義博に向かって走りかかる護良親王。それを見た義博は、太刀を取り直し、
淵辺義博 エェィ!
護良親王 ウゥッ!
義博の太刀に膝を強く打たれ、親王は倒れ伏した。
半年もの長い間、狭い牢の中に閉じ込められていたからであろう、足が満足に立たない、気ばかりは、猛り立つのだが・・・。
ついに親王は、地面の上に押し倒されてしまった。
何とかして起き上がろうとする親王の体の上に、義博はどっかとのしかかり、腰の刀を抜いた。
淵辺義博 エェェィ! 無駄な・・・抵抗は・・・やめろっ、エイッ(親王の首を掻かんと刀を一振)
護良親王 (とっさに首を引っ込めて刀をかわしながら)ウグッ!
護良親王の葉 ガッ(刀の先をはっしと咥(くわ)える)
淵辺義博 (内心)ウウウ・・・刀を奪われてはいかん!(満身の力を込めて、刀を手元に引く)
刀 ヴァキッ!(刀の先が1寸ほど折れた)
義博は、その折れた刀を投げ捨て、腰から脇差しを抜き、親王の胸を2度、突き刺した。
そして義博は、刺されて力が抜けてしまった親王の髪を掴んで引き上げ、首を掻き落とした。
義博は、牢の前の明るい所まで走り出て、その首を凝視した。
親王が噛み切った刀の切っ先は、未だにその口の中にとどまっており、その眼はなおも生きているかのように、義博をランランと睨み付けている。
淵辺義博 うわぁ、すげえなぁ、こりゃぁ・・・これに似た過去の歴史の教訓もあることだし(注1)、こんな首、直義様には見せねぇ方がいいだろうなぁ。
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(訳者注1)この言葉の意味は、この節の後半部分において、太平記作者によって明らかにされる。
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義博は、側の薮の中に親王の首を投げ捨て、直義のもとに帰って行った。
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護良親王のお側に仕え、身の回りの世話をし続けてきた[南の方]にとって、この一連の出来事は、あまりにも衝撃的であった。
彼女は、それからしばらく、極度の恐怖と悲しみに、身もすくみ足も立たない状態であったが、時間の経過とともにようやく気持ちも落ち着き、徐々に冷静さを取り戻していった。
南の方は、薮の中に棄てられた親王の首をとり挙げ、じっと見つめた・・・その膚はまだほの暖かく、目も塞いでおらず、顔色もまったく元のままである。
南の方 もしかして、これは悪い夢でも見てるんやろぉか。もしそうやったとしたら、早いとこ醒めて欲しい・・・(涙、涙)。
かなり時が経ってから、その事件を知った理致光院(鎌倉市)の長老が、親王の葬儀を取り行った。
葬儀の後、南の方は、髪を下ろして尼僧となり、涙の中に京都へ帰っていった。
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いったいなぜ、淵辺義博は、親王の首を取りながら、それを直義に見せもせずに、薮の中に捨ててしまったのであろうか? 当然、彼なりに、思うところあっての事である。そのわけをこれから語るとしよう。
古代中国・周王朝の末期、楚(そ)の国王は、武力をもってして天下を取らんと虎視眈々(こしたんたん)、「戦」と「剣」を好むこと、はなだだしかった。
ある日のこと、楚王夫人は、鉄の柱に寄り添って休息を取っていたが、何となく妙な気分になってきた。さっそく医師に診せたところ、診断の結果は、「ご懐妊!」。
それから10か月後、苦しみの末に彼女は出産・・・彼女の胎内から出てきたのは、なんと、1個の鉄の玉であった!
このような奇怪な事をも、楚王は一向に気にかけずに、いわく、
楚王 この鉄の玉、きっと、金鉄の精霊じゃな。
そこで王は、干将(かんしょう)という鍛冶職人を召した。
楚王 干将よ、この鉄玉より、宝剣を作れい!
干将 ハハッ!
鉄玉を受け取った干将は、妻の鏌鋣(ばくや)とともに、呉山の中に3年間籠もり、龍泉(りゅうせん)の水で焼きを入れながら、二本の剣を鍛え上げた。
剣が出来上がって、さあいよいよ王に献上、という時、鏌鋣は干将に言わく、
鏌鋣 ねぇ、あんた、この二本の剣の中にはね、精霊が深くこもってて、動かずして怨敵を滅ぼす、不思議な力があるようよ。
干将 ・・・。
鏌鋣 あたい、赤ちゃんできちゃったみたい。男の子が生まれてくるってことまで、あたいにはちゃぁんと分かるの。その子は、そのうち、ものすごい勇士になるのよぉ。
干将 ・・・。
鏌鋣 あたい、いい事、考えついたんだぁ。この二本の剣のうちの、一本だけを楚王様に献上してね、残りの一本は隠しといて、あたいらの子供に、やってよ、ねぇ?
干将 ・・・。
鏌鋣 ねぇったらぁーー。
干将 ・・・うん・・・。
干将は、鏌鋣の言うがままに、一方の剣だけを楚王に献上し、もう一方は、未だ胎内にいる子供の為に、隠匿してしまった。
献上された剣の箱を、楚王は開き、
楚王 おぉ、すばらしき剣である! まことに精霊がこもっているように、感じられるぞよ・・・よし、大事にしまっておこう。
王は、剣を箱の中に納めた。ところが・・・、
楚王 ヤヤ?
楚王 ヤヤヤヤ!?(耳に手を当てながら)
楚王 皆の者、聞こえるか? この箱の中で、なにやら妙な音がしておるぞ・・・なにやら、人が嘆き悲しんでいるような声がのぉ・・・不思議じゃ。
臣下一同 はい、確かに聞こえまする、人の泣き声が!
楚王 いったいなにゆえ、この箱から、泣き声が発せられておるのじゃ?
臣下A 陛下、さだめし、この箱の中の剣にはもう一本、対になるような「連れ添いの刀」があるのでは? この刀、雌雄で一対なのでござりまするよ。雌雄で一緒におれぬゆえに、刀が嘆き悲しんでいるのでありましょう。
臣下一同 なるほど! きっとそれに相違ござりませぬ!
楚王 ナニィ! この刀にもう一本、かたわれがぁ? さては干将め、もう一方の刀を、ちょろまかしおったかぁ!
楚王は、大いに怒ってすぐに干将を召し出し、刑罰担当の者に命じて、その首を刎ねさせた。
その後、鏌鋣は子を産んだ。その子供の様たるや、尋常ではない。身長は1丈5尺、力は500人力。顔の長さが3尺、眉間の幅が1尺。ゆえに世間の人は彼を、「眉間尺(みけんじゃく)」と呼んだ。
15歳になった時、眉間尺は、父が書きおいた文を見つけた。
日出北戸 南山其松 松生於石 剣在其中
母から聞いていた例の剣は、家の北側の柱の中にあるのだなと、彼は気付き、柱を破って中を見ると、はたして、雌の方の剣があった。
その刀を手にとっているうち、彼の心中に、ムラムラと怨念の炎がみなぎり、骨の髄まで熱くなってきた。
眉間尺 おのれ・・・にっくき王め。何とかしてあやつを討ちとり、父のかたきを取りたいものじゃ!。
眉間尺が憤っている事が、やがて、楚王の耳にも届いた。
楚王 あやつが生きておる間、わしは、枕を高ぉして眠れぬではないか。
王は、数万の兵を眉間尺のもとに送った。しかし、眉間尺一人の勇力に、兵は次々となぎ倒され、彼の振るう雌剣の刃に触れて、死傷者は幾千万。
このような中に、彼の父・干将の旧友であったと、自称するある男がやって来て、眉間尺に対していわく、
男 おいらはな、お前のお父(とう)の干将とは、随分長い間、友達づきあいしてきたんだ。その長年の恩を返すために、ひとつ、お前の力になろうじゃねぇかい。楚王を殺す手だてを、一緒に考えようや。
眉間尺 おっ、こりゃもう、願う所だい!
男 じつはな、いい方法あるんだぜい。
眉間尺 いったいどんな?
男 お父の仇を取りてぇってんなら、お前な、今すぐ、その手に持ってる剣の切っ先を3寸ほど食い切ってな、口の中に含んでから死ねや。そいでもって、おいらは、お前の首を取って、楚王に献上するとしよう。
男 王は喜んで、必ず、お前の首を検分しにかかるだろう。その時にだな、お前のその口に含んだ剣の先を、楚王に向けて、吹っかけてやれ! そうすりゃ、お前はめでたく、楚王と相打ちということに、なるだろう。
眉間尺 なぁるほど!
これを聞いて眉間尺は大いに喜び、すぐに雌剣の切っ先三寸を食い切って口の中に含んだ後、自ら首をかき切り、自らの頭部を男の前に置いた。男は、それを持って、楚王のもとに持って行った。
楚王 おぁ、これが、眉間尺の首か、よぉし、よし!
楚王は大いに喜び、眉間尺の頭部を獄門にかけた。
その後3か月が経過したが、どういうわけか、その頭部は依然として爛れもせず、目を見開き、歯を食いしばって歯噛みをし続けたままの状態である。恐れをなして、楚王はこれに近寄ろうともしない。
楚王は臣下に命じて、その頭部を鼎の中に入れて7日7夜、煮させた。猛烈な火力で煮た結果、表面が少し爛れ、目もようやく塞がった。
楚王 これだけ煮続けたのじゃ、もう大丈夫であろう。(自ら鼎の蓋を開いて、頭部を見る)
その瞬間、頭部は、口に含んだ剣の切っ先を、楚王に吹きかけた。
剣の切っ先 ビュッ!
剣の切っ先は狙い過たず、楚王の首の骨を切断、王の頭部はたちまち落ちて、鼎の中に転げ入ってしまった。
王の頭部と眉間尺の頭部は、煮え立つ湯の中で上になり下になり、互いに噛み付きあい続けた。しかし、ややもすると、眉間尺の頭部は下になり、噛み合い勝負において負け気味である。
これを見た例の男は、自らの手で自らの首を掻き落とし、鼎の中に、自らの頭部を投げ入れた。
男の頭部は眉間尺の頭部と協力して、たちまち、楚王の頭部を食い破ってしまった。
眉間尺の頭部 死んで後、やっと、お父の敵を討てたぞぉ!
男の頭部 冥土に行って、友に恩がえし、できたわい!
やがて、二つの頭部は煮え爛れ、形を徐々に失っていった。
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眉間尺の口に含まれて楚王を倒した、その三寸の切っ先は、やがて燕(えん)国の手に渡り、燕国の太子・丹(たん)の剣となった。
やがて、太子・丹は、荊軻(けいか)と秦舞陽(しんぶよう)を、秦の始皇帝(しこうてい)のもとへ送り、皇帝暗殺を試みさせた。その時、箱の中からひとりでに飛び出して始皇帝を追いかけ回り、薬袋を投げかけられながらも、直径6尺の銅の柱を半分ほど切断した後、ついに3つに折れてしまったという「七首剣(ひしゅのけん)」とは、まさに、この剣に他ならない。
それ以降、それら雌雄2本の剣は、「干将鏌鋣の剣」と呼ばれ、代々の皇帝の宝となったのだが、陳王朝の代に、紛失してしまった。
その後、天に一個の凶星が現われ、天下に禍を示す、という事象が起った。
二人の大臣・張華(ちょうか)と雷煥(らいかん)が、楼台に昇ってこの星を観察してみるに、昔、首をさらした場所のあたりから、剣のような形の光が天に向かって立ち上り、凶星と闘っているような気配がある。不思議に思った張華は、その光が立ち上っていた所を掘らせ、そこの地下5尺ほどの所に埋没していた、干将鏌鋣の剣を発見した。
張華と雷煥は、これを皇帝に献上しようと考えた。そこで、自らこの剣を帯し、都へ向かったが、途中、延平津(えんへいしん:福建省)という所を通過していた時、その剣は、自ら鞘から抜け出て水中に入った後、雌雄2匹の龍に姿を変じて、遥かかなたの波間に姿を没した。
淵辺義博は、刀の切っ先をかみ切った後も、それを口の中に含み続けている護良親王の首を見て、とっさにこの逸話を思い出した。そこで彼は、この首を足利直義に近づけないようにしようと思い、それを薮の中に捨てた、という事なのである。