太平記 現代語訳 8-2 赤松軍、京都へ

太平記 現代語訳 インデックス 4 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----

摩耶山(まやさん)攻めに送った軍勢が、赤松軍にこれほどてひどくやられていようとは、六波羅庁は夢にも知らない。

六波羅庁リーダーA あれほどの大軍、送っただもんなぁ。

六波羅庁リーダーB そうさね、赤松軍やっつけるにゃあ、1日もかからないんじゃぁないのぉ。連中、明日にでも帰ってくるだろうよ。

このように悠然と構えながらも、戦報の到着を今か今かと待っているのだが、

六波羅庁リーダーC ねぇ、ねぇ! 摩耶山攻撃軍が手痛い敗北を喫して、京都へ逃げ帰ってきてるってな情報がね、街中(まちじゅう)飛び交ってますぜぃ。

六波羅庁リーダーD まさか・・・そんなぁ。

六波羅庁リーダーA いやいや、真相はどうなんだ? えぇ、真相はどうなってんだ? 確かな情報が欲しい!

六波羅庁リーダーB うーん・・・。

何となく不審な事が多い中、3月12日の16時頃、淀(よど:京都市・伏見区)、赤井(あかい:伏見区)、山崎(やまざき:京都府・大山崎町)、西岡(にしおか:京都府・向日市)のあたり30か所から、一斉に火の手が上がった。

京都の住人K こらいったい、何事や!

住人L 西国(さいこく)街道を進んできよった赤松軍がな、三方から京都に押し寄せとるらしいで!

住人M うわぁ、えらいこっちゃがな、どないしょう!

京都中、上を下への大騒ぎとなった。

六波羅庁両長官はびっくり仰天、急いで地蔵堂の鐘を鳴らして、京都中の武士たちに緊急召集をかけた。しかし、主だったメンバーはみな、摩耶山合戦の後、赤松軍から追い立てられ、右往左往して逃げ隠れしているゆえに、集まってきたのは、引付奉行たちとその頭人ばかり。

肥え太った体を馬に担ぎ上げられて、4、500騎ほどが、六波羅庁に馳せ参じてきたものの、全員ただただ、うろたえ迷うばかり、士気の片鱗すらもそこには見えず、なんともはや、情けない有様である。

北条仲時(六波羅庁・北方長官) まったくもう、これじゃ、どうしようもないなぁ・・・ハァー(溜息)。

北条仲時 このままじっと、京都で敵を待つというのは、戦略上どうもよろしくない。京都の郊外に軍を繰り出して、赤松軍を防ぐとしよう。

そこで、六波羅庁・軍事執行官の隅田(すだ)と高橋(たかはし)の下に、在京の武士2万余騎を動員して、六波羅庁・首都防衛軍を編成、今在家(いまざいけ:京都市・伏見区)、作道(つくりみち:伏見区)、西朱雀(にしすざく:京都市・下京区)、西八条(にしはちじょう:京都市・南区)へ向かわせた。

時はいま、冬から春への変わり目、吹きはじめた南風に雪が融け、川は増水して水が岸にあふれ、桂川(かつらがわ)は一大要害と化している。その川を隔てて赤松軍と一戦交える、これが、六波羅庁・首都防衛軍サイドの作戦であった。

-----

赤松円心(あかまつえんしん)は、自軍3000余騎を二手に分け、久我縄手(くがなわて:京都市・伏見区から山崎へ伸びる道)と西七条(にししちじょう:京都市・下京区)から、京都中心部めがけて押し寄せていった。

やがて、赤松・大手方面軍が、桂川西岸に到着。

対岸に展開する六波羅庁軍を見渡せば、鳥羽(とば:京都市・伏見区)一帯を吹きわたる風に、軍を構成する各家の旗がはためいている。城南離宮(せいなんりきゅう:注1)の西門から、作道、四塚(よつつか:京都市・南区)、羅城門(らじょうもん:南区:注2)の東西、西七条のあたりまで戦線を展開し、雲霞(うんか)のごとく充満しつつも、「桂川を前にして敵を防げ」との命令を守り、誰も川をあえて越えようとはしない。

-----
(訳者注1)「鳥羽離宮」とも呼ぶ。白河天皇により造営された。

(訳者注2)芥川龍之介の小説にも登場する門。平安京の中心を南北に貫くメインストリートが朱雀大路(すざくおうじ)で、その南端に位置した門である。
-----

赤松円心 思ぉてたより、敵の兵力多いやん。ここは、慎重に行かんとなぁ。

赤松軍サイドもむやみに攻撃をしかけようとはせず、両陣互いに桂川を隔て、矢戦するばかりで時は過ぎていった。

赤松則祐(あかまつのりすけ)は、馬から降り、矢束ねを解いてエビラを押し広げ、一枚板製の盾の陰からさしつめひっつめ散々に、敵陣に矢を浴びせ続けていたのだが、

赤松則祐 んもぉ! いったいナニやってんねんなぁ! 矢戦ばっかしやっとったんでは、勝負がつかんやろぉがぁ、勝負がぁ!

独りごちながら彼は、脱ぎ置いた鎧を肩にかけた。兜の緒を締め、馬の腹帯を堅めた後、ただ一騎で川岸を駆け下り、手綱をたぐりよせて、川に馬を入れようとする。遙か彼方よりこれを見た円心は、あわてて馬を馳せ、そこに駆けつけてきた。

則祐の行く手を塞ぎ、息子を制する円心、

赤松円心 こらこら、ちょい待ったらんかい! お前いったいナニ考えとぉねん! 何の準備もせんとからに川渡るやなんて、正気かぁ?!

赤松則祐 ・・・。

赤松円心 そらな、源平合戦の頃にはな、佐々木盛綱(ささきもりつな)は、藤戸(ふじと)を渡りよった、足利忠綱(あしかがただつな)かて、宇治川を渡りよったわいな。そやけどな、それはな、前もってちゃぁんと準備しといてから、渡りよったんやぞぉ。水の流れ筋を調べたり、道案内してくれる者を見つけたりな、敵の兵力配置の薄い所を見とどけといて、それから、先駆けしよったんやぞ!

赤松円心 おまえなぁ、目の前流れとぉ川、よぉ見てみいや。上流の雪融けで、増水してしもとぉやないかい!

赤松円心 淵と瀬の見分けもできんような大河をやな、前もってよぉ調べもせんとから、渡るやなんて・・・そんなん、ドダイ無理やがな!

赤松円心 仮(かり)にやで、馬の力が強ぉてな、首尾よく川を渡れおおせたとしようかい。そやけど見てみぃ、向こう岸は、あないな大軍やで。たった一騎で駆け入ってみいな、もう討ち死、間違い無しやんか!

円心は再三、則祐を制止、則祐は馬を立て直し、抜いた太刀を鞘に収めていわく、

赤松則祐 こっちとあっちと互角の兵力やったらな、わしがこないにバタバタせいでも、運を天にまかせての勝負もかけれますやろて。そやけど、見て下さいよ、この兵力差、こっちはわずかに3,000余、敵は軽く百倍や。

赤松円心 ・・・。

赤松則祐 こういう場合には、急戦するしかありませんて! 速やかに戦いを仕掛へんかったら、敵にこっちの兵力の薄いのん、見透かされてしまいますやんか。そないなったら、いざ戦う段になっても、有利な戦はできませんやろ?

赤松円心 ・・・。

赤松則祐 太公望の兵法にもありますやろ、

 兵勝之術(へいしょうのじゅつは) 密察敵人之機(ひそかにてきじんのきをさっし)
 而(しかして)
 速乗其利(すみやかにそのりにのりて) 疾撃其不意(とくそのふいをうて)

赤松則祐 是以我困兵(これをもってわがこんへい) 敗敵強陣(てきのごうじんをやぶる)!

言い捨てるやいなや、則祐は、自らの乗る駿馬に一鞭入れた。漲(みなぎ)る川面の波頭の中に逆波(さかなみ)を立てながら、馬は躍り入る。

これを見た飽間光泰(あくまみつやす)、伊東大輔(いとうのたいふ)、川原林二郎(かわはらばやしのじろう)、木寺相模(こでらのさがみ)、宇野國頼(うののくにより)ら5騎も、則祐に続いて、さっと川に入った。

宇野と伊東の乗馬はまことに強力、ま一文字にぐいぐい、川をつっきっていく。

木寺相模は、逆巻く波に巻き込まれて、馬から離れてしまい、彼の兜の頂だけが、水面からわずかに浮かんでいる。ところがなんと、彼が渡河の一番乗りを果たした。波の上を泳いで行ったのか、あるいは、水底を潜って行ったのか、対岸の砂州の上に彼の姿がぬっと現れた。鎧から大量の水を滴らせながら、突っ立っている。

六波羅庁軍メンバー一同 (内心)ヤヤヤ、この増水した川を渡ってしまいよったがな・・・敵側のあの5人、タダモノではないわ、オドドドド・・・。

六波羅庁軍2万余騎は、彼らを怖れて東西に分かれ、あえて襲いかかって行こうとする者もない。盾の列は秩序無く乱れ、全軍に動揺が走っている。

赤松範資(あかまつのりすけ) 先駆けしていきよったもんら、見殺しにしたらあかんぞぉ! みんなぁ、続けぇ!

赤松貞範(あかまつさだのり) よぉし!

赤松兄弟を先頭に、佐用(さよ)、上月(こうづき)の武士3,000余騎、一斉にザザザっと川に突入、筏を組むように馬を密集させながら、流れを渡りゆく。大量の人馬にせき止められて、水は岸に溢れ、川の流れは十方に分かれ、淵瀬を渡るもあたかも陸地を行くような容易さ。

桂川を押し渡った赤松軍3,000余は、対岸に駆け上がり、決死の覚悟、ただ一戦の中に勝負を決せんと勇み立ち、六波羅庁軍中に、ま一文字に突入。

赤松軍一同 ウオーーーー!

六波羅庁軍一同 アワワワ・・・。こらとてもかなん!

戦わずして盾を捨て、旗を引き、作道沿いに東寺方面に退却していく者あり、竹田川原(たけだがわら)沿いに法性寺大路(ほっしょうじおうじ)を目指して退く者あり。道中2、30町の間、遺棄(いき)された鎧は地上に満ちて、馬蹄の塵に埋没。

そうこうするうち、赤松・西七条方面軍の、高倉左衛門佐(たかくらさえもんのすけ)、小寺(こでら)、衣笠(きぬがさ)の軍勢もはや、京都へ攻め入ったようである。大宮(おおみや)、猪熊(いのくま)、堀川(ほりかわ)、油小路(あぶらのこうじ)の通り周辺50余か所から火の手が上がり始めた。

八条大路と九条大路の間のエリア一帯も、戦場と化したようである。汗馬(かんば)は東西に馳せ違い、トキの声は天地に響く。火・水・風の三大災難一時に起り、世界悉く、劫火(ごうか)の中に焼失せんかと思われるほど。

夜中の合戦ゆえ、どちらの方面でどのような戦いが展開されているのか、全く不分明の状態。闇夜の中に、トキの声が、ここかしこに響きわたる。

六波羅庁リーダーE 敵側の兵力、配置、これじゃ、さっぱり分からんぞ!

六波羅庁リーダーF いったいどちらの方面へ、どれくらいの兵力を繰り出したらいいのか? まいったなぁ!

六波羅庁・首都防衛軍は、鴨川(かもがわ)の六条川原(ろくじょうがわら)に集まり、呆然自失(ぼうぜんじしつ)のまま、ただただ立ちつくすばかりである。

-----
太平記 現代語訳 インデックス 4 へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?