太平記 現代語訳 16-15 新田軍、生田森で、足利軍を迎撃
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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楠正成(くすのきまさしげ)は、既に討たれ、あとは、新田義貞(にったよしさだ)のみ・・・足利尊氏(あしかがたかうじ)、直義(ただよし)双方が率いる軍は一つに合して、新田軍に襲いかかっていった。
新田義貞 西宮(にしのみや:兵庫県・西宮市)方面から上陸してきた敵は、旗の紋から察するに、下っ端の連中らばかりだ。湊川(みなとがわ:兵庫県・神戸市・中央区)方面から進んでくる軍勢こそ、足利兄弟の率いる本体に違いない。我々の戦うべき相手は、そっちの方だ!
新田軍は西宮から取って返し、生田森(いくたのもり:神戸市中央区・生田神社の辺り)を背後にして、4万余騎の軍勢を3手に分けて、足利軍に対峙した。
両軍、勇みたってトキの声を上げ、いよいよ戦いが始まった。
まず一番手として、大館氏明(おおたちうじあきら)と江田行義(えだゆきよし)率いる新田側3,000余騎が、仁木(にっき)と細川(ほそかわ)率いる足利側6万余騎を迎え撃ち、双方火花を散らして戦いあう。
互いに戦死者を出して、両方へサァッと退いた後、今度は二番手の、中院定平(なかのいんさだひら)、大江田(おおえだ)、里見(さとみ)、鳥山(とりやま)の新田側5,000余騎と、高(こう)と上杉(うえすぎ)の足利側8万騎とが激突、両軍は1時間ほど、黒煙を上げてもみあった。
二番手も戦い疲れて両方へサァッと退いた次には、新田側三番手の、脇屋義助(わきやよしすけ)、宇都宮公綱(うつのみやきんつな)、菊池次郎(きくちじろう)、河野(こうの)、土居(どい)、得能(とくのう)の1万騎が、足利直義、吉良(きら)、石塔(いしどう)の10万余騎を迎撃、天を響かせ地を揺るがして、攻め戦う。
こなたにおいては、引き組んで落ち重なり、首を取ったり取られたり、彼方(あなた)においては、互いに正面から激突して太刀を打ち合い、共に馬から落ちる・・・その凄まじさは、二頭の虎の戦いに喩えるべきか、はたまた、二匹の龍の対決とでも言うべきか。
戦死者続出の後、双方東西へ引き分かれ、しばし、人馬の息を休める。
新田義貞 戦線に繰り出せる兵力は、もう残らず出しちまったわさ。こうなったらいよいよ、オレが出ていくしかねぇよなぁ!
義貞は、23,000騎を左右に展開し、足利軍30万騎に立ち向かっていく。自らの命を軽い羽根のごとくなげうち、大敵に立ち向かって刃を交える義貞。
かたや朝廷軍の総大将、かたや武士たちの総帥、義貞と尊氏が自ら戦闘指揮を取る、激しい戦いが始まった。
敵の矢に射落とされても、体に刺さった矢を抜くひまも無く、相手に組み伏せられてしまっても、それを助けに駆け寄ってきてくれる味方もいない。子は親を棄てて切り合い、郎等は主から離れて戦う。馬の馳せ違う音、太刀の撃ち合う音、いかなる修羅世界(しゅらせかい:注1)の闘諍(とうじょう:注2)たりとも、これに比べればまだナマやさしいものであろう。
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(訳者注1)16-14の注に述べた「九界」の中の「修羅」の世界。その世界においては日常的に、闘諍が行われているという。
(訳者注2)闘:闘争、諍:いさかい。
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先に戦闘を行って引き退いていた双方の軍団も、「ここが勝敗の分かれ目!」とばかりに、この戦いの渦中に再び参入、新田と足利双方の軍は入り乱れ相交じり、中黒(なかぐろ)の旗、二引両(ふたつびきりょう)の旗、巴(ともえ)の旗、輪違(わちがえ)の旗、東へ靡き西へ靡き、磯からの風にはためき、山からの風に翻(ひるがえ)る。
住民A 双方の旗、グジャグジャに入り乱れてしもとぉ。
住民B あれでは、戦しとる連中、自分の味方がどこにおんのんか、さっぱりワケ分からんようになってしもとぉやろなぁ。
住民C 新田と足利の権力闘争、いよいよオオヅメに来たんやわ。
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命をなげうって戦う新田軍メンバーたち・・・しかし、兵力面での劣勢をはねかえす事は、遂にできなかった。激戦の末に残ったのは、わずか5000余騎。
やがて彼らは、生田の森の東方から丹波(たんば)方面を目指して、敗走しはじめた。足利軍数万が、勝ちに乗じてこれを急追する。
義貞は、自軍メンバーを逃がすために、軍の最後尾に下がり、返し合わせ、返し合わせて戦い続けていた。と、そのとき、
義貞の乗馬 ヒヒーン!(バタッ)
新田義貞 あぁ、馬が!
矢を7本も突き立てられ、彼の乗馬はついに、膝を折って倒れてしまったのである。
義貞は、馬から下りて求塚(もとめづか:神戸市・灘区)の上に立ち、乗り換えの馬の到着をじっと待った。しかし、誰もこれに気がつかないのであろうか、駆け寄ってきて自分の馬を義貞に譲ろうとする者は、一人もいない。
足利軍メンバーA おいおい、あそこにつっ立ってんの、敵軍の総大将、新田義貞じゃんかよぉ!
足利軍メンバーB まさかぁ。
足利軍メンバーC いんや、たしかに義貞だ。おいら、あいつの顔、よく知ってるもん!
足利軍メンバーD よぉし、周りからみんなで迫ってって、首取っちまおうぜ!
足利軍メンバーE でも、あいつな、モンノスゲェ強いんだぜぇ。まともに切り合ったんじゃぁ、おいらたちじゃぁ、とてもかないっこねぇよ。
足利軍メンバーF じゃぁ、遠巻きにして、十方から矢で攻めりゃいいじゃん!
足利軍メンバー一同 よぉし!
雨アラレのごとく、義貞に降り注ぐ、矢、矢、矢・・・。
彼は、源氏に代々伝わる薄金(うすかね)なる鎧に身を固め、身に帯した鬼切(おにきり)と鬼丸(おにまる)、すなわち、多田満仲(ただのみつなか:注3)より伝わる源氏重代(げんじじゅうだい)の二本の太刀を左右の手に抜き持ち、仁王立(におうだち)に。
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(訳者注3)清和源氏の祖・源経基(みなもとのつねもと)の長男。兵庫県川西市多田に居住。
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下の方を狙って放たれた矢を、飛び上がってやり過ごし、上の方に来る矢を、うつむいてよける。真ん中に飛んできた矢を、二本の太刀をふるって16本までも払い落とす。
須弥山(しゅみせん:注4)の四方から四天王が一斉に矢を放つ時、それに仕える捷疾鬼(しょうしつき)が走り回って、大海に落ちない前にその矢を取って返すというが、義貞のその奮戦の姿は、まさにそれを彷彿(ほうふつ)とさせる。
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(訳者注4)仏教の世界地図において、中央に聳え立つ山。
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はるか彼方の山上からこの有様を見た小山田高家(おやまだたかいえ)は、左右双方のアブミを同時にあおって、義貞のもとへ駆けつけた。
小山田高家 殿、さ、この馬に!
新田義貞 おぉ、よくきてくれたな!
小山田高家は、自らの乗馬に義貞を乗らせ、徒歩で、迫り来る足利軍メンバーの攻撃を防いだが、やがて多数の中に包囲され、ついに討死にしてしまった。
その間に義貞は、自軍の中に駆け入り、虎口を遁れた。
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