太平記 現代語訳 39-5 斯波高経、興福寺と対立す
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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足利兄弟が対立した際に、斯波高経(しばたかつね)は、足利直義(あしかがただよし)サイドに属し、最終的には権力闘争に敗れてしまった。
その鬱屈(うっくつ)を晴らさんがため、しばらくは、吉野朝側に身を寄せていたが、二代目将軍・義詮(よしあきら)が様々に礼をつくして勧誘した結果、再び、幕府サイドにつくに至った。
やがて、高経は、三男・義将(よしまさ)を表に立て、彼を幕府執事職に就任させ、その背後で、幕府を意のままに動かすようになった。(注1)
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(訳者注1)37-6 参照。
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高経は長年、越前国(えちぜんこく:福井県東部)の守護職の任にあったが、その地において、思い切った処置を行った。
有力寺社が本所職(ほんじょしき)を所有している越前国内の荘園全てに対して、「半斉(はんぜい)」(注2)を施行し、それで得た収入を、家人たちに分け与えてしまったのである。
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(訳者注2)「荘園の生産物の50%を、守護が堂々とブン取れる」という制度である。
「世の安定を脅かそうとする勢力に対する戦いは、断固として遂行貫徹せねばならない、それが、あなたち(本所職を有する人々・団体)の経済的安定を確保する事にも、つながっていくのである。この戦いを、私・守護が遂行していく為には、軍需物資がどうしても必要である。ゆえに・・・」とかなんとか、「半斉が必要不可欠である事の理由」は、なんとでも形成できるのだ。
このようにしてブン取った財を、守護は、自らと主従関係を結ぶに至った(守護被官となった)人々に分配する。かくして、守護は、自分の任国に居住している武士たちに対する支配力を強めていき、ついには、「守護大名」となって、一国を丸ごと支配するに至る。
「半斉」は最初、「1年限りの臨時処置」から始まったようだが、次第に、「毎年毎年の定常的処置」になっていったようである。
守護の領国支配については、たとえば、下記を参照されてみてもよいかと思う:
[日本の歴史9 南北朝の動乱 佐藤進一 中公文庫 中央公論社] 355P ~ 380P
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その半斉の対象中に含まれていた河口荘(かわぐちしょう:福井県・あわら市ー坂井市)が、紛争の種になってしまった。この荘園の本所職を、奈良(なら:奈良市)の春日大社(かすがたいしゃ)と興福寺(こうふくじ)が、連名で所有していたからである。
高経は、この荘園を、「ここは、家臣たちに分配する兵糧米供給の場とする」と宣言し、100%支配に及んだのである。(注3)
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(訳者注3)原文では、「一円に家中の料所にぞ成たりける」。
荘園に関わる他人の様々の「職」の全てを無効化し、そこからの生産物の100%をX(個人、あるいは寺社等の団体)が一人占めにするようになった場合、「その荘園は、[Xによる一円知行]の状態になった」という。
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興福寺の衆徒たちは、怒り心頭。さっそく、朝廷に奏上し、幕府に訴えた。いわく、
「興福寺にとっては、あの河口庄という所は、特別の意味を持った所であります。あこは、わが寺の唯摩会(ゆいまえ)執行の為の、費用調達用・荘園なんであります。」
「それだけやありません、あこの荘園からの供給があるからこそ、わが興福寺の全ての学僧に、朝ご飯を食べさすことができ、彼らに、僧侶としての修行を貫かせていくこともできるんであります。河口荘からの供給があるからこそ、夜の勉強もちゃんとできるんです、ホタルの光なんか使わいでも、明るい灯ともした下で、お経典の勉強ができるんです。」
「しかるに近年、かの斯波高経殿の河口荘横領行為により、わが寺は、諸々の行事の為の費用にさえも事欠くような状態に、なってしまいました。今や、唯摩会執行の道場には、柳の枝が乱れて垂手(すいしゅ)の舞いを列(つら)ね、講師(こうし)・問者(もんじゃ)の座の前には、高僧の代わりに鶯(うぐいす)が、緩声(かんしょう)の歌を歌ぉとりますわいな。」
「これまさに、一寺滅亡の前兆にして、四海擾乱(しかいじょうらん)の端緒(たんしょ)と言わずして、なんでありましょうや!」
「願わくば、早いとこ、我々の荘園への横領行為を停止させ、大いなる唯摩会を再び執行できるように、旧態へ復帰せしめて下さいますように、なにとぞ、なにとぞ!」
しかし、興福寺にとって有利となる裁決を、朝廷がいくら出しても、何ら実効力を持たない。幕府は幕府で、斯波高経の権威をおそれ、みんなでその問題を、たらい回しするばかり。
アタマにきた興福寺の若手衆徒や春日大社の氏子(うじこ)・神人(じんにん)たちは、「伝家の宝刀」を、ついに抜いた。
「春日大社のご神木」を、かつぎだしたのである。彼らは、そのご神木を、斯波高経の館の前に、振り捨てた。
それを聞きつけた朝廷は、直ちに勅使を派遣し、神木を、長講堂(ちょうこうどう)へ入れ奉った。
天皇は自ら、謁見(えっけん)の場に設置の玉座背後の屏風(びょうぶ)を、そこに移動させ、自らの日々の食事を、神木の前に供した。五摂家(ごせっけ:注4)は、みな高門を覆い、天皇に対して、日々のお食事を奉った。
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(訳者注4)藤原北家の流れに属する5つの家。この家に生まれた人だけが、摂政・関白の位につけたので、「五摂家」と呼ばれた。
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京都朝廷・閣僚A 今や、末世に向けての流れは滔々(とうとう)、治世の根本理念からは遥(はる)か遠ざかり、政治道徳は廃(すた)れに廃れ、無に等しい状態と、なってしまってはいるけど、
京都朝廷・閣僚B さすがに神々は、そのご思慮を厳然(げんぜん)として、示現(じげん)されるもんやわなぁ。
京都朝廷・閣僚C あぁ、とにかく、この問題、早いとこ、決着してしまわんことには。
京都朝廷・閣僚D 河口荘を興福寺に戻す、早いとこ、この裁許(さいきょ)、出してほしいもんですわなぁ。
しかし、時の権威に憚(はばか)り、あえて、この問題の火の粉をかぶろうとする者は、一人もいない。
春日大社の禰宜(ねぎ)が鈴振る袖の上に、託宣(せんたく)の涙はせきあえず、社人(みやうど)の宿直の枕の上に、夢想(むそう)のお告げは、止む事無し。
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5月17日、いったいどこの山から下りてきたのであろうか、大きい鹿が2頭、京都中を走り回りはじめた。
家の棟(むね)、築地(ついじ)の覆いの上を走り渡り、長講堂の南門の前で4回鳴き、いずこの山へ帰るともなし、やがて、姿が見えなくなってしまった。
「これはなんと、不思議な事よ」と、うわさしている所に、5月21日、またまた、怪事件発生。
さかやきの跡のみあって、目も鼻も無く、髪が長々と生えたナマナマしい出家者の首が1個、七条東洞院(しちじょうひがしのとういん)を北方へ転々と、ころがっていく。
衆人驚愕の注視の中に、かき消すように、それは消滅してしまった。
5月28日、またもや、怪事件。
長講堂の大庭で独楽(こま)をまわして遊んでいた児童グループ中の一人、年の程10歳ほどの子が、にわかに憑依状態(ひょういじょうたい)となり、2~3丈も空中に飛び上がり、踊りはじめた。
それから3日3夜、その状態が続いたので、参詣人が、あやしんで問うた。
参詣人 あのぉ・・・もし・・・。
童 ・・・。(目ランラン・・・空中の1点を凝視)
参詣人 どうぞ、おこ(怒)らんとくれやっしゃ、ちょっと、おたずねしたい事、あるんですが・・・。
童 ・・・。(ジトーーーー・・・空中の1点を凝視)
参詣人 この童に憑きはったん、いったい、どこのどういう神様でおられますねん?
童 ・・・。(ジトーーーー・・・空中の1点を凝視)
参詣人 ・・・(オドオド)。
童 ひ・・・ひ・・・ひと・・・。
参詣人 えっ? なんです? ヒト?
童 ひと・・・ひとが・・・
人が勝つか 神が負けるか まぁ見とけ 三笠(みかさ)の山が あらん限りは
(原文)人や勝つ 神や負ると 暫(しば)しまて 三笠の山の あらん限りは
参詣人 エェッ?(ゾクッ!)
数万人がじっと耳を傾ける中に、童は
童 人が勝つか 神が負けるか まぁ見とけ 三笠の山が あらん限りは
周囲の人々 ・・・(ゾクゾクッ!)。
童 人が勝つか 神が負けるか まぁ見とけ 三笠の山が あらん限りは
周囲の人々 ・・・(ゾクゾクゾクゾクゾクッ!)。
童 ウァーーーツ!(倒れる)
童の身体 バタッ
童 ・・・(憑依状態から復帰)
周囲の人々 ア・ア・ア・・・。(顔面蒼白)
見るもおそろしく、聞くに身の毛もよだつこの神託に、興福寺衆徒の強訴は直ちに裁許されるであろうと、みな思った。
しかし、幕府はひたすら、何も聞かなかった事にして、それから3年間、その問題を、たなざらしにした。
世間の声E 朱(あけ)の玉垣(たまがき) 徒(いたずら)に
世間の声F 引く人も無き 御(み)しめなわ
世間の声G その名も長く 朽ち果てて
世間の声H 霜(しも)の白幣(しらゆう) かけまくも
世間の声I 賢き 神の榊葉(ささきば)も
世間の声J 落ちてや塵(ちり)に 交(まじ)るらんと
世間の声K 今更(いまさら) 神慮(しんりょ)の程(ほど) 計(はか)られ
世間の声L 行く末 いかがと そらおそろし
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とにかく近頃、国々の守護や方々の有力武士たちは、全員残らず、寺社本所領を占領し、横領してしまっている。
朝廷や幕府にいくら訴えてみても、何のたしにもならない・・・仕方なく、嘆きつつも沈黙してしまうしかない。
このような状態だから、地方の治世においても、実にひどい事がなされているのだが、守護や有力武士たちに対して、中央からは、何ら、是正指導が無い。
しかしながら、この斯波高経、単独で、このような大神社の訴訟の的となり、神訴(しんそ)を得、呪詛(じゅそ)を負うも、ただただ、その身の不徳のいたす所かと、思えた。
はたして、10月3日、七条東洞院付近から、にわかに出火、そのあおりでもって、斯波高経の館は全焼、財宝一つ残らず、厩の馬までも、多数焼失してしまった。
世間の声M タタリじゃ、タタリじゃ、春日大明神さまの、タタリじゃぁ!
世間の声N それ見たことかぁ!
世間の声多数 天罰やぁ!
しかし、高経はすぐに、三条高倉(さんじょうたかくら)に、館を新築。
将軍に極めて近い所にいる人の事であるからして、その門前に鞍を置く馬の立ち止まる隙も無く、庭上に酒肴をかき列ねぬ時も無し、といった状態。
それを見て、才知に富んだ人々はいわく、
世間の声O 「富貴(ふうき)の家を、鬼は睨(にら)む」と、いうわなぁ。
世間の声P ましてや、斯波高経は、神訴を負った人。
世間の声Q 新築したあの家かて、この先、どないなることやらぁ。
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