太平記 現代語訳 37-1 吉野朝廷、京都攻略を検討
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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細川清氏(ほそかわきようじ)の意志を天皇に奏上するために、石塔頼房(いしとうよりふさ)は、吉野朝廷に参上した。
石塔頼房 細川清氏より、以下のごとくのメッセージを託されてまいりました。彼いわく、
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不肖(ふしょう)、細川清氏、お御方(みかた)に参上いたしました事により、四国、関東、山陰、東山(とうさん)の地において、義兵の旗が、続々と揚がっております。
京都は元々、防備の兵力が薄いのです。その上、細川頼之(ほそかわよりゆき)と赤松則祐(あかまつのりすけ)は、山名時氏(やまなときうじ)の進出を防ぐので、ていっぱい、自らの本拠地に釘付け、身動きが全く取れない状態にあります。
土岐(とき)、佐々木(ささき)たちもまた、仁木義長(にっきよしなが)との戦のさ中です。双方、互いにささえあって、やっと仁木に対峙(たいじ)できている状態ですから、彼らもまた、京都へ駆けつけてはこれません。
京都は今や、防ぐ兵も無く、援軍もやってはこない、足利幕府は、もうどうしようもない状態にあります。京都を攻略なされるに、絶好のチャンスです!
一刻も早く、和田(わだ)、楠(くすのき)以下の朝廷軍リーダーらに、清氏に合力するように、お申しつけくださいませ。清氏、朝廷軍のまっ先駆け、たった1日でもって、京都を攻め落としてご覧に入れましょう。陛下の京都へのご臨幸、年内にも可能となりましょう。」
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石塔頼房 陛下、なにとぞ!(平伏)
後村上天皇(ごむらかみてんのう) ウーン!(深くうなづく)
天皇はすぐに、楠正儀(くすのきまさのり)を呼んだ。
閣僚A ・・・と、いうような事をやな、あの、細川清氏が言うてきたんやわ。
楠正儀 ・・・(平伏)。
後村上天皇 正儀、どない思う?
楠正儀 ハハッ・・・(平伏、じっと思案)。
後村上天皇 ・・・。
楠正儀 ・・・(上体を起こし、威儀を正した後)延元(えんげん)元年(1336)1月16日、京都での戦いに敗れた故・足利尊氏(あしかがたかうじ)は、九州へ逃走しました。(注1)
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(訳者注1)15-6, 15-7 参照。
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楠正儀 以来、朝敵が京都から逃走する事、すでに5回。しかし、天下の士卒中、朝廷に忠節つくす者はなおも少数・・・ゆえに、朝廷軍は毎回、京都をしっかりと守りぬく事ができませなんだ。
楠正儀 「短い期間だけでもえぇから、京都を確保せい」という事でしたらね、細川清氏の力なんか借りる必要、全くありませんわいな。私一人の軍勢で、十分ですわ。
楠正儀 問題は、京都を確保しつづける事、守りぬく事なんですわ・・・いったん逃げ出した敵が、再び京都に攻め寄せてきよった時、いったいどこの国の誰らが、我々の援軍にきてくれるんか。
楠正儀 再び退く事を恥じ、あくまでも京都に踏みとどまって戦う、という事になったとしても・・・四国地方、中国地方の敵は、瀬戸内海を軍船で進み、大阪湾から上陸して、我々の背後を襲うでしょう。美濃(みの:岐阜県南部)、尾張(おわり:愛知県西部)、越前(えちぜん:福井県東部)、加賀(かが:石川県南部)の朝敵どもは、宇治(うじ:京都府・宇治市)、瀬田(せた:滋賀県・大津市)の両方向から押し寄せてくるでしょう。
楠正儀 寄せ来る大軍と決戦、そないなったら、再び、天下を朝敵に奪われてしまう事は、火を見るよりも明らか。
楠正儀 こうは申しましても、しょせん、愚案短才(ぐあんたんさい)のわが身、朝廷のご決議に対して、とやかく言えるような立場ではございません。とにもかくにも、陛下のご命令に従い申しあげるまでですわ。
後村上天皇 ウーン・・・。
閣僚メンバー一同 ・・・。
後村上天皇 (内心)あぁ・・・京都へ帰りたい!
閣僚メンバー一同 (内心)京都へ帰りたい、帰りたい、帰りたぁい!
天皇をはじめ、皇族、后妃(こうき)、文武の官僚、みな、「住み慣れた京都に、いま一度!」の切なる思い、どうにもこうにも断ち切り難い。
後村上天皇 そうやなぁ・・・。
閣僚メンバー一同 ・・・(天皇の方を注視)。
後村上天皇 たった一夜の旅寝でもえぇ・・・京都へ帰りたい・・・帰りたいんや、あこへ・・・京都の御所へ・・・。
閣僚メンバー一同 (内心)同感、同感! 自分の思いも、陛下と全く同じですわいな!
楠正儀 ・・・(平伏)。
後村上天皇 問題は、その後か・・・そうやなぁ・・・京都をまた離れんならんようになったとしたら・・・その夜、御所で見た夢を思いだしながら、生きていく事にするわ、なぁ、正儀・・・ハハハハハ・・・。
というわけで、閣議も一決、京都奪還作戦の開始となった。
閣僚A で、問題は、進軍開始のタイミングやなぁ・・・いつがえぇ?
閣僚B 早い方が、えぇでしょう。
閣僚C 来年になってからでは、ヤバイですよ。来年から3年間、北塞(きたふさ)がり(注2)になりますよって。
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(訳者注2)原文では、「諸卿の僉義一同して、明年よりは三年北塞りなり、」。「北塞り」とは、「大将軍が北方に位置する事になるので、北方へ向かって攻めるのはまずい」との意味であろう。
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閣僚D 年内に、京都の朝敵を攻め落とし、陛下、めでたく首都へご帰還っちゅうセンで、どないでっしゃろ?
閣僚メンバー一同 OK、OK!
閣僚C ほならさっそく、軍勢動員命令を発行、ということに・・・。
閣僚A よっしゃぁ!
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