太平記 現代語訳 7-3 新田義貞、倒幕の志を固める
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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上野国(こうずけこく:群馬県)の住人、新田義貞(にったよしさだ)という人がいた。
新田家は、清和源氏(せいわげんじ:注1)本流に連なる名家であり、義貞は八幡太郎・源義家(やちまんたろう・みなもとのよしいえ)から数えて17代目(注2)の子孫にあたる。
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(訳者注1)清和天皇の皇子を祖とする武士の名門。「源氏」は「清和源氏」だけではない。例えば、嵯峨源氏(嵯峨天皇の子孫)、宇多源氏(宇多天皇の子孫)等がある。
(訳者注2)太平記作者のミスである。義家から10代目。
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しかしながら、今の世は平氏の流れに属する北条家が鎌倉幕府の政権を独占していて、日本国中みなその威に制圧されており、清和源氏の影は薄い。義貞も仕方なく、幕府からの催促に従い、金剛山(こんごうさん)千剣破(ちやは)城攻め・からめて方面軍の一員として、この戦場に来ていた。
ところが、いったいどのようなもののはずみでか、「重大なある決意」を抱くに至った義貞は、新田家の家宰(かさい:注3)・舟田義昌(ふなだよしまさ)を身近に呼び寄せた。
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(訳者注3)原文では「執事(しつじ)」。主君の家の事務を執行する。
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舟田義昌 (陣屋に入って)殿、いったい何用で?
新田義貞 うぉぉ、義昌、来たかぁ・・・もっと近くに寄れ。
舟田義昌 ははっ(義貞の近くに寄る)。
新田義貞 (小声で)なぁ、義昌、オレ思うんだけんどよぉ。
舟田義昌 (小声で)はい。
新田義貞 (小声で)ずいぶん昔からさぁ、源氏と平氏は朝廷に仕えてきたよなぁ。でもって、平氏が世を乱した時にゃぁ、源氏がこれを鎮圧し、源氏が朝廷に逆らったならば、平氏がこれを押さえってなカンジで、やってきてたよなぁ。
舟田義昌 (小声で)はい、おっしゃる通りで。
新田義貞 (小声で)この義貞、不肖の身とはいいながらもな、源氏本流の新田家の棟梁としてさぁ、代々弓矢取る家に名を連ねてきたわけだよなぁ。
舟田義昌 ・・・。
新田義貞 (小声で)でなぁ、最近、思うんだけんどよぉ・・・北条高時(ほうじょうたかとき)のあの振る舞い見てるとな、北条家も、そろそろ、限界かなぁって・・・。
舟田義昌 ・・・。
新田義貞 (小声で)あそこの家も、もうこの先、そうそう長かぁねえぜってな、おれにはどうにも、そう思えてきて、しょぉがねぇんだわぁ。
舟田義昌 ・・・。
新田義貞 (小声で)ってなわけでよぉ、おれはこれから、本拠地へ戻って、勤王倒幕軍を起こそうと思ってんだ。なんとかして倒幕を成功させて、先帝陛下をあのお苦しみの中からお救い申し上げようってなカンジの事、思ってたりするんだわさぁ・・・。
舟田義昌 ・・・。
新田義貞 (小声で)ところがだなぁ、ここに一つ大きな問題があってなぁ。
舟田義昌 (小声で)と、いいますとぉ?
新田義貞 (小声で)勅命(ちょくめい)だよ、勅命。朝廷からの倒幕命令書を頂けねぇことには、どうしようもねぇわさぁ。
舟田義昌 (小声で)なるほど。
新田義貞 (小声で)何とかして、護良親王(もりよししんのう)殿下から倒幕命令書を頂いてだなぁ、そのご威光でもって軍勢を集め、めでたく本懐達成(ほんかいたっせい)ってわけにゃぁ、いかねぇもんかなぁ。
舟田義昌 (小声で)そうですねぇ・・・。親王殿下はこのあたりの山中に潜伏中ということですからね、わし、何とかうまいことやって、倒幕命令書を頂けるように、お願いしてみますわ。
このように事もなげに承知して、舟田義昌は自陣へ戻っていった。
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翌日、舟田義昌は、自らに仕える若党30余人を集め、野伏(のぶし)姿に変装させた。そしてその夜、彼らと共に、葛城山(かつらぎさん:大阪府奈良県境)へ登った。
彼は、戦場を離脱した幕府軍の武士であるかのように装い、夜明け前の霞の中で若党らを相手に1時間ほど、追いつ返しつの「ヤラセの戦い」を演じた。
それを見た、宇多(うだ:奈良県宇陀郡)、内郡(うちごおり:奈良県・(旧)宇智郡)の野伏たちは、若党らを自分たちの仲間であると思いこみ、それに合力しようと、方々の峰々から降りてきた。
頃合いを見計らっていた義昌は、
舟田義昌 それ! あいつらをいけどりにしちまえ!
義昌たちは接近してきた野伏らを包囲し、11人ほどを生け捕りにした。
その後、義昌は彼らの縛を解いていわく、
舟田義昌 だまくらかしてからめ取ったのはなぁ、ナニもオメェらを殺すためじゃぁねぇんだぞ。ジツはなぁ、わが主、新田殿はな、これから本拠地へ戻って、打倒鎌倉幕府の軍を起こそうと、しておられんだよぉ。だけんどその前に、まず朝廷からの倒幕命令書を頂かねぇ事にゃぁ、どうにもしようがねぇやな。
舟田義昌 だからよぉ、オメェらに護良親王の所まで道案内させて、殿下から倒幕命令書をいただいちまおうと思ってな、こんな手の込んだ事をしてみたってわけさぁ。
舟田義昌 さぁ、命が惜しきゃぁ、おれの使いのモン、殿下のとこまでとっとと案内しろいってんだよぉ!
野伏A なぁんや、そういう事やったんかいなぁ。
野伏B ということはやでぇ、あんたらとわしらは、味方どうしっちゅう事やんか、ははは。
野伏C こら、嬉しいこっちゃ!
野伏D あんなぁ、殿下のとこへ道案内したってもえぇけどやな、もっと簡単な方法あるがな。どうや、わしらのうち、一人だけ、解放したってくれへんか? そいつが殿下のとこまで走って行ってやな、倒幕命令書もろてきてあんたに渡したら、それでえぇやろが!
舟田義昌 フフーン、なるほどぉ。
というわけで、野伏の中の一人が親王のもとへ走り、残りのメンバーはそこに留まった。
一同、彼の帰りを今か今かと待っていたところ、翌日、
野伏E おーい! もろてきたでぇ!
舟田義昌 おぅ!
開いてみると、「命令書」ではなく「天皇勅書」の形式で書かれていた。(注4)
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(訳者注4)原文では、「開いて是を見るに、令旨(りょうじ)にはあらで、綸旨(りんし)の文章に書かれたり。」
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その文面、以下の通り。
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以下、陛下のみこころをお伝えする。
民をよく教育し、万国を治めるは明君の徳
乱を収め、四方を鎮めるは武臣の節
しかるに昨今、北条高時(ほうじょうたかとき)とその一族、朝廷の意向をことごとくないがしろにし、逆威をほしいままにふるうものなり
かかる積悪の結果は、天罰てきめん間違いなし!
この時に至り、累年のわが苦悩を解決せんがために、義兵を起こさんとのなんじの意志、まことにあっぱれなり
事成りし暁には、格別の恩賞をもって、なんじの志に応えるものなり
速やかに、幕府打倒の策を巡らし、天下平定の功をうち立てよ!
以上、陛下のみこころ、たしかに伝えるものなり。
元弘3年2月11日 左少将記
新田小太郎殿
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舟田義昌 ヨーシヨシ!
舟田義昌から手渡されたこの勅書を読み、新田義貞も大喜び。
新田義貞 (小声で)やったじゃねぇかぁ!
舟田義昌 (小声で)まさに、新田家の面目、今ここにありってなかんじの、文面ですよねぇ。
新田義貞 (小声で)よーし、これで前途が開けたぞぉ!
翌日さっそく、義貞は仮病を使って戦場を離脱、部下たちを率いて一路、上州への帰路についた。(注5)
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(訳者注5)「野伏の仲介で倒幕命令書を獲得」というこのエピソード、どうも訳者には太平記作者のフィクションのように思えてならない。舟田義昌がこのような重要な仕事を、見ず知らずの野伏に不用意に託すなどとは到底考えがたい。「新田義貞に倒幕の志有り」などというような情報が、野伏サイドから六波羅庁へでも漏れたら、主君・新田義貞は危機に瀕することになるだろう。
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千剣破城攻めの戦況を憂慮して、京都の六波羅庁でも対策を練りはじめた。
六波羅庁首脳K まったくもって、困ったもんだなぁ、千剣破城攻めの戦はぁ。
六波羅庁首脳L いやはやまったく・・・先頭に立って戦うべき主要軍団のメンバーが、あれじゃぁねぇ。
六波羅庁首脳M 何のかのと口実を作っては、次々と本拠地へ、帰っていってしまやがるんでさぁ。
六波羅庁首脳N ロジスティックスラインも、至る所で分断されてしもてますわなぁ。
六波羅庁首脳K 現地の士気の低下、目を覆わんばかりというじゃぁないか・・・なんとかして、戦線を立て直さねば!
六波羅庁首脳M こういう時は、やっぱ、あの人に頼むしか、しょうがないんじゃぁ?
六波羅庁首脳N 頼みの「ツナ」でんなぁ。
というわけで、再びあの、宇都宮公綱(うつのみやきんつな)の出馬とあいなった。
宇都宮家臣団の紀清両党(きせいりょうとう)1000余騎が戦線に加わるやいなや、千剣破城攻防の戦況はにわかに動き出した。
彼らは新規参入ゆえ元気いっぱい、すぐさま城の堀の際まで攻め込み、一歩も後に退かずに、10余日昼夜ぶっ通して攻め続けた。塀際の鹿垣(しかがき)や逆茂木(さかもぎ)のことごとくが彼らによって引き破られ、さすがの楠軍側も、これには少々手をやいている風である。
しかしながら、いかに勇猛の紀清両党の者といえども、斑足王(はんぞくおう:注6)の身体を有するわけではないから、天に駆け上がる事はできない。龍伯公(りゅうはくこう:注7)ほどの巨力を持っているわけではないから、山をつんざく事も不可能である。ついに、攻撃に行き詰まりを来してしまった。
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(訳者注6)インドの神話に出てくる王。自在に空を飛べたという。
(訳者注7)龍伯国の人々は身長が30丈あり、空を飛べたという。
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宇都宮公綱 ウーン・・・何かいい作戦は無いものかなぁ。
紀清両党メンバーX 殿、こうやってみてはどうでしょう? 正面にいる者たちには戦闘を継続させながらですね、後方の者らが、鋤(すき)や鍬(くわ)でもって、あの城の地盤、つまりあの山を、下の方から徐々に掘り崩して行くってのは?
宇都宮公綱 ・・・うーん、そうだなぁ・・・よし、やってみるか。さっそく、工事にかかれ!
何事も、やってはみるものである。山を掘り崩しはじめてから3昼夜目、ついに城の大手方面の櫓を1個、崩壊させる事に成功した。
幕府軍リーダーA なぁるほどなぁ、あんなウマイ手があったのか!
幕府軍リーダーB あわてて戦闘なんかおっ始めないで、最初からあぁやって攻めてきゃ、よかったんだなぁ。
幕府軍リーダーC 今日までおれたちのやってきた事、あれっていったい、何だったのぉ? 反省・・・。
というわけで、全員、我も我もと、山堀りに参加。
しかし、千剣破城の地盤は周囲1里余りの大山ゆえ、そうそうたやすくは、城の全域を堀り崩せそうにも思えない。
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