太平記 現代語訳 6-4 赤松円心、蜂起す

太平記 現代語訳 インデックス 3 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----

そのころ、播磨国(はりまこく:兵庫県南西部)の住人で、村上天皇(むらかみてんのう)第7皇子・具平(ぐへい)親王の6代の末裔、従三位(じゅさんみ)・源季房(みなもとのすえふさ)の末孫、赤松次郎入道円心(あかまつじろうにゅうどうえんしん)と言う、弓矢取っては無双の勇士がいた。

この人は小事に関わることを好まず、また、他人の下につく事をよしとしない性格であった。衰微してしまった我が家を再び盛り返し、赤松家の名を大いに上げ、他に抜きんでた忠功を発揚したいと思っていた。

そのような所に、突然、息子が帰ってきた。この2、3年の間、護良親王(もりよししんのう)につき従い、吉野・十津川の艱難(かんなん)を共にくぐり抜けてきた、則祐(のりすけ)が。

赤松則祐 父上、護良親王殿下よりのメッセージ、持ってきましたで!

赤松円心 おぉ!

赤松円心 (パサパサパサ:手紙を開く音)・・・(内心)ふーん・・・。「早急に義兵を挙げて軍勢を率い、朝敵を討伐せよ! 功績あった者には、恩賞は望みのまま取らせるぞ。」てかいな。ふーん・・・。

赤松円心 (内心)その恩賞の詳細まで、きちんと17か条にまとめて、事細こぉに書いたるやないかい・・・どの条項を読んで見ても、赤松家を盛り立て、わしの野心を満たすには十分の内容やなぁ。

円心の心は弾んできた。

赤松円心 よーし、いっちょう、やってみたろかぁ!

彼はまず、播磨国・佐用庄(さようしょう)の苔縄山(こけなわやま:兵庫県・赤穂郡・上郡町)に城砦を構え、同志を募った。

円心の勢威は徐々に近隣に及び、播磨国中から武士達が参集、間もなくその兵力は、1,000余騎にまで達した。まさに、秦(しん)王朝の天下既に傾かんという時、その好機を捕らえて楚(そ)の陳勝(ちんしょう)が、身分低い身でありながらも、大澤(だいたく)にて決起した事を思わせるかのようである。

やがて、赤松軍は、杉坂(すぎさか:兵庫県・作用郡・作用町-岡山県・美作市)と山の里(やまのさと:兵庫県・赤穂郡・上郡町)の2か所に関所を置き、山陽・山陰両道の交通を遮断。これ以降、中国地方の道は塞がってしまい、西方諸国の幕府側勢力は京都へ上洛できなくなってしまった。

-----
(訳者注1)兵庫県・赤穂郡・上郡町に、[赤松]というエリアがあるようだ。上郡町の公式サイト中に、円心がそこに住んでいた、という趣旨の事が書かれている。
-----
-----
太平記 現代語訳 インデックス 3 へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?