太平記 現代語訳 25-2 天狗たち、仁和寺に集合して作戦会議を行う
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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仙洞御所(せんとうごしょ)に妖怪が出現しただけでも、これは希代(きたい)の事と、人々のうさわに上っていた所に、さらにまた、奇怪な事件が起こった。
場所は、仁和寺(にんなじ:京都市・右京区)。
嵯峨(さが:右京区)へ出向いていた僧侶が京都への帰りの途中、あいにく夕立に遭ってしまった。雨宿りする所も無いので仕方なく、仁和寺の六本杉の下で、晴れ間を待つことにした。
やがて、日はすっかり暮れてしまった。
僧侶 (内心)うわぁ、マイッタなぁ。日も暮れて完全に暗ぉなってしもたやないかいな・・・。こないな暗い道中、帰るのもなんや怖いしなぁ・・・今夜は、ここの御堂の傍らで明かすとしよかいな。
彼は、本堂の縁に座り、心中に仏を念じ、口には仏名を唱えながら、静かに心すましていた。
いよいよ夜が更け、清明なる月が上ってきたその時、
僧侶 ムム! なんや、あれは!
愛宕山(あたごやま:右京区)や比叡山(ひえいざん:左京区)の方から、屋形の四方が上に反った上級の輿(こし)が多数、空中を飛来してくる。
輿は次々と、六本杉の上空にやってきては停留し、そこから何者かが、杉の梢の上に降りて並んでいく。
全員の座が定まった時、虚空に引いた幕が、風にあおられて舞い上がった。
僧侶 (内心)アッ・・・あれは・・・。峯僧正!
上座には、後醍醐先帝(ごだいごせんてい)の従兄弟・峯僧正春雅(みねのそうじょうしゅんが)が座っていた。茶色の衣に袈裟を懸け、眼(まなこ)は日月のごとく光りわたり、鳶(とび)のごとく長い唇、いや嘴(くちばし)。水晶製の念珠(ねんじゅ)を爪繰(つまぐり)ながら座している。
その左右には、興福寺(こうふくじ:奈良市)の知教上人(ちきょうしょうにん)、浄土寺(じょうどじ)の忠円僧正(ちゅうえんそうじょう)が座している。みな、過去に見慣れた顔ではあるが、眼光は尋常ならず、左右の脇からは長い翼が生え出ている。
僧侶 (内心)これはいったい・・・もしかして、自分は天狗の世界に落ちてしもぉたんやろうか・・・それとも、天狗が、現実に眼の前に現れてとんねんやろぉか・・・。
肝をつぶしながらじっと見守っていると、今度は車が飛来してきた。
鮮やかな5本すじの模様の簾をかき揚げて、車から下りてきた人を見れば、
僧侶 (内心)あっ・・・護良親王(もりよししんのう)!
親王は、還俗する前の出家の姿である。先に座して待っていた天狗たちは全員席を立って、親王を出迎えた。
しばらくして、家司(けいし)と思われる者が、銀の銚子に金の盃をとりそろえ、酌に立った。
護良親王は、盃を手に取り、左右にキッと一礼した後、3回、盃を干した。峯僧正以下の人々も順次、盃を飲み流して行くのだが、それほど興が乗っている風でもない。
そして、全員一斉に、「ワッ」とわめいた。
手を上げ、足を曲げ、頭から黒煙を出し、悶絶し、倒れ伏す事、約1時間、全員、火中に入った夏虫のごとく、焼け死んでしまった。
僧侶 (内心)あぁ、恐ろしい・・・これやねんなぁ、天狗の世界の苦しみとは・・・。熱い鉄の塊を日に三度、のみこまんならんというやないか。
そのまま見ていると、4時間ほど後に、全員生き返った。
峯僧正は、苦しそうに息をつきながら、
峯僧正春雅 ハァーー・・・さてさて・・・ハァーー・・・今度はいったいどないな風にして・・・ハァーー・・・世間を騒がして見ようかいなぁ・・・ゲホゲホ・・・。
忠円僧正が、末座から進み出て、
忠円僧正 世間を騒がすのなんて、簡単、簡単・・・ゲホゲホ・・・。まずは、足利直義(あしかがただよし)にご注目あれ。彼は、「我、姦通せず」の戒を、かたく守っとりますからな(注1)、「俗人の中で、自分ほど、禁戒を犯してない人間は、おらんやろう」と思うてます。そやから、慢の心が、そらぁ深い深い。従って、我々にとっては、極めてつけ込みやすい人間、といえますわなぁ。
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(訳者注1)原文では、「先(まず)左兵衛督直義は他犯戒を持て候間」。
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峯僧正春雅 彼につけ込んで、何とします?
忠円僧正 我らがリーダー、護良親王殿下にね、再度、この世に出生していただきましょう。直義の妻の腹の中に、男子としてね・・・。
峯僧正春雅 ほほぉ・・・。
忠円僧正 もう一人、ねらい目の人物がおりますよ。夢窓疎石(むそうそせき)の秘書に、妙吉(みょうきつ)という者がおりましょう?
峯僧正春雅 おりますな。
忠円僧正 教学(きょうがく)と修行の両面において、まだまだ力不足であるにもかかわらず、「自分ほど、仏教を解ってるもんはいいひんわい」と思ぉとりますわなぁ。こういう慢心のある所にこそ、我々のつけ込む絶好のスキがあるわけですわ。
峯僧正春雅 なるほど、なるほど。
忠円僧正 峯僧正殿は、彼の心に憑依(ひょうい)しはってな、政治を補佐し、邪法を説破されたらいかがでしょうか。
峯僧正春雅 よぉし!
知教上人 あのぉ・・・わたいの出番、今回は無いんでっしゃろか?
忠円僧正 あります、あります。あんたはな、上杉重能(うえすぎしげよし)と畠山直宗(はたけやまなおむね)の心中を占領し、高師直(こうのもろなお)と高師泰(こうのもろやす)の命を取る算段をしてください。
知教上人 了解。で、あんたは?
忠円僧正 わたしは、高師直と高師泰の心中に潜りこみ、上杉と畠山を亡ぼしてみると、いたしましょう。
知教上人 ふふーん、これはなかなか、おもろい。
忠円僧正 我々のこのアクションによってな、足利兄弟の仲が悪うなり、高師直が、主従の礼に背くような事になったとしたら? そないなったら、またまた、天下には大いなる争乱来たり、我らの見物のネタも、当分尽きひんというわけですわいな! ムッフォッフォッフォッフォ・・・。
これを聞いた護良親王はじめ、我慢(がまん:注2)、邪慢(じゃまん)の小天狗ども(注3)までもが大喜び、
天狗一同 よぉもまあ、こないなおもろい事、考えつきはりましたなぁ、ゲッフォッフォッフォッフォ・・・。
面白がって声を揃えて笑いながら、天狗たちはみな、幻のように消えてしまった。
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(訳者注2)もともと、「ガマン」とは「我を誇る慢の心」の意であったのが、いつの間にか忍耐する事の意に変わってしまった。言葉は生き物である、とつくづく思う・・・時間の経過と共に変転して止まないのだ。
(訳者注3)当時、「驕慢なる心の持ち主は死して後、天狗になる」と説かれていたらしい。しかし、20世紀末から21世紀初頭の日本においては、生きている間に天狗になってしまうという現象も多発しているようだ。「あの人はテングになってしまってる」という言葉を、よく耳にするから。
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夜が明けた後、この僧侶は京都に帰り、首都圏総合病院・院長(注4)・和気嗣成(わけのつぐなり)に、自分の見てきたことの一切を語った。
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(訳者注4)原文では「施薬院師」。これは「薬剤師」の意ではない。「施薬院」とは京都の病人を収容・治療する機関。
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その4、5日後から、足利直義の奥方が、気分すぐれなくなってしまった。
和気、丹波(たんば)両流の博士や、内科、外科の一流の名医数十人を招いて、彼女の診察を行わせた。
ある医師いわく、
医師A これは「風」が原因の病ですわ。牛黄金虎丹(ごこうきんこたん)と辰沙天麻円(しんしゃてんまえん)を合わせて調合しときますので、これのまれて、ご養生されたら、よろしぉま。
また、ある医師は、
医師B 「病は気から」と申しましてな、「気」を収める薬やったら、愈山人降気湯(ゆさんじんごうきとう)と神仙沈麝円(しんせんちんじゃえん)が、よぉ効きます。えぇ案配に調合しときますよってに、服用なさいませ。
また、
医師C これは腹の病ですなぁ。腹病を直す薬は、金鎖正元丹(きんさしょうげんたん)と秘傳玉鎖円(ひでんぎょくさえん)。この2種類を合わせて服用されたら、治られますやろ。
少々遅参してきた首都圏総合病院院長・和気嗣成もまた、奥方の脈を取ってみた。
和気嗣成 (内心)うーん・・・わからん・・・病名が見つからんわ・・・。
和気嗣成 (内心)病の数は多しといえども、分類すれば4種類。そやけど、この症状は、どのカテゴリーにも、当てはまらん・・・うーん。
和気嗣成 (内心)・・・いくら考えてみても、これっちゅう病名が思い当たらんわい・・・うーん・・・。あ、そうや! こないだあの坊さん、仁和寺でどうやこうやとか、言うてたわな・・・ということになると、これはもしかして、懐妊? しかしそれにしてもなぁ・・・懐妊? まさかぁ・・・。
和気嗣成 (内心)いいや、どう考えてみても、そうとしか思えん! すべての症状が、「懐妊」の二文字を語っておる。
嗣成は、直義の前にやってきて、ささやいた。
和気嗣成 (ささやき声で)わたしの見立てはですなぁ・・・ご懐妊、奥様は、ご懐妊されたということですわ。それも、男の子をね。
その場にいあわせて、それを聞いた者はみな、あれやこれやと言い立てる。
足利直義・家臣D プッ、懐妊だとよぉ。おかしくって聞いてらんねえぜ。
足利直義・家臣E またまたぁ、嗣成め、殿にゴマすりやがってぇ!
足利直義・家臣F 奥様はもう、40歳過ぎなんだぜ。どこの世界に、40路越えて初の懐妊する女性が、居るってんだよぉ。
足利直義・家臣G もう・・・ばかばかしいったら、ありゃしねぇ!
しかし、月日の経過に伴っての奥方の体型の変化が、嗣成の診断の正しさを証明した。
高価な薬を調合した医師たちは全員面目を失い、和気嗣成ただ一人、所領を給わり、俸禄に預かるのみならず、やがて、宮内省医療局の長(注5)に推薦され、それに就任とあいなった。
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(訳者注5)原文では「典薬頭」。
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しかしながら、「懐妊」の2文字を頑として認めようとしない「偏執(へんしつ)の族(やから)」もいた。
偏執の人H 懐妊やてぇ? どうも疑わしいわなぁ。
偏執の人I あんなん、ぜったいウソや、ウソに決まったるぅ!
偏執の人J 予定日になったらな、どこぞの人間の産んだ子を持ってきてな、「見てみい、これが生れた子やねんぞ」ちゅうてな、かき抱いて、カワイイカワイイ、しはるんやで。まぁ、見ててみ!
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6月8日朝、足利直義夫妻の第一子誕生、安産、男子。
「男子誕生祝賀、蓬矢(よもぎや:注6)の慶賀、催さる!」のニュースは日本全国に流れ、足利家とその親族、国々の有力武士らは言うに及ばず、人と肩を並べ、世に名を知られるほどの公家と武家の人々はみな、鎧、腹巻、太刀、刀、馬、車、高級絹布、金銀など、他人よりもさらに多くのものをと、引き出物を先立て、我も我もと、祝賀言上にやってくる。かくして足利直義邸においては、賓客(ひんきゃく)は屋内に群集し、僧俗が門前に列を作る。後に来る禍を未だ知らずして、みな声をそろえ、
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(訳者注6)桑の弓で、蓬の茎で作った矢を射る。
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世間の声K いやー、足利直義さまのご長男として、生まれはるやなんて・・・。
世間の声L ほんにまぁ、幸せ者のお子さんどすなぁ。(注7)
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(訳者注7)原文では、「後の禍(わざわい)をば未(いまだ)知(しらず)、「哀(あっぱれ)大果報(だいかほう)の少(おさな)き人や。」と、云(い)はぬ者こそ無(なか)りけれ。」
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