太平記 現代語訳 2-5 日野資朝の最期~その時、彼の息子・阿新は

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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後醍醐天皇の倒幕計画が露見して大喜びと、いう人々も、京都にはいたのである。それは、[持明院統](じみょういんとう:注1)勢力に属する人々であった。

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(訳者注1)[持明院統]については、[太平記 現代語訳 1-5]中の訳者注をご参照いただきたい。
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持明院統・勢力の人A いやぁ、これはうまい事になりましたなぁ。

持明院統・勢力の人B ほんに。これで、今上陛下は、ご退位と・・・。

持明院統・勢力の人C そして、次の天皇位は、こっちサイドへくる事まちがいなし。

持明院統・勢力の人一同 ウキャキャキャキャキャ・・・・。

このように、身分の上下を問わず大はしゃぎである。

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しかしながら、六波羅庁によって土岐頼貞が討たれた後も、天皇位交替について、鎌倉からは何の話もなかった。

今また、日野俊基(ひのとしもと)が捕縛連行されたというのに、依然として、何らかの決定が幕府においてなされる、というような情報も伝わってはこない。持明院統・勢力サイドは、全くのアテハズレ、溜息をつくばかりである。

そういう状況ゆえに、いろいろと進言する者がいたのであろうか、持明院統・勢力より、鎌倉の北条高時のもとへ、密使が送られた。

北条高時 さてさて、いったいどんなご用件で?

密使 さるスジから、「北条高時殿に、次のように申し伝えるように」と、おおせつかって参りましたわ。

北条高時 テヘェー、いったいどんな事を?

密使 「今上天皇の倒幕計画はすでに、「今そこにある危機」の段階にまで達しておる。幕府は速やかに、それに対する糾明措置を行うべきである。さもなくば、近い日に、天下大乱になってしまうこと、必定(ひつじょう)!」

北条高時 (内心)ムムム、こりゃぁイカン!

彼はすぐに、北条家・重臣・合同幹部会議を開いた。

北条高時 持明院サイドからな、こんな事言ってきやがったぜ。いったいどうすべぇかなぁ?

会議メンバー一同 ・・・。(シーーーン)

会議メンバーA (内心)こんなこと、まっさきに口開いて言えるかい。誰か、他の人、意見言ってくんないかなぁ。

会議メンバーB (内心)自分の立場ってぇもん、考えると、うかつな事は言えないよなぁ・・・。

誰も口を開こうとしないのを見て、北条家執事(しつじ)・長崎円喜(ながさきえんき)の息子・長崎高資(ながさきたかすけ)が、ツツッとひざを乗り出し、討論の口火を切った。

長崎高資 土岐頼貞を討伐した際に、天皇も交代させてしまえばよかったんですよぉ。なのに、朝廷に遠慮して、うやむやな処置で、お茶をにごしてしまったわけじゃぁないですかぁ。

会議メンバー一同 ・・・。

長崎高資 ようはですね、天皇の倒幕プロジェクト計画という一大問題に対しての、抜本的な処置ってぇもんが全然出来てないままに、今日までずるずると、来てしまってるわけです、問題先送りのまんまねぇ。

会議メンバー一同 ・・・。

長崎高資 乱を抑え、国を治める事にこそ、武力行使の意義があるというもの! 速やかに、今上天皇は遠国流刑、護良親王(もりよししんのう)は片道切符の島流し、日野俊基、日野資朝(ひのすけとも)以下の、国を乱す近臣どもは残らず死刑、これに限りますってぇ!

会議メンバー一同 ・・・。

憚(はばか)る所なく、まくしたてる長崎高資の言葉を聞いていた二階堂道蘊(にかいどうどううん)は、しばしの思案の後、口を開いた。

二階堂道蘊 たしかに長崎殿のご意見、もっともではありますが、私が思うところを少し、述べてみてもよろしいでしょうか。

北条高時 よし、言ってみろ。

二階堂道蘊 はい・・・。武家が政権を獲得してからすでに160余年が経過、勢威は四方に及び、武運は代々輝きを増すばかりであることは、言うまでもありませんが・・・それはひとえに、武家政権が、上には、天皇陛下を仰ぎ奉って、私心なく忠節を尽くし、下には、人民をいつくしみ、仁政を施してきたからであります。

会議メンバー一同 ・・・

二階堂道蘊 なのに今、天皇陛下の寵臣の両・日野を拘留し、陛下が帰依しておられる高僧3人を流罪に処せられた、これまさに、「武臣、悪行を専らとす」と、いうべきものではないでしょうか?

二階堂道蘊 その上さらに、今上天皇陛下を遠国に遷し申し上げ、天台座主(てんだいざす)・護良親王を流罪に処す、という事になれば・・・うーん・・・天が武家政権の奢りを憎まれること、必定でありましょう。のみならず、護良親王を擁護する延暦寺(えんりゃくじ:滋賀県大津市)の面々も必ずや、憤りの炎を燃やしましょう。

二階堂道蘊 神の怒りに触れ、人間にもそむかれたならば、武家政権の武運は危機に瀕(ひん)することとなるでしょう。

二階堂道蘊 古(いにしえ)の世の人の言葉にも、「君主にその資格無しといえども、臣下は臣下としての分をわきまえ、その務めを果たすべし」と、あるではないですか。

二階堂道蘊 それにですよ、たとえ陛下が倒幕を計画されているとしても、それがいったい、何程の脅威と言えましょうや? 幕府に対抗しうる武力など、あちらには無いのですからね、その計画に加担しようなどという者がいるとは、到底思えませんね。

二階堂道蘊 ここはとにかく、我々の方がひたすら慎んで勅命に従っておきさえすれば、陛下のお考えも、必ず、変化をきたすことでしょう。かくして、国家は泰平、武家政権は武運長久・・・と、私は考えるのですがねぇ、皆様のご意見は?

長崎高資 (チョゥムカッ)アノネェッ! 政治ってぇのはねぇ! アメ(飴)とムチ(鞭)とのメリハリを効かせる事が大事だと思いますよ! あいまいな処置ってのが、イッチバンいかんのですワ!

長崎高資 世の中が治まってる時には、アメをしゃぶらせてゆるやかに統治し、乱れてる時には、ムチでバッシバシ、しばいて速やかに押え込む! これですよ、これ!

長崎高資 昔の中国だってそうだったでしょ? 戦国時代には、孔子や孟子の政治学なんか、とても適用できるような状態じゃぁなかった。武力が必要でなくなったのは、戦国時代が終わって太平の世になってからだ。

長崎高資 とにかく、事は急を要します、今は、武力を用いるべき局面ですってぇ!

長崎高資 「君主にその資格無し」の場合、臣下はどうやってきたか? 中国では、周(しゅう)王朝の文王(ぶんおう)・武王(ぶおう)が、無道の君主(注2)を打倒してますよ。我が国にだって、北条義時(よしとき)様・泰時(やすとき)様の時に、善ならぬ上皇(注3)たちを流罪にした前例が、あるじゃぁないですか!

長崎高資 あの時だってぇ、幕府は朝廷から見れば、臣下の立場でしたよねぇ。でも当時の世論は、「臣下の分際で主君を島流しにするとは何事か」なんて事を言って、幕府を非難したりはしませんでしたよ。

長崎高資 古典の中にだって、「君主が臣下を土やゴミのように扱う時には、臣下も君主を仇敵のごとくに見るであろう」って、あるじゃぁないですか。

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(訳者注2)殷王朝の紂王。

(訳者注3)後鳥羽上皇の事である。長崎高資は、承久の乱の時の事跡を用いて、自説を正当化しているのである。
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長崎高資 モタモタしてる場合じゃぁない! 天皇に先手を打たれて、「幕府追討命令」でも出されちゃったら、どうする?! そうなってから後悔しても、もう遅いんだからぁ! 速やかに、天皇を遠国に遷しィ、護良親王を硫黄島(鹿児島県)へ送りィ、倒幕計画の首謀者で逆臣の日野資朝と日野俊基の両名を死刑に処するゥ、これっしかなァイ! このような処置あってこそ、武家の安泰は万世に及ぶ、というものでしょうがァ!

高資は、居丈高(いたけだか)に、自らの意見を滔々(とうとう)とマクシたてる。会議メンバー多数は、長崎父子の権勢におもねたのか、あるいは愚かな考えに引きずり込まれてしまったのか、皆それに賛同してしまった。

二階堂道蘊 (内心)これ以上、何を言ってもしかたがないか・・・。

彼は、眉をひそめて、その場を退出して行った。

かくして、

 「天皇に対して倒幕をそそのかしたのは、源具行(みなもとのともゆき)、日野俊基、日野資朝である。彼らを死刑に処すべし!」

との決定が下った。

 「まずは、昨年より佐渡国(さどこく:新潟県佐渡島)に流刑中の、日野資朝から」

という事で、日野資朝・処刑の命令が、幕府から佐渡国守護・本間山城入道(ほんまやましろにゅうどう)に下された。

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この決定は、京都の人々の知る所となった。

日野資朝には、「阿新(くまわか)」という名の、十三歳の息子があった。この人は後に、中納言・日野國光となる。

資朝が逮捕された直後から、仁和寺(にんなじ:京都市右京区)のあたりに身を隠していたのだが、父が処刑される、とのうわさを聞いて、阿新は、小さな胸の内にある決意を固め、母の前に座した。

阿新 もう自分の命なんか、惜しぃありません。父上と共に斬られて、冥土の旅のお供をしたい・・・父上の最期のご様子も、見ておきたいと思います。母上、お願いですからどうか、父上のもとに行かせて下さい!

阿新の母(資朝の妻) あんたは・・・もう何を言わはりますのや・・・。佐渡いうとこはなぁ、人も通わん怖ろしい島や言うやおへんか。そないなとこまで、いったい何日かかって行けるもんやら・・・。そないな遠いとこまで、いったいどないして、行かはるつもりどす?

阿新 ・・・。

母 だんなさまが、あないな事になってしまわはってからいうもん、うち、ほんまにつらい日々どす・・・その上、あんたまで、うちから離れて行ってしまうやなんて・・・。(涙)

阿新 ・・・。

母 そないな事になってしもぉたら・・・一日も、いや、一時間も、よぉ生きていけへんわ、うち・・・。うっうっうっ・・・。(涙)

阿新 父上のとこに連れてってくれる人、誰もいいひん、いうんやったら・・・もういっそのこと、ボク、どっかの川の深いとこにでも、身ぃ投げて、死んでしまいますわ!(涙)

母 なにを言うねん、あんたは!(涙)

阿新 ・・・。(涙)

母 (内心)これ以上、ムリにひき止めたら、かわいいこの子の命までも、失われてしまうかもなぁ・・・。

阿新 ・・・。(涙)

母 (内心)しゃぁないなぁ。

母は仕方なく、今日まで自分につき従って来てくれた、たった一人の中間(ちゅうげん)をお伴につけ、息子を、遙かなる佐渡への旅路に送り出した。

遠い道を行くというのに乗る馬も無く、慣れない草鞋を履き、菅の小笠をかぶり、露を分けながら歩み行く阿新少年の北陸の旅路・・・ああ、思いやるも哀れなるかな。

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京都を出てから13日目、越前国(えちぜんこく:福井県東部)の敦賀(つるが:福井県敦賀市)の港に着いた。

ここから、阿新と中間は、商船に乗り、やがて佐渡に到着。

自分がやってきた事を、人を介して伝えるすべもなく、阿新は本間の館に自ら赴き、中門の前に立った。

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