太平記 現代語訳 25-4 失われた宝剣
太平記 現代語訳 インデックス 13 へ
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝年号・貞和(じょうわ)4年(1348)、伊勢国(いせこく:三重県中部)から、驚くべき報告が京都朝廷にもたらされた。
あの源平争乱の時、安徳天皇(あんとくてんのう)と共に、壇の浦(だんのうら:山口県・下関市)の海底に沈んでしまった三種神器(さんしゅのじんき)のうちの一つ、宝剣(ほうけん)が発見された、というのである。
その詳細は以下の通りである。
伊勢国の神戸(かんべ)という所に、下野阿闍梨(しもつけのあじゃり)・円成(えんじょう)という僧侶がいた。彼は、「伊勢大神宮1000日参詣」の願を立て、毎日海水で水ごりを取り、2夜に1回のペースで参詣を行っていた。
円成 あぁ、ついに今日は満願やぁ、1000回目の参詣の日や・・・ようやくここまで・・・。
例のごとく、水ごりを取ろうと思い、円成は磯べりへ歩みよった。その時、はるか沖あいに異様な光が見えた。
円成 あれ? あれいったいなんや? 何か光るもんが見える・・・。ゆうべ(昨夜)までは、あんなもん、気ぃつかへんかったけどなぁ・・・。
いぶかしく思い、そこで釣りをしていた漁師に、
円成 なぁ、なぁ、あこ・・・あこ、なにやら光ってへんか?
漁師 あぁ、光ってますなぁ。
円成 あれはいったい、なんやろう?
漁師 さぁて、わしにもよぉ分かりませんなぁ。この2、3日ほど、毎晩あぁやってな、波の上に浮かんで光っとるんですよ。
円成 えー!
漁師 あの光、海の上を、あちらこちら流れ歩いとりましてなぁ、どんなもんなんか、一回調べたろ思うてな、船漕ぎよせていったんやけどな、すっとどっかへ消えてしまいよった。
円成 へー・・・不思議やなぁ。
漁師の話をきいて、円成はますます不思議に思い、その物体から片時も目を離さずに、海浜をはるばると歩いていった。
円成 (内心)あれぇ? こっちの歩いてんのんに、なんやあれ、調子あわせてついてきよるみたいやで。
円成の歩みと共に、光る物体は次第に磯へ接近してきた。
円成 (内心)なんやわからんけど、きっとこれには、深いわけがあるんやろうなぁ。
円成は立ち止まった。
その物体は、輝きを急速に衰えさせながら、彼の足元に流れ着いてきた。
円成は、おそるおそる物体に接近し、それを拾いあげてみた。
金でもなく石でもない。三つ又の柄を持った剣のような形をしている。長さは2尺5ないし6寸くらいある。
円成 (内心)これはいったい、なんなんやろ? 長いこと月光を浴びた末に、自ら光を発するようになるとかいう、あの「犀角(さいのつの)」とかいうもんやろか・・・それとも、海底に生えるという珊瑚樹(さんごじゅ)の枝やろか?
円成は、その物体を手に持って、伊勢神宮へ詣でた。
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伊勢神宮の領域に円成が足を踏み入れるやいなや、怪奇現象が起った。
12、3歳ほどの一人の童子が、にわかに憑依(ひょうい)状態を示し、4、5丈ほどの高さにピョンピョンと飛び上がりはじめた。そして、一首の歌を吟じた。
もの思う 私に誰も 知らん顔 仰けば空には さやけき月が
(原文)思ふ事 など問ふ人の なかるらん あふげば空に 月ぞさやけき(注1)
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(訳者注1)新古今和歌集・雑歌下 前大僧正慈円の作。新古今では、第1句が「思う事を」となっている。
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伊勢神宮に勤務する人々や村の長老たち数百人が集まってきて、童子の周りを囲んだ。
神社勤務の者B その童子に憑かせたもうた神様は、いったいどちらの神様であらせられますか?
童子(に憑依した神霊) あぁぁ・・・あぁぁ・・・か・・・かみ・・・神代(かみよ)の・・・昔より伝えて・・・わが・・・わが日の本(ひのもと)には・・・三種の神器これあるなり。世継ぎの天子たとえ位を継がせたもうといえども、この三種の神器無き時には、君は君たらず、世も世たらず。
童子 汝(なんじ)ら見ずや、承久(しょうきゅう)年間より以後、代々の天皇位は軽くして、武家の為に威を失わせたもう。その因はこれひとえに、三種神器の一(いつ)なる宝剣が、天皇の御守(おんまもり)とならずに、海底に沈めるがためなり。
童子 あまつさえ、今や内侍所(ないしところ)、ヤサカノマガタマの御箱さえも、京都より遠く隔たりし地にありて(注2)、天皇は空しく帝位に臨ませたまえる。これにより、四海はいよいよ乱れ、一天未だ静かならず。
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(訳者注2)三種の神器のうち2つが、吉野朝の所有するところとなっていることを、指している。
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童子 ここに、百王鎮護(ひゃくおうちんご)の皇祖(こうそ)おたまやの神、深海の龍宮に神勅(しんちょく)を下されて、元暦(げんりゃく)の古(いにしえ)に海底に沈みし宝剣を、召し出されたるものなり。
童子 その宝剣こそは、それ、そこに立ちて我を見つむる、あの法師の手に持ちたるぞ! 宮中取次役(きゅうちゅうとりつぎやく)を通じて、この宝剣を朝廷へ進(まいら)すべし。わが言うところ、不審あらば、これを見よ!
童子は円成の側に走り寄り、彼が持つ例の物体を手に取り、涙をはらはらと流し、額から汗を流していたが、
童子 ウゥッ!
いきなり気絶してしまった。
そのまま暫く、童子は意識を失い、憑依していた神霊はそこを去っていった。
「このような神託が下った以上、いさかかも不審をさしはさむべきにあらず」ということで、伊勢神宮の禰宜(ねぎ)をはじめ、この現象を目撃した神社勤務の人々の連署でもって、一連の経過を記した起請文を書いて円成に与えた。
円成は、これを錦の袋に入れて首に懸け、神託に従い、剣を持って京都へ向かった。
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円成は、京都へ入る前に奈良へ行き、さらなる神託を得られるかもと思い、春日大社(かすがたいしゃ:奈良市)に7日間参篭してみたが、これといった不思議な事も無かった。
次に、長谷寺(はせでら:奈良県・桜井市)へ参り、3日間の断食をして、そこにこもってみた。
3日目、拝殿の脇で徹夜の参篭をしている人が、円成に話しかけてきた。京都に住む公家方の人のように見える。
人物C あのぉ・・・つかぬ事を、おうかがいいたしますが・・・。
円成 はい。
人物C 今夜の夢にな、「伊勢の国からここへ参って、今日で3日目の断食をしてる僧侶がいる。彼の言う事を、宮中取次役に申し伝えよ」との示現が現れましてな・・・あんた、もしかして、伊勢からお参りにきはったんちゃいますやろか?
円成 いやいや、まさにそれ、その伊勢からですよ!
人物C エーッ!
円成は嬉しく思い、これまでの一部始終を詳細に語った。
人物C そうですかぁ・・・そないな事があったんですかぁ・・・フーン・・・。
円成 ほんまにもう、こないだから、不思議な事つづきですわぁ。
人物C じつはな、わたいはなぁ、日野の大納言はんに縁あるもんですねん。大納言はんにお願いして、この話を、陛下のお耳に入れるのんなんか、おやすいご用やで。
円成 やったぁ!
彼はすぐに、円成を同道して京都に帰り、日野邸を訪問した。宝剣と起請文を日野資明(ひのすけあきら)に提出し、円成から聞いた話をくわしく伝えた。
日野資明 ふーん・・・ほんにまぁ、不思議な事件やなぁ。
人物C はい・・・。
日野資明 ただなぁ、なんやなぁ、こういう「ナニナニの神託が下った」っちゅうような話はやなぁ、いいかげんな話を作って、人をだまくらかすようなケースが多いんやてぇ、いやほんまぁ・・・。そういうのんにひっかかってしもぉて、お上(かみ)に軽はずみに取り次いでしもぉた結果、世間のものわらいの種になってしもぉたっちゅうような例、ごっつ多いからなぁ・・・。
人物C はぁ・・・。
日野資明 そやからな、よぉよぉ事の真否を調査した上でやな、朝廷の閣僚の面々にも、「なるほど、これやったら信用できるわなぁ」と言わせるほどの確証を得た上でやな、わたいから陛下に、この話をお伝えする・・・こういうフウに、もっていきたいんやわ。
人物C ・・・。
日野資明 ま、その神託が信じるに足る、足らんはさておいてや・・・いずれにしても、この物体の発見、天下に静謐(せいひつ)をもたらす奇瑞(きずい)であるという事には、変りはないんやから・・・その僧侶・・・えぇと、名前は、なんちゅうたかいなぁ?
人物C 下野阿闍梨・円成ですわ。
日野資明 あんな、円成に、引き出物をな。
日野資明・側近D はは!
資明は、円成に銀製の太刀3本と布10重を与え、その物体を、自宅の前栽(せんざい)に安置した春日神殿(かすがしんでん)に納めた。(注3)
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(訳者注3)おそらく、自宅の庭中にまつった社(春日大社から勧請の)の中にその物体を納めた、という設定であろう。
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日野資明 (内心)さてと・・・あれがほんまに、三種の神器の宝剣かどうかを確かめるには、と・・・まずは神代の歴史を調べてみんとあかんわなぁ・・・。歴史の専門家に、詳しい聞いてみるべきやろなぁ。
資明は、平野神社(ひらのじんじゃ:北区)の神主・兼・神社総庁次官(注4)・卜部兼員(うらべかねかず)を、自宅に呼びよせた。
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(訳者注4)原文では、「神祇大副」。
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日野資明 今日来てもろたんはなぁ、あんたに、三種の神器についての講義をしてもらいたい、思いましてなぁ。
卜部兼員 はぁ・・・三種の神器ですか。
日野資明 そうやがな。あれに関しては、各家で相伝してる話がいろいろとあって、内容はまちまちやわなぁ。
卜部兼員 はい。
日野資明 じつはな、わしは、あぁいった話、ハナっから信用してないんや。
卜部兼員 そらまた、なんでですかいな?
日野資明 うん・・・どないにすごい旧家いうたかてな、歴史学においてはしょせん、シロウト集団やからなぁ。ヘンな尾の闘牛の絵を描いて牧童に笑われてしもたっちゅう話、あるやろぉ?(注5)
卜部兼員 ハハハハハ・・・。
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(訳者注5)牛は闘う時には尾を両足の間に挟むのに、尾を振りながら闘っている絵を描いて、牧童に笑われてしまった、という故事。
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日野資明 何事においてもな、シロウトの話ではあかん、エキスパート、専門家の話を聞かんと、あかんのや。そやからな、日本史の事やったら、歴史学の専門家に聞けっちゅうこっちゃがな。三種の神器に関しては、あんたの言う事だけが信頼できる・・・というわけでやな、今回ちょっとワケアリで、三種の神器について、知りたい事があってなぁ。
卜部兼員 なるほど。
日野資明 さぁ教授、詳細なる講義をお願いします。
卜部兼員 はぁ・・・。
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占部兼員は、かしこまっていわく、
占部兼員 いやぁー、日野様のおん前で、三種の神器についてお話するやなんて・・・なんや、養由(ようゆう)に弓を教え、王義之(おうぎし)に書を伝授するようなもんですわなぁ・・・。ま、そうは言いましてもな、たってのご依頼とあらば、ご講義させていただかんわけには、まいりませんわな。
占部兼員 よろしょま、歴代伝わってきました日本の古代史、余す所なく、お話しさせていただきましょう。
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(訳者注6)ここ以降、太平記には神代の事が様々に書いてあるのだが、古事記等と合致しない点も多々あるようなので、これを信用しない方がよいだろう。
もっとも、「信用」という言葉を使うのもヘンな話ではある。古事記に書いてある事ならば信用してよいとでも言うのか? いまどき、古事記に登場する「神武天皇」や「ヤマトタケル」が、歴史上実在の人間であったなどと信じている人は、この日本列島の上には一人もいないと思うのだが。
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以下、占部兼員の講義内容である。
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日本の歴史は、「天神七代時代」からスタートする。「天神七代」とは、第1・国常立尊(くにとこたちのみこと)、第2・国挟槌尊(くにさづちのみこと)、第3・豊斟淳尊(とよくんぬのみこと)。この時、天地(あめつち)が開け始めて空中に物質が誕生した。その様態は葦芽(あしかび)のごとくであったという。
その後、男神の泥土瓊尊(ういぢえのみこと)、大戸之道尊(おおとのちのみこと)、面足尊(おもたるのみこと)が、女神の沙土瓊尊(すいぢえのみこと)、大戸間邊之尊(おおとまべのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)が誕生。この時代にはじめて、男女の違いが現われたが、婚姻の儀はまだ無かった。
その後、イザナキとイザナミの男神女神の二柱、天の浮橋(あめのうきはし)の上において、「この下界に国土あれかし!」と、アマノヌボコを差し下ろし、大海をかきまわしたもう。その鉾の先の滴(したたり)が凝固して一つの島が形成された。これを「オノコロ島」と言う。
次に、二神は1つの洲(くに)を産出された。その面積があまりにも少なかったので、「淡路洲(あわじのくに)」と命名された。これは、「わ(吾)がはじ(恥)の国」という意味であろう。(注7)
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(訳者注7)淡路島にお住いの方々には申し訳ないのだが、太平記原文に、「吾恥の國と云心なるべし」とあるので、いたしかたなく、このように訳している。
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二神はこの嶋(しま)に天降(あめくだ)りたもうて、宮殿を造ろうとされた。しかし、どこもかも葦に覆われており、空地が全く無い。そこで両神は、葦を引き抜いて捨てられた。その葦を置いた場所は山となり、葦を引いた後は河となった。
二神は夫婦となり、建てた宮殿に住まわれた。未だに夫婦和合の道をご存知なかったのだが、「ニハクナブリ」という鳥が尾を土にたたきつける様を見て、その道を知られた。その時、イザナギノミコトが詠まれた詩、
「喜哉遇(あなにえやあいぬ) 可美少女(うましおとめに)」(原文のまま)
これが、日本で最初の和歌である。
かくして、二神は四神を産みたもうた。日神(ひのかみ)、月神(つきのかみ)、蛭子(ひるこ)、スサノオノミコトを。
「日神」と申すは、アマテラスオオミカミ。この方は、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の変化身(へんげしん)である日天子(にってんし)が、さらに変化したもうた神である。
「月神」と申すは、月読明神(つきよみのみょうじん)である。この神は、あまりにも美しくおわしたので、「これは人間の類にはあらず」ということで、二親のおはからいにより、天に登らせたてまつった。
「蛭子」と申すは、今の西宮大明神(にしのみやだいみょうじん:注8)にておわす。生まれたもうた後3年経過しても御足が立たず、骨が堅固に形成されないので、固い樟で作った船に乗せて海に流したてまつった。
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(注8)兵庫県・西宮市にある西宮夷神社に、祭られている。
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かぞいろは 何(いか)に哀(あわれ)と 思ふらん 三年(みとせ)に成(なり)ぬ 足立(たた)ずして(原文のまま)(注9)
という和歌は、この事を詠ったのである。
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(訳者注9)朗詠集 雑 大江朝綱・作。「かぞ」は父、「いろは」は母。
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スサノオノミコトは、出雲大社(いずもたいしゃ:島根県・出雲市)の神である。この神は、草木を枯らし、動物の命を奪い、様々の荒々しい事をされたので、出雲国(島根県東部)へ流したてまつったのである。
3神がこのように、あるいは天に上り、あるいは海に放たれ、あるいは流されたりした末に、アマテラスオオミカミが、我が国の主となられたのである。
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スサノオノミコトは、アマテラスオオミカミから日本の主の座を奪おうとして、戦を起こした。一千柱の荒ぶる神々を率いて、大和国(やまとこく:奈良県)の宇陀野(うだの)の地に行き、そこに1千本の剣を掘り立てて城郭を構え、その中にたてこもった。
それを見たアマテラスは、
アマテラス スサノオの所業、わらわは極めて不愉快じゃ!
アマテラスは、八百万神(やおよろずのかみ)を引き具して、葛城山(かつらぎさん:大阪・奈良境)にある天の岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまった。故に、世界は全て、常闇(とこやみ)の状態となり、太陽や月の光も見えなくなってしまった。
シマネノミコトは、この事態を大いに嘆いた。
シマネ やれやれ、これは困ったものよのぉ。これでは文字どおりの、「一寸先は闇」状態じゃわい。なんとか対策を講じねばのぉ。
シマネは、天香久山(あめのかぐやま:奈良県)に生息する鹿を捕えてその肩の骨を抜き、朱桜(かにわざくら)の皮でもってそれを焼き、今後の対策について占ってみた。すると、次のような卦(け)が出た。
「鏡を鋳(い)て岩戸の前にかけ、歌を歌わば、アマテラスオオミカミは、外に出てこられるであろうぞ」
香久山(かぐやま)の 葉若(はわか)の下(もと)に 占(うら)とけて 肩抜(ぬく)鹿は 妻恋(つまごい)なせそ(原文のまま)
と詠んだ歌は、この時の事を歌っているのである。
シマネ よしよし・・・。
シマネは、一千の神々をかたらって、大和国の天香久山で火を焚き、一面の鏡を鋳させたもうた。しかし、
シマネ うーん、この鏡、イマイチの出来じゃのぉ。
ということで、これを捨てた。現在の紀伊国(きいこく:和歌山県)・日前宮(ひのくまぐう:和歌山市)のご神体こそが、この捨てられた鏡なのである。
再び、鏡を鋳た。
シマネ ウン! 今度のは良いぞ!
その鏡を持って、一千の神々は天の岩戸の前に行った。鏡を榊(さかき)の枝に付けて岩戸の前に置き、神々は、声を長く伸ばしながら調子をそろえて、神歌(かみうた)を歌った。
アマテラス (耳をそばだてながら)おや? 外ではなにやら、みなで楽しそうにやっておるようじゃな・・・。おもしろそうじゃ、ちょっとだけ見てみよう。
神々の歌声に魅せられたアマテラスは、岩根手力雄尊(いわねたぢからおのみこと)に岩戸を少し開かせ、洞窟の外に顔を差し出した。
たちまち、世界は光明を取り戻し、鏡に映ったアマテラスの顔は、そのまま永久に消えることなく、鏡面に焼き付いた。この鏡を名付けて、「ヤタの鏡」、あるいは、「内司所(ないしどころ)」(注10)と呼ぶ。
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(訳者注10)これが三種の神器中の一、「内司所」である。
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アマテラスは、岩戸から出た後、八百万の神々を宇陀野に遣わした。神々は、城に掘り立てた千の剣を全て蹴破って捨てた。「千剣破る(ちはやぶる)」という「神」の枕言葉の語源は、ここにある。
そこにたてこもっていた一千の悪い神々は、小蝿となって消え失せた。
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たった独りになってしまったスサノオは、こなたかなたとさまよううちに、出雲国に到達。
海上に、あちらこちらと流れて動いている浮島があった。
スサノオ あの島は、アマテラスでさえも、その存在を知らぬであろう。わしの隠れ家に好都合じゃわい。
スサノオは、手で島を撫でて島を定着せしめ、そこに住みついた。ゆえにこの島を、「手摩島(てましま)」と呼ぶ。
島の上からはるか彼方を眺めていると、清地(すが)の郷(さと)の奥、斐伊川(ひいがわ:島根県)の川上に、八色の雲が漂っているのが見えた。
スサノオ ムム・・・あの雲はいったいなんじゃ?
スサノオがその場に行ってみると、3人の人間がそこにいた。翁(おきな)と媼(おうな)が、美しい娘を中において、切に嘆き悲しんでいる。
スサノオ これこれ、なんじら何ゆえに、さように嘆きおるか?
翁(おきな) はいぃ。私めの名はアシナヅチ、そしてこれなる媼(おうな)はテナヅチと申しまするぅ。この少女は、我らがもうけたる一人娘にござりまして、その名を「イナダヒメ」と申しまするぅ。(涙)
スサノオ フン・・・。
翁 近頃、このあたりに、「ヤマタノオロチ」と申す大蛇が棲息し始めおりましてなぁ・・・そのオロチは、八つの頭(かしら)を持ち、その身体は七つの尾根と七つの谷にまたがりおりまして、夜な夜な人間を食しまするぅ。(涙)
スサノオ なに、オロチが?
翁 はいぃ・・・。村人も長老もみな食べられてしまい、ついに今宵、この娘がオロチの餌食となる番となりましてござりまするわぁ。今日を限りの親子の別離(わかれ)、やる方もなき悲しさに、ただただ泣き伏すばかりでぇ・・・ウウウ・・・。(涙)
哀れに思ったスサノオは、
スサノオ どうじゃ、その娘をわしにくれんか? さすれば、そのヤマタノオロチとやらを退治して、娘の命を助けてやろうぞ。
翁は喜んで、
翁 まことにありがたきお言葉! みこころのままにぃ!
スサノオノミコトは、湯津爪櫛(ゆづつまぐし:注11)を8個作ってイナダヒメの髪にさした。絞りを8回繰り返して濃度を上げた酒を酒船(さかぶね)に満たし、その上に棚をしつらえてイナダヒメをそこに座らせ、彼女の像を酒の面に反映させながら、オロチの襲来を待ちかまえた。
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(訳者注11)歯の多い爪形の櫛。
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夜半過ぎ頃、荒々しい雨が降り始め、風が激しく吹きすさびだした。そして、大山の動くがごとく、巨大な物体が接近してきた。
ヤマタノオロチ ドドドドド・・・・ダダダダダ・・・・ドヨドヨドヨドヨドヨ・・・ドドドドド・・・・ダダダダダ・・・・ドヨドヨドヨドヨドヨ・・・ビカビカビカビカビカ!
電光の中に8個の頭が見えた。それぞれの上には2本の角が生えており、角と角の間には松栢が生い茂っている。16個の目からは日月のような光が発せられ、のどの下の鱗は、まるで夕日を浸す大洋の波のようである。
スサノオノミコト (内心)来たな!
ヤマタノオロチ ドドドドド・・・・ダダダダダ・・・・ドヨドヨドヨドヨドヨ・・・ドドドドド・・・・ダダダダダ・・・・ドヨドヨドヨドヨドヨ・・・キュオーンキュオーンキュオーン・・・。
酒船に映るイナダヒメの姿を見たオロチは、
ヤマタノオロチ キュオーンキュオーンキュオーン・・・ヴィエーンヴィエーンヴィエーン!
今夜の生け贄が酒船の底にいると思ったのであろうか、オロチは酒を飲み始めた。
ヤマタノオロチ キュオーンキュオーンキュオーン・・・ウグッウグッウグッウグッ・・・ピチャピチャ・・・ヴィエーンヴィエーンヴィエーン!
8,000石もたたえた酒が、あっという間に無くなってしまった。スサノオは、カケイを酒船に渡し、さらに数万石の酒を送り込んだ。
ヤマタノオロチ ウグッウグッウグッウグッ・・・ピチャピチャ・・・ヴィエーンヴィエーンヴィエーン・・・ウーイ! ウーーィ! ヒイック! ウーーィ・・・ムニャムニャ・・・ZZZZZZ・・・。
オロチはたちまち酒に酔いつぶれ、その場に眠り伏してしまった。
スサノオ よし、今じゃ!
スサノオは剣を抜き、オロチをずたずたに切り割き始めた。
剣 ズバッ! ズブッ! シャァッ! ズビーッ! バサッ!
8個の頭を次々と切り落し、胴体を切り刻み、いよいよ尾の部分に至った。
剣 シャバッ! ズバッ! シャァシャァシャァシャァッ! ガキッ!
スサノオ うう?
いったいどうしたわけであろうか、剣の刃が少し折れてしまい、尾が切り落とせない。怪しんで剣を取り直し、今度は尾を縦方向に割いてみた。
剣 スススーーーー。
オロチの尾の中には一本の剣があった。これがいわゆる「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」である。
スサノオはこの剣を取り、アマテラスに奉った。
アマテラス なんと! この剣は、そのかみ、わらわが高天原(たかまがはら)より落したしり剣なるぞ!
アマテラスは大いに喜んだ。
その後、スサノオは出雲に宮殿を造営し、イナダヒメを后とした。
八重(はちじゅう)に 雲わき出ずる 出雲の地 我ら夫婦を 守る八十垣(やえがき)
(原文)八雲(やくも)立(たつ) 出雲(いずも)八重垣(やえがき) 妻籠(つまこめ)に やへ垣造る 其(その)やへ垣を
これが、三十一文字に定まりたる和歌の始めである。
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それ以降、この剣は、代々の天皇の所有する宝となって10代を経過。
第10代の天皇・崇神天皇(すじんてんのう)の御代に、これを伊勢大神宮に奉納した。
第12代天皇・景行天皇(けいこうてんのう)の治世40年目の6月、東方において反乱が起こり、天下静かならず。そこで、第2皇子・日本武尊(ヤマトタケル)が、辺境征伐の為に東方に遠征することになった。
ヤマトタケルはまず、伊勢大神宮に参拝し、事の由を奏された。
ヤマトタケル 私、「東方の乱を鎮めよ」との命を陛下より頂き、これよりかの地に赴きまする。つきましては、御神託を頂きたく。
すると即座に「慎んで懈(おこた)ることなかれ」との神勅が下り、例の剣を与えられた。
与えられた剣を手に、ヤマトタケルが武蔵野(むさしの)を通過しようとした時、
ミコトの部下A 殿下、火が!
ヤマトタケル ムムム! きゃつらめ、謀りおったな!
ヤマトタケルに敵対する勢力が互いに謀り、広野(ひろの)に火を放ってミコトを焼き殺そうとしたのである。
ヤマトタケル みんな焼け死んでしまうぞ! 走れ、走れい!
しかし、燎原の炎の勢いは極めて強く、ミコトらはもはや遁れる方もないという所まで追いつめられてしまった。
ミコトの部下A 殿下、もうだめです!
ミコトの部下B 殿下、殿下!
ヤマトタケル ウーン・・・いや、待てよ、こういう時にこそ、この剣・・・。
ミコトは伊勢神宮から授かった例の剣を抜いてうち払ってみた。すると、刃の向かう方向2、3里の間の草木が自動的に薙ぎ伏せられ、炎はたちまち敵対勢力の方に靡いた。
このようにしてヤマトタケルは九死一生を得た。やがて大和朝廷に敵対する勢力の多くが滅びていった。
この逸話により、この剣を「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」とも呼ぶのである。
この剣が未だにヤマタノオロチの尾の中にあった時、悲斐川の上流の方に常に雲が垂れ込め、一向に空が晴れないという現象が見られたので、「天の群雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」とも名付けられた。
また、長さがわずか10束しかないので、「十束の剣(とつかのつるぎ)」とも名付けられた。
天武天皇(てんむてんのう)の御代・朱鳥(しゅちょう)1年に再び朝廷に召され、内裏に収められてからは、代々の天皇の宝となった。ゆえに「宝剣」(注12)とも呼ばれる。
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(訳者注12)これが三種の神器中の一、「宝剣」である。
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第3番目の神器は神璽(しいし)である。アマテラスオオミカミとスサノオノミコトが夫婦となり、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をなめられたので、陰と陽が生成し、正哉吾勝勝速日(マサヤアカツカツハヤヒ)天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を産まれた。
この曲玉を「神璽」と言う。
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占部兼員 と、いうような次第でしてな、いずれの神器についても異説が多くございまして、その詳細を残らず申し上げるのは到底不可能っちゅうもんですわ。私の家に伝わってる一説、だいたい、以上申し上げた通りです。
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占部兼員の講義を熱心に聞いていた日野資明(ひのすけあきら)は、
日野資明 いやいや、ごくろうはん。あんな、今日べつに何のついでということもなしにやな、あんたをわざわざ呼びつけて、三種神器について詳しい教えてもろたん・・・それはいったいなんでかというとやな・・・。
卜部兼員(うらべかねかず) ・・・。
日野資明 (ヒソヒソ声で)じつはな、昨日、伊勢国(いせこく)から、「失われた宝剣が見つかりました、これですわぁ」言うてやな、なにやらそれらしいモンを持ってきよったんやわ。それでな、それが本物かどうか、不審な点を見極めるためにな、あんたに色々とたん(尋)ねたと、まぁ、そういうわけやったんやがな。
卜部兼員 (ヒソヒソ声で)あぁ、なんや、そういう事でしたんかいなぁ。
日野資明 (ヒソヒソ声で)あんたがしてくれた講義の内容、大略は、誰もが世間一般常識としてわきまえてるような事ばっかしやったから、別段とりたてて、どうのこうの言う事はないわ。ただな、一点だけ、注目すべき事があったんや・・・(右手の人差し指で自らの額をトントンとつつきながら)・・・あんた、たしか、「宝剣を「十束の剣(とつかのつるぎ)」とも呼ぶのんは、長さが10束あるからや」と言うたわな?
卜部兼員 (ヒソヒソ声で)はい、たしかに、そないに申し上げました。
日野資明 (ヒソヒソ声で)宝剣について、そこまで細かい事を知ってるもん、世間にそうそうは、いいひんよってに・・・(右手の人差し指で自らの額をトントンとつつきながら)・・・かりにやで、例の物がニセの宝剣やったとしたらやで、長さが十束と違うてるやろ・・・(パチン!・・・右手の3本の指で音を立てる)うん、これは非常に有力な手がかりや。
卜部兼員 (ヒソヒソ声で)なぁるほど!
日野資明 誰か、例の剣、出してみ!
庭に祭った春日社の中から、錦の袋に入った例の剣を取り出し、その長さを計ってみた。
日野資明 ワァォ!
卜部兼員 ピッタシカンカン、十束にイコール・・・フーッ。
日野資明 よぉし!(バシッ・・・右手で自分の膝を叩く)これで、不審な点は無(の)うなった。間違いなく、これはホンモノの宝剣や!
卜部兼員 ですなぁ。
日野資明 ただなぁ・・・「これは失われた宝剣です」言うて奏聞(そうもん)する為には、まだ足りひんな。奇瑞(きずい)の一つくらい起こってくれへんとなぁ・・・。そやないと、とても陛下には信じていただけへんやろう・・・。よし、こないしょ、この剣、しばらく、あんたんとこに預けるよってにな、どないな事でもえぇから、不思議の一つでも、何とかして祈り出してくれ。
卜部兼員 えーっ・・・うーん・・・。(腕組みして考え込む)
日野資明 なんやねん?
卜部兼員 いやぁ・・・お言葉ではありますがなぁ・・・今の世はなんせ末世でっからなぁ・・・神や仏の威徳(いとく)かて、あっても無きが如くの状態でっしゃろ? わたいみたいなモンがいくら祈ってみたかて、まっこと天下の人々をアット言わすような瑞相なんか、とても現れてくれへんのんちゃいますやろかいなぁ。
日野資明 そうかぁ・・・。
卜部兼員 ただしですねぇ、仏神の威光を顕(あら)わして人々の信心を進める事にかけては、昔から今に至るまで、夢に勝るもんはおまへん。
卜部兼員 こないしたら、どうでっしゃろ? とりあえずはこの剣、わたいのとこで預からしてもらいましてですねぇ、これから21日間、幣帛(へいはく)捧げてお供えを調(ととの)えて、わたいが自ら祈誓(きせい)を致してみますわ。
卜部兼員 その間に、お偉い方々・・・そうですねぇ、両上皇陛下(注13)、関白殿下、院に仕える公卿方、もしくは、将軍殿(注14)、足利直義(あしかがただよし)殿なんぞの夢にですねぇ、「この剣は真実、宝剣やぞ」っちゅうような、不審をイッキに散じてしまうような夢見が現れるんを、待ちましょいな。ほいでもって、その夢見の内容をきっちり確認された上でですね、陛下に奏聞しはったらどないでっしゃろ?
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(訳者注13)花園法皇と光厳上皇。
(訳者注14)足利尊氏。
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日野資明 (バシッ・・・右手で自分の膝を叩く)なるほど、そらえぇなぁ!
卜部兼員 ほな、この剣、わたいの方で預らしてもらいまっせ、よろしょまっか?
日野資明 よろしゅう頼むで。
というわけで、卜部兼員はこの剣を持ち帰った。
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翌日より卜部兼員は、剣を平野神社(ひらのじんじゃ:北区)の社殿に安置し、12人の社僧(注15)に大般若経(だいはんにゃきょう)を真読(しんどく)させ、36人の神子(みこ)に長時(じょうじ)の御神楽(みかぐら)を奉納させた。
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(訳者注15)神社に勤務する僧侶。
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読経の音声は朗々として、三身(さんじん:注16)の仏のお耳にも達するかと思われる。玲々(れいれい)たる鈴の音は、神に変身してあらゆる衆生を救済せんとする仏のお働きを助けるかのように響きわたる。そして神前には金銀幣帛、浮き草、白蓬(しろよもぎ)、水草、藻(も)を供えて、手厚く礼拝。
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(訳者注16)法身、報身、応身。
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これほどまでのまことを込めて祈ったとなれば、神が神である限り、奇瑞の現れないはずがあろうか。21日目の祈願満願の夜、足利直義に、一つの不思議が示された。
足利直義 (内心)・・・私が今いる、ここはいったいどこだ? ・・・ふん、どうも御所の中のようだな・・・神社総庁の庭かな?
足利直義 (内心)あそこに、たくさんの人が座っている・・・大臣、公卿、百司、千官、それぞれの位の順に座ってる。大きな旗を立てて幔幕(まんまく)を引き、楽士は音楽を奏し、文人が詩を吟じている。これから何か、よっぽど重要な儀式が行われるようだ・・・。いったい、何が始まるんだろう?
大極殿(だいごくでん)前の庭の龍尾堂(りゅうびどう)の側を歩きまわっていると、権大納言(ごんだいなごん)・勧修寺経顕(かじゅうじつねあき)がやってきた。
足利直義 あれはいったい何ですか? 何の大礼が、これから執行されるんですか?
勧修寺経顕 伊勢大神宮から宝剣を献上してきたよってに、中儀の節会(ちゅうごのせちえ)が行われるんですわ。
足利直義 (内心)えぇっ、宝剣! そりゃぁすごいな、希代の大慶事だ。
しばらく見ていると、
足利直義 (内心)おぉ・・・南の方から五色の雲が一群(ひとむら)流れてきた・・・。雲の中に光明カクヤクたる太陽が輝いて・・・。
足利直義 (内心)あの光の上に、何か立ってる・・・あれは・・・あ、剣だ、一本の剣・・・きっとあれが宝剣なんだな。
足利直義 (内心)剣の前後左右には・・・梵天(ぼんてん)、四天王(してんのう)、龍神八部衆(りゅうじんはちぶしゅう)・・・天蓋(てんがい)をさし、列を引いて、剣の周囲を囲んでおられる。
足利直義 (ガバッ)・・・うん?・・・あぁ、夢だったのか・・・。
直義は翌朝さっそく、この夢見の事を周囲に語った。これを聞いた人はみな、「これはまことにめでたい夢、天下静謐(せいひつ)に向かう前兆に違いありません」と、慶びを表した。
直義の夢見のニュースは、次第に京都中に広まっていった。卜部兼員はさっそく、その夢の内容を記録して、日野資明に見せた。
日野資明 よしよし、これで、瑞夢という条件も満たされた。さっそく・・・。
資明は、この夢見の記録を添えて、光厳上皇に、「伊勢国より宝剣献上」と奏聞した。
「一連の経緯を見れば、これが宝剣であることに関して、不審な点は皆無である」ということになり、8月18日早朝、諸卿参列して、宝剣受け取りの儀を行った。
翌日、宝剣を発見した円成(えんじょう)を、破格の取りたてにて直任(じきにん)の僧都(そうず)に任命し、河内国(かわちこく:大阪府東部)葛葉(くずは:大阪府・枚方市)の関所を、恩賞として与えた。(注17)
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(訳者注17)当時、関所は、「富を産みだす一大不動産」であったようだ。その通行料を収入とすることができるから。
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まさにこの「宝剣発見」の一大奇跡、古代中国の周(しゅう)王朝時代に、宝鼎(ほうてい:注18)を掘り出し、夏(か)王朝時代に河図を得た瑞祥に比べてみても、決して勝るとも劣らないものである。
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(訳者注18)宝のかなえ(鼎)。
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当時、京都朝廷には賢才補佐の臣は多くいたが、君主の不義を諌(いさ)め、政治の不善を誡(いまし)めることができるのは、勧修寺経顕と日野資明の二人だけであった。
「両雄あい並び立たず」の習い、この二人もまた、互いに権勢を競いあっていた。光厳上皇に対して勧修寺経顕が提案した事を、日野資明はすべてぶちこわしにしてしまおうとし、日野資明が進言する事に対しては、勧修寺経顕はことごとく異を唱える。
勧修寺経顕 ふーん、そうやったんか! 今回の伊勢国からの宝剣進奏は、日野資明がやりよったんかい! よーし!
経顕は、院に参っていわく、
勧修寺経顕 陛下、今回の宝剣の件に関してですね、私、詳細に調べてみました。その結果、わかったことなんですけどな、今回のこの一件は完全に、日野資明一味のデッチアゲでっせ!
光厳上皇 ・・・。
勧修寺経顕 いやぁー、「佞臣(ねいしん)、朝に仕うれば、国に不義の政有り」とはまさに、彼の為にあるような言葉ですわなぁ。陛下、よぉよぉ考えてみたら、今回のこの件、なんや、おかしい事やと思われませんか?
光厳上皇 いったい、何がおかしいねん?
勧修寺経顕 古(いにしえ)、スサノオノミコトによって悲斐川(ひいがわ)上流で切られたヤマタノオロチはね、元暦年間(げんりゃくねんかん)に安徳天皇(あんとくてんのう:注19)に生まれ変り、この宝剣を取り返して龍宮城へ帰りたもうたんですよ。
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(訳者注19)高倉天皇と平徳子(平清盛の娘)との間に生まれ、壇浦で平家一門と運命を共にして入水。その時、宝剣も海底に沈んだ、と平家物語に記されている。
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勧修寺経顕 それより後、君王19代、春秋160余年、良き政治が行われ、徳が豊かやった時でさえも、ついに世には現れへんかった宝剣がですよ、いったいなんで、こないな乱世無道の時代に出現するんですかねぇ?
光厳上皇 ・・・。
勧修寺経顕 こないな事を言うたら、すかさず、「いや、それはな、我が君、上皇陛下の聖徳に感じて出現したんや」てなこと、言うもんもおりましょうなぁ。そやけど、その言い分も、理屈が通りまへん。もしそやったら、まずは天下の静謐が先に来て、それから宝剣出現、という順番になってんと、あかんはず。
光厳上皇 そやけどな、例の直義の夢の件があるやないか。
勧修寺経顕 夢ですか・・・陛下、人間の夢が、そないに信用できるもんでっしゃろか? 確かでない事柄を世間一般、「夢幻(ゆめうつつ)」と言うんと、ちゃいましたかいなぁ?
光厳上皇 ・・・。
勧修寺経顕 そやから、「聖人に夢無し」と言う言葉もあるんですよ。ほれ、昔の中国、漢王朝の時代に、有名な「夢」の話がありますやんか、陛下もよくご存じの・・・。
(以下、勧修寺経顕が語った故事逸話)
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富貴を求める一人の男がいた。楚(そ)の君主が賢才の臣を募集していると聞き、御爵(おんしゃく)を貪らんがため、男はただちに楚に赴いた。
道中、歩きくたびれ、邯鄲(かんたん:注20)の旅亭にしばしの休息を取った。
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(訳者注20)河北省・成安県。
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そこにいあわせた呂洞賓(りょとうびん)という仙術使いが、この男の心中の願いを暗に悟り、富貴の夢を見ることのできる枕を貸した。
男はさっそく、その枕を使って一睡してみた。その時見た夢はといえば・・・。
楚侯の使者がやってきて、男を宮中に招いた。その礼といい贈り物といい、大変なものである。
男は喜んで楚侯の宮廷に赴いた。楚侯は男に席を近づけ、政道や武略について様々に質問してくる。男がそれに答えるたびに、同席の諸卿らは深くうなずいて得心の意を表わす。楚侯は男の才能を高く評価し、彼を閣僚に抜擢した。
それから30年間、男は楚国において大活躍、楚侯はこの世を去るまぎわ、その長女を男の妻とした。
その後は、侍従や召し使いに囲まれ、好衣珍膳、心にかなわずという事は何も無く、目を悦ばさざるという事は一切無い。座上には客が常に満ち、樽中(そんちゅう)には酒空しからず。楽しみは身に余り、遊興に日を尽くして51年、夫人は一人の男子を産んだ。
楚侯には位を継ぐべき男子が無く、この孫が出生したので、公卿大臣みなあいはかり、男を楚の君主とした。
周辺の民族らもみな帰服し、諸侯らがこぞって男のもとに来朝してくる様は、まさに、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が戦国の六国を併合し、漢の文帝(ぶんてい)・景帝(けいてい)が九の民族を従えたと同様である。
やがて、太子の3歳の誕生日となり、洞庭湖(とうていこ)の波上に3,000余隻の舟を並べ、数百万人の良客を集めて、3年3月にわたっての遊楽を行った。
赤褐色の髭の老将は錦の艫綱(ともづな)を解き、青い眉の美女らは舟漕ぎ歌を歌う。
大梵天王(だいぼんてんのう)の宮殿の花も、帝釈天(たいしゃくてん)の宮殿の月も、見るに足らず、もてあそぶに足らず、遊び戯れ舞い歌いて、3年3月の歓楽がついに終わりを告げたその時、かの3歳の太子を抱いて(注21)船端に立っていた夫人は、足を踏み外し、太子もろとも海底に落ちてしまった。
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(訳者注21)子供の年齢の設定が変だ。3歳の誕生日の後3年3月経過しているから、「6歳になった太子を抱いて」とあるべき。(6歳の男の子が母親に抱かれるか?) でもまぁ、あまり気にしないでおこう。
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数万の侍臣があわてふためき、一同に「あれよあれよ」と叫ぶ声に、男の夢はたちまち醒めてしまった。
つらつら夢中の楽しみの継続した時間を計ってみるに、君主の位にあった期間は50年、しかし、枕の上で眠っていた時間は、あまりにも短い。昼の眠りにつく前に、宿の主が蒸し始めた黄梁(こうりょう)は、男が夢から醒めた時、まだ蒸し終わってはいなかった。
男は悟った、人間百年の楽しみも、みな枕頭片時の夢に過ぎない、という事を。
彼は楚へ行くことを止め、たちまち身を捨てて世を避ける人となり、ついに名利に繋縛される心が無くなった。
これを、揚亀山(ようきさん)が「日月(にちげつ)に謝する詩」に詠んでいわく、
少年よ 大志を抱け
怠らず 学び励めよ
人生の得失 それは一片の夢中のもの
そのようなものに 心動かされるなよ
うそだと思ったら きいてみるがいい
邯鄲の旅亭において
枕を欹(そばだ)てて 一睡した旅人に
その歓楽の生の間
黄梁は幾たび、蒸し終えられたか と(注22)
(原文)
少年力学志須張
得失由来一夢長
試問邯鄲欹枕客
人間幾度熟黄梁
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勧修寺経顕 これを、「邯鄲午睡の夢」と言うのですよ・・・。人間の見る夢とはしょせん、このような、実にはかないもんにすぎませんわ。
光厳上皇 ・・・。
勧修寺経顕 それにですね、葛葉の関を、恩賞に与えはったと聞きましたが・・・これもまた問題でっせぇ。あこは長年、興福寺(こうふくじ:奈良市)が管領(かんしょう)してきた関ですからな、わけもなく取り上げてしもたら、あこの寺の衆徒、怒ってしもて、強訴してくるかもしれませんでぇ。
光厳上皇 うーん・・・。
勧修寺経顕 「綸言(りんげん)再びし難(がた)し」(注23)とはいうもののですな、「過(あやま)っては則(すなわち)改(あらたむ)るを憚ること勿(なか)れ」(注24)という言葉もあります。速やかに、こないだの勅裁を無効にされてですね、興福寺が強訴してくる兆候が未だに無い今のうちに、葛葉の関の恩賞を、取り消しにしはった方がえぇと思いますよ。
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(訳者注22)綸言(天子の言葉)は変更しがたい、の意。
(訳者注23)過ちに気付いたら、ただちに改めよ、の意。論語にある言葉。
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このように、委細に奏したので、上皇もなるほどと思われたのであろう、すぐに院宣を取り消され、宝剣を平野神社の神主・卜部兼員に預けられ、葛葉の関所を、再び興福寺の所領とした。
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