太平記 現代語訳 17-15 足利軍、再び金崎城を攻める
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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敦賀方面よりの足利サイド使者 ・・・と、いうわけで、杣山城(そまやまじょう)から引き返してきた脇屋義助(わきやよしすけ)ら16騎にだまされ、金崎城(かねがさきじょう)を包囲していた軍勢は、四方に退散してしまいましてぇ・・・。
足利尊氏 ・・・まったく・・・ナニやってんだ・・・(右手を握りしめ、イライライラ)。
足利サイド使者 ・・・。(平伏)
足利サイド・リーダー一同 ・・・。
足利尊氏 ・・・もっと大量の兵を、金崎城に差し向けよ!
足利サイド・リーダー一同 ハハッ!
さっそく、大軍が動員された。
越前国守護・斯波高経(しばたかつね)は、北陸地方の軍勢5,000余騎を率いて、甲楽(かぶらき:福井県・南条郡・南越前町)より金崎城へ向かう。
仁木頼章(にっきよりあきら)は、丹波(たんば)、美作(みまさか)の軍勢1,000余騎を率いて、塩津(しおづ:滋賀県・長浜市)から。
今川頼貞(いまがわよりさだ)は、但馬(たじま)、若狭(わかさ)の軍勢700余騎を率いて、小浜(おばま:福井県・小浜市)から。
荒川詮頼(あらかわあきより)は、丹後(たんご)の軍勢800余騎を率いて、疋壇(ひきた:敦賀市)から。
細川頼春(ほそかわよりはる)は、四国の軍勢2万余騎を率いて、東近江(ひがしおうみ)方面から。
高師泰(こうのもろやす)は、美濃(みの)、尾張(おわり)、遠江(とおとおみ)の軍勢6000余騎を率いて、愛発・中山(あらちなかやま:敦賀市)から。
小笠原貞宗(おがさわらさだむね)は、信濃(しなの)の軍勢5000余騎を率いて、新道(しんどう:福井県・南条郡・南越前町)より。
塩冶高貞(えんやたかさだ)は、出雲(いずも)、伯耆(ほうき)の軍勢3000余騎を率い、軍船500余隻にて、海上を金崎へ向かう。
これら足利軍合計6万余騎、山には陣地を構築し、海には船筏(ふないかだ)を組み、金崎城の四方をビッシリと包囲した。
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金崎城は、三方が海に面している(注1)。崖は高く、岩は滑らかで、登っていく足がかりもない。南東の方に、城と陸続きになった山が一つある。山頂の高度は城よりも少し高いから、そこに登れば、攻城側は城を見下ろせる態勢にはなる。しかし、そこと城との間は絶壁によって隔てられているから、そちらの方向から城に接近するのも非常に困難である。山から見わたせば、城は一片の雲の上に屹立(きつりつ)、遠距離射撃を試みても、放つ矢はことごとく、深い谷底へ落ちていく。
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(訳者注1)[地理院地図]にアクセスして、[敦賀市 金ヶ崎城跡]等のキーワードで検索すると、この地域の現在の地形を知ることができるかもしれない。地図上で右クリックしたら、クリックした地点の標高が表示された。
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足利軍リーダーA この地形ではなぁ・・・どんな作戦たててみたって、城の下へつめ寄れそうもねぇなぁ。
足利軍リーダーB でもさぁ、あそこの城にこもってる人数、多かねぇぜぇ。
足利軍リーダーC こっちサイドは、あっちの何10倍もの大軍じゃぁねぇの!
足利軍リーダーD あそこにこもるは、名将・新田義貞(にったよしさだ)とその一族全員。
足利軍リーダーE こっちは、将軍様の家来衆なんだぜ。威力をふるって、向かっていくだけのことよ!
足利軍リーダーF そうだよぉ。足利と新田の両家の争い、あの城を落とせるかどうかで、決まるんだ。
足利軍リーダー一同 よぉし、やるぜぃ!
足利サイドは一心に、一時もたゆむことなく、城を攻め続けた。
矢に当たって傷を負い、石に打たれて骨を砕かれる者は、毎日千人、二千人。しかし、金崎城の逆茂木(さかもぎ)の1本さえをも、破ることができない。
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小笠原貞宗 このままじゃ、いつまでたってもラチあかねぇずら。攻め方を変えてみるか。
貞宗は、自軍の中から屈強の兵800人を選りすぐって、コマンド部隊を編成。
部隊は、城の東山麓から進み、南東角の尾根を斜めに横切り、楯を頭上にかざして登っていった。
まさにこの方面こそが、金崎城の急所であったのであろう、二の木戸がサァッと開かれたと見るや、城中から300余人が、一斉にうって出てきた。
双方接近の後、弓は使わず太刀を打ちあっての白兵戦となった。
新田軍メンバー一同 (内心)この一角を敵に渡してたまるか・・・渡してしまったら最後、ここからイッキに攻め込まれてしまう!
守る側は、危機感に燃え、一歩も退かない。
小笠原コマンド部隊メンバー一同 (内心)ここでフガイなく退いたんじゃ、敵にも味方にも笑われるじゃん!
攻める側も、命を捨てて戦う。
数において劣る新田軍サイドに、やがて疲れが見えてきた。
その時、栗生左衛門(くりふさえもん)が登場。
火威(ひおどし)の鎧に龍頭の兜を夕日に輝かし、5尺3寸の太刀と八角に削った長さ1丈2、3尺ほどの樫の棒をうち振るい、小笠原コマンド部隊の大軍中に突入。棒を片手で2、30回振り回し、連続打撃。
栗生左衛門の棒 ビュー、ドシャ! ビュー、ドゥ! ビュー、ヅゥーン!
たちどころに小笠原サイドの武士4、50人、上からドウと打ちすえられて尻餅をつき、下から中天にヅンと打ち上げられて、砂の上に倒れ伏す。
これを見て、後続の者たちはしどろもどろになり、波打ち際に群がって立ち尽くす。そこへさらに、気比大宮司(けひのだいぐうじ)・太郎、大学助(だいがくのすけ)、矢嶋七郎(やじましちろう)、赤松大田帥法眼(あかまつおおたのそつのほうげん)ら4人が、ズンズンと切り込んでいく。
小笠原コマンド部隊メンバー一同 こりゃ、とてもかなわねぇ。
小笠原コマンド部隊800余人は、一斉にドッと退き、自陣に帰っていった。
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今川頼貞は、この日の戦いの経過を見て、作戦を練った。
今川頼貞 (内心)今日、小笠原軍団が攻略を試みた地点、どうやらあそこが、金崎城の急所ポイントのようだ。だからこそ、新田側も城の中からうって出てきて、必死に戦ったんだろうよ・・・そうだよ、城攻略の突破口は、ゼッタイにあそこなんだ・・・でもなぁ・・・陸路を経由して城に詰めよっていくんでは、どうしても地の利が悪いから、今日の小笠原軍みたいに、簡単にやられてしまう・・・船を使って、あの地点に兵を送り込んでみようかな。
翌日、今川軍メンバーらは、小舟100余隻に乗り、小笠原コマンド部隊が攻めよせた地点に向かって漕ぎ寄せた。
上陸するやいなや、彼らは、城の切岸の下の枝つき逆茂木を1ライン分取り除き、出塀(だしへい)の直下地点まで進んだ。
昨日と同様に、城内から200人ほどが、一斉にうって出てきた。今川軍500余人は、あっという間に追い落とされ、我先にと舟に乗り込んだ。
沖合いはるかまで舟を漕ぎ出してから、城を振り返ってみると、
今川軍メンバーG おい、あれ見ろ、誰か、あそこに取り残されちゃったようだ!
磯に生えた小松の陰に、負傷者が一人取り残されている。彼は、太刀を逆さまに突き、叫んでいる。
中村六郎 おぉーい、頼むぅー! 舟をここへー!
しかし、今川軍メンバーらは、みな口々にあれよあれよと言っているだけ、六郎を助けに行こうとする者は一人もいない。
播磨国(はりまこく)の住人・野中貞国(のなかさだくに)はこれを見て、
野中貞国 あいつがあこに取り残されとぉ事に、誰も気ぃつかんまんま、退却してしもた、いうんやったらな、そらぁもぉ仕方ない事やろけど。そやけどな、味方の舟に乗り遅れた人間が、必死に助け求めとぉんを見ながら、ムザムザ見殺しにするやなんてこと、できるはずないやろが! おい、この舟、あこまで漕ぎ戻せ! あいつ、助けたろやないか。
しかし、貞国の言葉を聞く者は誰もいない。
野中貞国 えぇいもぉ!(大怒)・・・こら、その櫓(ろ)、よこせ!
貞国は、漕ぎ手から櫓を奪い、それを舳(へさき)の所に艫(とも)に向けて、立てた(注2)。そして、自ら漕いで舟をバックさせ、遠浅になった所から海中に飛び降り、単身、六郎のもとへ歩み寄っていった。
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(訳者注2)原文では、「逆櫓(さかろ)に立」。当事の軍船は、このような操船を行うことによって逆進させることができたようだ。
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城内の武士たちはこれを見て、
新田軍メンバーH あの負傷して舟に乗り込めなかったヤツ、きっと敵の主要メンバーだよ。
新田軍メンバーI きっとそうだろう。だから、あいつを討たせないようにな、沖合いはるかまで一度は退いたのに、また引き返してきたんだな。
新田軍メンバーJ あそこまで下りてって、あいつの首、取っちまおうや。
新田軍メンバー十数人 よぉし!
12、3人ほどが城から出てきて、中村六郎の後方へ走り寄ってきた。
野中貞国は、それを見てもいささかも動ずることもなく、長刀(なぎなた)の柄の先端を伸ばして、
野中貞国 エーィ! ヤァー!
貞国は、向かってくる新田軍の武士の膝を払った後、彼を切りすえた。その首を取って長刀の切っ先に突きさしてから、六郎を肩にかついで、静かに舟に乗り込む。
新田サイドも足利サイドもこれを見て、全員、貞国を誉めそやす。
新田軍メンバー一同 イェーィ、敵ながら、立派なもんだなぁ。
足利軍メンバー一同 イヤァー、まさに野中貞国こそは、あっぱれ剛の者だぁ!(ピューピュー、パチパチパチ)
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これより後は、さしもの大軍を擁する足利サイドも、
足利軍リーダーA いやぁ、まいったねぇ。
足利軍リーダーB 新田側の防衛力、じつに頑強である。
足利軍リーダーC どうやってあの城、攻めたらいいんだか、もう分かんなくなってきちゃったぁ。
というわけで、足利サイドは、城を遠巻きに包囲して逆茂木を設置し、向櫓(むかいやぐら)を構築。ただただ、遠矢を射るだけの日々が過ぎて行く。
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