むかぁしむかし 京都は 海の底に あったんやそうな

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2024.7.25 presented in [note] ( //note.com/runningWater/]
2024.8.9 rewritten

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おとぎ話のように思えてくるタイトルではあるが、これは、事実であるようだ。

[地震本部]のサイト
中の
H14 京都市:京都盆地の地下構造

の中に、
  
[2 ボーリング調査]

という項がある。

それによれば、京都盆地を地中深く掘り進んでいくと、

[基盤岩]

という層に、到達するのだそうだ。これは、京都盆地を取り囲む山地に広く見られる[丹波層群]と呼ばれる中生代の堆積岩から、なっているのだそうだ。

その[基盤岩]の層の上に、[大阪層群]というのが、あるのだそうだ。

複数の層をまとめて、[大阪層群]と呼ばれているようなのだが、注目すべきは、それらの中に、

[海成粘土層]

[火山灰層]
が、
存在する

という事だ。

[海成粘土層]がある、ということは、京都盆地が海の底にあった時代があった、ということを、示しているのだろう。

[火山灰層]がある、ということは、かつて、京都盆地の近くで、火山の噴火があったことを、示しているのだろう。

上記の
[H14 京都市:京都盆地の地下構造]
の中には、
  
5-3-3 3次元地質構造モデル

という項もあり、その中に、京都盆地の地下の様子を示す、

3次元地質モデル鳥瞰図

というものも、ある。

これらの記述にあるように、

京都盆地を取り囲む山地に広く見られる丹波層群と同じような地質の層が、京都盆地の地底深くにあり([基盤岩])、その上に、水の底に形成されるような地層([大阪層群])が存在する、

という事から、以下のような事を、推論できるだろう。

 京都盆地は、陸地が沈みこんだ結果、できた。
 東山(京都盆地の東側にある山地)は、隆起してできたのではない、京都盆地が沈んでいった結果、残った高地が東山になったのである。
 
この事に関しては、下記の論文(ネット上に公開されているようだ)の中の、
[図7 京都盆地形成機構のモデル]
を見て、さらに、理解が深まったように、感じる。

論文:
[京都盆地周縁部における第四紀の断層活動および盆地形成過程]
[吉岡 敏和] 氏 著

しかし、上記のモデルに対しては、以下のような疑問が残る。

(1)山科盆地の形成を、説明できるかなぁ?

地理院地図のサイト(注1)

を見ると分かるように、京都市の東山区と山科区は、東山山地の西と東に位置している。これらの地理的な関係は、広い部屋を屏風でしきって、東の間と西の間に分けたような感じになる。(屏風が、東山山地)。

上記のモデルだけでは、山科区エリアは、現在のような盆地ではなく、[山科高地]になっていってしまうのではないだろうか?

山科盆地形成を説明しうるような、何か他の説明を追加する事が必要ではないかと思われるのだが・・・。

(注1) [地理院地図]で、ネット検索すれば、おそらく、そのサイトに到達できるのでは、と、思われる。

(2)東と西からの力 の 源 は?

京都盆地を沈みこませた、東と西からの圧力は、どこからどのようにして生じたのだろうか? プレートの運動と、何か関係があったのだろうか?

(3)京都は、いかにして、這い上がってこれたのか?

いったん海の底に沈んだ京都が、現在のように、陸上の地になるまでには、どのような地形の変遷があったのだろうか?

地理院地図を使って、[京都市役所]がある場所の標高を調べてみたら、

 標高 約42m

と表示された。

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