太平記 現代語訳 26-4 高師直、吉野を急襲
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高師直(こうのもろなお) デデンノデン、楠(くすのき)軍は全滅でごぜぇます。デデンノデン、もうおれたちのジャマするやつは、どこにもいはらしまへんのんで、ありますんどす、デデンノデンデン!
高師泰(こうのもろやす) このさいだなぁ、やつらの根拠地を徹底的に潰してしまおうよ。楠館(くすのきやかた)、焼き払っちまおうぜ。
高師直 楠の木を根こそぎにするお仕事、そちらにおまかせしまっさ。アチキは、吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)へ向かうんでありんすえぇ。
高師泰 吉野ぉ?
高師直 そうざますであぁります。吉野の天皇、ひっ捕まえてしまうんどす。
1月8日、高師泰は、6,000余騎を率いて和泉国(いずみこく:大阪府南西部)・堺の浦(さかいのうら:大阪府・堺市)を発ち、石川河原(いしかわがわら)に到着。ただちにそこに向かい城を築き、楠家の根拠地に対する攻撃態勢を整えた。
一方、高師直は3万余騎を率いて1月14日、大和の平田荘(ひらたしょう)を発ち、吉野山麓へ押し寄せていった。
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「高師直軍、吉野へ迫る」との報に、吉野朝の臣・四条隆資(しじょうたかすけ)は急ぎ、黒木(くろき)の御所(注1)に参内していわく、
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(訳者注1)丸太を削らずに、そのまま使って造営した御所。
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四条隆資 陛下! 大変な事になりましたわ! 数日前に、楠正行(くすのきまさつら)は戦死。明日にも、高師直が、ここへ襲来してくるとの情報が!
後村上天皇(ごむらかみてんのう) なんやて!
四条隆資 このままここにおられたんでは、危のぉす! 防衛拠点も少ないです、兵も足りません。今夜のうちに急ぎ、天川(てんかわ)の上流の方、賀名生(あのお:奈良県・五條市)へ、お逃げ下さいませ!
後村上天皇 ・・・正行・・・死んでしもぉたんか・・・。
四条隆資の手配りは、俊敏であった。ただちに三種の神器を内侍(ないし)に取り出させ、皇室所有馬を庭に引いてこさせた。
後村上天皇 ・・・正行・・・高師直・・・天川・・・賀名生・・・ここの御所は・・・いったいどないなる・・・。
天皇は、呆然自失状態、頭の中を様々の想念がどうどう巡りをするのみ。夢路をたどるような心地のままに、黒木の御所を出た。
天皇の母・廉子(れんし)をはじめ、皇后、准后(じゅこう)、内親王(ないしんのう)等の皇族をはじめ、内侍(ないし)、童女(どうじょ)、関白夫人、公卿、国司、下級官僚、諸官庁の長官・次官、僧正(そうじょう)、僧都(そうず)、寺院所属の童子(どうじ)や役務担当者に至るまで全員、取るものも取りあえず、あわて騒ぎ倒れ迷い、慣れぬ岩だらけの道を歩き、重なる山の雲を分け、吉野を出て、さらに奥の方へと迷い入る。
吉野朝廷メンバーA (内心)あぁ・・・京都からここ、吉野の山中へ逃げてきてから、もう何年になるんやろうなぁ。
吉野朝廷メンバーB (内心)「ここは、仮の避難場所やねんぞ、自分の住処(すみか)はあくまでも、京都やねんぞ」とな、最初のうちは、自分に言い聞かしもって、ここでの生活を始めたんやった。
吉野朝廷メンバーC (内心)そやけどなぁ、「住めば都」とは、よぉいうたもんや。ここで何年かすごしてるうちに、吉野の地にも、すっかり住み慣れてしもぉたわいな。
吉野朝廷メンバーD (内心)ところがまたまた、こっから逃げ出さんならんようになってしもぉたわ。今度は、もっと山奥の方に行くんやて。(涙)
吉野朝廷メンバーE (内心)あぁ、ますます、暮らしにくぅ、なっていくやないかいな・・・。(涙)
全員、袖を涙に濡らすばかりである。
勝手明神(かってみょうじん)の前を通り過ぎる時、天皇は馬から降り、涙の中に一首詠んだ。
名前聞き 熱い期待を 寄せてたが こんな事では 「勝手」の名折れや
(原文)憑(たのむ)かひ 無(なき)に付(つけ)ても 誓ひてし 勝手の神の 名こそ惜(おし)けれ(注2)
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(訳者注2)「勝手明神」の名前を頼み、対足利幕府・権力闘争において、多大なる威神力を発揮していただき、我が方に最終的勝利がもたらされることを期待していたのに、こんな惨めな事になってしまって・・・の意。
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後村上天皇 (内心)逆臣が国を乱して、君主をないがしろにするような事があっても、やがては、君主が再び天下を平定する、それが歴史の鉄則や。それが証拠に、古代中国の唐王朝・玄宗皇帝(げんそうこうてい)を見よ。楊貴妃(ようきひ)を寵愛したが故に、安禄山(あんろくざん)に国を傾けられ、蜀(しょく:四川省)の剣閣(けんかく)に逃亡したが、やがて帝位に復帰した。
後村上天皇 (内心)わが国においても古(いにしえ)、大海皇子(おおあまのみこ)は大友皇子(おおとものみこ)に襲われ、この吉野山に避難しはったけど、やがて天下を平定され、天武天皇(てんむてんのう)として即位された。
後村上天皇 (内心)この私かて、このままここで朽ち果てへんぞ! そのうちいつか、きっと、きっとな!
しかし、周囲の男女は、上下を問わず周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し、嘆き悲しんでいる。
吉野朝廷メンバーF あぁ、安全な場所、どこぞに無いもんかいなぁ。(涙)
吉野朝廷メンバーG 少しの間でもえぇから、安心して住めるとこ、広い日本のどこにも無いんかいなぁ。(涙)
彼らの様を目にして、天皇の愁いは休まる時がない。
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ついに、高師直軍3万余騎が、吉野山に押し寄せてきた。
三度トキの声を上げたが、吉野朝側は全員退避してしまったがゆえに、ひっそりと静まり返っている。
高師直 そうですか、そうですかぁ、みなさん、どこかへお逃げあそばしんたんざぁますね。じゃぁ、焼き払わしてもらいましょいな。
彼らは、皇居や公卿たちの宿所に、一斉に火を放った。
魔風が盛んに吹き寄せ、他の建物にも、どんどん延焼していく。2丈1基の笠鳥居、2丈5尺の金の鳥居、2階建の仁王門、北野天神の分社、72間の回廊、38か所の神楽屋(かぐらや)、宝蔵(ほうぞう)、竈(かまど)神社、三尊(さんぞん)の化身にして万人の礼拝するところとなっている金剛蔵王(こんごうざおう)の社壇に至るまで、すべて一斉に灰燼(かいじん)となりはて、煙は蒼天(そうてん)に立ち登る。まことにもって、浅ましい限りの所業(しょぎょう)である。
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そもそも、吉野の地に、この北野天神の分社が建立されたのは、以下のようないわれがあっての事であった。
承平(しょうへい)4年8月1日、笙ノ窟(しょうのいわや:奈良県の大峰山系)にこもって修行していた日蔵上人(にちぞうしょうにん)が、修行中に急死してしまった。
蔵王権現(ざおうごんげん)は、ただちに日蔵の霊魂を左の手の上に乗せ、閻魔大王(えんまだいおう)の宮殿に送り届けた。
日蔵 ハッ・・・ここはいったい、どこなんやろう?
閻魔宮・第一冥官(みょうかん) 閻魔宮へようこそ!
日蔵 はぁ・・・閻魔宮ですかぁ。
閻魔宮・第一冥官 さよう。ではさっそく、これからあなたに、六道世界(ろくどうせかい)をお見せしましょう。案内は、これなる倶生神(くしょうじん)がいたしまする。
倶生神 (突然、姿を現し)よろしく、お願いいたします。
日蔵 は、はい。
倶生神 まずは、鉄窟苦所(てっくつくしょ)へごあんなぁい!
日蔵 はぁ。
案内されていった所には、鉄の風呂があった(注3)。
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(訳者注3)湯船が鉄できた風呂ではない、湯船の中に液体状の鉄が満たされているのである。高炉から出てくる液状の「熱鉄」を想像していただきたい。
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鉄の湯の中に、王冠をかぶった天皇のような身なりをした罪人が入っている。その人は、手を上げて日蔵を招いた。
日蔵 いったいあれは誰?・・・あっ、陛下やないか!
日蔵は、天皇の前にひざまづいていわく、
日蔵 陛下、なんという、おいたわしい事!
醍醐天皇(だいごてんのう) 日蔵・・・。
日蔵 いったいなんで、こないな事に・・・。陛下は御在位の間、常に五常(ごじょう:注4)を正して仁義を専らにされ、内には五戒(ごかい:注5)を守って慈悲を先にされました。そやから、ご崩御(ほうぎょ)あそばされた後は、菩薩(ぼさつ)界の最高位にも列せられるやろうと、思ぉておりました。そやのに、いったいなんでまた、こないな地獄に!
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(訳者注4)儒教で説く仁義礼智信の五道徳。
(訳者注5)仏教で説く五つの戒。「殺さない、盗まない、邪淫しない、妄語しない、飲酒しない」。
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醍醐天皇 (涙をぬぐいながら)わたしが天皇位におった間はな、万事怠りなく、撫民治世(ぶみんちせい)の政治に努めたわ。ほんま、わたしの政治は完璧やった・・・たった一件のミスを除いてな・・・。
日蔵 たった一件のミス? いったい何の事ですか?
醍醐天皇 藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん)を信じてもてなぁ、なんの罪も無い菅原道真(すがわらのみちざね)を、太宰府(だざいふ)流刑に処してしもうた。そのカドで、わたしは、ここへ落ちてしもぉたんや。
日蔵 ・・・(涙)。
醍醐天皇 なぁ、日蔵、おまえに、たっての願い事があるんやが。
日蔵 おそれおおくも、陛下、私にできますことやったら、なんなりと。
醍醐天皇 おまえは今、ここに来てしもぉてるけどな、これは一時的現象なんや。おまえの急死、あれは、おまえが持ってる因縁(いんねん)からの帰結(きけつ)ではない・・・言うてみれば、これは一種のアクシデントやったんや。
日蔵 アクシデント?
醍醐天皇 そうや。因果律(いんがりつ)の法則の埒外(らちがい)、決定律(けっていりつ)を超えた不確定性的現象(ふかくせいてきげんしょう)や。そやからな、おまえは間もなく蘇生(そせい)して、この霊界からあちらの現生界(げんせいかい)に、戻される事になっとる。
日蔵 ・・・。
醍醐天皇 日蔵、かつて、おまえと私とは、仏教においての師と弟子の関係やった、そうやわなぁ?
日蔵 はい。
醍醐天皇 ならばな、娑婆世界(しゃばせかい)に戻った後に、私を助けてくれへんか。この地獄から私を救いだしてくれ、頼む・・・。
日蔵 はい、陛下の為やったら、何でもいたします! で、私は、いったい何をしたら?
醍醐天皇 菅原道真の廟(びょう)を建立してな、そこを衆生利益(しゅじょうりやく)の一大依所(いちだいえしょ)に、したってくれ。そないしてくれたら、私はこの苦しみから救われるんや。頼む、頼む(涙)。
涙ながらの勅命を受けて、日蔵は、
日蔵 陛下、どうぞ、ご安堵くださいませ。陛下のおん願い、この日蔵、きっと、きっと!(涙)
醍醐天皇 頼む・・・頼んだぞぉ・・・。(涙)
それから12日後、日蔵は蘇生した。
日蔵 よし、霊界での陛下よりの勅命のごとく、社殿を建立や!
日蔵はただちに、吉野山に菅原道真の廟を立てた。醍醐天皇の言葉の通りに、その廟は、そこに参拝する人々に様々な利益を与えるようになった。これすなわち、利生方便(りしょうほうべん:注6)を施す天神の社壇である。
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(訳者注6)仏が衆生を仏道に導入するために現す方便(てだて、手段)。
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蔵王権現については、次のようないわれがある。
その昔、役行者(えんのぎょうじゃ)は、衆生済度(しゅじょうさいど)の為に金峯山(きんぷせん)に1,000日こもり、祈願を込め続けた。
役行者 乞い願わくば、諸々の菩薩、化身したもうて生身(しょうじん)の姿を顕現(けんげん)されたまわんことを・・・。
彼の祈りに応えて、この金剛蔵王は、「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の相」を顕わし、地蔵菩薩の姿を取って、大地から湧出されたもうた。これを見た役行者は、頭を横に振り、
役行者 未来悪世(みらいあくせい)の衆生(しゅじょう)を済度(さいど)するためには、そのような穏やかなお姿では・・・。
地蔵菩薩 なるほどな。では、次に来たる者に交代じゃ。
地蔵菩薩は、伯耆(ほうき:鳥取県西部)の大山(だいせん)へ飛び去っていかれた。
その後に、金剛蔵王が顕わした姿は、「憤怒(ふんど)の形」であった。右の手に三鈷(さんこ)を握って肱(ひじ)を張り、左の手は5本の指で腰を押さえている。眼を大いにいからせて魔性降伏(ましょうごうぶく)の相を示し、片足を高く上げ、もう片足で地を踏みしめ、天地を治め整える徳を現す。
その示現(じげん)された形は、尋常の神の姿とは大いに異なっていたので、役行者はその湧出(ゆうしゅつ)の姿を秘することにした。ゆえに、その尊像を錦帳(きんちょう)の中に閉ざし、役行者と村上天皇とがそれぞれ脇仏を刻み、三尊を安置することとした。(注7)
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(訳者注7)役行者は奈良時代の人なので、「村上天皇」(原文では「天暦の帝」)とあるのは、太平記作者の誤りである。
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以来、この尊像は、「憎と愛」の姿を広く世間に示し、「善と悪」、「賞と罰」を、広く世の衆生に知らしめ、悪人には苦悩をもたらし、善人には利益を与え続けてきたのである。
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世間の声H ・・・というわけでやねぇ、吉野っちゅうとこは、もぉそらぁ、すごいとこなんですわ。
世間の声I ほんにまぁ、吉野のお山のどこを見ても、衆生利益(しゅじょうりやく)の為に、仏様が神様に化身して、鎮座してはるとこばっかしどすわなぁ。
世間の声J 神々のおわします7,000余座、そこから日々、衆生を利益する、どえりゃぁエネルギーが、発せられとるんだがや。
世間の声K ほんーと、こんな霊験あらたかなとこ、日本中探してみても、他にどこにもないんだよねぇ。
世間の声L こげな奇特な社壇仏閣ばぁ、イッキに焼き払うてしまうやなんて・・・ほんと、高師直はん、ムチャなことしよりましたばい。
世間の声M 「吉野全山、灰燼に帰す」なんてニュース聞いたらさぁ、そりゃぁ誰だって悲しくなってくるじゃん?
世間の声N あぁ 悲しむべきかな
主無き宿の花は ただ露に泣ける粧(よそおい)を添え
荒れはてた庭の松までもが 風に吟ずる声を呑む
世間の声O こんなアクラツな所業、天はさぞかし、お怒りだでぇ!
世間の声P この悪業がそのまま身に留まってたとしたら、高師直さん、いったいこれから先、どないなっていくんじゃろのぉ?
世間の声Q 決まってんじゃん! まぁ見ててごらんよ、あの人もそのうち、アットいう間にアレよ。
世間の声I 「アレ」っていったい、なんどすかぁ?
世間の声Q しぃず(沈)んでくのよ!
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