太平記 現代語訳 1-7 打倒・鎌倉幕府・プロジェクト
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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ここに、美濃国(みのこく:岐阜県南部)の住人、土岐頼貞(ときよりさだ)と、多治見国長(たじみくになが)の両名がいた。
「二人ともに、清和源氏(せいわげんじ)の家系に所属、武勇に秀でている」との評判を聞き、日野資朝(ひのすけとも)は、様々の縁故をたどって彼らに接近し、朋友(ほうゆう)の交わりを結んでいた。
日野資朝 (内心)あの二人とは、もう相当深い仲になれたしな、ここらで何とかして、[打倒・鎌倉幕府・プロジェクト]のメンバーに引き入れたいんやが・・・。
日野資朝 (内心)そやけどなぁ、これほどスゴイ一大事(注1)、そうそう気軽に話すわけにもいかへんし・・・うーん、どないしたらえぇんやろ・・・。
日野資朝 (内心)そうやなぁ・・・ここはやっぱし、もうちょっとじっくり腰落ち着けて、彼らの本心、探ってみるしかないわなぁ。
そこで資朝は、「無礼講(ぶれいこう)」と称して、「身分や位の上下を忘れて互いに親しく接する」という趣旨のパーティーを開催し始めた。
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(訳者注1)[打倒・鎌倉幕府・プロジェクト]の事。
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そのパーティーの参加メンバーは、
花山院師賢(かざんいんもろかた)、四条隆資(しじょうたかすけ)、洞院実世(とういんさねよ)、日野俊基(ひのとしもと)、伊達遊雅(だてのゆうが)、聖護院玄基(しょうごいんげんき)、足助重範(あすけしげのり)、多治見国長、等
であった。
パーティーの様は、まことに世間の耳目を驚かすようなものであった。
献盃(けんぱい)の順序は、身分の上下には全く無関係、男性は烏帽子(えぼし)を脱ぎ、頭髪の結びをはずして肩の上に垂れ流し、法師は法衣を着することなく、白色の下着いっちょう。
年のころは17、8歳、美形・美肌の女性20余人を宴席に侍らせ、着物1枚だけ着せて杓をさせる・・・雪の肌は透いてモロ見え、古代中国の宮殿の池の蓮、たったいま水中から花あらわれ、といった風情。
ありとあらゆる山海のグルメ、所狭しと並べられ、泉のごとく美酒は満々・・・ひたすら遊び戯れ、舞い歌う。
その陰に隠れて、メンバー一同、鎌倉幕府を亡ぼすプランの練りあげの他、余念なし。
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ところが・・・
メンバーA 「ただ何となく集まって、楽しぃやってますぅ」では、世間からの疑惑を集めることになってしまわへんかぁ?
メンバーB なるほど・・・ほならここはひとつ、「文芸セミナー」の仮面をかぶってみたら?
メンバーC そら、えぇ考えや。どや、講師に、玄恵法印(げんえほういん)を招くっちゅうのんは? あの人、「学識才能、現在ダントツ」と、世間の評判メッチャ高いやん。
メンバーD なんちゅうたかて、儒教方面に関しては、あの人の右に出る人はいいひんもんなぁ、それでえぇんちゃうかなぁ?
メンバーE 「玄恵法印を囲んでの昌黎(しょうれい)著作集・研究セミナー」っちゅうセンで行こうなぁ。
メンバー全員 それがえぇ、そうしょう、そうしょう!
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それが倒幕計画の隠れ蓑(みの)であるなどとは思いも寄らず、玄恵法印は、セミナー開催日ごとにやってきては、高尚な話をして帰る。
ところが、その使用テキスト中に、「昌黎、潮州(ちょうしゅう)に赴く」という長編があった。
講義が進んでそのテキストに至った時、参加メンバーから問題提起の声が上がった。
メンバーA このテキスト、なんかエンギ悪いんちゃうぅ?
メンバーB エンギ悪すぎぃ!
メンバーC やっぱしなぁ、[呉子(ごし)]とか[孫子(そんし)]、[六韜(りくとう)]、[三略(さんりゃく)]といったような、軍事アナリストが書いたもんを、研究対象にする方が、えぇんちゃうかなぁ?
メンバーD なるほど・・・我々の目的のためには、その方がより実用的かもしれんわなぁ。
ということで、そのセミナーは中止になってしまった。(注2)
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(訳者注2)これだけでは、いったい何の事だかさっぱり分からん読者もいるだろう、ということで、太平記の作者は以下のような説明を展開していくのである。
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この「問題のテキスト本」の著者・韓昌黎(かんしょうれい)とは、中国・唐(とう)王朝の衰退期に世に現れ、文芸の才能に恵まれていた人である。
詩作においては、杜甫(とほ)、李白(りはく)に肩を並べ、その文章の技は、漢(かん)、魏(ぎ)、晋(しん)、宋(そう)の全期間に渡るタイムスパン中で評価してみても傑出、と言ってよかろう。
彼の甥に、韓湘(かんしょう)という人がいた。
この甥の方は、文学・詩作の方面には一切ノータッチ、専ら、道教(どうきょう)・神仙の術を学び、無為(ぶい)を業(ぎょう)とし、無事(ぶじ)を事(こと)となす、といった人物。
ある時、韓昌黎は韓湘に対して、「お説教」を試みた。
韓昌黎 オマエはなぁ、天地の間に生を受け、成長させていただいたにもかかわらずだ、仁義(じんぎ)に外れた世界の中を、フラフラぁフラフラぁと、徘徊(はいかい)しておるではないか。
韓湘 ・・・。
韓昌黎 そのような生きざまはなぁ、君子の恥ずるところ、小人(しょうじん)が好き好む境涯であるぞよ。
韓昌黎 そんなオマエの姿を見るにつけ、もうわしは、ナサケナイやらセツナイやら・・・イヤハヤ、まったく!
韓湘 ワッハハ・・・。
韓昌黎 なんだぁ! その態度はぁ!
韓湘 叔父上、あのねぇ、「仁義」などというものはぁ、大道(だいどう)の廃(すた)れた所に現れた思想なんですよぉ。学問、教育なんてぇもんはぁ、大偽(たいぎ)の起こる時に盛んになるものなんですぅ。
韓昌黎 ・・・。
韓湘 ボクはァ、無為の境地に優遊(ゆうゆう)しておりましてねぇ、是非・善悪などという概念からは、完全フリーな状態になっておりますのでねぇ。
韓昌黎 ・・・。
韓湘 宇宙に介入して、その構造をも変形せしめ、壷の中に天地を閉じ込める・・・自然の力に干渉を及ぼして、橘(たちばな)の実の中に、山川を作り出す・・・そんな事だって、できるわけですよ、このボクにはねぇ。
韓昌黎 ・・・。
韓湘 カナシイのはぁ、叔父上、あなたの方ですぅ。ただただ古人の言い残したカスのような言説に寄生して、チマチマぁチマチマぁと、空しい一生を送っているだけじゃぁないですかぁ。
韓昌黎 ふん! そんな妄想チックなデタラメを言っても、誰が信じようか。よぉし、そこまで言うのであればな、その「自然力への干渉」とやらを、今この場で、実証実験してみせよ!
韓湘はそれには答えず、前に置いてあった瑠璃(るり)製の空の盆をうつぶせに置き、すぐにまた、それを表に返した。
なんと、その盆の中には、碧玉(へきぎょく)製の牡丹の枝に花が一輪、咲いているではないか!
韓昌黎 (大驚)ナ、ナニィ!
目をこらして見ると、その花の中には、金字で次のように書いてある。
雲は秦嶺(しんれい)に横たわりて 家 何(いずく)にか在る
雪は藍関(らんかん)を擁(よう)して 馬 前に進まず
うんぬん・・・
韓昌黎 (内心)うーん・・・まことに不可思議としか、言う他は・・・。
その詩を読んで、一唱三嘆してみるに、つくせない優美さが備わった詩体ではあるのだが、
韓昌黎 (内心)「雲は秦嶺に横たわりて」・・・いったいこれはどういう事なのだ? いったい何を意味しているのだ?
手にとって、もっとじっくりと読んで見ようと思ったとたんに、その花は忽然(こつぜん)と消失してしまった。
この事件の結果、韓湘が仙術をマスターしていることが世間中に知れ渡った。
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その後、韓昌黎は、「仏教を廃して儒教を尊ぶべきである」との上奏(じょうそう)を皇帝に対してたてまつった咎(とが)により、潮州へ左遷されてしまった。
以下に述べるのは、その地へ赴く道中での出来事である。
日は暮れて馬は進まず、前途ほど遠し。はるか故郷の方をかえり見れば、秦嶺に雲横たわり、通ってきたあたりは何も見えない。
悲しみの中に、険しい山道を登らんとすれば、藍関の関に雪は積もり、行く先の道も不分明。
進退窮まって周囲を見回していると、いずこからやって来たのであろうか、いきなり韓湘が現れ、側に立っているではないか!
うれしさの余り、韓昌黎は馬から下り、韓湘の袖を手にとって言った。
韓昌黎 (涙)湘よ・・・あの日、あの碧玉の花の中に見えていた一連の句・・・今にしてようやく意味が分かったぞ。
韓湘 叔父上・・・。
韓昌黎 (涙)
雲は秦嶺に横たわりて 家 何にか在る
雪は藍関を擁して 馬 前に進まず
あれは、オマエの予言の詩だったのだなぁ・・・今日のこの左遷の愁いを、あの日既に予告してくれていたのだな。
韓湘 (涙)・・・。
韓昌黎 (涙)今また、ここにやって来てくれた、そのわけも、分かっている。私が左遷先の地にて、失意のうちに最期(さいご)を迎え、故郷には二度と帰れない、そのように予知したからではないか? そうであろう?
韓湘 (涙)・・・。
韓昌黎 (涙)再会はもはや期する事もできず・・・今のこの瞬間が、オマエとの永遠の別れとなるのだな・・・あぁ、なんと・・・耐え難い悲しみ・・・。
韓湘 (涙)・・・。
韓昌黎は、例の句に続きをつけて八句一首に完成し、それを韓湘に与えた。
九重(きゅうちょうの)の天に向けて 一封の文を 朝に 上奏し
夕べに 位を貶(おとし)められて 八千里のかなた 潮陽(ちょうよう)への路へ
もとより 皇帝のために 弊害事を 除かんとしてのこと
朽(く)ち衰えた 老いたる我が余命 惜しむ気持ちは さらさらなし
雲は秦嶺に横たわりて 家 何にか在る
雪は藍関を擁して 馬 前に進まず
遠路をおしての 汝(なんじ)の来訪のその真意 たしかに知った今は ただ
願わくは 毒気充満の かの地の川のほとりに わが骨を拾いたまえ
(原文)
一封朝奏九重天
夕貶潮陽路八千
欲為聖明除弊事
豈将衰朽惜残年
雲横秦嶺家何在
雪擁藍関馬不前
知汝遠来須有意
好収吾骨瘴江邊
韓湘は、この詩を袖の中に入れ、二人は泣く泣く東西に分かれた。
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「おろかな人の前で、夢の話をしてはいけない」という格言があるが、まったくもって同感である。そういった人は、単なる夢にさえも、何らかの意味づけを行ってしまい、「エンギが悪い!」とか何とかいって、とかく、非合理的思考に陥ってしまうのだ。
例の「文芸セミナー」出席メンバーも、非合理的思考という点においては、上記と同様である。韓昌黎の文集をテキストに用いることを不吉(エンギ悪)としたのは、まさに噴飯(ふんぱん)モノとしかいいようがない。
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