太平記 現代語訳 35-4 北野天満宮において、3人の論者、日本の現状について論ず
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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吉野朝廷(よしのちょうてい)サイドの日野僧正頼意(ひののそうじょうらいい)は、密かに吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)の山中から出て、京都にやってきた。霊験あらたかなる、あの北野天満宮(きたのてんまんぐう:上京区)の威神力(いじんりき)にすがり、自らの宿願を達成せんと願っての事であった。
今夜も、頼意は徹夜で参篭(さんろう)している。
秋は既に半ばを過ぎ去り、梢を吹き渡る風の音も、心なしか、うすら寒く聞こえてくる。有明(ありあけ)の月は、松の頂を越えて西に傾き、庭にひっそりと降りた一面の霜を、明るく照らし出している。
頼意 (内心)今夜は殊更(ことさら)に、神聖な雰囲気や・・・なにか、しみじみと、ものを思ぉてしまうわなぁ。
巻き残した経典を手に持ちながら、頼意は、灯火をかかげて壁に寄り添い、古歌を詠じつつ、庭の夜景を楽しんでいた。
頼意 (内心)あれ・・・あんなとこに、人がおるやないか・・・。
頼意 (内心)あの人らも、秋のあわれに誘われて、月を見て楽しんでるんやろか?
彼の視線の先には、神殿の欄干に寄りかかって座る、3人の姿があった。
頼意は、じっと目をこらして、彼らを見つめた。
1人目の人物を、「A」と名付けよう。
Aは、年の頃60ほどの世捨て人(注1)、その話し言葉は、関東なまりである(注2)。
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(訳者注1)原文では、「遁世者」。
(訳者注2)原文では、「坂東声」。
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盛んに、かつての鎌倉幕府(かまくらばくふ)時代の治世を、なつかしんでいるようだ。
その話の内容から察するに、Aは、かつては鎌倉幕府の中枢メンバー、すなわち、頭人(とうにん:注3)あるいは評定衆(ひょうじょうしゅう)に、名を連ねていたようである。
「あの頃の政治は、よかったなぁ」というような事を、繰り返し繰り返し、言っている。
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(訳者注3)引付衆のトップ。
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2人目の人物を、「B」と名付けよう。
Bはどうやら、今まさに、朝廷に仕える身分であるようだ。
しかしながら、「仕える」といっても、それは名目だけ、その家は貧しく、朝廷への出仕もせず、毎日、徒(いたずら)に、学窓に明かりをともして書物、それも仏典以外のものばかり読んで、心を慰めているようだ。
顔色は青白く、その態度は極めて、ものやわらかである。
3人目の人物「C」は、僧侶である。
人々からは、「ナニナニ律師(りっし)」、あるいは、「ナニナニ僧都(そうず)」などと、呼ばれているようだ。
門跡寺院(もんぜきじいん:注4)に所属し、顕教(けんぎょう)密教(みっきょう)の両真理を求めんと、一室に閉じこもってひたすら、天台宗(てんだいしゅう)の教義研究に没頭、という事らしい。
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(訳者注4)皇族や貴族を、「門跡(その寺院のトップ僧侶)」として、迎え入れている寺院。
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とても痩せており、何かしら、疲労感を漂わせている。
やがて3人は、「南無天満天神」の文字を句頭に置いての連歌を始めた。
連歌が終わった後、今度は、外国や我が国の様々な事がらについて、論じ合いはじめた。
頼意は、じっと耳を傾けた。
頼意 (内心)ほほぉ、あの3人、なかなか、鋭いとこ、突いてるやないかいな。「うーん、なるほど」と、うなずかされるような話、やたらと多いわ。
頼意 (内心)あの「朝廷に仕えてる」っちゅう人、彼は、明らかに儒学(じゅがく)の信奉者やねぇ。
人物B ・・・ようはやね、「戦争と平和」、その問題ですわ・・・。
人物B どのような戦争も、いつかは終結して、世に平和がもたらされる、それが歴史の鉄則なんやと、私は思うておりました。
人物B 歴史書をめくってみても、そうですわなぁ。古代中国・戦国時代、互いにしのぎを削ったあの「戦国の6強」も、最終的には、秦(しん)の支配に屈しました。漢(かん)の高祖(こうそ)と楚(そ)の項羽(こうう)とが70余度も戦いを繰り広げたあの時代も、8年の歳月の経過の後に、漢の天下と、定まりましたやろ。
人物B わが国においても同様。阿倍貞任(あべのさだとう)、宗任(むねとう)の乱、前九年(ぜんくねん)の役、後三年(ごさんねん)の役(えき)、源平争乱(げんぺいそうらん)の3か年、いずれも結局は、カタがつきました。他にも、争乱はいろいろとはあったけど、どれもこれも、せいぜい2年以内にはカタがついて、平和が到来しました。
人物B ところが、今回のこの争乱だけは、まったく例外や。元弘(げんこう)年間の鎌倉幕府滅亡以来このかた、天下は乱れに乱れて30余年、たった一日として、静かに送れた事はない。
人物B もしかして、この戦乱はエンドレス(end less)なんやろか、いつになっても終結する時は来ぃひんのんと、ちゃうかいなぁと・・・いったいぜんたい、なんで世の中、こないな事になってしもたんでっしゃろなぁ? どない思わはりますぅ?
人物A (数回、念珠を高らかにすり鳴らす)
人物Aの念珠 ジュラジュラジュラ・・・。
人物A (憚る事なく明瞭に)そりゃぁなぁ、あんたぁ、世の中、治(おさ)まんねぇには、治(おさ)まんねぇだけのワケ(道理)ってもんが、あるってことよぉ。
人物A あんたはさぁ、外国や我が国の歴史ってもんを、よくよくご存じのようだから、こんな事あらたまって言う必要、ねぇのかも・・・でも、この際、一言、言わせてもらうよ。
人物A 昔の世の中にはね、「民苦を問う使者」って職種があったんだよなぁ。帝王が、勅使をいろんな地方へ送り込んでだなぁ、そこいらの人民が苦しんでねぇかどうか、現地でじっくり調査させるってわけよ。
人物A いってぇなんで、こんな事をしたかって言やぁ・・・人民無しじゃぁ、君主は政治をやってけねぇからよ。
人物A 人民は、食わなきゃ、生きてけねぇ、穀物が無くなっちまったら、人民は困窮する。人民が困窮すりゃぁ、年貢が入ってこなくなる。年貢が入ってこねぇとなったら、君主の方も、お手上げよぉ。
人物A 人民がトコトンまで、疲弊しきっちまったら、もう、その国はオシメェ(終)さなぁ。だってな、考えてもみろよ、疲れきった馬はもう、鞭だって恐がらなくなるんだよぉ・・・「おれたちゃ、もう、トコトン破局まで追いつめられたプロレタリアート(無産階級)よ、これ以上失うモンなんか、もうナニもありゃしねぇ!」ってな状態に追い込まれちまったら、もう人間、コワイモン無しさなぁ・・・「帝王の権威」なんか、ドコ吹く風ってもんよぉ・・・みんながみんな、わが身の利益だけを追い求めるような、そんな社会になっちまうんだ。不法な事が、日常茶飯時のように行われる、そぉいった、トンデモネェ世の中になっちまうんだ。
人物A 人民が不正に走るとすりゃぁ、その責任は、官吏にあらぁな。んでもって、官吏の悪事の全責任は、帝王が負わなきゃなんねぇや。そんな、フザケたヤロウを官吏に選んだのは、他ならぬ帝王だもんなぁ。いわゆる、「任命責任」ってぇ、やつよ。まともな人間を官吏に選んでさえすりゃぁ、何も問題、起こりっこねぇんだもんなぁ。
人物A 私利私欲を貪ってばかりいやがるような人間を、官吏に登用するってこたぁ、暴れ虎を村に送り込むようなもんだぜ。徹底的に、人民を虐(しいた)げていきやがるからなぁ。
人物A 国の中に、そういった状態が続いていきゃぁ、いってぇ、何が起ると思う?
人物A 天災だよ、人民の憂いが天に昇って、災難になって落ちて来るんだよ。
人物A 天災が起ったら、国土は乱れるさなぁ。で、そんな事になっちまった責任は、権力者の側にあるんだよ。権力者に慎みってもんがなくて、人民をあなどってるから、そんな事になっちまうんだ。
人物A 国が乱れ始めたら、もう帝王だって、安閑たぁ、してらんねぇぜぇ。人民が苦しんでる国ってもんは、必ず、そこら中で反乱が起きるんだからぁ。
人物A だからこそ、古代中国・殷(いん)王朝の湯王(とうおう)はだな、旱魃(かんばつ)の時、桑林(そうりん)の中で雨を祈り、自分自身を犠牲として火中に投じたんだ。唐(とう)王朝の太祖(たいそ)だって、蝗(いなご)の害をおさめるために、蝗を呑み込んで野外に横たわり、自らを天の運命に任せたじゃぁねぇか。
人物A ようはだ、権力者たるもの、常に、己(おのれ)を責めて、天の意志にかなうように心掛け、人民を撫育(ぶいく)して、地の声に耳を傾けよってことだよなぁ。かの白楽天(はくらくてん)だって書いてるだろ、「王者の憂楽(ゆうらく)は衆と同じかりけりと知る」ってねぇ。
人物A こういった事を、ちゃぁんと心がけておられた君主が、過去の日本には、おられたんだぁ! そう、あの、醍醐天皇(だいごてんのう)陛下だよ。
人物A 陛下はな、寒い夜にはお衣を脱がれて、寒さに震える民衆の苦しみを体感し、彼らを哀れまれた・・・でも、そんな陛下でさえも、死後は地獄に落ちなすったんだってなぁ・・・笙の岩窟(しょうのがんくつ:奈良県・大峰山系・文殊岳南面)にこもって修行してた日蔵上人(にちぞうしょうにん)が、地獄に行って陛下に会ってるよなぁ。
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以下、人物Aが語った話。(注5)
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(訳者注5)この話は、26-4 にも記述されているのだが、そこに述べられた内容と、これ以降に述べられるのとでは、詳細が相当異なっている。
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日蔵上人は、承平(しょうへい)4年8月1日午後、頓死(とんし)したが、その13日後に生き返った。
その間、日蔵は、不思議な臨死体験の中にあった。
それは、夢でも幻でも無い、まさに、金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)の方便により、欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)を流転(るてん)し、六道(ろくどう:注6)四生(ししょう:注7)の棲息地を見てまわる、というものであった。
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(訳者注6)地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの世界
(訳者注7)六道を輪廻する衆生の分類。胎生、卵生、湿生、化生。
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その中に、「鉄崛地獄(てつくつぢごく)サブゾーン」という所があった。これは、等活地獄(とうかつぢごく)ゾーンに付属しているエリアである。
そのエリアにおいては、火炎が渦を巻き、黒雲が空を覆っていた。鋭い嘴(くちばし)を持つ鳥が飛来して、罪人の目をつつき抜く。さらには、鋼鉄の牙を持つ犬がやってきて、罪人の脳を吸い食らう。目をいからせた獄卒(ごくそつ)の怒声は、雷鳴のごとくに響きわたる。狼や虎が、罪人の肉を裂き、地上には、足の踏み場も無い程、鋭利な剣が密集して生えている。
そこに、焼き炭のようになってしまっている罪人が4人いた。彼らの阿鼻叫喚(あびきょうかん)の声を耳にした日蔵は、
日蔵 待てよ・・・なんか、聞き覚えのある声が・・・。
日蔵 まちがい無い! あれは陛下の声や! それにしても、なんで、陛下がこないなとこに・・・。
日蔵は、そこに立ち寄って、獄卒に問うてみた。
日蔵 あのぉ、つかぬ事をおうかがいしますが・・・。
獄卒D なんじぇい! このクソ忙しい時にぃ!
日蔵 いやいや、ほんま、ご多忙の中、まことにすみませんが・・・ちょっと教えてくださいな。もしかして、その4人の中に、醍醐帝(だいごのみかど)、おられませんかいなぁ。
獄卒D おぉ、おるぞ、おるぞ。こいつが、帝やわい!(醍醐天皇を矛に刺し貫く)。あとの3人は臣下じゃ・・・ほれぇ!(醍醐天皇の身体を、火炎の中に投げ入れる)
日蔵 (内心)あぁぁ・・・なんともはや・・・人間、何事も、善因善果(ぜんいんぜんか)・悪因悪果(あくいんあっか)の理(ことわり)のままとはいいながらも、余りにも、おいたわしい・・・陛下、陛下・・・。(涙)
しばしの後、日蔵は思い切って、
日蔵 これは、ムリなお願いかもしれませんけどな・・・陛下への責めを、ほんのちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ストップしては、いただけませんでしょうかいなぁ(涙)。
獄卒D おまえ、ナニかぁ! わしらの地獄の運営業務を、妨害しようっちゅんかい! ほんまにもう、トンデモないやっちゃ!
日蔵 ほんのちょっとの間だけですがなぁ。今一度、なつかしい陛下のお顔を拝してから、現世へ戻りたいんですわいなぁ(涙)、なぁ、なぁ、頼んまっさかいに・・・なにとぞ、なにとぞ!(涙)
獄卒D あかぁん! 地獄の規律は鉄の規律、一寸たりとも、ルーズにするわけにはいかんのじゃぁぃ!
獄卒E おまえなぁ・・・そこまでカタイ事言わいでも、えぇやないかぁい・・・そないにかたくな態度でこりかたまっとったんでは、世間の人から悪口言われるぞぉ、「まるで地獄の番人みたいなヤツやなぁ」て。
獄卒D 「地獄の番人」で、ワルカッタなぁ!
獄卒E 他ならぬ、この立派なお坊さんが言うてはんねんからなぁ、ここはちょっと、融通きかしてやぁ、弾力的に対応したげよぉなぁ。なぁ、ええやろ?
獄卒D えぇい、もう! 好きにせぇ!
獄卒E お坊さん、ちょい待っとりや。今から、接見(せっけん)手続き、とったるからなぁ。
日蔵 あぁ、ありがとうございます、ありがとうございます!(合掌)
獄卒E ホイ!(火炎の中の醍醐天皇の身体を、無造作に鋼鉄の矛で刺し貫き、火炎中から取り出す)
獄卒E ヤァ!(醍醐天皇の身体を、地上10丈ほどの高さにまで差し上げる)
獄卒E ドェーーイ!(醍醐天皇の身体を、熱鉄の地上に打ちつける)
日蔵 アァーー!
その身体は、焼炭が砕け散ったかのごとく、粉々に打ち砕かれ、原形を全く留めない状態になってしまった。
獄卒たちが、その周囲に走り寄ってきて、輪になった。
彼らは、砕けて散乱した破片を、輪の中心の方へ、足で蹴り集めた。
そして、一斉に声を放った。
獄卒一同 活(かつ)活!
次の瞬間、その輪の中心に、醍醐天皇が蘇った。
日蔵 (天皇の前に平伏、畏まり)陛下、陛下・・・。(涙)
醍醐天皇 おぁ、日蔵、よぉ来てくれたなぁ。
日蔵 ううう・・・(涙)。
醍醐天皇 あぁ、もう、そないにな、私に頭下げいでもえぇ。ここでの価値基準はただ一つ、罪業が無いかどうか、ただそれだけや。ここへ来てしもたら、身分の上下も何も、あらへんのや。
日蔵 それにしても、いったいなんで、陛下がこないなとこへ。
醍醐天皇 私はなぁ、日蔵、生前、5つの罪を犯したよってに、この地獄へ落ちてしもたんや。
日蔵 「5つの罪」といいますと?
醍醐天皇 まず、罪の第一は、父・宇多法皇(うだほうおう)の御命に背きたてまつり、久しく法皇陛下を見下したてまつってた事。
醍醐天皇 罪の第二は、無実の罪でもって、あの才ある人、菅原道実(すがわらのみちざね)を流罪に処してしもぉた事。
醍醐天皇 罪の三番目は、「あれは自らの怨敵や」と、烙印(らくいん)を押しては、他の人々を害した事。
醍醐天皇 罪の四番目は、毎月の精進の日(注8)に、ご本尊の扉を開くのを怠った事。
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(訳者注8)原文では、「月中の斎日」。
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醍醐天皇 五番目の罪はなぁ、日蔵・・・日本の最高権力者として、自らが定めた法律、すなわち、王法、それを、至上のもの、仏法以上に尊いものであると、誤認識した事や・・・私は、人間世界の様々なものに対して、余りにも執着の念が深すぎた。(注9)
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(訳者注9)原文では、「五には日本の王法をいみじき事に思て人間に著心の深かりし咎。」
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醍醐天皇 根本的な罪はこの5つやけど、もちろん、その他にも、罪業を無限に多く積んでしもてる。それ故、この地獄で受ける苦しみも、無限大や。
日蔵 ・・・。
醍醐天皇 日蔵、おまえに頼みがあるんやが・・・。
日蔵 なんなりとも、仰せつけ下さいませ。陛下の為なら、どんな事でも!
醍醐天皇 頼む、どうか、私を、この地獄から救い上げてくれ! 私の為に、徳を積んでくれ。善因となるような事をやってくれ。
日蔵 わかりました! やります! で、どのようにいたしましょう?
醍醐天皇 日本全国に、1万本の卒塔婆(そとば)を立ててな、内裏(だいり)の大極殿(だいごくでん)で、仏名懺悔法(ぶつみょうざんげぼう)を修してくれ。
日蔵 はい!
獄卒E さぁさぁ、もう制限時間いっぱいやでぇ。罪人との接見は、これにて終了や。
醍醐天皇 日蔵、頼んだぞ、頼んだぞ!
日蔵 陛下! 陛下!
獄卒E オラヨットォ!(醍醐天皇の身体を、矛で刺し貫く)
獄卒E オォリャ!(醍醐天皇の身体を、火炎の底に投げ入れる)
日蔵 あぁ・・・陛下・・・陛下・・・(涙)
日蔵は泣く泣く、地獄巡りの旅から、金剛蔵王権現のもとへ戻ってきた。
金剛蔵王権現 (微笑をたたえながら)どうでした? 六道巡(ろくどうめぐ)りツアーは。
日蔵 はい・・・。(涙)
金剛蔵王権現 あちらの世界で、誰か、知ってる人に会いませんでした?
日蔵 会いました、陛下に・・・。
金剛蔵王権現 そうでしょう・・・そうでしょうとも・・・実はね、あなたに六道巡りをさせたのは、他でもない、あの帝の現在の状態を、知らせてあげたかったからなんだ。
日蔵 ・・・(涙)(金剛蔵王権現の前に平伏)
金剛蔵王権現 分かりますよね、私の心(微笑)。
日蔵 はい! この日蔵、なんとしてでも、陛下を地獄からお救い申しあげます!(涙)
金剛蔵王権現 ・・・(うなずきながら微笑)。
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人物Aが語った話、以上で終わり。
人物A 醍醐天皇っていやぁ、そりゃぁもう随分と、民を憐れんで善政を行われた方だよ。でも、そんなお方でさえも、地獄に落ちちまうんだもんなぁ・・・ましてや、現代の世となりゃ、さぁ、どうだろうかねぇ、ハァー(溜息)・・・さほど立派な政治が行われてるようにも、見えねぇもんなぁ・・・死んでから地獄へ落ちてく人、きっと、多いんじゃぁねぇのぉ。
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人物A あの承久の乱(じょうきゅうのらん)以降ってもん、武士階級が、日本の最高権力を握って、政治をやってきたよなぁ。こう見えても、わしも、あの鎌倉幕府・評定衆(ひょうじょうしゅう)の末席に連なってたもんだからさぁ、当時の政治、少しは、実際に体験してるぜぃ。
人物A わしの現役時代・・・あの頃は、武士が天下を取ってから、もう大分経ってた・・・日本全国一所残らず、武士階級の所有地、どこの家もみな、幕府に従属する民ばかり、そんな状態だったわさ。
人物A でもなぁ、そんな中にあってもなぁ、幕府が、武威(ぶい)をカサに来て横車(よこぐるま)を押し通すってなぁ事は、絶対になかったんだぜぃ。
人物A 幕府がそういう態度だったから、地頭(じとう)だって、あえて、領家(りょうけ:注10)を侮らなかったよ。守護のもんらも、権断(けんだん:注11)やる以外には、荘園にゃぁ、一切手ぇ出さなかった。
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(訳者注10)荘園の[本所職(ほんじょしき)]を持つ公家。公家や寺社は本所職を所有している荘園に、荘官を送り込んで現地の管理をさせていた。土地を実質的に所有している者が、その土地を公家や寺社に寄進して、[本所職=寄進先の公家や寺社、荘官=寄進行為を行った土地の実質的所有者]の構造を取った場合もある。
(訳者注11)鎌倉時代の守護の任務は、「大犯三箇条(たいぼんさんかじょう)」、すなわち、謀反人の検断(捜査、摘発、捕縛、裁判)、殺人犯の検断、大番催促(任国内の御家人に、京都と鎌倉の大番役(警備役)を割り当てる)であった。
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人物A にもかかわらずだ、天下の成敗を正すために、貞応(じょうおう)年間、鎌倉幕府・執権(しっけん)・北条泰時(ほうじょうやすとき)様はだよ、日本国中の荘園を洗い出して、台帳(注12)にまとめさせられたんだ。
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(訳者注12)原文では、「貞応に武蔵前司入道、日本国の大田文を作て庄郷を分て」
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人物A さらに、貞永(じょうえい)年間、泰時様は、51か条の法律を定めて、諸々の認可・裁決に停滞を来(きた)さないようにされた(注13)。
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(訳者注13)原文では、「貞永に五十一筒條の式目を定て裁許に不滞」。いわゆる、「御成敗式目」、別名、「貞永式目」の事である。
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人物A 上に立つ人は法を守り、下の者は禁を犯さず、その結果、世は治まり、民は正しくなったんだ。
人物A でもなぁ、いつの時代にも、不満分子(ふまんぶんし)ってぇのは、いるんだよなぁ・・・(ハァー:溜息)・・・「わが国は神の国なのに、武士が国家権力を握ってしまってる。古来からの良き王道、仁をもって行う政治の裁断も、関東の連中らの顔色をいちいちうかがいながら、下さなくてはならない、あぁ、なんと嘆かわしい事なのであろう」ってな事、言うヤツも、いた事はいたさ。
人物A それでもだ、泰時様は、ただひたすら、立派な政治を行っていこうって志を、ますます、深めていかれたんだよなぁ・・・たまたま、京都におられた時にな、泰時様は明慧上人(みょうえしょうにん)に面会された。
人物A 明慧上人と対面して、仏教の事について、いろいろと教えを請われた後に、こんな質問をされたんだ・・・。
以下、人物Aが語った話。
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北条泰時 明慧殿、もう一つ、お教えを乞いたい事があるのですが。
明慧 はいはい、どうぞ、なんなりと。
北条泰時 いったいどのようにしていったら、天下を良く治め、人民を安んじていくことができましょうか?
明慧 ・・・はぁ・・・そうですなぁ・・・。
北条泰時 ・・・。
明慧 良医は、患者の脈を取って、その病患(びょうげん)の根本原因を探り当てます。その上で、適切な薬を処方し、適切な場所に灸(きゅう)を処置します。その結果、病は自ずから癒えていく・・・そうでっしゃろ?
北条泰時 はい、その通りです。
明慧 政治かて、それと同じことですやん。国に混乱をもたらすその根源をよくよく究明(きゅうめい)、認知(にんち)した上で、よろしく治世を行っていけっちゅうことですわいな。
北条泰時 うん・・・。
明慧 乱世の社会を生みだしてしまうその根本原因、泰時殿は、いったいなん(何)やと思われますか?
北条泰時 ・・・。
明慧 慾ですよ、慾・・・欲望本位の生き方ですよ。人間の欲心が変じて、万事一切の禍(わざわい)となるんです。
北条泰時 うん・・・たしかにその通り・・・その通りだと思います。でも、人々に、「無欲になれ」といっても、それはしょせんムリというものではないだろうか? 慾心を捨てるのは、人間にとってはとうてい不可能な事だ、そう思われませんか?
明慧 まずは、最高権力の座にある人からですわなぁ。その人さえ、慾の心を捨ててしもたら、もうそれで、うまいこといくんや。
北条泰時 え?
明慧 そら、そうでっしゃろなぁ、上にいる人が無欲に徹してみなはれ、その姿見る下の人は、自分が欲望たくましぅ生きてる事、なんや恥ずかしぃなってきますやんかぁ。そやからね、みんな自然と、慾心が薄ぅなっていくんですよぉ。
北条泰時 うーん・・・。
明慧 欲心深い人間が訴訟を起してきたらな、「これは、自分がまだまだ欲望を捨て切れてない、っちゅう事を、示してるんやなぁ、自分がこんなんやから、こないな訴訟が持ち上がってくるんやぞぉ」とね、自分で自分に、よぉよぉ、言いきかせていかはったら、よろし。
明慧 古人いわく、「その身(み)直(すぐ)にして影(かげ)曲(ま)がらず、その政(まつりごと)正(ただ)して国(くに)乱(みだ)る事(こと)無し、うんぬん」。またいわく、「君子(くんし)、その室に居(おり)て、その言(ことば)を出す事(こと)善(ぜん)なるときは、千里(せんり)の外(そと)、皆(みな)これに応ず」。
明慧 「善」というのは、無欲という事です・・・これは、古代中国・周(しゅう)王朝建国直前の時代の話ですが・・・。
明慧 当時、周の民は、互いに畔(くろ)を譲りおぅ(合)てたらしいですわなぁ。
明慧 「畔」というのはですね、ようは、自分の田んぼと他人の田んぼの間にある境界地帯の事ですわ。境界地帯やから、自分のもんでもない、他人のもんでもない、なんか中途ハンパな存在ですわなぁ。それを、隣の田んぼの持ち主に譲ってしまうっちゅうんですからなぁ・・・そないなフウですから、ましてや、他人の土地を掠(かす)め取るなんちゅう事は、周の国では、到底ありえへんかった、というわけですよ。
明慧 いったいなんで、そないな美風が生れたかというとですね、それは、周の君主である西伯(せいはく)、この人は後の周王朝の文王(ぶんおう)となる人ですが、この人の徳の力が、非常に大きかったからなんですわ。
明慧 この西伯の徳は、周一国にとどまる事無く、その他の国々にまでも、良き影響を及ぼしていきました。その結果、万民が皆、やさしい心になったというわけですわ。
明慧 ほんまになぁ・・・現代の人々の心とは、まるでかけはなれたレベルですわいなぁ。他人のものを掠(かす)め取る事はあっても、自分のものを他人にやる、なんちゅう事、今の世の中では、到底考えられませんやぁん?
明慧 ある日、周の国に、他国から二人の人間がやってきました。その二人はね、領地争いをしとったんですよ。で、その紛争の決着をつけるために、周の西伯のとこへ来たんですわ。今フウの言葉で言うたら、訴訟の決着をつけるために周にやってきた、というわけや、西伯に裁決してもらおう、思うてね・・・西伯っちゅう人は、それほどにまでも、人望が厚かったんでっしゃろなぁ。
明慧 周に入った二人は、目を見張りました。
明慧 「この周っちゅうトコ(国)はいったい、なんちゅうトコやねん! 農民は互いに畔を譲り合い、道行く人は互いに路を譲りおぅとるやないかい。それにひきかえ、わしらは、いったいナニやってんねん、醜い領地争いに毎日、血道上げてるだけやないか、恥ずかしいやら、あほらしいやらで、もうこら、たまらんわ」という事になり、二人は、訴訟を止めて国に帰り、和解に至りました。
明慧 というわけで、この西伯は、自分の国一国を見事に治めるのみならず、他国にまでも、徳を施すに至ったというわけですわなぁ。たった一人の無欲の心が、他国にまでも、良き影響を及ぼしていったというわけですよぉ。この西伯の徳は満々と満ち満ちて、ついに、彼は中国全土の支配者となり、百年の寿命を得ました。
明慧 ようはですな、上に立つ者一人だけでも、このように小慾に徹していったならば、天下万民が、それを見習うようになっていくっちゅう事ですわいなぁ。
北条泰時 (右腕で右膝を叩く)
北条泰時の右腕 ドン!
北条泰時 うーん、なるほど! 分かりました! やります、やりましょう!
明慧 がんばってくださいやぁ! 万民の為になぁ!
北条泰時 やりますよ、まぁ見ててください! いやぁ、これはジツにイイ事を教えていただいた!
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人物Aが語った話、以上で終わり。
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人物A ってなワケでさぁ、北条泰時様は、明慧上人のその言葉を深く信じてなぁ、なんとかして、それを実践に移していこうとされたんだ・・・その最初のチャンスが、ご尊父・義時(よしとき)様が急逝(きゅうせい)された時にやってきたんだよ。
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北条泰時 (内心)父上は、遺言状を残さずに、逝ってしまわれた・・・さてさて、領地をどのように分配したらいいのか・・・。
北条泰時 (内心)明慧上人は言っておられたな、上に立つ者一人だけでも、小慾に徹していったならば・・・。
北条泰時 (内心)ご生前の父上は、おれよりも弟たちの方を、かわいがっておられた。おそらくは、おれよりも彼らの方に多くの遺産をと、思っておられたに違いない。
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人物A というわけで、泰時様はだな、朝時(ともとき)様、重時(しげとき)様ら弟様方に、主な領地を配分しちゃってだな、自分の取り分は、三男、四男の相続相当分程度に止められたんだ。それでも、泰時様には、何の不足も無かったんだよねぇ。
人物A このように、何事においても、小慾に、小欲にと、していかれたからだろうなぁ、天下は、日に日に良く治まっていき、諸国は、年を重ねる毎に豊かになっていったんだ。
人物A 自分の前に訴訟人がやってくると、泰時様はいつも、訴えを起こした側、起こされた側双方の顔をしげしげと見つめられて、いわく、
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北条泰時 天下の政治を司(つかさど)るに当たり、私が願って止まぬ事、それは、全ての人が自己の中から、ねじけた邪悪な心を追い出してしまう、ただそれだけだ。私は、それを実現するために、政治権力を執行している。
北条泰時 それにしてもだ・・・人間、口が達者であるよりも、廉直(れんちょく)な人柄でありたいもんだよなぁ。きれいな心で私欲無く、曲がった事は一切しない、そういったパーソナリティーで、ありたいもんだよなぁ。(注14)
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(訳者注14)原文では、「泰時天下の政を司て、人の心に無姦曲事を存ず。然ば廉直の中に無論。」。
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北条泰時 きっと、君たち二人のうちのどちらかが、ねじけた邪悪な心の持ち主なんだろう・・・さぁてさて、いったいどっちなんだろうなぁ・・・ま、いいさ、そんな事、調べを始めたら、すぐに分かるんだから。
訴えを起こした人 ・・・。
訴えを起こされた人 ・・・。
北条泰時 じゃ、いいかね、X月Y日に、双方共に、領地取得間連の経緯(けいい)を証明する文書を持って、ここに再度出頭してくること、わかったね!
北条泰時 これだけは、言っておくぞ、この裁決の場において、わるだくみが明るみに出たその瞬間、即座に罪に問われるから、そのつもりでなぁ!
北条泰時 とにかくだ、ずるがしこいヤツをこの世の中にノサバラセとくわけには、いかんのだ! そんなヤツを放置しといたんじゃぁ、万人の禍になってしまうからな。諸悪の根源、天下最大の敵とも言うべき害虫のようなヤカラは、さっさとシマツしてしまうに限る!
北条泰時 本日、申し渡す事は、以上の通り。分かったら、もう帰ってよろしい。
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人物A 泰時様のこの毅然とした態度に、「なんとかうまいことして、領地を掠め取ってやろう」ってたくらんでいた側はな、「もしも、この悪巧みがバレたら、こりゃぁ、ただじゃぁすまねぇなぁ」ってんでぇ、もう、ビンビンに震えあがっちまうってぇわけよ。両者、さっそく談合開始、和談成立となって一件落着となるケースもありゃぁ、わるだくみをしていた側があきらめて、訴訟を取り下げてしまうケースもあった。
人物A このように、泰時様は一貫して、無欲の人を賞し、慾深い者を恥ずかしめていかれた。だから、他人のものを掠め取ろうとするようなヤツぁ、日本国中、一人もいなくなっちまったんだ。
人物A 寛喜(かんき)元年に国中を大飢饉が襲った時には、借用証書を大量に製作し、それに幕府執権の印鑑を押された。その上で、富裕者から米を大量に借りられた。
人物A そして、「来年、穀物の作柄が回復したならば、元金の分だけを借り主に返納すべし。利息分は私、北条泰時が、全額支払うから。」としてな、その米を、困窮している者に分配されたんだ、その借用証書にサインさせてな。
人物A 翌年、領地を持っている者には、その約束どおりに、元金分だけを出させ、利息分はご自身が負担されて、確実に返済しなすったよ。貧しい者に対しては、返済を全額免除されて、ご自身の領内の米でもって、その返済の肩代わりをされたんだぞぉ。
人物A その年の、泰時様の暮らしぶりたるや、いやもうそりゃぁ、質素なもんだったねぇ・・・家中、何かににつけ、倹約、倹約、新品の購入、みなストップ、何もかも、古物を使ってすまされたよ。衣服も新調せずに、烏帽子(えぼし)でさえも、古びたのを繕わせて使われた。夜は灯火を消し、昼は一食抜き、酒宴や遊覧は一切無し、このようにして、その借金肩代わりの出費を捻出されたのさぁ。
人物A 食事の最中に面会人が来れば、食べるのすぐにやめて、面会されたねぇ。髪をくしけずっている時でさえも、訴える者が来たら、先ず、それへの対応を先にされた。一寝一休さえも、のんびりしているわけにはいかない、憂いを抱いてやってくる人を、一時でも待たせてはいかん、ただただ、それだけだったねぇ。
人物A まさに、進んでは、万人を慰撫(いぶ)せん事を計(はか)り、退いては、わが身に過失あらんことを恥じる、泰時様って方は、そういうお人だったんだよぉ。
人物A でもねぇ、残念な事には、泰時様がお亡くなりになってから後は、父母を背き、兄弟を亡き者にしちまおうってな訴訟が、どんどん出てきちまった。人倫の孝行も日に日に衰え、年を経るに従ってどんどん廃れていっちまったんだよなぁ。
人物A とにかくだ、最高権力者が振舞いを正せば、万人それに従うって事はだなぁ、この泰時様の例を見れば、もうこりゃぁ、明々白々(めいめいはくはく)ってぇもんだろう、そうじゃぁねぇかい?(注15)
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(訳者注15)このような、過去の日本における善政の話を聞いた時には、我々は、その「善政」の対象者がどこまでの範囲であったのか、という事についても、目を向ける必要があるだろう。日本列島に住む全ての人々が、この北条泰時の政治によって救われたのかどうか? その救済は、武士階級以外の人々(例えば、武士階級に従属しながら様々な生産活動に従事していた人々)にまでも、及ぶものであったのかどうか、というように。
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人物A それから数代後の鎌倉幕府・執権・北条時頼(ほうじょうときより)様、この人の政治も、これまた、すばらしいもんだったなぁ。
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北条時頼 (内心)鎌倉から遠隔にある地の、守護や、国司、地頭、御家人たち、もしかしたら、無道猛悪の振舞いをして、他人の領地を横領したり、民百姓を悩ましてるかもしれない・・・鎌倉にじっとしてちゃぁ、そういった諸国の実態は何も分からん・・・よし、この際、変装して、こっそり、日本全国を視察して回ってみようじゃぁないの!
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人物A ってわけでだな、時頼様は、全国を旅行しはじめられたんだ・・・で、摂津国(せっつこく:大阪府北部+兵庫県南東部)の難波浦(なにわうら:大阪市の海岸)に来られた時に、こんな事があったんだ。
以下、人物Aが語った話。
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北条時頼 (海から海水を汲む労働(注16)に従事している人々の姿を眺めながら)(内心)いやぁ、まったくもう・・・彼らの労働たるや、実にたいへんなもんだなあ・・・人間、安閑と暮しておったのでは、たった一日たりとも生きてはいけないって事なんだよなぁ・・・ウーン・・・。
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(訳者注16)海水から塩を得るために、海水を汲んでいるのであろう。『安寿と厨子王』の中でも、安寿がこの労働を行っているように描かれている。
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そうこうしているうちに、日が暮れてしまった。
時頼は、宿を借りようと思い、一軒の荒れ果てた家の門前に立った。
垣根もまばら、軒も傾き、屋内では雨も月も屋根の下へ漏れ放題であろうかと思えるような、実に、すさまじい家屋である。
北条時頼 (扉を叩く)。
扉 トントン、トントン。
北条時頼 もしもぉし、どなたかおられませんかぁ?
扉 ギシギシギシギシィーー。
家の中から、年老いた尼僧が出てきた。
尼僧 いったい、どちらさんですかぁ? 何のご用でっしゃろかぁ?
北条時頼 あのぉ・・・私は旅の者でしてぇ・・・おさしつかえなければ、今夜一晩、宿をお貸ししては、くださらんでしょうか?
尼僧 はぁー、宿でっかいなぁ・・・そら、宿貸すだけやったら、お安いご用だっせ。しやけど、ウチにある敷きもんいうたら、藻塩草(もしおぐさ:注17)しか、おませんでぇ。
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(訳者注17)当時の製塩法は、海藻を集めてスノコの上に積み、その上に海水を注いで塩を作る、というものであった。この海藻を藻塩草と言った。
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尼僧 お食事にお出しできるもんかて、海藻のたぐい(類)しか、おませんしなぁ。なまじい宿なんかお貸ししても、あんさん(貴方)に、ミジメな思いさすだけですわいなぁ。
北条時頼 まぁまぁ、そう言わないでぇ。もう日も暮れちゃったし、里も近くに無いんだからぁ。どうか、無理を承知で、宿を貸してくださいよぉ。
尼僧 そこまで言わはんねんやったら、もう、しゃぁない(仕方ない)わなぁ。よろし、宿、貸しまひょ。けどな、あんさんの健康までは、うち(私)、よぉ保証しませんでぇ・・・よろしぉすか、ウチ(我が家)へ泊って病気にならはっても、一切責任持ちませんでぇ。それでもよろしぃかぁ?
北条時頼 ウハハハ、こりゃぁマイッタなぁ・・・えぇ、いいですよ、いいですよ。
尼僧 自己責任やでぇ。
というわけで、旅寝の床(ゆか)に秋深く、浦風寒くなるままに、折り焼(た)く葦(あし)の夜もすがら、伏し詫びながら一夜を過ごした。
翌朝、尼僧は、手ずから音をたてて、しゃもじでご飯を釜からすくい、椎の葉を折り敷いた縁付きのお盆の上に干飯を盛って、時頼に供した。
北条時頼 (内心)なかなか、かいがいしく、朝ご飯の仕度、してくれるじゃぁないの・・・でも、どこか、なんか、手つきが、ごこちないなぁ。このテの仕事に、あまり慣れてるようにも見えない。いったい、どういう人なんだろう、この尼さんは?
北条時頼 いったいぜんたい、どうして、この家には、召し使いってモンが一人もいないのかしらん? あなた、一人で暮してんですか?
尼僧 は・・・はい・・・(涙)。
北条時頼 (内心)ムム、何か、わけあり(事情有)ってかんじ・・・。
尼僧 (涙)じつはなぁ・・・親から遺産相続してな、このへん一帯の一分地頭(いちぶんじとう)の権利をな、わて(私)、持っとりましたんやぁ。ところがなぁ、夫と死別し、子供とも別れ、身寄りのない身の上になってしまいましたやろ、そこへもってきて、総領地頭(そうりょうぢとう)のXっちゅう男が、やってきよりましてなぁ。
尼僧 (涙)そいつ、事もあろうに、鎌倉幕府に仕えてる権威をカサに着よってからに、先祖代々受けついできた、わての一分地頭権を、横領してしまいよりましたんやがなぁ。
尼僧 訴訟、起こそう思うても、京都、鎌倉へ代理人送る事も、できしまへん。そないなわけで、この20余年、こないな貧窮孤独の身になってしまいましたんやぁ。
尼僧 ほんまになぁ・・・麻の衣のあさましく、垣根の柴のしばしばも、この先到底、生きながらえれしまへんわ・・・毎日毎日、涙で袖を濡らす、この露のようなわが身、いつ消え失せるとも分からんままに、こないして細々と、生き続けとりますねん・・・この、朝ご飯たく煙の心細さから、うちのみじめさ、どうぞ、お察し下さいまし。(涙、涙)
このように、涙にむせびながら、彼女は身の上を詳細に語った。
北条時頼 (内心)あぁ、なんて気の毒な境涯なんだろう・・・。
時頼は、つづらの中からミニ硯(すずり)を取り出し、卓の上に建てた位牌の裏に、歌を一首書いた。
難波江(なにわえ)の 干潟(ひがた)遠くに 行った月 貴女(あなた)の元に 戻ってくるよ
(原文)難波潟(なにわがた) 塩干(しおひ)に遠(とおき) 月影(つきかげ)の 又(また)元(もと)の江(え)に すまざらめやは(注18)
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(訳者注18)「再び月が澄み渡って、ここをも照らすであろう」、という意味と、「奪われてしまった領地にまた、領主として住めるようになるであろう」という意味を、かけている。
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諸国めぐりを終えて鎌倉に帰還するやいなや、時頼は、この位牌を取り寄せて、横領されてしまった領地を総地頭から没収し、先祖代々の尼の領地に加えて、彼女に与えた。
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人物Aが語った話、以上で終わり。
人物A 時頼様はな、この他にも、方々の土地に出向いては、その地の人間の善事悪事を尋ね聞き、詳細に記録した上で、善人には恩賞を与え、悪人には罰を加えて行かれた・・・そういった事例はもう、数え切れねぇほどだ。
人物A そのおかげで、諸国の守護、国司、諸々の所の地頭も領家(りょうけ)も、威を持つも驕(おご)る事なく、世間の目に隠れて悪事をする事も無くなり、日本全国の風土が、素直で虚飾の無いものとなり、民衆の経済力はぐんぐん高まっていったんだ。
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人物A それから数代後の鎌倉幕府執権・北条貞時(ほうじょうさだとき)様も、時頼(ときより)様の前例にならい、日本全国、あっちこっち回ってみられた。貞時様の時には、こんな事があったぜ。
以下、人物Aが語った話。
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当時、内大臣(ないだいじん)の地位にあった久我通基(こがみちもと)は、ふとした事で上皇の意にそぐわない事をしでかしてしまい、領地をことごとく没収され、城南宮(せいなんぐう:京都市・伏見区)付近の粗末な館内に蟄居(ちっきょ)する身となっていた。
その館の前へ偶然、北条貞時が立ち寄ったのである。
北条貞時 (内心)こりゃまた、えらい粗末な館だなぁ。いったい、誰が住んでんだぁ?
北条貞時 もしもぉーし! この家にどなたかおられませんかぁー? ちょっとおたずねしたい事があるのですがぁ・・・もしもぉーし!
男 はいはい、なんぞ、ご用でぇ?
北条貞時 (内心)おぉ・・・こんな所に、こんな立派な風采(ふうさい)の従僕が・・・関白家に勤務してる人間って雰囲気だ。
北条貞時 ここの館にお住いの方は、いったい、どこのどなたですかねぇ?
男 何を隠そう、内大臣の久我様でございますがな。
北条貞時 えぇっ? なんでまたいったい、内大臣が、このような所に?
男 いや、それがなぁ・・・じつはなぁ・・・。
事情を詳しく聞いて、貞時は、
北条貞時 まぁ、なんとお気の毒な事で・・・たったそれだけのミスでもって、こんな処罰を受けるだなんてねぇ。
男 そうですわいな、ほんま、お気の毒なこってすぅ。
北条貞時 久我家といったら、由緒正しい旧家じゃないか。そんな尊いご家系が、今この時に滅んでしまうなんて、ほんと、もったいない事だよなぁ。いったいどうして、久我様は、鎌倉の幕府に、何も言っていかれないの?
男 いやなぁ、わたいも再々、それ、言うてはみたんですよぉ。ところがなぁ・・・ご主人さまは、ほんまになんちゅうか・・・昔かたぎのお方でしてなぁ、こないな事、言わはりまんねんやん、
「おまえなぁ、よぉ考えてみいよぉ、わが身に咎(とが)が無い事を幕府に訴えるっちゅう事はやでぇ、とりもなおさず、上皇陛下が誤っておられるぞと、幕府に訴えていく行為に他ならんやないか。そないな事、わしにできるわけないやろが! たとえ、わが家が今この時に滅びるとしても、家臣の分際で主君の非をあげつらう、なんちゅうこと、絶対、したらあかんねん!・・・あぁ、もう、どうにもしゃぁない、人間何事も運命や、わが家の滅びる時がついにやってきよったっちゅうこっちゃぁ・・・嘆いても、しゃぁない、しゃぁない。」
北条貞時 なんと・・・。(涙)
男 わたいがいくら言うても、ガンとして、聞いてくれはらしまへん。ほんまにもう・・・(涙)、久我の立派な御家門も、これでいよいよ最後ですわいなぁ。(涙)
北条貞時 ・・・。(涙)(その場を立ち去る)
その時には、誰も、その訪問者が北条貞時であることに気付かなかった。
鎌倉へ帰った後、貞時は、聞いてきた事をありのままに、院へ上奏した。
それを聞いて、上皇は大いに恥じ入り、没収した旧領ことごとくを、再び久我家に戻した。
その事があってはじめて、先日の修行僧が北条貞時であった事を、関係者は知った。
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人物Aが語った話、以上で終わり。
人物A たった一日、二日の旅でさえ、最高につらいもんだわさ。ましてや、煙たなびき霞(かすみ)けむる万里の道中ともなると、もう、たまったもんじゃねぇやなぁ、旅の先を考えるだけでも、憂鬱になってくらぁな。
人物A 深い山路に行き暮れては、苔(こけ)の筵(むしろ)に露を敷き、遠い野原を分けわびては、草の枕に霜を結ぶ。渡し場に船を呼んで立ち、山頂に路を失って帰る。かすむ雨の中に蓑笠(みのがさ)をつけ、草鞋(わらじ)をはき破っては、「あぁ、早く家へ帰りてぇ!」、思う事は、ただそれだけよ。
人物A なのにどうして、幕府執権という最高権力の地位にあり、富貴の極みに達している人がだよ、よりにもよって、諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の修行僧になんか、好んでなったりしたのか?
人物A それはだなぁ、ただただ、天下国家の為に、それだけよぉ・・・自分の身体を安穏な中に置いて、快楽にふけってたんじゃぁ、国を治める事なんか、到底できゃぁしねぇ、それをご存知だったからこそ、3年間たった一人で、諸国の山河を歩みめぐられたってぇわけさぁ。「あぁ、なんて立派なお心がけなんだろうなぁ」って、誰もが感動せずにはおれなかったねぇ。
人物A あ、そうそう、こんな人もいたよ・・・時宗(ときむね)様と貞時様の2代の執権にわたって、幕府に仕えた、青砥左衛門(あおとさえもん)って人だ・・・ずっと、幕府の引付衆(ひきつけしゅう)の一員だったんだ。
人物A この人、領地を数10か所も持っていて、そりゃぁ裕福なもんだった。でもな、着るもんといやぁ、粗織(あらおり)の麻の直垂(ひたたれ)に、麻の袴。ご飯のおかずは、焼き塩と干魚(ほしうお)1匹だけ。
人物A 幕府に出仕する時は、塗り無しの鞘の小刀を腰に差し、白木のままの鞘の太刀を従者に持たせて・・・従五位下(じゅうごいげ)の位をもらった後には、その太刀に弦巻(つるまき:注19)だけ付けるようにした。
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(訳者注19)スペアの弓弦を巻いて置く為の装置。
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以下、人物Aが語った話。
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青砥左衛門は、私事においては、分不相応のぜいたくは一切しなかった。その一方で、公の事に対しては、千金万玉の出費をも惜しまなかった。
飢える乞食や、疲労にうちひしがれている訴訟人を見かける度に、相手の分に応じて、米、銭、絹布などを与えた。まさに、仏・菩薩の「我、一切の衆生を救わん」との悲願にも等しい、広大な慈悲の心を持った人であった。
ある時、北条氏宗家(そうけ)所有の領地(注20)に関しての訴訟がもち上がった。
訴訟人の一方は、荘園の現地在住・文書記録担当者(注21)、もう片方はなんと、時の幕府・執権(注22)である。
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(訳者注20)原文では、「徳宗領(とくそうりょう)」。徳宗家は、幕府最高権力者である執権を送り出す、北条氏の中でも最高の家門であった。
(訳者注21)原文では、「地下(ぢげ)の公文(くもん)」。
(訳者注22)原文では、「相模守(さがみのかみ)」。
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道理の面から言えば、もう理非ははっきりしており、誰がみても、文書記録担当者の側に分がある。しかし、引付衆頭人(ひきつけしゅうとうにん)も評定衆(ひょうじょうしゅう)も皆、執権の権力を憚(はばか)り、「文書記録担当者側の敗訴」で、決着をつけようとした。
ところがその時、青砥左衛門ただ一人だけが、異議を唱えた。執権の権威をも恐れず、理非を明快に弁じたて、ついに、「執権側敗訴」の判決に持ち込んでしまったのである。
ダメモトで訴訟を起こした文書記録担当者側にとって、これは、思いもよらぬ結果であった。
文書記録担当者 イェーィ! これはおどろきぃ・・・なんでも、やってはみるもんだなぁ・・・領地、みごとに確保できちゃったじゃぁないの!
文書記録担当者 とにかく、この恩、返さなきゃぁね。
彼は、銭300貫を俵に包み、密かに、後ろの山から青砥左衛門邸の中庭に運び込ませた。
それを見た左衛門は、激怒、
青砥左衛門 なんだ、これは!
青砥の家僕一同 ・・・。
青砥左衛門 こないだの訴訟で、あくまでもスジを通して執権殿側敗訴としたのは、あれは、執権殿の事を思っての事だ、文書記録担当者を、えこひいきしたからじゃ、決してなぁい!
青砥の家僕一同 ・・・。(深くうなずく)
青砥左衛門 贈り物をもらうんなら、執権殿からもらうのが道理ってぇもんだ、だって、おれは、執権殿の悪名が世間に立つのを、未然に防いだんだもんな。訴訟に勝った側のもんが贈り物をしてくるだなんて、スジちがいにも程があらぁ!
青砥の家僕一同 ・・・。(深くうなずく)
青砥左衛門 残らず、ツッ返せぇぃ!
青砥の家僕一同 ウィィー!(笑顔)
左衛門は一銭も受け取らず、はるかに遠いその荘園まで、その銭を送り返した。
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ある時、夜になってから、急な幕府出勤が必要になった。
幕府オフィスへ向かう道中、火打ち石袋の口を開けた拍子に、青砥左衛門は、銭10文を滑川(なめりかわ:鎌倉市)の水中に落としてしまった。(彼はいつも、火打ち石袋の中に、銭を入れていたのである)
世間一般、普通の人であったならば、「たったあれっぽちの銭、まぁ、いいか」と思い、そのまま行ってしまう事であろう。ところが、彼は違った。
青砥左衛門 いかん、いかん! すぐ拾わなきゃ! おい、どっか近くの店行ってな、松明、買ってこい!
青砥の家僕F 10本くらいで、よろしいですか?
青砥左衛門 そうだな、それでいいだろう、とにかく、急いで、早く!
青砥の家僕F ハイハイ!(駆け出す)
買ってこさせた松明10本に火を灯し、その明かりでもって川の中を探させ、落とした銭をなんとか回収できた。
当夜の、青砥左衛門の収支決算は、以下の通り:
遺失:銭 -10文
支出:松明購買 -50文 ( = 5文(松明1本当) × 10本)
回収:銭 +10文
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赤字 -50文
後日、その話を聞いた人々は、大笑い、
人物G 青砥さぁん、あんたって人は、いったいもう・・・10文の銭拾うのに、50文出して松明買ってたんじゃぁ、小利どころか、まるで大損じゃねぇかよぉ、アハハハ・・・。
人物一同 ワハハハ・・・。
青砥左衛門 ハァー・・・(溜息)・・・まったくねぇ・・・みんな、そろいもそろって、愚かな人間ばっかしだなぁ・・・ハァー・・・(溜息)。
青砥左衛門 国富の消失とか、国民経済といったような事、君らは、まるでわかってないんだなぁ。(注23)
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(訳者注23)原文では、「さればこそ御邊達(ごへんたち)は愚(おろか)にて、世の費(ついえ)をも知らず、民を慧(めぐ)む心なき人なれ」。
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青砥左衛門 こういった問題はだよ、ミクロじゃぁなくって、マクロ経済の観点から考えていかなきゃぁ、ダメなんだ。だってそうだろ、おれたちは幕府の引付衆だよ、日本国家の運営に携わってる立場なんだよぉ。常に、国全体としての観点に立って、物事を考えていかなきゃぁ、ダメなんだ!
青砥左衛門 いいかい、よぉく考えてみてくれ・・・あの日、おれの懐中には10文の銭があった。って事は、取りもなおさず、日本の懐の中に、10文の銭があったって事なんだ。だって、おれは日本列島の上に住んでんだもんな・・・おれの銭はそく、日本の銭ってわけさ。あの10文は、日本の国富に属してたんだ。
青砥左衛門 おれはあの夜、その銭10文を、滑川の水中に落としちまった。あの時すぐに回収してなきゃ、あの10文は、日本の懐から、永久に失われたままになっちまってただろう。すなわち、日本の国富から10文分が失われてしまったって事になるわけだ。
人物H どうして? あんたが回収しなくったってさぁ、銭は依然として、滑川の川底にあるわけだろ? 滑川は日本列島の上を流れてる川だ。だったら、銭10文は、日本列島の懐の中に存在し続けるって事に、なりゃしなぁい? ただ単に、居場所が変わっただけのことだろ、あんたの懐中から滑川の底へ。日本の懐から銭10文は、ちっとも失われちゃいないわさ。
青砥左衛門 ハァー・・・(溜息)・・・川底に眠ってるまんまじゃぁ、その銭、誰の役にも立たねぇだろうがぁ・・・死に金になってしまうだろうがぁ・・・そういうのを、国富とは言わねぇよぉ・・・どうして、こんな簡単な事、分かってもらえねぇのかねぇ、ったくぅ!
人物H ・・・。
青砥左衛門 おれは、あの銭10文、あの夜、全額回収した。だから、国富のロス、すなわち、国富の消失はゼロだ。
人物I じゃぁ、50文はどうなるんだい? 松明の代金50文は?
青砥左衛門 それこそ、ただ単に居場所を変えただけの事だよ、おれの懐から商人の懐へな。おれの損失50文はそく、商人の利益50文さ。おれの懐中にいようが、商人の懐中にいようが、銭は銭、別に何の変りもありゃしねぇ。あの50文は、決して死に金にはならねぇ。
青砥左衛門 川に落としてから回収した10文は、今、おれの懐の中にある。松明代金50文は、今、商人の懐の中にある。両方合わせて60文、国富のロスはゼロだ。
青砥左衛門 結局、一番トクしたのは誰だ? 日本さ、日本の国富にロスは生じなかったんだもん。日本がトクしたんだから、誰も、もんくあるまい?
青砥左衛門 何事も、マクロに、マクロな視点で考えてくれよなぁ。(チョンチョン・・・人差し指の爪を親指の腹に当てて弾く動作を2度くりかえす)
人物一同 (首を振り)ハァーッ! なぁるほどねぇー! いやいや、今日はほんと、いい勉強させてもらったよ・・・。(注24)
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(訳者注24)青砥左衛門のこの行為を、地球環境問題、すなわち、CO2排出量削減の視点から考えてみるのも、また一興かと。
選択枝A:松明を燃やして、銭を回収する --- 松明を燃やした分だけ、CO2が大気中に排出される。
選択枝B:川中へ落とした銭の回収をあきらめる --- 選択枝Aよりも、松明を燃やさなかった分だけ、CO2排出量が少なくなる。
故に、選択枝Bよりも選択枝Aの方が、地球環境に与える負荷は大きい。
ただし、松明は、いわゆる[バイオマス(生物資源)・エネルギー源]であるから、石油や石炭等の[化石燃料]を燃やすよりは、はるかにマシである。バイオマス・エネルギーを消費する事によるCO2排出は、もともと大気中にあったCO2(生物の体内に取り込まれた)を、再び大気中に戻すだけの事なので、地球規模のマクロな視点からのCO2収支決算は、ゼロとなる。
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このような、自分の利益を忘れ、ひたすら公の為にと、つくしていく生き方が、神の意にかなったのであろう、ある時、執権が鶴岡八幡宮(つるがおかかちまんぐう:鎌倉市)に徹夜の参篭(さんろう)をした際、夜明け前の夢に、衣冠正した老翁が枕辺に立ち、
「政道をまっすぐなものにし、長期政権を維持したくば、私心無く、理に暗からざる青砥左衛門を、賞玩(しょうがん)すべし」
との言葉を放った。
あまりにも明瞭な夢であったので、庁舎に帰るやいなや、執権は、自筆の補任状をしたためて、鎌倉近在の大荘園8箇所を青砥左衛門に与えた。
青砥左衛門 (補任状を開いて見て、驚愕)いったいなんでまた、こんな3万貫分もの大荘園を?
執権 いやね、夢見でもって、そのようにしろって、言われたんでね・・・まずはとりあえず、それだけでも取っておいてくれないか。後は追々(おいおい)・・・。
青砥左衛門 (首を左右に振り)いいえ、一個所たりとも、いただけません! この恩賞、無かった事にしてください!
執権 いったい、なんでまた!
青砥左衛門 「夢見でもって、そのようにしろって、言われた」ですって? いやはや、もう、なんというかぁ・・・。
執権 ・・・。
青砥左衛門 常に変化して止まず、遷(うつ)ろいゆくもののたとえとして、「夢や幻、泡や影のごとく、露のごとく、はたまた電のごとく」・・・金剛般若密経(こんごうはんにゃみっきょう)には、そのように書いてありますねぇ。
青砥左衛門 夢なんてぇもんはねぇ、それくらいに、いいかげんなもんなんですよぉ・・・じゃぁなんですかい、執権殿、もしもかりに、執権殿が、「青砥の首を刎(は)ねよ、との神のお告げ下る」なんてぇ夢をご覧になったとしたらですよぉ、たとえ何の咎(とが)が無くとも、おれは、首を刎ねられちまうんでしょうかねぇ? あぁ、やれやれ・・・。
執権 えっ・・・い・・・いやいや・・・そんなことは・・・う、う、う・・・。
青砥左衛門 こんな報国の忠薄いおれなのに、分不相応の恩賞もらっちまったら・・・おれは、日本最悪の国賊になっちまいまさぁ。
執権 ・・・。
青砥左衛門 とにかく、この恩賞は、お返しします!
これを聞いて、他の幕府メンバーたちは己を恥じ、青砥ほどの賢才こそ無かったが、いささかも理に背き、賄賂を取るような事は一切しなかった。
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人物Aが語った話、以上で終わり。
人物A って、まぁ、こんなぐあいでだなぁ、北条氏は8代に渡って、最高権力者の地位を保ったってぇわけよぉ。
人物A 政治にとって大いに害をなすものとは、いったい何か? 無礼、不忠、邪慾(じゃよく)、功誇(こうか:注25)、大酒、遊宴、バサラ(注26)、美女愛好(注27)、双六(すごろく)、ギャンブル(注28)、剛縁(こうえん:注29)、内奏(ないそう:注30)、二枚舌を使う奉行。
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(訳者注25)功を誇って、おごりたかぶること。
(訳者注26)華美にして人目を驚かすような衣服や趣味にこること。
(訳者注27)原文では、「傾城(けいせい)」。
(訳者注28)原文では、「博奕」。
(訳者注29)権力者とのコネを活用しての非道なる行為。
(訳者注30)皇后たちからの口ききによって、様々な政治上の決定を行わせしめる事。
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人物A かつてのよく治まってた時代には、こういった事を、厳に戒めてきた。なのに、最近の世の中の風潮は、いったいどうだい、こんな事、ちっともかまったふうじゃねぇよなぁ。
人物A それとも、ナニかなぁ、こんな事をいつまでもヤイノヤイノ言ってる、わしの方が、間違ってるのかしらん。
人物A ちったぁ礼儀をわきまえた人とか、すごい実直な人なんかが、いたりしようもんなら、まわりの人間は、目と目を合わせ、そっくりかえりながら嘲笑だぁ、「あぁ、とても見てらんねぇなぁ、あぁいう化石のような礼儀作法、あぁ、またなんて気詰まりな、あいさつしてんだろうねぇ・・・。(注31)」
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(訳者注31)原文では、「「あら見られずの延喜式や、あら気詰の色代や。」とて、目を引き、仰(あおのけ)に倒れ笑ひ軽謾す。」
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人物A 昔話にさぁ、「まともな顔をした猿、9匹の鼻欠け猿に笑われて、逃げサル(去)」ってぇのが、あるだろ? その通りだよなぁ。
人物A 寺院や神社の領地にまでも、課税しちゃってさぁ、神仏のみ心に背くような事、平気でやってんだからぁ。領地だけじゃぁない、寺院や道場そのものに対しても、税を課してんだぞぉ。それって結局、信者と僧侶の共有財産や、信者が納めたお布施を、横合いから掠(かす)め取っていくような行為に他ならねぇじゃぁねぇの!
人物A こういった様々の悪事、幕府上層部の知らねぇ所で、やられちゃってんだよねぇ。だからといって、彼らが責任を免れるわけじゃぁない。最終的な責任は、最高権力を持っている人、すなわち、将軍が取らなきゃぁなんねぇよなぁ。(注32)
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(訳者注32)原文では、「是併上方御存知なしといへ共、せめ一人に帰する謂もあるか。」
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人物A とにもかくにも、こんな事じゃぁ、到底、世の中、まともに治りっこねぇや。自分としちゃぁもう、南の方の朝廷に、期待を寄せるしかねぇなぁ。
人物A あっちの天皇陛下は、長年、艱難辛苦(かんなんしんく)を舐(な)めてこられた方だ、きっと、民の憂える所を、分かって下さってることだろうて。臣下も、さすがに知恵者ぞろい、世の中うまく統治していくだけの器量、ちゃぁんと備えてるんじゃぁねぇのぉ。ほんと、あっちの朝廷には、期待しちゃうんだよなぁ。
それを聞いて、鬢帽子(びんぼうし)を被った人物Bは、皮肉な笑みを浮かべた。
人物B なにをそないに、期待したはりますねん・・・あっちの朝廷も、幕府と五十歩百歩ですよぉ。(注33)
人物A ほぉ。
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(訳者注33)原文では、「何をか心にくく思召候覧。宮方の政道も、只是と重二、重一にて候者を。」
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人物B わたし、今年の春まで、南方の朝廷に仕えとりましたんや。
人物A あぁ、そんな事、言ってたねぇ。
人物B えぇ、そうなんですよ・・・そやけどねぇ、あちらの朝廷の内実をつくづく見てみるにですよ、こないな事では、あかんなぁ、政権の奪回も、旧き良き時代にならっての政治を行う事も、こらもう、到底不可能やろうなぁと、まぁ、見極(みきわ)めがついてしまいましてなぁ・・・もう、しゃぁない・・・人世の選択枝を、あんまり狭めとうはないわいな・・・場合によっては遁世(とんせい)するっちゅう道かてあるやんかと、まぁ、そない思いましてなぁ、それで、京都へ帰ってきましてん。
人物A ふーん。
人物B あのねぇ、これだけは言うときますよ、あっちの朝廷に期待できるとこなんか、もうこれっぱかしも、あらしませんでぇ。
人物B これは、随分と古い昔の事やけど・・・古代中国、周(しゅう)王朝の太王(たいおう)の話ですが・・・彼は、豳(ひん)という所に住んでたんです。で、隣国の異民族らが兵を起し、そこを攻めようとしました。太王は、牛馬珠玉等の宝を彼らのもとに送り、礼を尽くして和平を求めました。しかし、彼らは一向に、矛(ほこ)をおさめようとはしませんでした・・・。
以下、人物Bが語った話。
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使者 ご報告申し上げまする、きゃつらめ、とんでもない事を言うておりますぞ、「王も民も残らず、豳の地を去れ。さもなくば、大軍をもって豳に押し寄せる。」
民J なんじゃとぉ!
民K 言わせておけばぁ!
民L あっちがそのつもりなら、こっちにも覚悟というものがある。我ら全員一丸となり、身命を捨てて、防衛の戦をいたしまする、なぁ、みなの衆!
民一同 おぉ、やるぞ、やるぞ!
民M 戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民一同 戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民N 戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民一同 戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民O 我らは戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民一同 我らは戦うぞぅ!(右手を上方に突き上げながら)
民一同の手 パチパチパチパチ・・・(拍手)。
民M 王様、もはや、きゃつらに対して、和を請うような事など、断じてなさいますな!
民一同 そうじゃ、そうじゃ、和を請う必要など、なぁい!
太王 ・・・。
民一同 ・・・。
太王 皆の者、わしはのぉ・・・。
民一同 ・・・。
太王 いったいなぜ、わしがこの地を彼らに渡したくないと思うか・・・それはのぉ、そなたら人民を養いたいがため、それだけの事じゃ。国土なくしては、民を養う手段(すべ)が無いでのぉ。
民一同 ・・・。
太王 もし今、わしが彼らと戦火を交えたならば、いったいどうなる? おまえたちの中から、大量の戦死者が出てしまうではないか。
太王 民を養うための手段に過ぎぬ領土を惜しんだ結果、かんじんの養うべき民を失ったとしたならば、それぞまさしく本末転倒、いったい何の益が、そこにあろうか。
太王 それにのぉ、もしかりに隣国のあのものらが、わしの政道よりもより良き統治を行ってくれるならば・・・おまえたちにとっては、とても幸せな事になるであろう、そうではないか?
民一同 ・・・。
太王 ならば、どうしても、わしがおまえたちの統治者でなければならぬ、という理由は、何も無いというわけじゃよ。
民一同 ・・・(涙)。
かくして、太王は豳の地を異民族に与え、岐山(きざん)の麓へ逃げ去り、その地で悠然と暮していった。
民J 太王様のようなすばらしきお方、この世に二人とはおられぬわい。
民K まさに、至高(しこう)の賢人じゃ。
民L わしはいつまでも、太王様の統治される地に生きていきたい。礼儀もわきまえぬ、仁義も何も解せぬ、きゃつらの統治下に暮らしていく事なぞ、到底、がまんならん。わしは決意した、太王様のおられる所へ、移住する!
民M おぉ、よくぞ言ぅた! わしも同じ事を考えておったわい!
民N いざ行かん、王様のもと、岐山山麓のかの地へ!
民一同 おぉ、わしも行く! わしも行くぞぉ!
彼らは全員、子弟老弱を引き連れて岐山山麓へ移住し、再び太王につき従ったので、侵略者は自然に皆亡び果て、太王の子孫はついに中国全土の主となった、これすなわち、周の文王(ぶんおう)、武王(ぶおう)である。
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人物Bが語った話、以上で終わり。
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人物B 古(いにしえ)の世においては、良き政治の実現を図るために、忠臣が君主を諌(いさ)め、といった事例がたくさんありますわなぁ・・・現代の朝廷の臣下らとは、まるで違いますわ。例えば、これは中国・唐(とう)王朝、玄宗(げんそう)皇帝の時代の話ですが・・・。
以下、人物Bが語った話。
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唐の玄宗皇帝は、男二人兄弟の次男に生れた。兄を寧王(ねいおう)という。
帝位についた後、玄宗の好色僻はどんどん深まっていった。彼は、中国全土に勅(ちょく)を下して、容色華やかなる美人を求めた。その結果、後宮には美人多数がひしめきあう状態となった。
彼女たちは、こぞって金翠(きんすい:注34)を飾り、媚(こび)を競いあう。しかし、玄宗のお召(めし)を受けるのは、全員ただの1回限り、2度目のお召は来ない。
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(訳者注34)黄金と翡翠(ひすい)の羽毛の首飾り。
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ここに、弘農(こうのう)の地、楊玄琰(ようげんえん)の娘に、楊貴妃(ようきひ)なる美人があった。深窓(しんそう)の内に養われ、いまだ誰も、彼女の顔を見た事がない。
この人の美しさは、まさに天の形成(なせ)るわざ、とても、人間の類(たぐい)とは思えぬほどのすばらしさである。
ある人が仲立ちして、彼女を、寧王のもとへ輿入(こしい)れさせようとした。
それを聞いた玄宗は、高力士(こうりきし)という将軍を遣わし、嫁入りの道中に彼女を強奪、自らの後宮の中へ入れてしまった。
寧王は、悲憤慷慨(ひふんこうがい)。しかし、我が弟とはいえ、玄宗は皇帝、どうにもしようがない。
寧王もまた、玄宗と同じく、内裏の中に暮している。宴会のつど、玉の几帳(きちょう)の隙間、あるいは錦鶏(きんけい)の羽で飾られた障子の隙間から、楊貴妃の顔をほのかに窺い見る・・・その美貌たるや・・・
ひとたび笑んだその瞳を見ては、金谷千樹(きんこくせんじゅ)の花々も、自らの容を恥じて四方の嵐に誘引され
ほのかにかいま見るその容貌には、銀漢万里(ぎんかんばんり)の月も妬みを覚え、五更(ごこう)の霧に沈みゆく
寧王 (内心)あぁ、いったい、いかなる運命のいたずらでもって、私と彼女とは、かくも遠く、引き裂かれてしまったのであろうか・・・彼女への思いは、ただただ募るばかり、わが心、ただただ痛みが増すばかり・・・このままでは嘆き死にするのみ。そのうち水泡(すいほう)のごとく、我は消滅してしまうのであろうよ。
楊貴妃への恋慕の情に耐えかねて、伏し沈み、嘆く毎日。寧王の心中、まことに哀れなるかな。
当時の中国には、「大史の官」という職種があった。その人数は8人で、常に皇帝の傍らに侍る。善事につけ悪事につけ、皇帝がなした行為を逐一記録し、官庫に収納する、というのが、その職務の内容である。
その記録は、宮殿の中にいる者はもちろんの事、皇帝でさえも、決して見る事はできない、史書に書き置かれて収納される、ただそれだけである。「前代の皇帝の行いの是非をもってして、次代の皇帝への戒めとする」、その目的のために、このようにして、史書が作成されていたのである。
玄宗は次第に、この史書の事が気になってきた。
玄宗 (内心)楊貴妃は、もとはといえば、寧王のもとへ輿入れする事になっていた・・・それをわしは、あのようにした・・・いくらなんでも、まさか、そのまま、ストレイト(真相忠実)に、書いてはおらぬであろうな・・・まさか・・・まさかな・・・いやいや、どうかな?・・・うーん・・・。
玄宗 (内心)気になる・・・どうしても、気になる・・・えぇい!
彼は、密かに官庫を開かせて、大史の官が書いた記録を読んでみた。
玄宗 エェイ! モロ、書きおったかぁ!(激怒)バリバリバリバリ・・・(記録を破って捨てる)。
玄宗は、それを書いた大史の官を召し出し、そく、彼の首を刎(は)ねさせた。
それより後、大史の官は欠員となり、記録を作成する者がいなくなってしまった。かくして、玄宗は何はばかる事なく、悪事を犯せるようになった。
ここに、魯(ろ)に一人の才人あり。彼は王宮にやってきて、大史の官を望んだ。玄宗はすぐに、彼を左大史に任命した。以来、彼は常に、玄宗の傍らにつつしみ従う事となった。
玄宗 (内心)今度の新任の大史、まさか、あの件を記録してはおらぬであろうな・・・あの箇所は、すでに破いて捨てたからな・・・いやいや、もしかして・・・もしかすると、もしかするぞ・・・。
玄宗 (内心)気になる・・・どうしても、気になる・・・えぇい!
再度、密かに官庫を開かせ、記録を取り出して読んでみた。
玄宗 ナ、ナ、ナニィーー!
「天宝10年3月、弘農の楊玄琰(ようげんえん)の娘を、寧王の夫人と為す。皇帝、その美貌のうわさを聞き、高将軍をみだりに遣わして、彼女を奪いて後宮に入れる。時に、大史の官、皇帝のその行為を記録して史書に留むる。皇帝、密かにこれを読む。皇帝、激怒し、大史の官を殺す。」
玄宗はますます激昂し、この大史を召し出して、車裂きの刑に処した。
「もはや、大史の官のなり手は、一人としてあるまいて・・・」。
誰もがこう思ったにもかかわらず、再び、魯から儒者が一人やってきて、大史の官を望んだ。すぐに、左大史に任命された。
玄宗 (内心)今度のやつも、もしかして書いておるかも・・・。
またもや玄宗は、官庫を開かせて、記録を取り出した。
玄宗 ハアアアア・・・。
「天宝年末、天下泰平(てんかたいへい)にして四海無事(しかいぶじ)なり。政道は徐々に緩みを見せる一方、遊宴歓楽(ゆうえんかんらく)において、その増大の傾向、甚(はなは)だし。」
「皇帝、色を重んじて、寧王の夫人を奪う。」
「先任の大史の官ら、これをありのままに記したる結果、あるいは誅され、あるいは車裂きに処せらる。」
「皇帝の非を正さんがために、いやしくも我、わが一命をかけて史職に居するものなり。願わくば後続の史官諸君、たとえ死を賜うとも、たとえ史官の屍(しかばね)累々(るいるい)たる結果になろうとも、我がこの志を、継続していかれんことを。いやしくも史官の職にある者たるや、この事実を、歴史の上から、決して抹消(まっしょう)してはならぬ。」
自分の命をもかえりみず、後続の史官に対してまでも、「たとえ史官の屍累々たる結果になろうとも、この事実を、歴史の上から抹消してはならぬ」と、書ききっているのである。三族(注35)に及ぶ刑罰をも恐れずに、そこまできちんと書き記したこの史官の忠心たるや、まったくもって、すごいものではないか。
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(訳者注35)自らの3種類の親族。「三族」の具体的内容には、様々な異説があるらしい。
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玄宗 わしは間違っておった・・・かくなる志こそが、真の忠義心というものじゃなぁ。
その後、玄宗は二度と史官を処罰する事なく、かえって大禄を与えるようになった。
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人物Bが語った話、以上で終わり。
人物B 人間として、死はこの上なく痛ましい事・・・「これを、ありのままに記録してしもぉたら、死刑にされてまうかもしれへん・・・」、この三人の史官、いったい、どないな気持ちでしたんやろかいなぁ・・・そやけど、「今もし、皇帝の力を恐れて、その非を記録せぇへんままにしといたら、皇帝は、もう何憚る事無く、ますます悪事を重ねていくようになってしまうやろぅ」、そない思うたからこそ、彼らは、死をも恐れずに、史書に記録しましたんや。この史官らの心中、ほんまに、想像するだけでも、あっぱれなもんや、おまへんか。
人物B 昔の人が、こないな事言うてますわ、
諌臣(かんしん) 国に有れば 其(そ)の国 必ず安く
諌子(かんし) 家に有れば 其の家 必ず正し
人物B 天皇は、天下の人々を安からしめん事を、日々念じられる、臣下らも、私心無く、天皇の非をお諌(いさ)め申し上げていく・・・南方の朝廷がそないなふうやったら、これほどまでに乱れてしもうた天下を、再び自らの手中に奪回するのんなんか、実に簡単な事ですわいな。武士階級が捨ててしもて、そこらに落ちたる天下をな、ただヒョイと、拾い上げるようなもんですやん。
人物B そやのにねぇ・・・これほどまでに有利な情勢に、なっておるにもかかわらずですよぉ、30余年もの間、くすぶったまんまやないですかぁ・・・南方のお山の谷底の埋れ木には、もう、花開く春は、廻っては来(こ)んようですなぁ。
人物B と、いうわけでねぇ、(チョンチョン・・・人差し指の爪を親指の腹に当てて弾く動作を2度くりかえす)南の朝廷のご政道いうたかて、まぁ、こないな程度のもんですわいな、ハハハハ・・・あんまし、期待せん方がよろしでぇ。
頼意 (耳を澄まして聞きながら)(内心)なるほどなぁ。あの両人の言う事、まことにごもっとも。
人物Cは、これまでは、人物Aと人物Bの話にじっと聞き入っていたが、帽子を押しのけ、菩提樹(ぼだいじゅ)製の念珠をつまぐりはじめた。
頼意 (内心)おっ、3人目が、何か言いたいみたいやな。あの仏教書籍の研究者然とした、あの人。
人物C 最近の戦乱の世をつくづくと考察してみるに、これは公家のせいでも、武家のせいでも、どっちのせいでも無いと思いますよ。
人物A じゃぁ、いったい誰のせいなんだい?
人物C 何もかもは、これ全て、因果応報(いんがおうほう)の結果と言うべきでしょうなぁ。
人物C その根拠は、といいますとですな・・・「仏の言葉には偽り無し」と言いましてな、これほど確かな話はおませんのや。その、み仏のお言葉、すなわち仏説ですな、これを記録したるのが言うまでもなく、経典(きょうてん)ですわいな。
人物C 「経典」と一口にいいましても、そらぁ膨大なもんでして・・・その中の一つ、「増一阿含経」(ぞういちあごんきょう)に、こないな話が、書いてありますねん。
以下、人物Cが語った話。
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釈尊(しゃくそん)ご在世の頃のインドに、コーサラ国(Kosala)という大国があった(注36)。
ある時、そこの国王・プラセーナジット(注37)が、釈尊が生まれた国、すなわち、カピラヴァストゥ(Kapila-vastu)に対して、使者を送ってきた。当時のカピラヴァストゥ国の王は、釈尊の父、シュッドーダナ王(注38)である。
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(訳者注36)原文では、「昔天竺に波斯匿王と申ける小国の王、浄飯王の婿に成んと請ふ」。
プラセーナジットが統治していたコーサラ(漢訳:舎衛国)は、当時のインドにおける大国であり、それを「小国」とするのは、太平記作者のミスであろう。
(訳者注37)Prasenajit(サンスクリット語)、Pasenadi(パーリ語)。「波斯匿(はしのく)」は、漢訳、すなわち、中国に仏教が伝来した時に使用された中国風の「翻訳当て字」である。
(訳者注38)Śuddhodana(サンスクリット語)、Suddhodana(パーリ語)、漢訳では、「浄飯王」。
[ブッダ入門 中村元 春秋社] の17Pに、以下のような解説がある。
「(釈尊の)お父さんは浄飯王(じょうぼんのう)、パーリ語(当時の言語)でスッドーダナといいます。「スッダ」というのは清らかな、純粋な、混じりけがないという意味です。「オーダナ」は米飯のことです。」(途中略)「浄飯王の場合は、その(オーダナという語の)前に「スッダ」とあるから、白米のことです。ネパールの人もやはり白米のご飯を炊いていたということが、この名前からわかります。」
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シュッドーダナ王 これはこれは、ようこそ、おいでくださいました。プラセーナジット陛下におかれましては、つつがなくおわしますかな?
使者 はい、おかげさまで。
シュッドーダナ王 して、今日は、いかなる趣で、こちらへ?
使者 はい、わがプラセーナジット陛下におかれましては、シュッドーダナ陛下との間に、旧来にもまして更なる親密なる御関係を結びたいとの念、泉のごとく湧き起こる事を止むる事あたわず、シュッドーダナ陛下の婿に成らんと、ご決意、その旨を、陛下に対してお願いもうしあげんがため、それがしを、ご当地に派遣なされましてござりまする。
シュッドーダナ王 (驚愕)なに? 陛下が、わしのような者の婿に?
使者 その通りでござりまする。
シュッドーダナ王 プラセーナジット陛下は、大国コーサラの大王にあらせられる。いったいなぜ、わしのような者の婿に?
使者 そのお問いに対しましては、それがしは、一切お答えいたしかねまする。それがしの任務は、ただただ、プラセーナジット陛下のお言葉を、お伝えするのみにて・・・。
シュッドーダナ王 ・・・。
使者 ・・・。
シュッドーダナ王 あいわかりもうした。他ならぬプラセーナジット陛下のご要望とあらば、一も二もない。この話、喜んで、お受けいたしまする。
使者 かたじけのうござりまする。
使者が帰った後、
シュッドーダナ王 (内心)今回のこの縁むすび、どうも気がすすまぬのぉ・・・かというて、断るわけにもいかぬし・・・。
シュッドーダナ王 (内心)いったい、誰を嫁にやる? うーん・・・。
結局、シュッドーダナ王は、召し使っていた夫人の中から、容貌類なく優れた女人を選び、彼女を、「自分の三番目の王女である」という事にして、プラセーナジットのもとに、輿入れさせた。
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やがて、彼女は男子を生んだ。その子は、「ヴィルーダカ太子(注39)」と名付けられた。
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(訳者注39)サンスクリット語で、Virūḍhaka。漢訳では「瑠璃太子」
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7歳になった年のある日、ヴィルーダカは、シュッドーダナ王の城へ遊びにいった。
彼にとっては、シュッドーダナ王は母方の祖父、当然の事ながら、その近くに寄って行きたい。
ヴィルーダカは、シュッドーダナと同じ床に座した。
これを見たシャカ族のリーダーや大臣たちは、
シャカ族リーダーP ややや・・・王様と同じ床に上がるとは!
シャカ族リーダーQ まったくもう、とんでもない子じゃ。礼儀も何も、あったものではないな。
大臣R さぁさぁ、そこから下りられよ!
ヴィルーダカ 何を言う! 我が母は、シュッドーダナ王の皇女なるぞ。シュッドーダナ王陛下は、我の祖父である。孫が祖父と同じ床に登るに、何の不都合があるか!
シャカ族リーダーP そなたはな、陛下の実の孫ではない。
ヴィルーダカ ナニィ!
シャカ族リーダーQ コーサラに帰ってからな、じっくり、母ごに聞いてみるがよいわ。
大臣R とにかく、そなたには、陛下と同じその床に座す資格はござらぬのじゃよ・・・速やかに、そこから下りられませ。
ヴィルーダカ 下りぬ! 下りぬぞ! 誰が下りるものかぁ!
大臣R 皆のもの、その子を引きずりおろせぃ!
臣下ら一同 オウ!
ヴィルーダカ いやだ! いやだぁ! 下りるの、いやだぁーーー!(涙)
臣下ら一同 エェーィ!(ヴィルーダカを、床から引きずりおろす)
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自らの母の出自に関する真相を知って、ヴィルーダカは、心に深い傷を負った。
ヴィルーダカ (内心)おのれ、シャカ族めぇ!
ヴィルーダカ (内心)よぉし、我、長じた暁には、必ず、シャカ族を滅ぼしてくれるわ。この恥、そそがずにはおくものか! おのれ、見ておれよぉ、シャカ族め!
このような深い悪念を、ヴィルーダカは心中に抱いた。
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20余年が経過した。
ヴィルーダカは、成人に達した。
カピラヴァストゥ国では、シュッドーダナ王が死去した。
ヴィルーダカ さぁ、行くぞぉ! あの時の屈辱を、晴らしになぁ!
ヴィルーダカは、300万の大軍を率いて、カピラヴァストゥ国へ押し寄せた。
急の事ゆえ、諸国からの援軍もやってこず、今にも、カピラヴァストゥ国の王宮は陥落するかと思われた。(注40)
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(訳者注40)原文では、「瑠璃太子三百萬騎の勢を卒して摩竭陀国の城へ寄給ふ。摩竭陀国は大国たりといへ共、俄の事なれば未国々より馳参らで」。
たしかに当時のマカダ国は大国である。しかし、シャカ族の住んでいたのは、マカダではなく、カピラヴァストゥである。よって、ここは太平記作者の誤りである。
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ところが、シャカ族の刹利種(セツリしゅ:注41)に所属の、強弓の使い手・数100名が、前線に出てきた。
彼らは、10町20町の彼方からの遠距離射撃を盛んに行った。コーサラ軍は、これにおそれをなし、山に上り、川を隔てて、徒(いたず)らに日を送った。
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(訳者注41)「セッテイリ」階級。
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このような中に、シャカ族中の一人の大臣が、ヴィルーダカに内通してきた。
大臣が送り込んできた密使 (ヒソヒソ声で)シャカ族を攻め落そうとお思いでしたならば、ただただ、しゃにむに攻め寄せられませ。シャカ族の刹利種の者らは、五戒(ごかい:注42)を守るが故に、これまで一度も人を殺した事がありませぬ。たとえ、弓強くして遠矢を射るとも、それを人間に命中させる事は、彼らには不可能なのでありまする。命中させたならば、不殺生戒に違背することになりまするゆえ・・・ただただ、攻め寄せられませ。
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(訳者注42)五つの戒め、すなわち、「不殺生戒(ふせっしょうかい)=殺しません」、「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)=盗みません」、「不邪淫戒(ふじゃいんかい)=不倫しません」、「不妄語戒(ふもうごかい)=うそ偽りを言いません」、不飲酒戒(ふいんしゅかい)=ノミません。
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ヴィルーダカ なるほど!
ヴィルーダカ よぉし、ものども、イッキに攻め寄せい! シャカ族の弓は単なるこけおどしじゃ、恐れる必要など一切無いぞ!
コーサラ軍メンバー一同 ウオオオオ!
コーサラ軍メンバー一同は、大いに奮い立ち、盾も持たず鎧も着ず、トキの声を上げ、カピラヴァストゥ城めがけて、突撃を敢行。
内通者のもたらした情報の通りであった。シャカ族の刹利種たちが放つ矢はことごとく、わざと、狙いを外していて、誰にも当たらない。矛を使い剣を抜いて、切りかかってくる事さえもない。
かくして、カピラヴァストゥの王宮はたちまち陥落、シャカ族の刹利種メンバーらは、全員、今日1日だけの命となってしまった。
この時、釈尊の弟子・モッガラーナ(注43)は、今まさに、シャカ族が殲滅(せんめつ)の危機に瀕(ひん)している事を悲しみ、釈尊の御前(おんまえ)に参って、
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(訳者注43)漢訳仏典中では、「目連(もくれん)」、「目犍連」、「目健連」等と記される。釈尊の十大弟子中の一人で、「神通第一(じんつうだいいち)」と称された。弟子入りの前からサーリプッタとは親友の間柄で、二人は同時に釈尊の門下になった。
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モッガラーナ シャカ族の人々は、既にヴィルーダカによって滅ぼされ、残るは、わずか500人。世尊(せそん)、いったいなにゆえ、世尊は、大いなる神通力をもってして、彼らを助けたまいませぬのか。
釈尊 ・・・。
モッガラーナ なにゆえ・・・いったい、なにゆえ・・・。(涙)
釈尊 モッガラーナよ、これは、どうにも、しようがない事なのだ・・・。
モッガラーナ ・・・。
釈尊 全ては、因果の法則のなせるわざ・・・これだけは、私にも、どうしようもない。
それを聞いても、モッガラーナは、悲しみの余り、
モッガラーナ (涙)前世からの定めと言ってしまえば、それまでですが・・・それでは、あまりにも・・・。
釈尊 ・・・。
モッガラーナ (内心)もしかしたら、彼らを助けれるかも・・・自分の神通力を使って、彼らを隠してしまえばよいではないか・・・そうだ、きっと彼らを助ける事、できようぞ。
そこで、モッガラーナは、超強力なる神通力を発揮、シャカ族の500人全員を、サイズ縮小して鉄鉢の中に入れ、それを、トウリ天の中に隠し置いた。
シャカ族の領土を完全制圧の後、ヴィルーダカは、全軍を率いて、コーサラに帰って行った。
モッガラーナ よし、もう大丈夫。
モッガラーナは、再び神通力を発揮し、トウリ天まで手を伸ばして、例の鉢を地上に降ろした。
鉢の蓋を、開けてびっくり、
モッガラーナ あぁ! 死んでおる・・・みな、死んでおる! あぁぁ・・・。(涙)
モッガラーナは、釈尊のみ前へ戻ってきた。
モッガラーナ (涙)(肩をガックリ落とし)・・・。
釈尊 ・・・。
モッガラーナ ・・・(涙)(着座、ガックリ肩を落として、地面を見つめる)・・・。
釈尊 (目をつぶる)・・・。
モッガラーナ 世尊、どうか、お教え下さい・・・いったい何故(なにゆえ)、かような悲痛事(ひつうじ)が起らねばならなかったのか・・・いかなる前世の因果(いんが)でもって、シャカ族は全滅してしまわねばならなかったのか。
釈尊 うん・・・今回のこの事件、全てみな、過去の因果によるものである・・・どうして、彼らを助ける事など、できようか。
モッガラーナ ・・・。
釈尊 昔、昔、はるかに遠き昔・・・3年連続の旱魃(かんばつ)が全土を襲い、無熱池(むねつち)の水位が著しく低下した。
釈尊 無熱池には、マカツ魚という、長さ50丈もの巨大な魚がいた。また、多舌魚(たぜつぎょ)という、人間の言葉を話す魚もいた。
釈尊 その池に、数万人の漁師が集まってきた。水位の低下に乗じて、池から水を完全に汲み出し、その中にいる魚を一網打尽にせん、として。
釈尊 池は完全に干上がった。しかし、魚は一匹もいなかった。
釈尊 漁師たちは、がっかりして、引き上げようとした。その時、岩穴の中から多舌魚が這い出してきて、漁師たちに向かっていわく、
「池の北東の方角に、大いなる岩穴あり。その中に、マカツ魚なる魚、潜(ひそ)みおり。その穴は、マカツ魚が堀りしものなり。穴の中には、無数の小魚も共に潜みおり。速やかにその岩を掘り崩し、隠れおるマカツ魚を殺すべし。」
「ただし、汝(なんじ)ら、我が命のみは、助くべし、かくなる貴重な情報をそなたらに教えし事への報謝としてな。」
釈尊 このように、漁師たちに告げた後、多舌魚は、再び岩穴の中に戻った。
釈尊 漁師たちは大いに喜び、多舌魚が教えた岩を掘り起こしてみた。その言葉の通り、そこには、マカツ魚をはじめ、5、6丈ほどもの大魚が多数、潜んでいた。狭い水域にひしめきあうが故に、他のどこにも、逃げ場は無い。
釈尊 魚たちは一匹残らず、漁師たちに殺されてしまった。かくして、無熱池の中には、多舌魚のみが生き残った。
釈尊 その後の、長い長い時間の経過の末に、漁夫たちも魚たちも、新たなる生を得て、再び、この世に現われた。
釈尊 あの、コーサラ国の兵士たち・・・彼らの前世こそは、かのマカツ魚なのである。
モッガラーナ ・・・。
釈尊 シャカ族の刹利種たちの前世は、魚たちを殺した漁夫、そして、コーサラ国に密通したあの大臣の前世こそが、あの多舌魚。
モッガラーナ ・・・さようでありましたか・・・。
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人物Cが語った話、以上で終わり。
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人物C 人間世界、万事(ばんじ)何事も、因果の故・・・こないな話もありますよ。これもはやり、釈尊ご在世の頃の、コーサラ国の話ですが・・・。
以下、人物Cが語った話。
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コーサラに、一人のバラモンがいた。
彼の妻は、一人の男子を生んだ。その子は、リグンシと名づけられた。
リグンシの容貌は、とても醜かった。舌の力は並み外れて強く、母は乳を与える事ができない。しかたなく、酥(そ:注44)と蜂蜜を指に塗り、それを舐(な)めさせて、育てた。
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(訳者注44)牛乳や羊乳を精製して採取した液体。
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リグンシは成人したが、家は貧しく、いつも、食に飢えていた。
ある日、リグンシは、托鉢(たくはつ)の為にコーサラに入ってきた釈尊の弟子たちに出会った。
リグンシ かの出家僧たち、いかなる教団に所属する人々であろうかの?
通行人S えぇっ、ご存じでありませなんだか? あれこそは、例のシャカ族ご出身のゴータマ聖者、そのお弟子様方であらせられますがの。
リグンシ あぁ、あれが例の。
住民T み弟子様方、ささやかな食(じき)ではございますが、どうか、お受け下さいませ。(食物を、弟子が持つ托鉢鉢に入れた後、合掌一礼)。
釈尊の弟子U ・・・。
住民V どうぞ、お召し上がり下さいませ。(食物を、弟子が持つ托鉢鉢に入れた後、合掌一礼)。
釈尊の弟子W ・・・。
リグンシ (内心)ウウウ! 見る間に、鉢が食物でいっぱい・・・ウーン・・・うらやましい事よのぉ・・・(唾を呑み込む)。
リグンシの喉 ゴクリ!
リグンシ (内心)よし、私もこの際、ゴータマ聖者に弟子入りするとしよう。さすれば、毎日、腹いっぱい食べれるようになるであろうて。
リグンシ あのぉ・・・もし・・・(仏弟子たちに呼びかける)貴殿らは、かの高名なるゴータマ先生の、み弟子であられまするか?
仏弟子U はい、さようでございます。
リグンシ これはいいところでお会いできた。じつは私、以前から、ゴータマ先生のもとへ弟子入りしたいと、考えておった次第。
仏弟子U おぉ、それはそれは!(笑顔)
リグンシ 貴殿らは、これから、先生の所へお帰りになられまするか?
仏弟子U はい。
リグンシ いっしょに、私も、連れていって下さらぬか?
仏弟子U はい、喜んで。(笑顔)
仏弟子W さ、参りましょう!(笑顔)
釈尊のみ前に行って、リグンシはまず三礼、その後、
リグンシ ゴータマさま、このたび私、一念発起いたしまして、ぜひとも、先生のもとへ弟子入りさせていただきたく、存じまして。
釈尊 おぉ、それはそれは!(喜びに顔を輝かせ)よくぞ、来られました。
リグンシ ・・・。
釈尊 ではさっそく、今の今から、私が説く教えに添い、しっかり、修行精進していきなさい。さすれば、人世の苦しみの一切を、滅尽(めつじん)していく事ができましょうぞ。
リグンシ はい!
リグンシは、自ら頭を丸め、出家僧の姿になった。
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出家の動機はともかくとして、リグンシは、仏道精進に励んでいった。そして、ついに、阿羅漢(あらかん:注45)の境地にまで到達した。
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(訳者注45)当時の仏教においては、修行が進むにつれて向上していく各自の心境の様相を、「スダオン」、「シダゴン」、「アナーガーミ」、「アラカン(阿羅漢)」に、4分類していた。阿羅漢が、最終のレベルである。
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ところが、どうしたわけか、リグンシの食に事欠く事態には、一向に改善が見られない。どこに托鉢に行ってみても、さっぱり食物が得られないのである。
そのような状態が長く続き、弟子たちもみな、リグンシを思いやって、心を痛めた。
仏弟子U リグンシさん、宝塔の中に入って座っていれば、よいのでは?
リグンシ えっ? 宝塔の中?
仏弟子U 参詣の人々が仏前にお供物を捧げるであろうから、それを頂けば、よろしいのでは?
リグンシ なぁるほどぉ。
リグンシは、喜んで塔の中に入ったが、そこでグッスリ眠り込んでしまい、参詣の人々が仏前に供物を捧げたにもかかわらず、それに全く気付かなかった。
そこへ、500人の仏弟子を引き連れたサーリプッタが、他の地から帰ってきた。
サーリプッタは、塔の中にある供物を集め、物乞いの人々に、全て与えてしまった。
リグンシが眠りから覚めたのは、その後であった。
リグンシ ・・・(仏前を見まわして)ない・・・ない・・・。
サーリプッタ やや? リグンシさん、リグンシさん、かような所で、いったい何を?
リグンシ 「食べ物を得たいならば、仏塔の中に入って、お供物を頂けばよい」と教えられて、それで、ここに入っておったのですが・・・やはり、食べ物は得られない・・・。
サーリプッタ ウウウ・・・さような事とは、つゆ知らず・・・すみません、お供物はことごとく、物乞いの人々に与えてしもぉたぁ。
リグンシ エェー!
サーリプッタ すみません、すみません。
リグンシ (足を摺り合わせながら)あーっ どうしても、私に食は、回ってはこぬのじゃなぁ・・・(悲)
サーリプッタ リグンシさん、リグンシさん・・・悲しまれるな。大丈夫、今日は、あなたにもきっと、食が供されましょうて。じつはな、これから、ガヤ城内のある方の家に招待されておって・・・あなたも、いっしょに連れていってあげましょう。
リグンシ いや、これはありがたい!
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サーリプッタとリグンシは、ガヤ城の門をくぐり、招待主の家に入った。
招待した家の妻 まぁまぁ、ようこそ、ようこそ、かようなムサ苦しい家に、お越しいただきましてぇ。どうぞ、どうぞ、こちらへ。
サーリプッタ はい。
招待した家の妻 では、さっそく、お食事のご用意を。
サーリプッタ ・・・。
リグンシ (内心)あぁ、ようやく食に・・・。
招待した家の夫 ・・・。
サーリプッタとリグンシが鉢をささげて、食物の施を受けようという、まさにその時、
招待した家の夫 (妻に向かって)やぃやぃ、いってぇナニやってやがんでぇ、テメェは!
招待した家の妻 (食物を入れた容器を手に持ちながら)なによぉ、その言い方! テメェってぇ・・・あんた、いったい誰に向かって、モノ言ってんのさぁ!
招待した家の夫 テメェっていやぁ、テメェしか、いねぇだろうがぁ!
招待した家の妻 いったい、ナニそんなに怒ってんのよぉ!
招待した家の夫 尊いゴータマさまのお弟子方を、我が家に迎えるってぇのに、いってぇなんだ、この家ん中はぁ! あっちゃこっちゃ、散らかしっぱなしの置きっぱなし。ちっとも、片付いてねぇじゃねぇかぁ! 掃除や整理整頓くれぇ、ちったぁマジメにやったらどうだぁ!
招待した家の妻 フーンだ! そんな横柄な言い方されるスジアイ、ないわねぇ! だいいち、家の中が散らかってるのは、あたしのせいじゃないさ、あんたが悪いのよぉ!
招待した家の夫 なんだとぉ!
招待した家の妻 だって、そうじゃないのさぁ、毎日毎日、市場へ行っては、次から次へ、のべつまくなし、ガラクタばぁっかし買いあさってくんだもん! どんなに広い家だって、これじゃぁ、とても、かたづきっこないわねぇ!
招待した家の夫 なにぃー! がらくただとぉ! 言わせときゃぁ、いいきになりやがってぇ! このぉ!(妻を打つ)
夫の手 バシッ!
招待した家の妻 なぐったわねぇ、このあたしをぉ! この、DVヤロウーーー!(注46)! サーリプッタさま、見てくださいよ、こんなの、いいんですか?!
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(訳者注46)Domestic Violence 野郎。
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サーリプッタ あ、あ、暴力はいけませんな、暴力は・・・。
招待した家の妻 えぇぃ、もうガマンならない、このぉ!(左手で鉢を持ち、右手で夫を殴る)
妻の手 ガーン!
招待した家の夫 やったなぁ!(妻を殴る)
夫の手 グワーン!
招待した家の妻 このヤロウ!(夫と、とっくみあいを始める)
鉢 (妻の手から落ちて)ガシャーン!
鉢中の食物 ピシャーッ(散乱)
サーリプッタ ・・・だめだ・・・帰ろう。
リグンシ (内心)あーあ、また食が逃げていったぁ・・・(ガックリ)。
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翌日、ある富豪の招待を受けていたサーリプッタは、再び、リグンシを伴ってその家に行った。
富豪は、サーリプッタら500人の阿羅漢全員に食を供じたが、どういうわけか、リグンシにだけは、気がつかなかった。
リグンシはまたもや、食を受ける事ができない。鉢を掲げて大声で叫んだが、誰も、彼に気付かずじまい。ついに、その日も、彼は、飢えたまま帰るしかなかった。
これを聞いたアーナンダ(注47)も、心を痛めた。
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(訳者注47)アーナンダ(Ānanda)は、十大弟子中の一人で、「多聞第一」と称された。
「多聞」とは、「釈尊が説いた事を、弟子中、最も多く聞いている」という事である。
出家の20年後、釈尊は、アーナンダを、自らの身の回りの世話係として選んだ。その結果、アーナンダは、常に釈尊の側にいる事となり、自然と、「多聞第一」の人になっていったのである。
釈尊が涅槃(ねはん)に入ったその最後の瞬間においても、アーナンダは、釈尊の側にあった。
釈尊の涅槃の後、釈尊が教えた事を、弟子たちが確認しあった、[第一結集]において、アーナンダは、この「多聞第一」の努力成果をフルに発揮して、大きな役割を果たした。
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アーナンダ リグンシさん、大丈夫、大丈夫ですぞ。今日、私は世尊にお伴して、ある家に行きまする、そこの主から招待を受けておりますのでな。あなたも、連れていってあげましょう。今日こそは、おなかいっぱい食べる事ができまするぞ。
リグンシ ハァーーー、ありがとうございます・・・ハァー。
ところが、いよいよ釈尊と共に出かける時、アーナンダは、リグンシとの約束をすっかり忘れてしまい、リグンシは置き去りにされてしまった。
その日も、彼は、空っぽの鉢を前に置いたまま、徒らにすごした。
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翌日になってからようやく、アーナンダは、この約束の事を思い出した。
アーナンダ しまったぁ! 悪い事をしてしもぉたなぁ・・・。
アーナンダ よし、今日はなんとしてでも、リグンシ比丘のために托鉢を!
アーナンダは、ある家を訪れて、食物を得た。
ところがその帰途、彼の背後に、猛犬数10匹が現われた。
猛犬たち ウーウーウー、ウワオー、ワウワウワウワウ・・・。
アーナンダ うわぁ!(逃げる)
アーナンダの両足 ダダダダダダ・・・。
猛犬たち ワウワウワウワウ・・・。
アーナンダ (鉢を落とす)
鉢 (アーナンダの手から落ちて)ボトーーン!
鉢中の食物 ピシャーッ(散乱)
その日も、リグンシは飢える事になった。
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第6日目、今度は、モッガラーナが、リグンシのために、托鉢に歩いた。
食物を得ての帰途、
モッガラーナ (前方の上空を見つめ)う! あれは何じゃ!
巨大カルラ鳥 ギャオウー!(空中から舞い下り、モッガラーナを急襲)。
モッガラーナ ア、ア、ア!
巨大カルラ鳥 (両足で鉢を挟む)
カルラ鳥の両足 グァシ!
巨大カルラ鳥 ギャオウーーン!(天空高く舞い上がる)。
モッガラーナ アァーーー!
巨大カルラ鳥は、その鉢を大海に浮かべた。
かくしてこの日も、リグンシは飢えたまま。
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第7日目、サーリプッタは、リグンシのために、家々を托鉢してまわった。
ところが、どこの家も、門戸を閉ざして開かない。
サーリプッタ えぇい!
門 ギィィィィ・・・。(開く)
サーリプッタは、神通力を行使して門戸を開き、中へ入った。
食物を得て、帰路についたとたん、
大地 シュヴァ!(裂ける)
鉢 ヒューーー(裂け目に吸い込まれる)
サーリプッタ アアア、鉢が、鉢がぁ!
鉢 ヒューーー・・・・ポソッ(地底160万ユジュナにある、金輪際(こんりんざい)へ着地)
サーリプッタ えぇい、ぜったいあきらめんぞ! エェーーィ!
サーリプッタの右手 グワイーン、グワイーン、グワイーン、グワイーン・・・。
サーリプッタは、神通力を行使し、右手を金輪際まで伸ばした。
サーリプッタの右手 グワイーン、グワイーン、グワイーン、ピタ!(鉢をつかむ)
サーリプッタ よぉし!
食物を持ち帰ったサーリプッタは、急いでリグンシのもとへかけつけた。
サーリプッタ お待ちどおさまぁ! やっと、持ってこれました、さ、どうぞ。
リグンシ ウグググ・・・。
サーリプッタ ウ? どうした? どうした?
リグンシ ウグググ・・・ウムムム・・・。
サーリプッタ ・・・口が・・・開かない?
リグンシ (口を閉ざしたまま、うなづく)・・・。
サーリプッタ アアア・・・。
そのまま時は経ってしまい、この日もついに、リグンシは食べる事ができなかった。
ここにきて、リグンシは、大いに自分の事を慙愧(ざんき)し、みんなの前でいわく、
リグンシ みなさんに、ここまでしていただいても、私はどうしても食を受く事ができぬ・・・よっぽど、業の深い人間なのでしょうねぇ。
仏弟子一同 ・・・。
リグンシ もはや、これしか、私に食べれるものはない・・・(砂を噛み、水を飲む)
リグンシは、そのまま涅槃に入った。まことに哀れな事である。
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後日、弟子たちは、釈尊に問うた。
サーリプッタ リグンシ比丘は、いったいいかなる業因縁(ごういんねん)あって、あのような事になってしまったのでしょうか?
釈尊 みんな、私がこれから言う事を、よく聞くがよい。
仏弟子一同 ・・・。
釈尊 はるかなる過去、ハラナ国に、クミという一人の大富豪がいた・・・。
クミは、信心あつき人であり、出家僧らに対して毎日、熱心に布施を行った。
クミの死後、彼の妻もまた信心あつく、出家への布施を怠らなかった。
クミの息子はこれを怒り、母を一室の中に閉じ込め、門戸を固く閉ざし、人の出入りを一切禁じた。
母は7日間、泣き続けながら幽閉された。
7日目、いよいよ餓死寸前となり、母は息子に懇願した。
母 お願い、どうか、食べさせておくれ。
息子は、怒りの眼をもって母をにらみ、言い放った。
息子 家の中のもの、みんな、出家僧にやってしまったろう。だから、もう何もないぞ。食べるものなど、もう何もないぞ。そんなに食べたければ、砂と水を食べろ!
彼は、母に食物を一切与えようとしなかった。
幽閉されてから7日目、母はついに餓死した。
息子はその後、貧困のどん底に陥り、死して後、無間地獄(むげんじごく)に落ちた。
釈尊 長い長い時間の間、彼は、地獄の苦しみを受け続けた。そしてついに、その受苦の期間を終え、再び人間としての生を受けた、リグンシとしてな。
仏弟子一同 (内心)あぁ、そういう事であったのかぁ。
釈尊 リグンシは、私のもとへやってきて出家し、みごと、阿羅漢の境地に到達した。それは、彼の父・クミが、生前、僧侶に対して厚く布施を行っていた、その善き功徳の果である。
釈尊 食に飢え、砂を噛んで死んでいかねばならなかった、それは、母を餓死させた、その悪業の果である。
釈尊 なにごとも、因果応報の理(ことわり)に従って、ものごとは進んでいくのだ。
このように、釈尊がリグンシの過去生での所業を説き明かされたので、アーナンダ、モッガラーナ、サーリプッタらは、ようやく事の真相を理解し、礼をして釈尊の前を去った。
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人物Cが語った話、以上で終わり。
人物C ・・・と、まぁ、こないなわけでしてなぁ。
人物C こういった、み仏のお説き下さった事を、つらつら思うにですよ、臣下が君主をないがしろにし、子が父を殺すといった悪事もすべて、今生一世(こんじょういっせい)だけの事でもって、考察されるべきものではない。そないなってしまうには、そないなってしまうだけの、前世からの深ぁい因果があるっちゅうことですわいな。
人物C 今の世の中、武士が衣食に満ち飽き、公家は餓死にまで及んでる、これもまた、過去の因果の結果という事でっしゃろなぁ。
このように、人物Cは、仏典中の記述内容をもとにして、現代政治の諸相について、明快に論じた。
人物A なぁるほどなぁ、ははは・・・。
人物B ははは・・・。
人物C ははは・・・。
人物A あぁっ、水時計の針、もうあんなになってらぁ。
人物B いやぁ、こら、つい話に夢中になって、えらい長話、してしまいましたわ。
人物C 東の空が、明るうなってきましたなぁ。
人物A そろそろ、帰らなきゃ。
人物B ほな、わても。
人物C さいなら。
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頼意 (内心)ふーん・・・なかなか、聞きごたえのある談論会やったなぁ。
頼意 (内心)彼らの言うてた事を、つらつらと考えてみるに・・・今はこないな戦乱の世やけど、そのうちまた、平和な世の中になってくれるんかもなぁ。
頼意 (内心)いや、ぜひとも、そうあって欲しいもんや。平和な世の中になってもらわんと、ほんま困るわ。
頼意 (内心)人間、決して、希望を捨てては、あかんのや!
3人の談話の内容を噛み締めながら、頼意は、帰路についた。
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太平記 現代語訳 インデックス 18 へ
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