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【掌編小説】星になるバイト
未明の空。星々の代役を果たしていた人々は各々帰途につき始めていた。
数時間ぶりに降り立ち踏まれていく氷の大地からは、砂のような結晶がさらりと浮いて風にさらわれていく。キラキラと輝くこの光景にも慣れたもので、感動は遠い過去にあった。
俺はぐぐぐっ、と大きく伸びをして「んぁー」と間抜けな声を出した。
「先輩、おじさんみたいな声出てますよ」
「まだ二十代なんだけど」
「四捨五入すればアラサーじゃないですか」
「そうそう最近ちょっと頭頂部が薄くなってきて、って言ってて悲しくなってきた」
あははと笑う、朝焼けの真っ赤な初々しさに似た恋慕を抱かせるこの女の子と、バイト終わりに話をすることが俺の密やかな楽しみであった。表面上はなんでもない風を装いながら、内心では浮足立って軽口を叩き合うという幸せな関係にあってしかし、その先を俺は望んでいる。
「そうだ先輩。お願いがあるんですけど」
「なに?」
「次のシフト代わってくれませんか?」
「いいけど、何かあったの?」
「最近受けた寿命検診の結果がちょっとやばくって」
「まじ? 大丈夫?」
「大丈夫です! そのためにシフト減らすんで」
「まだ若いのにねぇ」
「先輩は大丈夫なんですか? 私より長いですよねこのバイト」
俺は一瞬ぎくりとして、実は一度も受診したことがないと言ったら心配してもらえるだろうかなどと考えたあげく、「ぜんぜん大丈夫」と笑って誤魔化した。怪訝そうに彼女は眉を顰めた。「そうですか」と不服を顔に書いた彼女は、
「じゃあ、お願いします。職員さんには私から言っておくので」
「はいよお大事に」
「ありがとうございます! この埋め合わせは必ず!」
彼女は手を振り去って送迎バスに乗り込んだ。
彼女の家は俺の家とは反対方向だった。
薄明の空、直に夜空を彩り輝き出す天然の星々を思いながら、人工星成ポットに向かって歩く。
このバイトが終わった午後には、あの子とのデートが控えているのだ。
気温はこれから一足飛ばしに下がっていく。澄み渡る空気に溶け合わんとする俺たちは、地上から百キロメートル昇った上空へとポットに乗って浮上するが、俺の足はすでに浮いていた。
ポットのハッチを回し開け、中からシュコーという音とともに暖かな空気が全身を直撃した。足を踏み入れればパッと内部に明かりが灯る。窓もない一畳半の円錐空間。ただの無機質な真っ白い空間なのに、普段よりもずっと鮮明に見えている。
一年間で計百回はこのバイトを行っている俺にとっては実家に帰ってくるようなものなのに、婚約相手の実家に挨拶をする時に似た緊張感で胸がいっぱいだった。バイタルチェックで脈拍異常と診断されたが、些末なことだった。「浮上を開始します」
室内に響く機械音声のあと、微量のGを感じながら空へと昇り、「軌道座標に到達。発光と旋回を開始します」人工星成機は輝き出した。遥か悠久の彼方に消えた星空を地上の人々へ届けるために。
動力は、搭乗する人間の寿命であった。
「そろそろ寿命検査しておくかぁ」
あくびをして横になった俺は、目を閉じ眠りに入った。
ビービー、ビービー。警告音が鳴り響く。
はっとして起き上がると、室内では赤色灯の明滅が繰り返されていた。
緊急事態だ!
と思ったが、こちらからできることは無事を祈る以外に何もないのだから、焦ったところで仕方がない。
落ち着け、大丈夫だ。と自分を諭す。深く息を吸い込んで、吐ききった。
この事態は管制スタッフも把握しているし、職員がなんとでもしてくれる。ポットの事故回避や不時着などの安全機能だって信頼できる。問題はない。大丈夫だ。きっと、でも……。
つと、嫌な予感のこもった汗が背筋を流れていった。その時だった。
『※警告※』
目の前に半透明のディスプレイが表示され、文字が記されている。画面をタップするとパッと消えて次の表記へ切り替わった。
『搭乗者の寿命が規定値を下回りました。
誓約に基づき、模擬的超新星爆発状態へと移行します。』
ああ、
いやだ。
死にたくない。
ふざけんな。
だってまだ。
いやだ。いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだ!
「うわあああああああああ!」
壁に体当たりをしても揺れさえしない。ただ肩に鈍く痛みが広がるだけ。それは、死の実感が、たしかな質量を伴っているようでもあった。
俺は膝から崩れ落ちてうずくまる。
もう、どうしようもないのだと。
諦めきった思考は変に冷静で、泰然と、堆積していく一つ一つの後悔を自覚させられていく。
もっと早くデートに誘えばよかった。
寿命検診を定期的に受診していればよかった。
こんなバイトなんてするんじゃなかった。
ちゃんと大学を出て、就職して、真っ当に生きていれば、こんなことにならなかったんだ。
こんなことになると分かっていたならきっと。
俺は、星にならずに済んだのに。