【掌編小説】星に願いを
チャーリーはベッドに横になって目を閉じてから異変に気が付いた。どんなに寝よう寝ようと思ってみても眠れる気がまったくしないのだ。その夜というのも別に寝苦しいほどの暑さもなければ震えて丸くなるほどの寒さもない。いたって平凡な夜なのだが、何かが起こりそうな予感がしていて、頭は冴えていくばかりだった。
「なんだろう、眠る前にコーヒーを飲んだおぼえはないんだけどな」
チャーリーは月明かりのこぼれる寝室で「うーん」と低く唸り、二、三度寝返りを打ち、仰向けのまま腕を組んで瞬きを繰り返した。そして、何かが起こるとしたらどんなことが起こるだろうかと考えてみたが、思い当たることなど一つもなかった。
チャーリーの日常は平凡そのものだった。学校に行って授業を受け、友達と遊び、帰ってきて宿題を済ませてご飯を食べる。そのあとは大好きな映画を見て、何本か見終わったらシャワーを浴びて眠りにつく。学校で好きな子とたくさん話をしたとか面白いことがあったとか、あるいは明日はピクニックに行くとかいったこともなければ、先生やお母さんに怒られるようなこともしていない。だから、嬉しいことも心配になるようなこともチャーリーが考え得る中では起こりようがなかった。
多分、きっと気のせいに違いない。そう判断したチャーリーはとにかく目を閉じて眠るよう頑張ってみることにした。その方法とは、羊の群れを数えてみるというものだ。
チャーリーは山向こうまで広がる草原を円状に柵で囲い、その中で思い思いに過ごしている羊の群れを想像して、牧場の真ん中に羊が飛び越える用の柵を立てた。本当は犬の方が好きなので、羊よりも犬の群れを想像したかったのだが、それでは数えるどころか一緒になって遊んでしまいそうだと思ったチャーリーは、羊が飛び越える用の柵の横に座らせて、羊が真面目に飛ぶための監視役に任命した。そうしてようやく、チャーリーは羊を数え始めた。
「羊が一匹、羊が二匹……」
初めのうちこそ丁寧に指折り数えていたけれど、
「八十二、八十三……」
となるころには、ただ数えるということだけに集中していた。そうしてくるとだんだん眠気が訪れてきて、それに伴ってか牧場の辺りも陽が沈み出し、気付けば大きく丸々と太った満月に夜空は満天の星で埋め尽くされていた。チャーリーはその光景に気分が良くなって、いよいよ眠れそうだと想像の中でも横になったとき、星空の中の一つがキラリと光って夜のキャンバスに輝く線を引いた。
「わーお、流れ星だ」
チャーリーは夢見心地で感嘆の声を漏らした。すると、その流れ星はどんどん近づいてきて、チャーリーの目の前までやってきた。驚いて声も出ないチャーリーをよそに、五芒星の形をした流れ星は時計回りにくるくるっと回ってから言った。
「やあ、私は叶え星。君の願いを叶えに来たよ」
チャーリーは体を起こして、
「いやあ、これは驚いた。僕はチャーリー、会えて光栄だよ叶え星。それで、君はいったいどういう用件で僕の夢の中までやってきたんだい」
「そう焦っちゃあいけないよチャーリー。物事には順序ってものがあるんだから。君は最近流れ星を見ただろう?」
「うーん、そうだったかな」
「よく思い出してみなよ、それで君は願い事を言ったはずだ」
「たしかに、言われてみればそんな気がしてきたよ」
「その時の流れ星が私というわけなんだ」
「へえ、なるほど。それでなんでまた僕の夢なんかに現れたんだい? 僕は何かとんでもないお願い事をして君を困らせてしまったとか、そういうわけなのかな」
「とんでもない。私たちに叶えられない願いなんてないんだから。用事っていうのも、実は今年に入ってから流れ星にお願いをした人は君でちょうど百万人目だったんだ」
「わあすごい。僕はどうやら一生分の運を使い果たしてしまったみたいだ」
チャーリーは飛び上がるほど嬉しくなって、手を叩いて喜んだ。しかし、叶え星は冷静にこう続けた。
「幸運なのはこれからだよチャーリー。叶え星の決まり事でね、百万人目ごとに私たちが直々に願いを叶えてあげることになっているのさ。そういうわけだからね君、今からどんな願いでも一つだけ叶えることができるってわけさ!」
満月のようにまん丸な目をしてチャーリーは驚いた。「本当になんでも?」チャーリーは恐る恐る訊いてみる。
「ああ、なんでも」
「そう言われると、悩んじゃうなあ」
草原の上でどかっと座り込んだチャーリーは腕を組んで考え始めた。
「言い忘れてたけど、制限時間があるんだ。あまり待ってはいられないから早めに決めてね」
「ええ! ますます混乱してきた」
叶え星は「なんていったって私は流れ星でもあるからね」と言ってあははと笑った。
「うーん、もうちょっと待ってよ」
「思いつかないってんなら、最初に願ったことを言ってごらんよ。それが君の一番の願い事だったはずなんだから」
チャーリーは少し泣きそうな情けない声を出した。
「それが思い出せないんだよ。なんだったかな……。もう、こんなことになるなら願ったときに叶えてくれててもよかったのに」
「それができたら苦労はしないよ。本当に百万人目だったのかきちんと確認する方が大切だもの」
「それもそうだね。もし間違って他の人の願いを叶えに行かれていたら、僕はスコールに打たれたみたいに枕を濡らしていただろうから。……それにしても思い出せないな」
「例えばほら、頭がよくなりたいとか」
「それもいいね」
「足が速くなりたいとか」
「かっこいいね」
「女の子からモテモテになるとか」
「それはちょっと怖いなあ」
「じゃあお金だ」
「お小遣いは充分もらっているよ」
「そうかい。それじゃあ他には何があるかな。もし思いつかないようなら、私はもう帰ってしまうよ」
「まあ待ってよ、もうちょっとだけ。今に思い出してみせるから。僕はいつも心の底から望んでいたことがあったはずなんだ」
慌てたチャーリーはさらにうんうんと唸った。
「どうだい、思い出せそうかな」
叶え星はさらに催促した。
「ごめんよ、もう少し、もう少しなんだ。こんなチャンスはめったにないんだから。なんとか思い出さないと……、思い出させてくれ。思い出せないとこの先ずっと後悔しそうだ」
ぶつぶつと呟いていたチャーリーだったが、「あっ!」と大きな声を出して立ち上がった。
「思い出した! 僕は忘れっぽい性格だったんだ。そのせいで宿題を家に忘れたり、門限を過ぎても遊んでしまったりしてお母さんや先生によく怒られるんだ。だから、この性格を直してくれ」
「それはできないよ」
「なんだって! なんでも叶えてくれるって言ったじゃないか」
チャーリーは困惑と、その底から沸々と泡を飛ばし始めている怒りを感じていた。
「なぜって、残念だけど、君の願いは今さっき叶えてしまったからさ」
「でたらめだ! 何が叶ったっていうんだ」
「思い出させてくれ、とさっきそう言ったじゃないか。だから私は願いを叶えて、君は思い出すことができたってわけだ」
「そんなことってあんまりだ。まるっきり詐欺じゃないか」
握った拳をわなわなと震わせるチャーリーを意に介さないとでもいうように、叶え星はまたくるくると回り出した。
「そんなにその願いを叶えたいなら二百万人目になることだね」
ピカっと一際明るく輝いた願い星は、光の軌跡を残しながら夜空の元の星の一つへと戻ってしまった。