【day15】写真
四十歳になった自分は想像できる。
「今月も営業成績トップかぁ。五年連続記録更新とはさすがエースだな」
「頑張るお父さんは強いんだよ」
「五年前は結婚もしてなかっただろ。はぁー才能マンは怖いね」
「努力だよ努力」
「先輩、何か秘伝のコツとかあるんですか?」
「ひゅーっとやってひょい、ひゅーひょいだ」
「五十嵐さんには聞いてないですよ」
「最近言葉強くない?」
「コミュニケーション能力を磨くに尽きる。けど、最近は誠実さの方が大事な気もしてる」
「ほらな言ってること俺と変わらねーよ。要するに才能だ才能、俺らにはないやつね」
「一緒にしないでくださいよ」
社会人になったからといってもやっていることは学生の頃から変わっていない。全ては他者との円滑なコミュニケーションに裏付けされた利害の保証をするだけ。そのためなら勉強も人付き合いもただの手段で、正しいコストをかければ相応しい結果が返ってくる。長い目で見れば特にその傾向は強くなる。だから十年後の自分は想像に難くないのだ。
相応の役職に伴う仕事、少し余裕の出てきた妻と自立しはじめる子供たち、同僚や友人との付き合いで飲む酒、十年後の俺はきっと順調なのだろう。でもじゃあ、一か月後、半年後、一年後はどうかと自問すると途端に分からなくなる。きっと変わらないのだろうし想定の域を出ないと思ってみても、それらは全てのどの奥に刺さった魚の骨のように飲み下せないでいた。
「先輩ちゃんと飲んでますー?」
「そうだぞお前の祝いなんだからもっと飲め、割り勘だけど」
「ほれ」中ジョッキを空にしてピッチャーを持って待機していた後輩にビールを注がせた。泡が八割、まあまあ上手くなった方だと褒めた。
「褒められたのでもう一杯注ぎますね」
「言うようになったねほんと」
「先輩の指導の賜物です!」
「俺は? ねえ俺は?」
「五十嵐さんからは失敗を見て学びました」
「言うほどミスしてねーよ」
「今日も沼カッパに怒られてたじゃないですか」
「そういう妖怪なんだからあれはノーカン」
夜の居酒屋にゲラゲラした笑いが溶け込んだ。
良く言えば、この退屈を変えてくれる何かを期待して。
飲み会帰りの深夜一時、河川敷をぶらぶら歩く。
初秋の少し冷たい夜気に覚まされる酔いが心地よかった。このまま眠ってしまいたい気分に足を止めた。ジャージにパーカー姿の女性が一人、空にカメラを向けて立っていた。
「こんばんは」
声をかけると「ひゃあ!」と驚き、壊れたブリキのダンスのようにわたわたとしているのが妙に幼く見えた。
「何をされていたんですか」
「あ、えと、いやその、写真を撮ってました」
「今夜は満月ですもんね。きれいに撮れましたか」
「どうでしょう、一枚くらいは撮れましたかもしれません」
「へぇ、見てみたいな」
「あ、いいですよ」
女性はカメラを渡して操作方法を教えてくれた。たしかに、その女性が撮った写真はどれも夜空のものなのにどれ一つとして同じものはなく、チープな言い方が嫌いなのに美しいという言葉が手持ちの中では唯一妥当だった。
「世の中はいつでも決定的瞬間だって言うのはその通りなんですね」
「よく知ってますねそんな言葉」
「たまたまですよ。しかし凄まじい量を撮るんですね」
「百枚とか二百枚に一つ、納得のいくものがあればいい方ですから」
「今日の納得がいくものは撮れましたか?」
「はい。ちょっと貸してください」
女性はカメラのストレージを遡って「これです!」と俺に見せた。それは月も星もない、ただ真っ暗な写真だった。よくよく目を凝らしてみれば、森と川と壊れた街灯が写っていてたしかにこの近辺の風景に間違いなかった。「これがですか?」と本音が出ていた。
「これがです」
「失礼ですが、これのどこが」
「これの上には月と星と雲があって、右には海左には山、後ろには街があるんです。この真っ暗な世界の中に、違う世界が広がっているって思ったらなんだかちょっと素敵じゃないですか」
「まあそう言われればそうかもしれませんね」
俺はなぜこんなところで見知らぬ人と話をしているのだろう。途端、酔いと興味が覚めていくのが分かった。
「写真を撮る才能があるんですね」
「ありがとうございます。でも、初対面の人にこんなことを言うのも変ですけど、写真を撮るのにも技術が必要で練習をしないといけないんです。それを才能って一括りにされるのは少し寂しいものですよ」
「軽率でしたね。申し訳ない」
「いえいえ。それよりあなたも一枚、撮ってみませんか?」
「……じゃあ、一枚だけ」
空を撮ってみようと思った。月も星もぼんやりとしていてこれではないと下を向く。はずみで一枚、シャッターをきっていた。確認すると半歩前に出ていた左足が写っていた。
なぜだかそれで、この退屈が裏返る予感がした。