ショートショート【純】

この街は輝きすぎている。
いつしかそんなことも思わなくなっていた。

中学生の時に親の転勤で東京に引っ越した俺は、今年から仕事に就きすっかり東京の男になっている。
ここを初めて歩いた時は、ビルの高さに驚き街の明るさに感動した。


大学時代の友人と待ち合わせをしていると、見覚えのある女性が上を向いてボーッと景色を眺めていた。
彼女は同じ会社に務めるいわゆる同期だ。新入社員説明会で偶然隣になり少し仲良くなった。
たしか今年大分県から上京してきたと笑顔で話していたので、きっとこの大都市に圧巻されているのだろう。


俺の友人はまだ来そうにない。
これも何かの縁だろうと一歩踏み出す。

いや待て、彼女は俺を覚えているだろうか。
誰だよこいつ、ナンパか?なんて思われないだろうか。
あの時笑顔を見せたのは、彼女の中の俺に仕事の同僚という確実な居場所があったからなのではないか。
その居場所にこの私服の俺がいない状況で声をかけたとしても勝算はないだろう。
そもそも彼女がガン無視をする可能性も大いにあるじゃないか。
名前を呼べば知り合いだと判断し記憶の中を探してくれそうだ。ただ問題なのは彼女の名前。佐藤、こんなありふれた名字、呼ばれて振り返ったとしても彼女に見覚えのない顔だと判断されてしまったら、当てずっぽうで声をかけたと思われさよならだ。


ほんの数秒の間に飛び交った俺の声。
最後の一言は、まあ無視されたらそっと引いて何食わぬ顔でまた友人を待てばいい。だった。
そう言い聞かせ彼女の方へ歩き出したがこれはかなり勇気がいるな…


もしかして佐藤さんですか?
真っ直ぐ上を見つめる横顔に声をかけた。

「あっ間宮さん!こんばんわ!偶然ですね〜!」

覚えていてくれたことが分かると胸の高鳴りが少し落ち着いた。
安心と賭けに勝った喜びを悟られないように、これから友人と飲みに行くこと言うと、彼女は「いいですね〜」と笑った。

話が途切れてしまいそうだったので俺はすかさず
「東京は建物が全部高くて明るくて、つい見上げちゃいますよね〜」
と、昔の自分を思い出しながら言った。
「たしかにそうですね〜」
と頷きながら優しく返した彼女に、「今から帰りですか?」と聞いた。


「はい、でも月が綺麗だったのでつい眺めてしまっていました。」


後ろから友人に声をかけられ我に返った俺は彼女に軽く会釈をして背を向けた。

すぐに彼女との関係を聞かれたが、なんでもないただの同僚だと言った。
居酒屋で最近の出来事など一通り語った。一人暮らしの友人の隣の部屋から聞こえる歌が絶妙に下手でモヤモヤしていること、俺の飼っている犬が最近太ってきたこと、2人の共通の友人が婚約をしたという噂、この頃肉は塩で食べるようになったこと…あえて話すようなことでもないが、そんな時間が好きだ。今日はあまり長居はせずに友人と別れた。

酒が入っても俺の頭の中には彼女の言葉と真っ直ぐな瞳がしっかりと残っていた。

地方から出てきて、右も左も分からないであろうこの東京の街で彼女は遠くに小さく輝く月を見ていたんだ。

あれほど周りが輝いているのにも関わらず。

街の明るさに慣れても意識して見たことなどない月を。


そんな彼女に惹かれない理由などあるのだろうか。俺は街並みの隙間から見えるひとつの光を眺めながら思った。どうやら俺は友人にひとつ嘘をついてしまっていたようだ。

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