日本を代表する大指揮者、小澤征爾の功績を讃える!

本日は、2021年11月21日付でブログに投稿した記事を、ここでもシェアさせて頂きたいと思います。下記の記事をご覧下さい。

小澤征爾さんに対する個人的な強い思いを筆者が自分の思うがままに綴った投稿ですので、一部偏った記述があるかもしれませんが、その点はどうかお許し下さい。
改めて、小澤征爾さんのご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り致します。

こよなくクラシック音楽を愛する
リスク管理コンサル 髙見 広行

皆さん、お元気ですか? 11月も下旬に差し掛かり、秋もだいぶ深まって参りました。
さて、本日は私自身が尊敬する日本を代表する偉大な指揮者である小澤征爾さんを、取り上げたいと思います。
タカミンが大のクラシック音楽ファンであることはご存知の通りだと思いますが、日本を代表する指揮者と言えば、紛れもなく小澤征爾さんを除いて他にいないと確信しています。小澤征爾さんの生き様は、私の見本になるものであり、狭い見識しか持たない日本の音楽界を出て、海外での音楽活動を重視し、日本のクラシック音楽の国際化に大きく尽力した方と高く評価しています。

野球に例えれば、米国大リーグの名門ニューヨークヤンキースの監督に日本人が就任するのと同様の意味合いを持つ、音楽の都、オーストリアのウィーンに本拠を置く世界ナンバーワンの呼び声が高いウィーンフィルハーモニー管弦楽団を擁する「ウィーン国立歌劇場音楽監督」の地位に就任した実績を過去に持つ(2002年-2003年〜2009年-2010年のシーズン)、まさに指揮者の世界におけるスーパースターの一人なのです。

タカミンと小澤征爾さんの出会いは、前職でのニューヨーク研修生時代のボストン交響楽団主催の夏の野外音楽イベントである「タングルウッド音楽祭」でした。今でも私自身にとって、生涯ベスト10に入る生で鑑賞したコンサートとして、1994年夏の夜に披露されたベートーヴェン交響曲第5番「運命」があります。これは圧巻の実に迫力ある「運命」でした。小澤征爾さんの真のファンになった瞬間でした。
その年に再度タングルウッド音楽祭を訪問し、当時はまだ若手のヴァイオリニストであった五嶋みどりさんと小澤征爾さんの夢の共演、曲目「プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲」も物凄い迫力でしたね。偉大な2人の日本人の共演に、心躍る瞬間でした。

そして、もう一つの小澤征爾さんとの大きな出会いは、1992年より開催されていた、長野県松本市で毎年8月から9月にかけて開催される旧称「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」での、小澤征爾さんが醸し出す名演に生で出会えたことです。実は、このフェスティバルの名称は、2015年にセイジ・オザワ 松本フェスティバル に変更されています。この音楽祭は、実に素晴らしく、日本のザルツブルク音楽祭だと思っています。師匠の為に、自ら立ち上げた同志による音楽祭が、今では自分の名前がフェスティバル名の冠として付されることになるとは、当初は予想していなかったことでしょう。
上記の名演とは、ニューヨーク駐在直前の2009年秋に妻と訪れた時に聴いた「ブラームス交響曲第一番」でした。演奏開始冒頭より、圧倒的な緊張感と旋律により、聴衆を圧倒したあの曲目も、タカミンの生涯ベスト10に入る名演でした。自然と演奏終了直後に涙が溢れてきた瞬間を今でも思い出します。音楽の力を実感した瞬間でした。
余談ですが、私のクラシック音楽は好きではなくあまり聴かないのですが、その妻が、この時は涙して感動している姿を目にして、この演奏が特筆に値する程の名演であったことを確信しました。
夏の音楽祭と言えば、既に述べた米国ボストン郊外で行われている「タングルウッド音楽祭」があるわけですが、この松本での日本発の音楽祭と言い、小澤征爾さんとの出会い・触れ合いは、音楽祭を通じてであったことを改めて再認識しました。
最近は、高齢になられると共に、めっきり体調を崩されることも多くなり、あまり対外的に小澤征爾さんが報道される機会も減少してしまいましたが、できればもう一度、生の小澤さんの指揮振りを見てみたかったです。

最後に、小澤征爾さんの指揮する演奏会として、絶対に触れずにおられないのは、世界の音楽の殿堂である「ウィーン学友協会大ホール」で2002年元日に行われた世界的に有名な「ニィーイヤーコンサート」のゲネプロ(直前最終リハーサル)での出会いでした。日本人の指揮者としては初めて、その新年の記念すべき大イベントに登場、小澤征爾さんの指揮者とのして活動の中では最も光輝いていた瞬間ではなかったかと思います。
オペレッタこうもりの序曲をはじめ、有名なウィンナーワルツや行進曲などなど、あっという間の2時間だったと記憶しています。そして、結果的には、このニューイヤーコンサートに小澤さんが登場するのは、この1回限りとなってしまいました。
2002年のシーズンから、上記の通り、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任してから、目に見えないプレッシャーや音楽の都であるウィーン現地での厳しい意見や突き上げなどもあり、体調を崩されることが多くなり、途中長期休養もするなど、音楽の本場で悪戦苦闘される小澤征爾さんの当時の奮闘振りを想像するに当たり、身を削るような思いでの音楽活動に没頭されていたものと推察します。
あっぱれ、小澤征爾さんのウィーンでの活動実績は、本当に、日本のクラシック音楽界に多大なる影響と貢献を果たしたことは言うまでもないのですが、他方で、日本の音楽界が、ともすれば未だに小澤アレルギーを持たれていると感じてしまう程、閉塞的で見識の狭い風潮有り様依然として残っていることに対して、実に滑稽に思えてなりません。日本の音楽界ももっと組織として一致団結して、真の国際化を果たすべきだと思います。

今回は、私タカミンの個人的な認識に基づく、小澤征爾さん評を展開させて頂きました。そして、最後に日本政府に言いたいです。小澤征爾さんを「国民栄誉賞」として表彰しないで、他に誰をクラシック音楽界から表彰できるのか、よくよくお考え頂きたいということです。まあ、そもそも小澤さんご自身が、受賞を望まれていないかもしれませんが、、、

Rユニコーンインターナショナル株式会社
代表取締役 髙見 広行