禁断の三国志 topsecret threekingdom
第一話 張譲、霊帝を貪る
もはや、劉宏には気力が残っていなかった。
黄巾の乱の勃発によって引き起こされた各地での反乱。宦官や外戚達の跋扈、罪の擦り付け合い。
それらを止める力は後漢王朝、いや、皇帝劉宏にはあらず、さらには自ら始めた売官により、賄賂を渡して官職を得た者たちによる苛斂誅求は窮まった。
もはや自分の手で漢の崩壊を止める手立ては無い。
劉宏は臣下達に利用される日々を、ただ漠然と消化する他なかった。
「んぅ⋯⋯おぉ⋯⋯」
まだ若干30歳程度の男とは思えない、羸弱さを隠しきれない声を漏らしながら、寝室の牀に腰を下ろした。
格子柄の丸窓から入る光が、牀の装飾を抜けて劉宏の身体をほのかに温める。
この宮中、いや、この国で落ち着ける場所は、もはや寝室以外ない。
だがそれも、ひとりの宦官によって失われていた。
「失礼します陛下」
本来であれば、皇后以外立ち入ることの許されない皇帝の寝室に、その男は何食わぬ顔で立ち入ってきた。
「何をしにきた。張譲よ」
嫌厭の込もった目で、劉宏は入口に立つ宦官、張譲を睨みつける。
だが張譲は意に介せず、何食わぬ顔で皇帝に歩み寄る。
老いが姿形に現れてきたこの宦官の目尻や口元には、皺が少しずつ浮き出ている。
歳の割に血色が良く、活気づいた眼からは、十常侍と呼ばれる、絶大な権力を持つ宦官としての暮らしが、いかに満ち足りているかを表している。
皇帝になってから、後悔の連続の日々を送っている劉宏だが、その中でも、もっとも悔やみ、出来ることなら全てを消去し、無かったことにしたい出来事があった。
「聞かなくてもご存知でしょう。さあ陛下、どうぞお召し物を」
数々の人間を陥れてきた宦官の放つ言葉に、劉宏の手が自然に袞服に手をかけ、股間に付属する物を顕にした。
小さく頼りない物を見た張譲は、何も言わず劉宏の前に膝をつき、皇帝の股間に垂れ下がる物を、下から掌で掬うように持ち上げた。
するとみるみるうちに、劉宏の物は力強く直立した。
「早くて助かりますぞ。では」
血液の巡りが良くなったその棒を、張譲は躊躇うことなく口に含んだ。
壮年に近い男に奉仕される屈辱と不快感、ただその中に混じる快楽に対しては、劉宏の身体はあまりにも素直過ぎた。
どこで覚えたのか、張譲の口戯の技術が高く、嘘八百を並べる舌が蛇のように縦横無尽に陰茎を絡め這い回る。
張譲の口内で愛撫され、興奮する自分を忌み嫌っても、逃げることさえできない。
目の前の男は、数々の臣下を讒言で追い落とし、あまつさえ黄巾党と内通していた裏切り者である。
この男を罷免するように諫言してきた者達は、劉宏が何も出来ない間に、逆に追いやられてしまった。
太平道の信者でもあるこの男とその仲間を切り捨てることさえ出来ないほど、十常侍達の権力は強く、皇帝の力は衰え、飾りだけの存在になっていた。
「あいも変わらず、陛下の身体は正直なようで」
「黙れ⋯⋯」
皇帝さえも弄ぶ宦官に対し、劉宏は唇をかみ締め、牀に爪を立て、力を込めて耐えることしかできない。
(何故こんなことに⋯⋯)
劉宏も張譲も、決して男色の気がある訳では無い。
この堕落への道はいつから始まったのか。ふと劉宏は考えた。
────
ある日、劉宏が年端もいかない宮女を寝室に連れ込もうとした所、拒んだ宮女がたまたま通りかかった張譲に助けを求めた。
突然のことに戸惑った張譲は、女を引き摺ってでも差し出すつもりだったが、その顔と金糸の模様が施された着物を見て手を止めた。
女は皇后の妹だった。
自分にしがみつき、涙で着物を濡らす宮女の顔と、焦燥に駆られながらその女を自分に引き渡せと迫る劉宏のふたつの顔を見比べた時、この悪事を思いついた。
皇帝といえど、皇后の妹、それも幼子に手を出したと知られれば、その評価はさらに堕ちる。
「随分と旺盛なご様子で。しかし相手が悪うございました」
宮女を逃がし、皇帝を自ら背中を押して寝室に連れて行ってすぐ、張譲は言った。
まるで勝ち誇ったかのように、その顔は神妙な面持ちをしていても、喜色が隠しきれていない。
「陛下はまだ若き青年、お気持ちは察しますが、さっきのを目撃したのが私で幸運でしたな」
劉宏は俯いて拳を握りしめたまま何も答えなかった。
焦り。ただその感情だけが劉宏の中を駆け巡り、張譲の話所ではなかった。
「まあ仕方ありませぬ。では私が陛下のお手伝いを致しましょう」
劉宏の心の隙につけ入り、さらなる秘密を握ることは容易かった。
宦官で嫁も居ないはずの張譲は、子慣れた手つきで劉宏の召し物を剥ぎ、その物を毒牙で捉えた。
────
「くっ⋯⋯」
劉宏は恐れていた。
張譲の行動原理が全く理解出来ないことを。
この男がその気になれば、天のお告げとでも言ってすぐに自分を廃し、新たな傀儡皇帝を立てるのも可能なはずだ。
その場合、何進達外戚や、何進を慕う袁紹らの反対に遭うことは目に見えているが、この男とその仲間達であれば、乗り切るのは困難では無いはずだ。
なら何故このようなことをするのか。張譲の考えは凡夫でしかない劉宏の思考とは離れたところにあった。
「くっ⋯⋯んんっ」
陰茎を包む張譲の舌が激しさを増す。
劉宏が限界に近いことを察し、仕上げに入ったのだ。
「や、やめろっ」
張譲を恐れるあまり、逃げ出すことしかできない劉宏に出来ることは、言葉だけでも抵抗しながら、双眸を閉じてその瞬間から目を背けることしか出来ない。
「うっ⋯⋯」
皇帝から発せられた声とは思えないほど、愍然たる苦悶の音とともに、張譲が求めた液体が解き放たれた。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯くっ」
誰かに見られることもないが、悔しさから劉宏はすぐに服装を整え、牀に寝転がって壁を向いた。
「流石ですな。お若くてそれをお持ちの肩が羨ましい」
背中越しに聞こえる張譲の声は、鋭く突き刺すように冷たかった。
(この男から逃れることは出来ない⋯⋯)
瞼が痛いほどに目を閉じた劉宏は、その男が立ち去るのをただ静かに待った。
「では私はこれで。失礼いたします」
張譲の足音が出口に向かい、廊下の向こうへ消えていく。
劉宏は蹲りながら、眠りに落ちるまで枕を濡らし続けた。