努力を努力と思わない人、せつなすぎる
本当の天才とは、努力を努力と思わない人だ
っていうのよくあるけど、解釈によってはその天才の人すごい悲しくない?って思いました。
たぶんここでの意味は、努力を努力と思わずに楽しめるってことなんだと思うんだけど、最初にこの名言(?)聞いた時、すごい違和感があったのを覚えている。
自分の努力を努力と思えなかったら、「自分は努力のできない人間だ」とか「自分はもっと努力しないと価値がない」みたいな思考に陥りそう。
良く言えば向上心。悪く言えば自己否定。
せつないよ〜
周りからいくら褒められても、自分でそれを認めてあげられなかったらどんどん卑屈になるだけで、どんな言葉も自分というフィルターを通してから心に届くのだとしたら、自分の自分に対する認識ってすごい重要なんだなって思う。
自分を好きでいてくれる人と一緒にいれば自分のことも好きになれるっていうのは、まずは自分のフィルター掃除してからじゃないと始まらない気がするよね。
自分的には努力でも、周りの人にとっては当たり前にできることかもしれないし
周りの人的には努力に見えたとしても、自分にとっては最低限しか達成できてないと思えるかもしれない。もしくは、こんなの誰でもできる簡単なことなんだと思っているのかもしれない。
何が努力で何が努力でないのかは、きっと誰にも決められることではない。
努力だと思ったほうがプラスに働くなら努力だと思えばいいし、努力だと思わないほうがプラスに働くなら努力だと思わなれけばいいと思った。
結局は自分の努力をある程度は認めつつも、楽しみながらやるのがいいかもしれない。
そのときに忘れたくないのは、相手にとってそれが当たり前である可能性と、相手にとってそれが当たり前ではない可能性を心に留めておくことだ。
要はバランスってことなのかな?
考えてみたけれどよくわからなかった。