「隣の救世主」第3話
授業の途中、後ろから教室に入る。
何となく物音を立てないようにしていたが、教壇に立つ葉山先生と目が合った。
幸い何も言われずに自分の席まで辿り着いたのだが、八谷さんは見逃してくれず、机ごと寄せながら小声で話しかけてくる。
「ねえ、どこ行ってたの」
「ちょっと」
「今朝から頭がおかしくなって保健室とか運ばれたのかと思って心配しちゃった」
「……至って健康です」
「八谷、何やってるんだ」
「どこまで進んだか教えてあげてました」
「……それならいい」
葉山先生の目をうまく切り抜けた八谷さんは、好奇心に満ちた目で再び俺に問う。
「で、何してたの?」
「ちょっと話してただけだよ」
「誰と?」
「……それは言えないけど」
「さっき、変な噂流れてたの。栗田くんが事件起こして警察が来たとか」
「は? ないない!」
「なーんだ、つまんないの」
八谷さんはそそくさと机を離し、授業の中に戻っていった。寄せたついでに授業の内容を教えてくれてもいいのではないかと思ったが、チラリと見えた真っ白なページを見て何も言わないことにした。
教室内で好き勝手に過ごす山添に気を取られながら長い長い一日が終わり、いつものように教室を飛び出す。
まだホームルームが終わっていない他のクラスを横目に、一人廊下を駆けて校門をくぐった。
「先輩って、学校嫌いなんですか?」
「うん」
小さい頃からずっと学校が嫌いだ。
整列して「前にならえ」という号令を聞くたびに、はみ出すことを許さないと言われてるような気持ちだったから。
周りと同じ、一直線の横並びでいなきゃいけない。
見えないものが見えるという異質な部分を抱える自分は、周りに馴染むことを人一倍意識して過ごしている。
よくメディアのいう「個性を発揮して」とか「自分らしく生きる」なんて、馬鹿げたことを言っていると思う。散々型に押し付けるようにして躾けてきたくせに、今更。
「俺も好きじゃないです。こんな早く飛び出すほどではないですけど」
「開放感あるだろ」
「それはありますね」
「じゃ、老人ホーム行くか」
山添に案内されて、おばあさんがいるという老人ホームに向かった。
降りたことのない駅で降りて、新しく舗装された遊歩道を歩く。人工の小川が流れていて、青々と茂った木々がちょうど良い影を作っていた。
「ここです」
小高いところにあるベージュ色の建物を見上げる。
「なんか急に緊張してきた……」
「大丈夫ですよ。ばあちゃん、察しがいいタイプなんで」
「そう言われてもなぁ」
ついさっきの両親からの仕打ちで、完全に腰が引けていた。どんな反応をされるのだろう。
それでも俺は、山添の「大丈夫」という言葉を信じ、とりあえず足を進ませることにした。
建物はまだ出来たばかりなようで、どこもかしこもピカピカだった。
ひと気のないフロアを見渡していると、女性が奥から出てきた。
「どうかなさいましたか」
「おばあさんに会いにきたんですけど」
「お名前は?」
「あ……ええと」
そういえば名前を知らない。女性の背後に立つ山添が俺に向かって口を動かす。じっと観察してみるも、何と言っているかさっぱりわからなかった。
「や、山添です」
「ああ、山添さんのお孫さんですか?」
「え、あぁ……はい」
「何だかこの前いらっしゃった時と雰囲気変わりましたね」
雰囲気も何も、全くの別人である。この人は俺を絶対に怪しんでいる。
しかし、何かうまい言葉を見繕うこともできず、そうですかねえと嘯く。まじまじと顔を見られないように、周囲を見回すふりをしながら顔を逸らした。
「じゃあ、山添さんのお部屋にご案内しますね」
山添が女性の向こうでほっと胸を撫で下ろしていた。
よく考えたら、山添の声は見える俺にしか聞こえないのだから、普通に名前を教えてくれたらよかったんじゃないか。そうすれば焦らずに済んだのに。
部屋への階段を登りながら、じとりと山添を睨む。
「こちらです。さっきオヤツの時間で、今はお昼寝してるかもしれないですけど」
「そうですか……」
「ばあちゃん昼寝とかしないんで大丈夫ですよ」
「そうなの?」
「……どうかしました?」
「あ、いや、全然大丈夫です」
「それでは、帰る時に声掛けてください」
「はい、ありがとうございます」
女性が立ち去っていく。
目の前の扉をノックしようとすると、山添がドアの向こうへすうっと消えた。
「うわっ!」
思わず出た声が静かな廊下に反響した。そんなことできるなら前もって言ってほしい。
「お前なぁ……急にそういうのやるなよ」
そのままつられてノックも忘れて扉を開けると、おばあさんがちょこんと座っていた。
「あっ……すいません、急に」
俺の声に反応したおばあさんは、鼻にかけていたメガネをくいとあげる。色付きのレンズの奥で瞳が鋭く光っていた。
「どなた?」
「山添くんの、友達で……栗田と言います」
「そう。虎太郎は一緒に来なかったの?」
「あー……実は、山添くんからこれを持っていって欲しいと頼まれて」
ポケットの中にある編みかけのレースを差し出した。
「あら、これ」
おばあさんは網目を一つ一つ指で触れながら、優しく微笑んだ。
「あの子、ああ見えて手先が器用なの」
「手芸部に入りたかったって聞きました」
「あの子は柔道の才能があったでしょう。優しい子だから、周りから期待をかけられると無下にできないのね。かわいそうに」
編んだレースの一部を見て、ため息をつく。
「そのうえ、飛び出すのも怖くて臆病なところがあるから」
「……そうなんですね」
ふと目線を上げて笑みを浮かべていた。まさかと思って目線の先を追いかけてみるも、そこには何もない。
「あの子に伝えてくれる?」
「えっ」
「もう自由になれたかって」
くるりと部屋を見回したが、山添の姿がない。肝心な時にどこ行った。
「……伝えておきます」
「とは言っても、その辺にいるでしょうけど」
「えっ、あいつどこにいますか?」
うっかりそう聞いた俺に、おばあさんは寂しげに笑った。
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