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これからのデザイナーに何がいちばん必要か?

どうも。デザイナーのランランです。
前回はおおまかなグラフィックデザイナーの業務と収入についてデータをベースとしての記事を書かせてもらいました。

今回は僕がデザイナーを生業としてきた42年(ヤバイ!いつのまに)に及ぶ実体験から、デザインを取り巻く環境の変化や、前回からの続きで「これからデザイナーはどうスキルアップしたらいいのか」について僕なりにお話ししたいと思います。(あくまでも僕なりにですよ)

僕がデザイナーを志した理由

子供の頃から特に優れた能力があるわけでもなく、通知表の先生のコメント欄には「落ち着きがない」「集中できない」「協調性がない」などのないないフルコースの僕でしたが、ひとつだけ幼稚園の頃から他の人より少しだけ優れていたものがありました。
それはあえて自分で言わせてもらいますが「絵が上手い」ということでした。といっても天才的な才能などではなく絵を描くのが好きなだけで、幼稚園の頃は母がくれる新聞の折込チラシの裏にひたすら怪獣や乗り物を書いていたのを覚えています。クラスメイトからも「〇〇描いて!」「次は〇〇描いて!」など頼まれて得意になってました。

小学校、中学校の写生コンクールでは金、銀、銅いづれかの賞をいただいたり、文化祭のポスターや生徒主体による劇の背景画なども手掛けてました。

中学生の頃、様々な文庫本のカバーイラストが大好きで食い入るように見つめ、タイトルを見ただけで「俺ならこうするんだけどなー」なんて偉そうに友人に語っていたのも覚えてます。(いけすかないガキだなぁ)

しかし高校生になると絵を描くこともそうそうなくなり、
内定をいただいていた富士重工業にいざ就職という時期になって、
「このまま就職していいものだろうか?」
(その頃の僕にとって就職は抜け出せない地獄への片道切符のような感じ)
「ほかに何かもっと自分に合うようなものがないだろうか?」
(今思えば単なるいけすかないガキの現実逃避。)
という気持ちになったとき、中学時の頃に美術の先生がクロッキーの人物画の授業中に「あららぎ(僕のことです)お前いい線かくねぇ〜、イラストレーターになればいいよ。」と軽〜くおっしゃっていただいた言葉が今考えると僕の人生のターニングポイントになったようです。

デザイナーを夢見て

先生に怒られ、親に呆れられながらも内定を取り消してもらい、急遽代々木のデザイン専門学校に願書を出しデザイン学科に入学しました。(当時イラストレーターとデザイナーの差もわからなかったんです。)
うちは貧乏だったので親から借りた授業料の一部を春休みの2週間、横浜の塗装業の住み込みバイト(部屋は大量の空き缶をアートのように積み上げたビール大好きな先輩と同居)で稼いで返しました。
昼休みに10階建ての現場のビルの足場に塗料でベタベタな危険な作業着で座り、足場の最上部の手すりもない危険な状態で弁当を食べながら、街並みを見下ろしデザイナーとしての未来に希望を抱いていたのを今でも覚えています。

デザイン学校ではデッサンや色彩構成や造形など視覚伝達においての基礎デザインを教えてもらいましたが実はバイトばっかりしていて課題提出も満足にできていなかった状況であんまり内容を覚えていません。(いつも課題に追われる夢を見ていた。)
一番記憶にあるのが当時僕のクラスの担当講師が「このクラスの中で(30名くらいの人数)デザイナーとして就職できるのが良くて10人。10年後アートディレクターまでいくのがクラスで1人か2人という不安を煽るようなことを言ってました。
実際僕のクラスメイトはほとんどその後デザイナーになっていないか辞めてます。
(その頃のデザイナーは人気商売でもあったけど過酷な環境でもあったからでしょう。収入も労働時間に見合わなかったし)

なんとかデザイナーとしてデビュー

デザインの学校で基礎を学び、(今振り返るとほとんど何も学んではいなかったけど)最初に潜り込んだのが水道橋にある印刷会社のデザインルームでした。といっても先輩デザイナーと僕だけの小さな部署です。(デザイン会社や個人事務所の面接も受けたのですがことごとく落とされました。)

業務内容は「印刷頼むから格安でデザインして」みたいなおまけのような案件が多く、B toBが主流でなかなか一般の消費者が人の目に触れるような案件がなかったのですが、3年間はそこで楽しく印刷の仕組みやプロとしてのデザインの基礎と技術を学べました。(当時はデジタルなんて存在してなくポスターカラーや筆の溝引きなどでカンプを作成し、版下で入稿という流れです。現役で知ってる人も少なくなりましたが)

その後不動産中心のデザイン事務所やゲーム中心のデザイン事務所で技術や考え方のスキルをそれなりに楽しく身につけましたがいつも「何か違う!」という違和感が常にありました。(当時の心境を一言で言えば花がない案件)「俺はもっと一般の人の目につく駅貼りB倍ポスターやタレントを使ったキャンペーン広告とかをやりたいんだ!」と、まだ全然実力も経験値もないのに「何様のつもりだ!」という感じです。

そんな時、最初の印刷会社の先輩の知り合いで当時在籍数200名以上の制作会社の部長が大手代理店のHが出向社員を探してるみたいだから面接を受けてみないかと勧められたのです。

これはチャンス!

広告関連の経験値が少ない僕が選ばれるのは難しいかな?と思ってましたが先輩の推薦もあり無事テストを通過し、Hへ出向することが決まりました。
配属は第3製作室SONY/JALチーム!
これで地味だったデザイン業務よさようなら〜と思いました。
しかしここからが本当の地獄だったのです。

と、まあこのような経緯で僕のデザイナーとしての人生が始まるのですが、このままダラダラ続けるとキリがないのでこの後、個人事務所の開業や株式会社の設立の話はまたの機会があれば記事にしたいと思います。

では本題に入らせていただきます。

これからのデザイナーに必要なこと

以前お話しさせていただいたデザインの本質は
デザインとは見つけ出した問題に対して、どのように解決し、どう機能させるかと定義させてもらいました。

しかし実際は広告代理店から発注されるデザイン業務(企画やイベント含む)の大半が大手企業の案件ということもあり、クライアントの宣伝部や販売促進部が作成したオリエンシートによって、広告や販促を実施する対象(商品、サービス、ブランドなど)に対して「訴求するターゲット」「伝えたいメッセージ」「予算や納期」などが明文化されています。

つまりクライアントさんの方ですでに解決すべき課題や問題が見つけ出され、僕ら制作陣はその課題に対して解決手段を考えるという流れが一般的です。(特に競合プレゼンの場合はほぼこのパターン)
上記「デザインとは見つけ出した問題に対して、どのように解決し、どう機能させるか」のうち「見つけ出した問題に対して」という部分に関してはクライアントサイドで問題を見つけ出し「どのように解決し」においてもクライアントサイドで企画骨子や広告媒体の選定が行われている場合が多いです。(無からの企画立案や媒体選定の提案を求められることもそれなりにありますが)

そうなると実質「どう機能させるか」をカタチにする狭義のデザインの部分が大半を占めてしまいます。

広義のデザインと狭義のデザイン

デザインを機能させるには2つのの方向性があり、
どこに問題があるかを見つけ出し解決策を設計する広義のデザイン
設計したことを具体的なカタチにする狭義のデザインと言われているものです。

これからの時代デザイナーに求められるものは狭義のデザインはもちろん広義のデザインも設計できるような人材ではないでしょうか。
(狭義のデザインを追求するだけでもかなり大変ではありますが)

では広義のデザインを設計できるようになるにはどうすればいいのでしょう?

次回は僕の体験をもとに広義のデザイン狭義のデザインについてもう少しお話ししたいと思います。

次回からは
僕がデザイナーとして思うこと2
子供たちが学ぶべきデザイン思考とは
・荒川区公立小学校の総合授業でのデザイン思考教室 講師体験
・RUNRUN SCHOOLにできること
・暮らしの中のデザイン

などを発信していきたいと思います。
興味を持っていただけたり、応援していただけるようでしたら
自分も勇気を与えてもられえるので、是非よろしくお願いします。

少しでもデザインのチカラがこれからの社会に役立ちますように。

これからの子供たちの「生きるチカラ」が楽しいものでありますように。




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