他人に接するように
嫌なことがあった時、うまく行かないことがあった時、どのように自分と接するかは生きていく上で結構重要です。若いときは無鉄砲にできたことも、徐々に歳を重ねると失敗する経験も積む。うまくいかないことにもぶち当たるものです。
「自分はなんてダメなんだ」と責めたり、「このままではダメだ。もっともっと頑張れ」と必要以上に追い詰めたりすると、浮上するどころか苦しみは深まるばかりです。
そんな時どうするか。私は、自分を他人だと思って声をかけてみることを薦めたいです。例えば落ち込んだ友人から相談を受けたら「お前はダメなんだ」とは絶対言わないでしょう。頑張っているのに苦しんでいるという人に「もっと頑張れ」ともなかなか言わないと思います。
「大丈夫だよ」とか「いつまでも続かないよ」とか「その環境を変えることはできそうかな」とか「とにかく美味いものでも食いに行こうか」とか、励ましたり角度を変えた見方をしてみたり、言うでしょうかね。
他人のことはもちろん他人事なので、入り込みすぎずに捉えられます。自分のことは入り込みすぎ、感情に引っ張られ、励ますどころか責めまくる。。。他人には優しいのに、自分には厳しく、少し自分が可哀想すぎはしませんかね。
何をしてもダメでどうしようもない人なんていない。これはきれい事ではなくて、私の友人知人を見渡してもそんな人はいません。確かにある一面だけを見たら欠点と思える部分はあるかもしれないですが、何一つ良いところがないなんてありえないし、なんの価値も無いなんてありえない。確かに苦手な人は私にもいますが、その人でさえ無価値だとは思わない。
自分だって同じで、何かの部分は欠点かもしれないけれど、それで価値が無いわけではないし、その価値を分かってくれる誰かもいるでしょう。そう思ったら、自分を責めまくる必要などないと思えてくるでしょう。
自分は自分の最大の友人であり、自分にリスペクトをもって接したいと思います。
友人を責めないように、自分を責めない。友人との付き合いの中で友人の希望を尊重するように、自分との付き合いでも自分の希望を尊重する。自分を自分と一体化せず、少し離れて他人のように接する。本田選手の表現のような「リトル自分」とは、きっと少し自分と距離をおいて、自分を他人のように接することだと思います。リトル自分と色々な話をして、お互い優しく接すると、実は色々なことが入り込みすぎた考えすぎだったことに気付くかもしれません。そして自分の欠点も認めて心からリスペクトできるようになると、他人や世間のことも、自然に受け入れられ、彼らが実は常に優しい存在であることにも気付くかもしれません。