一を聞いて十を知る【巻二⑦】
マリー・アントワネットより1才年下で、彼女が37才で亡くなった2年前に、35才で亡くなった有名な音楽家がいる。
それが、あのモーツァルトである。
モーツァルトは、今のオーストリアのザルツブルクで生まれ、マリー・アントワネットは同じオーストリアのウィーンで生まれた。
マリー・アントワネットは、フランスに政略結婚のためにルイ16世のもとへ嫁入りしたのである。
「マリー・アントワネット」という名も、フランスでの呼び名であり、オーストリアではマリア・アントーニアという名だった。
そして、アントワネットの母親は、あの有名なマリア・テレジアであり、神聖ローマ皇后であった。オーストリア女大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王の肩書きもあり、当時のプロイセンの脅威に立ち向かうため、フランスと手を組むことを考え、末娘のアントワネットを嫁がせたのである。
これは、アントワネットが14才のときだった。
それまでは、シェーンブルン宮殿があるウィーンでの宮廷生活を母親とともに送っていたわけだが、アントワネットが7才のとき、6才のモーツァルトが宮殿にやってきて、マリア・テレジアの前で演奏する機会があった。
このとき、モーツァルトは、宮殿の床で足を滑らせて転倒してしまったのだが、そこをアントワネットが手を差し伸べて助けてくれたのである。
アントワネットに助けられたモーツァルトは、年下ながらも、「将来ぼくのお嫁さんにしてあげる」と声をかけたという。
結果的に、その夢は叶わなかったが、このモーツァルトとアントワネットの接触は、これが最初で最後だったようである。
モーツァルトは、誰もがよく知っているようにピアノの天才だが、アントワネットも実はハープの演奏をたしなんでいた。
アントワネットの影響を受けて、当時の貴族の令嬢にとっては、ハープが必須の習い事になっていたという。
マリー・アントワネットが生きた時代のクラシックを、文筆家の高野麻衣が上記サイトで紹介している。
下記のページもご覧になると良いだろう。
土日の休みにゆっくりとアントワネットの生涯を想像しながら、クラシック鑑賞するとまた違った発見があることだろう。
御歳77才の池田理代子から、若きコラムニストの高野麻衣へと、マリー・アントワネットをめぐる現代の2人の女性のバトンリレーにも注目したいところである。
さて、次週は、どんな展開になるか、火曜日を楽しみにしていただけるとありがたい。