好きについて考える。


オタク、推しという言葉がここ数年で私たちの日常にかなり溶け込み、多くの人達が自分の好きな物を大切にできる時代になったと思う。


数年前はオタクというと、陰気なイメージが強かったと思う。
漫画やアニメが好きと言えば二次元が好きなんだね、アイドルが好きと言えば身近にいい人がいないんだね、と心地よく受け入れてもらえていなかった気がする。たぶん。


多様性が尊重され始め、自分は自分でいいのだと思えるようになってから、自分の好きな物も肯定できるようになった。
誰に何を言われても、自分が好きならそれでいいじゃない、そう思えるようになった。
それは、時代のおかげか、自分の成長か、はたまた両方か。


でも、ミーハーで好きなものがたくさんの私にとってたまに好きが分からくなる時がある。
私は音楽が好きだ。クラシックも邦ロックもジャズも好き。
私は本や映画が好きだ。文字で紡がれる世界を想望するのも、自分の知らない世界の話をみるのも好きだ。
私は絵や作品が好きだ。美術館に飾られた絵、個展、誰かが作ったハンドメイド作品。
好きがいっぱいある。


ただ、好きな人の作ったものが自分の好きな物ものと当てはまるとは限らない。
推しが作ったブランド、とっても可愛いけれど自分に似合いそうなものは無かった。
バンドは好きでライブに行きたいけど、実は人混みは苦手なんだ。


好きが過剰になっていくと、バンド好きな人はそのバンドのライブに行くことは当たり前、誰か推しがいるとその人の作ったものを買ったりやイベントに行くのはファンとして当然。
お金と時間をかけることだけが好きを証明してくれるような錯覚に陥ってしまう。


でも、どんな好きな形があってもいいんじゃないかな。
バンドが好きだけど無理にライブに行かなくてもいいし、推しが好きでも自分の全てを捧げなくていい。
無理して好きをしなくていい。
自分の生活の楽しみや辛い時に支えてくれる存在が好きな物や推し、なんじゃないかな。

なんて、そんなことを夜に考えてみたりする。


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