もし明日が人生最後の日なら 南海トラフが世間で騒がれていて、もしものことを考える もし人生がもうすぐ終わってしまうなら私は何をするだろうか 人生においてやり残したことを考えるけれどいまいち思いつかない まだワンピースの最後まで読んでないなとか、チケット取ってた好きなバンドのライブ行きたかったなとかはちょっと思う でも人生最後と言われると悲しいようで心が楽になる気もする 今抱えている将来の不安や仕事を辞めたいという気持ちから少し解放される気もする 私は毎日殺伐とし
社会人になって余裕がなくて どんどん心が狭くなっていく 小さなことでイライラして 何かに当たってしまいそうになる そんな自分にも自己嫌悪する悪循環 心穏やかに生きたいな😔
社会人になって1ヶ月半が経った 少し環境には慣れてきたけれど、それでも毎日新しいことを覚えるので必死で家に帰ると1歩も動きたくなくなってしまう いわゆるバタンキュー それでも何とか身体を動かして今日教わったメモを自分の中で整理する メモは必死に書きすぎ、ダイイングメッセージ並に読み解けない こんなにメモを取るということが大変だと思ったことは人生で初めてかもしれない そんなことをしているとあっという間に日付は変わって平日はほとんど自分の時間を取れない 寝る前にYouT
大学を卒業して、社会人になり3週間目も折り返しに来ている。 慣れない早起き、慣れない電車通勤、慣れない仕事。社会人として覚えることは膨大で毎日疲弊して帰宅し、気づけば眠ってしまっている。 昨年の就職活動はそこそこに頑張ったと思っている。割といい企業に入れたとは思う。 それでも、選ばなかった可能性をいつも考えてしまう。あの時あちらを選んでいれば、、 毎日新しい仕事を覚えながら、自分のしたかったことは本当にこれなのかなという考えが頭をよぎる。 もちろん、本当にしたいことを仕事
コンビニ店員のアルバイトが好きだった 名前も、年齢も、仕事もどんなふうに生きてきたのかも何も知らない そんな相手とのちょっとしたコミュニケーションが心地よかった 何も知らないからこそ、そこにある情報だけでできるやり取りが心地よかった
オタク、推しという言葉がここ数年で私たちの日常にかなり溶け込み、多くの人達が自分の好きな物を大切にできる時代になったと思う。 数年前はオタクというと、陰気なイメージが強かったと思う。 漫画やアニメが好きと言えば二次元が好きなんだね、アイドルが好きと言えば身近にいい人がいないんだね、と心地よく受け入れてもらえていなかった気がする。たぶん。 多様性が尊重され始め、自分は自分でいいのだと思えるようになってから、自分の好きな物も肯定できるようになった。 誰に何を言われても、自分が
この秋は色々なことが忙しくて、秋という季節を堪能する暇もなく時間が過ぎていき、気づいた時にはクリスマスソングが街中に流れ、イルミネーションが街を華やかに照らしていた。 秋を満足に堪能することができなかった私は、1人だけ置いてけぼりにされたような気持ちでいる。毎年楽しみになるはずのクリスマスが、今年は来ないでほしいと思う。まだまだ私は今を堪能できていない。毎日を過ごすのではなく、今は毎日をなんとかこなすので精一杯。 いつの間にか、楽しいことがうまく楽しいと感じられなくなって