拡散力を借りる誘惑とどう向き合うか
呪術廻戦の渋谷事変が来年から放映されると発表がありましたね。続編を待ち望んでいたので嬉しい知らせです。でもちょっと遅い(笑)。原作は読みましたか?私はようやくKindleで購入して読み始めました。今日はそのとき書評を読んで思ったことを書きます。
私はクリスチャンです。なので、毎日お祈りをします。お祈りはとても大切です。そして、自分が何を祈るかが変わるの観測すると面白い。初めの頃は自分の小さな望みを祈っているのですが、より強欲なことを祈るようになり、ついに深みに嵌ったりします。しかしそのうち、なぜ自分は自分の望みを祈るのかという問いに辿り着き、より大きな事を祈るように変わってきます。自分が良くなるにはまずみんなが良くなければダメだと言うことに本質に気がつくんですね。
さて本題ですが。Amazonで呪術廻戦のコミックスを買う時書評を読みました。とても長文でこの作品を批判する人の書評がトップだったのですが、読まないでおこうと思いながら、ついつい読んでしまいました。主張はそれほど乱暴な物でもなく、私怨があるようにも感じられなく、納得できるような物でした。なので、コミックスを買う気が失せて。しばらく買わずにいました。でも、やっぱり我慢できずに買って、読んで、面白かった。あの書評はなんだったんだろうって感じ。
以前、Facebookで作家さんの嘆きのフィードが流れてきて、やっぱり、ド正論で批判するアマコメで凹むという物でした。このような批判の人の問題は望まれないものを強い拡散力のメディアに載せてしまうことです。市場が違うのです。アマコメはこれから読む人が主に見ます。それを、読後感想を書く場と思って使うと思わぬハレーションがあるのです。作家さんは新しく本を書く意欲を削がれ、読者は購買を思いとどまる、経済は停滞する、悪いことづくめ。批評の本質を見誤っています。人の作品は批判的に見れるのに、自分の書評を我が子可愛さのあまり、不適切な拡散力を与えてしまっているのです。読書メーターにでも書けばいいのです。好きな作品を多角的に見て、つつき合って楽しむならそう言う場を選ぶべきです。自分の立ち位置、使命、能力の使い方を十分吟味して本質を見極めて行動してほしいですね。
今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。Twitterでも同じハンドル名で活動していますので仲良くしていただけると嬉しいです。
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