怒りと分析

ご無沙汰しております。

なんとなく言葉から遠ざかり、だいぶ時間が空いてしまいましたが、今回は書き溜めていたものの一つを投稿してみます。

怒りとその対処法について。--------------------

私は20台半ばだが、すごく怒ることってこのところあまりない。
誰かと暮らしていたり、子供がいたら、また全然違うのだろう。
少なくとも、今は気ままな一人暮らしを楽しみ、家族のようなごく近い関係性の人と関わる機会が極端に少ないため、怒ることが少ないのかもしれない。

しかしそんな私にも、怒りが湧いた出来事があった。

それは先日、祖母に恋人を否定された時のこと。

彼のことを話せば、祖母が良い反応をしないであろうことは薄々勘づいてた。
以前、彼とお付き合いする前に、祖母と彼とを一度会わせた時があった。その時にもあまり良い印象を持っていなかったようだから。

けれどやっぱり、否定的な言葉をかけられると、予想していたのにムッとして、
私はすぐに、「彼はすごく素敵な人だから。」とだけキッパリ言って、一人になって少しだけ泣いた。

そしてすぐその後、とにかくこの出来事に関する全てを書き出した。(分析療法、と私は勝手に呼んでいる。もっと専門的な言い方があるんだろうけど)
何が起きたか、今の気持ち、誰に対してどう思うか、なぜそう思うかなんかを書き出して、自分を認めて慰めて、気持ちを落ち着かせるのだ。

その結果、私は、祖母を未熟な人だと決め込むことを落としどころとした。(これもまた、未熟に思えなくない。成熟した落としどころってどこだったんだろう。)

彼のことをよく知りもしないのに、少しの情報で悪い方へ決めつけ、そしてそれを私に伝える。

こういう思考や態度は、彼女がこれまで生きてきた中で培ってきてしまった歪みで、負の遺産とまで思った。(文章にすると結構なえぐみがある笑)

言い返せばいいじゃん、と思うかもしれない。
確かに言い返すのも大事なことだと思う。お互いを理解し合う方法の一つかもしれないし、少しは怒りを発散する術にもなるだろう。
けれどそれは、話が通じる人同士であるということが前提なのだと思う。

実際、過去には祖母に言い返したこともあったのだ。
けれど、もう話し合いが通用する相手ではないことは何度も経験して、身に染みて分かってしまった。だから、言い返す方が怒りが増幅すると今は知っている。

少し話が祖母寄りに逸れてしまったけれど、
こんな感じで、私は怒りに直面した時、大概はそのうちの少しを涙に変えて、残りの怒りは、分析療法で、例えば悲しみや諦めなんかに変えて、少し感情の濃度を薄めるようにして生きている。

怒りは、濃度が濃くて強烈で、恐い感情なので、できればもう少し仲良くやっていけそうな感情に変換したいという感覚だ。

怒りが湧いた時、みんな、どうしているんだろう。
怒りへの対処法にも、人間性が滲みそうな気がするので、興味があります。

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