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VOL.25/いま世界にじぶん独りしかいないとしたら、あなたはどう生きるだろう?(by 2019年5月蠍座、そしてウエサク満月])
こんにちは。本日、2019年5月、蠍座の満月です。
実は満月になる時刻は朝の6時11分。現在14時04分なので、実は欠けていく満月ではありますが、そこはあまり気にしないで。
いつもいろんなサイトを読み解き要約する形でお伝えしていますが、今日はもう自分センスでズバンと言い切ってしまいます。
いま世界にじぶん独りしかいないとしたら、あなたはどう生きるだろう?
今日なにか言葉じゃないものでこの熱量を伝えたいと思い実は写真を買いました。2枚買ったので2200円もしました。気合い入っています。笑。
トップの写真を桃色にしたのは真意がそれだから。”独り”は寂しいことじゃない、悲しいことじゃない。「人」という字はヒトが支え合っている図だと小さい頃習いました。でもきっと本当は「H」みたいになっているといい気もします。Hito。笑。エネルギーは蔦が絡まるように一つに溶け合い昇っていくと良いと思うので「人」でいいと思うのだけど、この字の開いている下の方に注目してみて。地に足を張ってますか? 浮いている人いない?笑。
もし浮いている人いたとしたら、あなたの質量は、誰が支えている?
そう、だからまず「人」になる前に「 I 」をイメージしてみよう。これはアイでありつまり「 I (自己)」のことであります。そして愛。笑。
しゃれみたいだけど、じぶんがじぶんだけですっくと立つということがまず「孤独」ではなく「愛」なのだということでもあります。
「 I 」をはっきりイメージできて初めて次に「H」誰か大切な人との結びがあります。だからそう、まず「世界にいまじぶん独りしかいないとしたら」「独りしかいないとしても」じぶんはどう生きるのか、問いかけてほしい。
タイトルは少し大きく飛んでいて、実際は家族や他者や社会など何かとかかわらないで生きるということは今の現代では存在しないに近いのだけど、これはイメージの意味でお伝えしました。全てのことを人は他者との関わりの前提で考えてしまう。まずそれを全部根こそぎカットしてみよう、そういう意味です。「蠍座」はタブーと言われる「性と死」を司りそれは「変容と覚醒」をもたらします。だから一度究極に考えてみてもいい。
わたしはさっき「独り」は孤独ではなく愛だといいました。
だから桃色を選んだといいましたね。
なぜかというと「たとえ独りもわたしはこれをやるわ」とか「たとえ独りでもわたしはこれを選ぶ」とかっていうのは、要は誰かがいなくてもそうするわけで、つまり「あなたがいたからそうした」とか「あなたがいないとできない」ひいては「あなたがいないからできない」っていう風な、責任をとらない、責任転嫁をしないことでもあるからです。
まず独りきりという究極なミニマムになって何かを決めるということは、全ての責任を自分でとるということ、それは実は、あなたに関わる全ての人に対する愛であり、思いやりでありその人をじぶんの事案に「巻き込まない」ことであります。だから「独り」というのは愛なのだということで、桃色、ハートチャクラの色を選んだのです。
究極にミニマムなドットとしての自分、「 I 」の自分としてまずは世界や自身を見つめてみよう。そしてその次に、全ての責任をじぶんで取ると決めた上で、誰と関わるかを「H」の形で考えてみよう。自ずと淘汰されて、すごく少なくなると思う。その時にあなたにとって本当に大切な人たちが見えてきます。そしたら最後にこのひととはという意味で「人」という字になれるかもしれない人をイメージしてみよう。このときに大切なことは立体で考えて見ることです。「入」似ているけど「入り」になったらきっと、右側が左に持たれてぺしゃん、てなりますよね。(割り箸とかマッチ棒でイメージしても)だから本当の意味で「人」になるには、互いの質量も互いが互いに預ける質量も同じじゃないと「人」を保てないのです。
そういう意味では「共依存」は「人」として成立します。でもね、これは、地に足をつけずに互いが互いに自分の全体重を預けもたれることでバランスをとっているから、エネルギーは決して上には伸びて行かないの。
組体操とかイメージしたらわかりますよね。
「サボテン」だっけ? 誰かと誰かが組んで、そして花のように開いて上にエネルギーを放出しようと思ったら、大地に足を踏ん張らないといけない。地球の核に向かい引力に向かって重力をかけないとバランスがとれない。
サボテンの、足に乗る方とかそう、怖がらずに地面に飛び込むように体を開いて体重をかけなくちゃいけない。これをスピリ的な言葉に直すと「グラウンディング」っていうのだと思います。
踊りもそう。回転したあと手を上に伸ばしてピタッと止まることが難しくてなんども手を上にあげる練習をしていたら友人のダンサーが教えてくれた。「違うよ、気をつけるのは足。大地に足を踏ん張る。それを意識したら手は勝手に上に伸びていく」
まあ要するに、こういうことなのでございます。笑。
だからまず「 I 」それから「H」そして足を踏ん張るパターンの「人」
いま世界にじぶん独りしかいないとしたら。
あなたはどう生きる?
何を選び、どの方角に向かって、歩く?
それから今日は世界の各地でお祭りが行われる「ウエサクの満月」でもあります。ブッダの入滅や悟りとも関係があり、天上界と地上の扉が開く日ともされています。そんなわけで、日本では「君の名は」のヒットのおかげですっかり浸透しました”たそがれ時” ”誰そ彼 時” "かたわれ時” はまさに1日の中にわずかに存在する、天上と地上の境界線がぼやける時間。
そんな時間をイメージして ”透き通る青に似た桃色の” 満月を皆様に贈ります。
それではららら。
カタワレ時に会いましょう☆
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