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シュライン#18. 伊豆神田神社(大津・堅田)

予想もしない神社に行くことになった、琵琶湖大橋を渡って。
とはいえこのあたりはわたしのホーム、生まれた家のある滋賀県である。

この神社に行くことになった流れやその日の出来事はこちらにまとめてあります。

・・・というわけで、今日ここで語りたいのはこの「姫妃<6>」で語った「縁起の交換」ということについて。そもそも「縁起」ってなんのことだろう、それを交換するって、何が起きるというか何を表すの!?

<「縁起」の意味 >
1.物事の吉凶の前兆。きざし。前ぶれ。
2.社寺の起源・由来や霊験などの言い伝え。また、それを記した文献。
3.事物の起源や由来。

さらにわたしが興味深いと思ったのは、この3つに続く意味として書かれている「仏教」としての「縁起」の意味。

4.因縁によってあらゆるものが生ずること。
縁起とは因縁生起(いんねんしょうき)を略したものです。すべてのものは、因縁によって生起するということです。

一切法とは、万物、すべてのものです。すべてのものは、因縁によって生じているということです。これを因縁果(いんねんか)の道理ともいいます。
どんな結果にも、必ず因と縁がある。
因と縁がそろってはじめて結果が生じる。これが道理、いつでもどこでも成り立つことである。因だけでも結果は生じない、縁だけでも結果は現れない。因と縁がそろって結果が生じる。これが因縁果の道理です。
米に例えると、米の因はモミダネです。モミダネだけでは、米はできません。モミダネが米になるには、水、土、日光などが必要です。これらを縁といいます。縁は、因が結果を生み出すのを助ける働きをいいます。私たちの日常生活の因縁果の道理は、次のように教えられています。

引用元はこちら↓

なるほど、だから「原因」というのは「因」に対するたくさんの「縁」の中でもっとも決定的なものを表す言葉なのだな。

”縁起”ってそれこそ神様言葉なのに日常に落とし込まれているというか、
そういやって感じで言葉の真意を知るというか、そういう奇妙な感覚に陥る。以前あるサッカー選手が働いていた酒場によく来ていたんだけど、そこでのイメージが強くなってサッカーのことを忘れていた、でもある時海の家で彼が他の男の子たちと、ボールを回したり蹴ったりして遊んでいて、それを見た時に「すっごいあの人うまいね」って本能的に思ってから「って、そういえばだってサッカー選手だもんね」って、後から当然の情報が追いかけてきて笑えてきた、あの感じに似ている。
神社って神様のいる場所で当然スピリチュアルな場所なんであって、そこに「縁起」という神様言葉はセットであるはずなのに「縁起」という言葉を日常、つまり俗的なニュアンスで使っていたからあたらめてその神様的なものと結びついた時にハッとする。

そうか、ヤクモとナギサが縁起を交換するということは、仏教でいうと「因」と「縁」どちらかではなし得ない、起こりえないことを、互いが結びつくということによって起こすということだね。

それってつまりスピリMが言った「縁起を交換することを繰り返すことによって世の中がよくなる」という抽象的な意味合いの具体的な説明になるというか、そうか「因」と「縁」が結ばれ因縁あって米ができる、
すべての現象は因縁生起によって成り立つと考えれば、ヤクモとナギサと縁起の交換は、繰り返されるごとに、新しい「現象」を生む。
そしてそれは、仏教の善因善果(ぜんいんぜんか)の考えーー良い種を蒔けば良い結果が現れるーーに基づく因縁のスパイラルであれば絶対的に物事を良きに導くはず、そういうことになるのだろうなと思う。

そんなわけで「伊豆神田神社」を取り巻く因縁、縁起の話。

この神社に関しての補足はこちらをご覧ください☆

それではla la la ♪ la la la シュライン☆


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