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VOL.11/心がふるえる、ということ(By も)

こんにちは。小説家としてみんなの前で話す講演会を明後日に控えています。タイトルは「Gifted(ギフテッド)」ギフテッドとは、天才児や、特別な才能を贈られし者、という意味。だけど天才について話すつもりはありません。わたしが話したいのは「ほんとうに何も贈られていない人っているのかな」ということで、掘り下げていくと、小説家として行うイベントですがとてもラララ的な内容になりそうです、そう、心がふるえる、ということ。

今回、このラララの読者で会場にいらっしゃる方はおそらく仲間以外にはいらっしゃらないと思うので、話そうと思って書き記した文を少し抜粋します。後半の方に話そうと思っていること。それはこんな内容です。

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(以下、話そうと思ってること)
今とても「生きていることを表現していくこと」が、しにくい、
すこし息苦しい時代に入ってきている気がします。

それでこれは夢があっても夢がなくっても今の時代を一緒に生きている、ここに来てくれた皆さんに伝えたいなあって思っていることなんですが、
つまり、SNSやツールの多様化によって、これまでより表現の幅が広くなったり、思いもよらないところからのチャンスも増えている反面「How to」
それがなんていうか、「こうしたらいいよ」が強くなって
「こうしなきゃ当たらない」みたいになって、ひいては、
「当たらないことは無駄」というかそんな感じになっているのを感じるんです。でもそうすると次第に「やりたいこと」「心がさわぐこと」から遠のいていくというか。
例えば、ひとりで可愛い雑貨屋さん始めようとした時に、場所がへんぴだから誰かにSNSしたほうがいいって言われて、でもSNSも半端にやっても意味ないよとか言われてかたっぱしからやって全部にいろんなタグつけてやって・・・って、そうやってふと気がつくと「更新しなきゃ、更新しなきゃ」ってそのプロセスに追われる日々になっている。それで本当にやりたかったはずの、好きな雑貨をあちこちで探してくる時間がどんどん削られて、これじゃダメだって今度は寝る時間とかが全然なくなって、大切な人のお誕生会とかももう行けなくなってしまったり。そういうこと。

また同時に1クリックで人を叩ける時代であるので、安易なバッシングも氾濫していて、夢を叶えていくにあたってタフな精神力も求められています。

ここでさらにわたしが危険だなって思ってるのがそういうhow toの多くが、
「人の心をFish(釣る)」ための手法であって、「動かす」ためのものではないということなんです。
釣るっていうのはとても一時的なもので、確かにわたしたちは危ういところがあるから釣られるけれど、それをずっと愛でるってことはないと思うんですね。それで実はわたしたちがどうしてるかというと、ソチの真央ちゃんに涙して、イチローの引退会見を何度も見てって、そういう風に生きてるんですよね。で、彼女たち彼らが、そんなhow toに振り回されてここまで来たかって考えてみると、彼らが注力してきたことはやっぱり「生きている」ということを表現し続けることと「自分の信じる何かを貫く」ってことだと思うんですよね。

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わたしが思うに人の心を動かすものって、How toじゃないんです。

優れた技術や職人芸は人の心を打ちますが、技術はそもそも表現に向かう強い魂の凝縮体であって、Howto(この場合のhowto)のために存在しているのではない。例えば今この瞬間をよりリアルにフレームに収めたいっていうことから、カメラだったら露出とかシャッター速度とかを研究したり、現像の仕方を工夫したり、そうやって技術って高めていくものだと思うのです。How toのために技術を高めるんじゃなくって、人の心を動かすために技術は存在してる。

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それでこう、なにか“ぶかっこうなもの”
不格好ででもエモーショナルなものを入れたいと思って、
それで最後に弾き語りをするのですけど、笑、
中学や高校の時の友人とかはすっごくびっくりすると思います。
「あいつそんなんできたん!?」
って感じで。
そしてそれが成立するのは、たくさんの才能ある音楽家たちがわたしをサポートしてくれたから。昔からの友人が楽譜を起こし「これ♭が6つもあるで、半音下げるだけでめちゃ弾きやすいよ」とキーを下げた楽譜を作ってくれた、そしてピアノの先生が先週の発表会のリハの時にいろいろアドバイスをしてくれて、そしておそらく当日親友のジャズシンガーにサウンドチェックしてもらって本番に至るのだと思うのです。

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だから何を伝えたいかって「どうしても表現したいことがあれば、仲間に助けてもらって形にすることができるということ」

それはつまり、今日ここに来てくれた(今これを読んでくれている)みんなに等しく、「生きているということを表現することを誰にも制限されないで」「そのままのあなたの衝動を肯定して」という祈り、でもあります。

昔から「やりたいこと」と「向いている」ことは違うと、才能の世界で言われてきました。そのことによって「やりたいこと」は諦めないといけないような風潮が強くあると思います。
やりたいこと、に、自信がもてないとき、
人から向かないと言われたとき、苦しい。
でも何か、心の中でコトコト動くものがある。
夢だけじゃなくて生活の中や恋愛や、毎日の暮らしの中で。

このラララでは何度もお伝えして来ましたが「芸術」という言葉はartと書きますがこれはもともとはラテン語でarsアルス、と書きます。そしてアルスとは、生きとし生きる日々における暮らしの知恵だと、アラビアで習いました。

つまり真珠漁の船が座礁しないように、船乗りたちが海の情報を歌にした、これがポエット、詩の始まりで、そういった具体的な生活の知恵から、心の痛みを乗り越えたりするために、絵が生まれたり、音楽が生まれたり、してきた。

つまりアルスとしての芸術というのは、その存在そのものに意味があって、その内容や技術のいかんは、ほんとうはどうでもいいことだし、そのクオリティを審議するなどほんとうは野暮なことなのです。そこにそれが発生することが大切なのです。

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つまり、こんなことを話そうと思っています。
このラララを読んでくださっている方々には、おなじみのお話かもしれません。けれどスピリチュアルとか占いとか、そういう形なきものにあまりCommitedしてない人たちにも、うまく伝わるといいな、

そんな風に思っています。

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それでは、ラララ世界で会いましょう☆


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