トワイエ、ソレモ、エモーショナルアッシュトレイ(By 恋愛回顧録)
こんにちは。昨日の満月🌕いかがでしたか?
夕方に浮かび上がる大きな月は、曇っていたので残念ながら見られなかったけれど、0じ54分、満月になる瞬間の空は綺麗に晴れていて、煌々と輝く月を眺めることができました。こうして毎月、満月のことを皆様にお伝えするのを習慣にしたおかげで、わたしも毎月、満月の夜は、石や宝飾品を月光浴し、ムーンクリスタルウォーターを作りながら、今日これだと思う音楽を流し、カルバドスを飲みながら細い葉巻を一服するというルーティーンができてきました。ルーティーンになって思うのは、月を眺めながら自身のことを「漠然と」見つめてみる時間が月に1回あるっていいなってこと。
ところで気がつけばフォロワーが30人を超えていて驚いています。読んでくれている人がいるのね、皆様ありがとう。これからもこんな感じに綴っていきますね。今日はちょっと、知恵を授けるというよりかは、ただのわたしの”記”のようなもの。時間ある方お付き合いください。
昨日は、あることがきっかけで数年間聴けなくなっていたドレスコーズの曲を流し、漠然とこれまでに住んだ家たちーー麻布十番の二の橋の家、恵比寿橋の松石ビルのことーーを思い浮かべていました。去年まで住んでいた神楽坂の家が浮かばなかったのはその場所で志磨遼平の歌をあまり聴かなかったからでしょう。そしてふと「恋愛」という二文字を想いました。
皆様にお伝えしていた通り、考えすぎずにお月見するということを行った昨夜、「恋愛」が浮かぶとは思っていなかった。
というのも2015年アラビヤ以降、わたしは何か「人生をかけて取り組むべきじぶんの使命」が日々の8割を占めていて、満月の時もどちらかというと”世界をよくする儀式”に注力しがち(おこがましいよね、ごめんね 笑)、
自身のことなんて、って感じで結構後回しになっていたし、要するにラララ案件を中心に人生が回っていたわけなんです。
でもね昨日ふと志磨くんの歌を聴きながら(わたしってでもやっぱり、こっちの人なんだよなあ)って思ったのです。こっちの人というのは、骨の髄まで芸術の人なのだという意味なの、それでなんか「ああ、文学を書きたい」そんな感じになった。そして文学は私小説でありそこに恋愛がある、という風に原点に帰ってきた。恋愛というのは2010年から2017年くらいまでの恋に生きていたじぶん、という意味。今はもっと広く「愛」に生きている感じがテーマの人生になっているので、こう、刹那的な「いま会えなかったらもう二度といらない!」みたいなテンションがないのですけど、笑、
”愛” という段階に差し掛かって失う ”恋” というものもあるなあという感慨がふとこみ上げてきて、情緒不安定になったりしていたあの頃ーー特に恵比寿の家から深夜に眺めた明治通りなんかがーー毛皮のマリーズの楽曲なんかとともに思い出されてきた。
それでなんかこう、もう少し30代のこの10年を”恋愛期”として見つめなおしてもいいんじゃないかなって思い直して少し救われたというか。
というのは何度かここでもお伝えしてきましたけど、わたしはいつもこう、いろんな事情で女がいる男の人にぶつかってしまうということがあって、
それがまた婚姻してるわけではない(からすぐにでも別れて一緒になれそうな)難しさがあって、でもいつもじぶんは「正式な恋人ではない」ので、それを「恋愛」と呼ぶのはひとりよがりよね、っていう感覚の中でこの10年を生きてきたように思うのです。もちろん、恋愛は本人同士の中にあって、口に出さなくても本人が強く感ずるところがあれば他人にどう言われようとそれは”恋愛” なんだけどそういう意識になって本当に泰然としてきたのってここ2年くらいの気がしていて(あれ、でも、2010年から2017年のわたしに、それ伝えてあげてる?)って気分に昨日急になった。
誰か言ってくれ、それも”恋愛”だと。
そんな風に生きていた30代前半のわたしに。
"おぼれたくはないのでこうして
towaie きみの名を呼ぶ
今だけはぼくをみて
towaie いつか 別れるんだから"
久しぶりに聴いた志磨さんの新曲はやっぱり素晴らしくて、
やっぱりブレずにエモーショナルで、
わたしは自分が芸術家であったことをまざまざと思い出した。
彼がこの葉巻を、わたしにくれた頃のこと。
互いにその時を待つしかできなかったけれど、
トワイエ アナタ ワタシノテ
キツクキツク ニギッテ イタノデ
別々の帰路に着くまでのほんの数メートルの間だけど
トワイエ アレハ ”恋愛” ナノデ
愛を含んで、恋を、していた。
トワイエ、4年も前のことだけど、
トワイエ ソレモ
エモーショナルアッシュトレイ。
それでは、らるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆
明日は「ところで、餃子を食べませんか」をお送りします。笑。
(今日本当はその予定だったのに回顧録で終わってしまったので)