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la la la. 78 答えはいつも森羅万象の中に(By ラララ世界)

こんにちは。台風が去った本日、てくてくと歩いて祖父(&祖先)の墓参りに行ってきましたが、その途中まさに「♪目に映るすべてのことはメッセージ」(Byユーミン)状態だったので、撮った写真などをみんなと分かち合いたいなと思って、今日は短い記事を書くことにしました。

台風は人間の目からみたら恐ろしいけれど、もっと大きな「自然」という枠でみると一つの大きな浄化なのだなと改めて感じます。もちろんわたしは人間なので、この台風で亡くなった方や被害を受けた方に対して「それも浄化ですよ」とか「仕方ない」とかは思ってもいません。
ただ、お墓ですらも、嵐が去ったあと、その激しい雨風に清められて「つるり」としており、蝶や鳥や、虫たちが、なんだか”はちはち”と嬉しそうに舞っている、そしてそこに雲間からキラキラと陽の光が射しているのを目の当たりにして、奪い、破壊する嵐でありますが同時に「嵐が拭い去ってくれるものがあるのだな」と感じざるをえませんでした。

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答えは森羅万象の中に。これはおそらくラララ世界では初回からお伝えしている感覚だと思うのですが、最近掘り下げている神道でも、神はそもそも森羅万象の中におらっしゃるということらしくて、すべてのものは同じところに帰結するのだなあと「環」としての世界を感じています。

そして今日こういった抽象的、叙情的な表現で終わってしまっては「東の魔女の暮らし」としてはコンセプトぶれしてしまうので、具体的なこともお伝えしようと思います。悩んでいたり、選択肢が2つあったりして、確かな方位を確かめたい時、森羅万象に五感をすましてみてください。それは別に「自然」にかかわらず、日常の一コマの中で大丈夫です。

先日わたしは友人のスピリチャルMとモロッコ料理を食べながら、彼女がわたしに「人魚」と言おうとすると毎回「金魚」と間違えてしまうことに対してどんなメッセージがあるのだろうと話していました。
結論から言うと金魚は「太陽のことじゃない?」となって、わたしがそういえばもっとも初期に創作した詩に「金魚、そのシフォン大志の羽根に変え、空へ飛べ。空へ飛び、陽にまがう華になれ」があることから「そうだね太陽かも」となり「じゃあアマテラスじゃん」となって「あんた伊勢神宮行ってきなよ」となったのですが、お会計して帰るときに店長の男の子(モロッコ人で知り合い)が突然”アルガンオイル”をくれたのです。今まで何度も通っているのに一度もこんなサービス受けたことなかったから驚いていると、スピリチャルMが言いました。「これは神様からの”Yes" わたしたちが考えていることであっているっていうことだよ」

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わたしたちが日々の中で「奇遇」とか「シンクロ」と呼んでいるようなこと、ありますよね。それらはでも意識することによってそれらを見つけ出してしまう、という科学的?な検証もあって「こじつけ」という風に考えることもできます。

でも「こじつけ」と「運命」の境界線てどこにあるのでしょうか?

ジョン・レノンがオノ・ヨーコに出会った時、それはオノ・ヨーコの個展で、ジョンはいろんなことに悩んでいた。けれど会場を見渡しながら、ふと上を見上げた時そこに「Yes」と書かれていた。オノ・ヨーコの書いた「Yes」の言葉がジョンを深く惹きつけた。そしてその言葉がジョンの瞳を捉えた時から彼らの運命は動き出した。
この出来事を「そりゃあ落ち込んでいる時にたまたま上みて"Yes"って書いてあったら嬉しいでしょ」と片付けてしまうのか、そうしないのか。

大切なのはその「Yes」によって二人がじぶんたちの運命を動かしたことです。結局運命や人生を変えるのは誰でもない、わたしたち自身なのです。

だからこそ、森羅万象の中に「答え」をその目で、見つけて欲しい。
アルガンオイルの"Yes" 、道の途中に大きな蜘蛛がこちらを見ていて”これより先はNO” 出羽三山が気になっている中、帰宅してテレビをつけたらまさかの出羽三山を特集している”Go!"  パリで、大事な手袋を落とした日にホテルに帰ってロビーのパンフレットを開いたらそこに”Fuck japon"の追い打ちによる「もはやここまで」「すこしおとなしくしていなさい」。親友と富士王朝に向かう朝、すれ違いざまに知らないおばあさまが「二人とも綺麗ね」と言ってくれる祝福etc...

単にツイてる、ツイてない、の2択じゃなくて、森羅万象と現象は、いつでも今のあなたを映し出し、的確な方角、方位を教えてくれます、
五感を凝らして、感じてみてください。

答えはいつも、森羅万象の中に。

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それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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