Ettiella 4. コンサルタントカード(神託と設定について)
このマガジンでは繰り返し「設定こそが重要だ」とわたしは考えていると書いてきたのだけれど、その”設定”を形にしている一番象徴的なカードは、エッティラ版で占う際に使う、このコンサルタントカードかと思う。
「ご婦人の偉大な神託」と訳されたこのデッキには、本日のトップ画像にした「混沌(chaos)」と「休息(Repos)」があって「混沌」は男性の相談者を、「休息」は女性の相談者を表す。なのでカードを切る前にこの2枚は省いておいて、相談者が女性であれば、そのカードを「相談者の存在」として扱いテーブルの上に置いておく。すると神託はその設定に従って降りてくる。まず、はじめにこのマガジンでは「そもそも神託は存在するのか」という問いは省いて展開する。このマガジンで重要視したいことは神託の存在は絶対とした上で「神託はどのように降りてくるのか」ということである。
なぜか。確実に神託をキャッチするために。
「神託」は公約数だとわたしは考えている。つまり「6」と「15」が会話する時、共通言語に「3」を使う。「9」と「15」が会話する時も「3」を使う。「6」と「24」が会話をする時は「3」も使えるが「2」も使える。
「10」と「15」が会話する時は「5」を使う。
しかしそれ以外の数字では会話が成り立たない。高次の存在とわたしたちはきっと数字が違うのだ。そこでわたしたちと存在の公約数になるもの、それは何かというとそれは「設定」なのだと思う。つまりこれが「1」で、これが「3」だとあらかじめ決めておくこと。
タロットカードのような複雑なデッキで考えると難しい。
なので例えばここに3つ石があるとしよう。赤い石、緑の石、青い石。
その時に数字(公約数)を設定する。(赤=戦い)(緑=休息)(青=和解)例えばこんな風に。そして目を閉じてどれか石を選ぶとする。すると神託は設定に従って正しく降りてくる。こういうことだと思う。
だから「自身の設定」が重要である。神託の瞬間、存在と自分は一対一であるわけで、神託は伝達でもあるから、想像や知識の範疇を超えるところには降りない。つまり、解けない方程式では降りてこない。
たとえばライダー版の小アルカナと、エッティラ版の小アルカナでは解釈が大きく異なるが、その解釈の狭間に落ちていると、正しく設定ができない。
例えばPhotoshop(画像処理ソフト)でも、範囲が設定されていないと画像を切り抜けない。つまり神託が降りる場所がない。
当然、製作されたカードを尊重し、それらの意味を理解し使用することはもっとも大切なことだけれど、小石の理屈を当てはめるなら、たとえば「カプチン修道士」の顔を素敵な笑顔に描き変えて「協力」または「あしながおじさん」という風に設定を変えたら、おそらく神託は、協力を示す時に「カプチン修道士」のカードとして現れる。そういうことだと思う。これが公約数の理屈である。
そういう意味では自分が個人的に使用するカードは、自身の設定によって、
オリジナルなものを製作することも可能ということだと思っている。
タロットカードを買わなくても、家にあるトランプに設定をすればーーハートのクイーンは恋の女神、ハートのキングは姑、などというようにーーおそらく神託はそれに従って降りてくる。
だから、間違った解釈、間違った読み取りをしないためにもっとも大切なことは「設定」である。例えば前のnoteで取り上げた「蛇」のカード、あれは「鳥と魚」で支援や保護を意味するカードであるが、わたしが扱う時はその奥に「エンキ」の意味を含める。ある女性が「イスラエルに旅をすること」についてカードを引いたらこの「鳥と魚」が出た。この場合単純に解釈すれば「支援」と「保護」だけれど、わたしはすでに古代イスラエルとエンキの関係を知っているわけだから、もう一つ奥まで踏み込んだ意味合いでこのカードが出たと、わたしは考える。
神託は絶対で、また神託は公約数を遵守(じゅんしゅ)する。
わからないものとして、理解の範疇を超えるところには降りてこない。
雪を見たことがない人間に「雪」と宣告しない。(まだ見ぬ光、という風に宣告することはあっても)
神託はヘンゼルとグレーテルが落としたパンくずのようなもの。
点を追って家を突き止めるのは我々だけれども、落とす方は追いかけてくる人間の歩幅を計算に入れている。カードは公約数だ。わたしが「6」で向こうが「8」だったら「2」で会話する。その時向こうは「4」を使わない。
だから、たとえ5枚ほどのカードのことしかまだ理解できていなくても、
設定さえきちんとしていれば、的確に神託をおろし、今起きているすべてのことに対して策を講じることができる。「Go」「No」「Stay」この3枚だけでもかなりのことを尋ねることができるし、アドバイスをもらうことができる。タロットカードの78枚の絵は、それらをより繊細に細部まで、反映できるように作られたのだと思う。それら1枚1枚の真理や意味に敬意を払い、思いを馳せながらも、たった3枚でも神託は受けられることを常に頭の隅において、カードを切っていくのが良い。
設定と公約数が神託のすべてである。
公約数をたくさん持っている人が「審神者(さにわ)」になって、
通訳の仕事をする。
今日は最近考えている”設定と神託”について答えが出たことまでを書いてみました。また「古の魔女」で占いについても書きましたので、それもここに貼っておきます。占いと時系列のこと。
La La La ETTIELLA !!
また違うカードで会いましょう☆