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祇園精舎の鐘の声[2024-vol.3]

このフレイズが小説のひとひらではなく「重要な呪文」であったことに気がついたのは六月のことだった。

以下半分空想の小説だと思って読んでください〜

「わたしだ、開けなさい」と誰かが言って、見えない扉が開けられた六月一日、
扉が開いたことだけはよくわかったし、同時にそこからまだ時間がかかりそうな気配も感じていた。なぜなら「わたしだ、開けなさい」と言われて開けた”向こう”の気配は「しぶしぶ」であり、わたしに好意的ではなかったから。
そしてその時に自分が「干されていた」「封されていた」ことに気づいた。
そしてわたしを「干している」ものがいわゆる「顕在的な社会ではなかった」ことにも。わたしは何か大きな「お陰様勢力の」A派だかB派だか知らないが、どれかの勢力によって活動を”封”されていたようだな、そう感じた。まさかそれの開封の儀に必要なのがあの呪文であったとは気が付かなかったのだけれど。
”封”された理由はおそらく瑣末なことで、いわゆるわたしがメシアであるとか、何か大きな使命を持って世界に大きな影響力がある、とかいう大袈裟なものではなく、例えば全力で封印されるべきものが「月」であった場合にその側に鎮座していたような「雲」というところで(念の為、後から厄介なことにならないために封しとこか)みたいなやつだったように”感”している。
しかし派閥の流れは変わり、九年経って扉は開いた。おそらくそのことが妄想ではなかったと、2025年の頭か、少なくとも春先までには確信するだろう。

ものが突然消えてなくなり、その後「どう考えてもそこにはなかった」はずに場所から出てくるという出来事はこれまで奇妙さを拭えない事案として数回あったが、通常もそれは(思い間違い)や(記憶違い)として片付けられてしまうものである。それでもこの「アポーツ」と呼ばれる現象を「感じてしまう」ことからは逃れられない。

石は数週間行方不明になって、8日8日、生まれて「かの方」に参った日に店に忽然と戻ってきていた。その場所にはもう数週間もなかったのであったし人目につくような華やかな石ではないので突然再現したと言った方がおそらく正しい。

八月の終わりの増上寺。

そしてあのアトランティスの石が再び戻ってきてから「かの方」との対話は、これまで対話を試みたありとあらゆる「姿なきもの」と比べて最も顕著で、最もわかりやすく、最も顕在化が早いものとなった。時に【言(ことば)】で入ってくることもあるが、たいていの場合はこう、まるで自分が思いついたことのように、自身の思考や行動が「かの方」の思う(そうしたほうがよき方向)へ誘われておりその度にびっくりする。というのはそのような思考や行動の選択というのはかつて——と言っても「かの方」へ参る以前の十数日前には——持ちようがなかったものなので、明らかにこのマインドが8月8日以降に降ってきたものであることがわかるのである。

それを操作しているのが「かの方」なのか、一旦「石」が受信機のようになりそこからわたしに周波数的なもので伝達というか染めてるというか影響するのか分からないがおそらく8月8日に石は戻ってきたのだから絶対にそれと関係があるのだろう。そもそも石は2015年の4月からずっと”いなくなった”ことなど一度もなかったのだから。

ともかくより「伝導率」「電導率?」の上がったわたしの肉体と魂は、もう「脳主体」では考え決断して行くのが難しい。
なぜなら全てが見えないのに確信的で、電導率が上がった今はもうそれらを「気のせい」だと諌めて、なかったことにはできないから。それらは雷のように鮮やかに降りてくる。なので近頃わたしの脳というのは、肉体と魂に降りてくる信号の、もっぱら翻訳機の役割をになっているように思う。肉体をもちこの3次元社会に生きている限り、そこで関わる人たちが不審に思わないような整合性はいつでも必要なのだ、それが後付けの理屈であったとしても。今はその仕事を脳がやっている。

なぜそうなのか、今はわからないことも多くある。
なぜわたしはこんなにも経営を圧迫しているガレージを手放してはならんのか。
3次元的世界では一番に切らねばならないものが「お陰様世界」では何があっても手放してはならぬと繰り返し強く信号されるものなのである。なのでわたしはそこに現実の帳尻を合わせてゆくための人間活動をせねばならない。

6月のガレージ。

現実社会でしなくてはいけないことと、お陰様社会でしなくてはいけないことにはいつも乖離がある。現実社会でしなくてはいけないことは納期があったり大抵は時間に縛られているもので「どんなことがあろうとこの時間までにこれを終わらせないといけない」ような類のものである。対しお陰社会でしなくてはいけないことは「したいこと」というような感じで突如思いつく。逆にお陰社会の敵対勢力に侵されるときは「本来したいこと」が「どことなく億劫」に感じる。
この3種類の信号を、うまく咀嚼して自身で指揮せねばならない。

ゆえに今などは、締切が差し迫っているエッセイの執筆よりもこちらを優先する選択をとっている(とらざるをえない)と言おうか。

おそらく来年の1月まではコンスタントに「かの方」のところへ繁く通うので、
説明のつかない衝動的選択が、今後も増えてゆくのではないかなと思うが、
今年はそれに抗わずに凧のように風に乗ってはためいてみようかと思う。
この10年もだいたいそんな感じであったのだが、自身が凧になった場合、
(いったい誰が糸を管理しているのか)が恐ろしく、自身が宇宙の塵になることを恐れて力を抜くことはあまりできなかったように思う。

けれど「扉は開いた」のだ。あとは野となれ山となれ。
そりあえず「しぶしぶ」内側から「ギ」と開いたその隙間から飛び込み、階段を降りていく。なんだろう、廊下ではなく、階段を降りて行くようなビジュアルイメージ。まあ、行ってみようじゃないの。

そんなわけで(わたし自身は)乗り気でなかった相撲の九月場所に誘われたから出掛けてみた。なるほどと思った。わたしではない誰かーーおそらくわたしについてきた誰かーーが相撲を観たかったようなんである。そしてもちろん(相撲を観たくはなかった)わたし自身にも勝利の”気”であるとかいろんなものを得られたし「お陰様世界」も生きているこの場所と同じように”つきあい”や”政治”があるのだと理解した。多分なのだが相撲を観たかったのは「かの方」ではないのだ。
けれども8月8日からの一連の「扉開き政治」に関与されている”誰か”なのである。

おそらくこのラララ記事の更新が増えてゆくのではないか。そんな気がする。
「スピリチュアル記事」というのがピンときてなかったゆえ2019年から更新頻度が激落ちしていたのだが、
「お陰様世界」の観点からだともう少しするする書けるような気がする。
自己啓発的な筆致ではなく、このように奇譚談のような、
ちょっとした短編の一節、みたいな感じがいいのかもしれない。
場合によっては。

”朝陽の中に逢っても君は特別だ、夜の幻の産物じゃない”(2023)

それではみなさんまた近々。
あまり更新をしていないこのアカウントでは去年の9月のほんの翌日にこの9月があるように感じるが、今から思い返してみるとさらに去年の9月は誰かの代理で島流しになり、それをねぎらわれて配置換えがあったような感じだな。
「わたしだ、開けなさい」に辿り着くまで、なかなかに厳しい九年だったと感じる。


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