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電車の彼

用事があり、大阪まで出向いた

京都駅からの約30分の道のり。金曜昼の12時発の電車は客数が疎らながら窓際が埋まっている。今の日本における外出への人々の考えの変化が投影されたような様子だった。私はこの新快速の車窓からの景色が好きだ。今日はどんなことが起きるのだろうというわくわくしながら目的地へ向かう往路、楽しかった、辛かった一日を脳内で振り返る復路。そして電車のおおきな窓に映る民家、畑、大きな川、大阪に近づくたびに増えるビル群。それらが私をその日一日の主人公に、素敵に演出してくれる。今日はいい天気で、桜もまだ残っている。最高の気分だ。

”逃げ恥”の新春スペシャルが賞を取った記念でまたTVerで配信されていると知っていたので、往路はこれを観つつ、車窓の景色も楽しもうと決めていた。高槻までは。

高槻は私が大好きだった人が働いている。振られてしまって寂しい気持ちは薄れていたが、高槻にくると思い出してしまう。一緒に行った場所でもないのに不思議だ。どう考えても彼が仕事している時間しか利用しないくせに、彼の影を探し、ドラマチックな再会を期待する遊びをしている。毎回むなしくなるのにやめられない。しかし今日は違った。高槻で、あの彼そっくりな男性が乗ってきたのだ。

私は向かい合わせ4人がけの椅子に座っていた。駅に電車が近づくとすぐホームの様子を確認する。あの彼がいないか、今朝このホームから職場に向かったであろう彼に思いを馳せる。駅に電車が停まり、数人乗ってきた。彼の姿はもちろん無い。わたしの席の斜め後ろのドアも開き、一応振り返って確認してみた。するとそこには背格好があの彼にそっくりな男性が立っていた。

さっきまで見ていた”逃げ恥”がどうでもよくなるぐらい、ドラマみたいな事が起こってしまった。驚きと衝撃で時が止まったような感覚とは、まさにあのことだと思う。ずっと期待していたことが本当に起きた場合、どうしたらいいのだろう。期待と不安と恐怖。生きた心地がしない。まず顔を確認したい、彼は目が隠れるぐらいの長い前髪だった。電車の彼はこざっぱりした短髪である。だが最後に会ったのが去年の9月だったので、髪型の大きな変化はあり得なくはない。そして高すぎるぐらいの身長、ひょろっとした体形、服装、本当にあの人かもしれない。トイレに行く振りをして電車の彼の方に思い切って向かってみた。顔を確認。目つきもどことなく似ている。

でも結論から言うと彼ではなかった。電車の彼が立っている向かい側の補助席に移動し、顔をまじまじと見てみたが似てるけど全然違う、赤の他人である。何より私が目の前にいても、電車の彼は気まずさや、しらんぷりするわけでもない、私は透明人間のように、彼の視界に居ない。当たり前だ。たまたま電車に乗り合わせた他人なのだから。

しかし私はずっと電車の彼にドキドキしていた。ずっと彼に会いたいと思っていたから、もうそっくりさんでもいいと思っていた。


高槻から新大阪、大阪に近づくにつれ、桜がのこりわずかな力を振り絞って咲いていて綺麗だった。彼は自然が好きな人だった。去年はお花見ができなかったので電車の彼と疑似お花見。相手がそっくりさんでも、桜は綺麗だ。

綺麗すぎて悲しく虚しさを増長させる。本物だったらいいのに。きれいですねって、去年の梅とどっちがいいですか?なんて聞いたら、きっと彼ならそれぞれの良さを話して、比較なんてしないんだろうな。ああ去年の振られる前の、友達なのか恋愛なのか分からないなんて嘆いていた、あのときに戻りたい。本物の彼に会いたい 話したい。

大阪に着いたので電車を降りた。電車の彼も降りていた。目で追いながらドキドキは止まらないが、電車の彼に勝手に妄想デートの相手にしてしまって申し訳ない気持ちと、こんな久しぶりにドキドキさせてくれた感謝の気持ちを遠目で送る。電車の彼にもいいことが起きていてほしい。

用事を済ませ、帰りの新快速に乗った。まだ本当の彼のことで頭がいっぱいな私を乗せた電車が、夕暮れに照らされた川を横切る。桜も、この景色も、本当の彼と共有したかった。未練たらたらな惨めな私を容赦なく、優しく虚しく車窓からの夕暮れが照らし続けた。本当の彼の連絡先は知っている。

とぼけた振りをして、あの新快速に乗っていましたか?と何回も送ろうとしてやめた。今はあのドラマのような、不思議な出来事の余韻に浸りたい。




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