【#ジャンププラス原作大賞】 全寮制竹取学園園芸部 Chapter1−1 喪失
今年の冬は例年よりも雪が多い。
「観測史上初めて」と言われる吹雪の二日間を経て、ようやく気温が緩んだ朝であった。
教室の窓から見える校庭の木々の梢が太陽の光を浴びてキラキラと光るのを見ながら、煌の耳の奥ではまだ昨晩の吹雪の音が 渦巻いているように感じていた。あれは幻聴か?夢だったのだろうか?
「ニゲテ…」夜の底から吹いてくるような風の唸りに細い女の声が混じっていたような気がした。
煌が4キロ離れた中学校へ出かけた後、大星博は農業機械の整備をはじめることにした。圃場整備や、事務作業など農閑期でなければできない仕事がそれなりに残っている。久々に晴れ間がのぞき、気温が上がっている今日のうちに機械の整備をしてしまおう、と決めて作業小屋のシャッターを開けた。
赤ん坊の煌を娘の天音に預けられてから13年。長いようであっという間だったようにも思う。煌にはある秘密があった。
「お父さん、お願い」
煌を博に預けた時の天音の必死の面持ちが今でも目に焼き付いている。あれが天音と会った最後になった。
博の妻の啓子は朝食の片付けをしながら、今日はきんとんを作ろうと考えていた。さつまいもの裏漉しをするのは手間だが、甘いものが好きな煌が喜ぶのでこの時期はきんとんをよく作る。
「今日はパイナップル缶を入れてみようかしら…」
パイナップルきんとんを嬉しそうに食べる煌を思い浮かべながら啓子はさつまいもを取りに裏の食品庫へ向かおうとした。
その時、作業小屋から博の声がした。
「ケイちゃん、逃げろ!」
博は今日こそコンバインのエンジンオイルとワラ切り刃の交換をしようと道具箱を取り出したところだった。
「ドコダ…」
空気が漏れるような、キキキ…と軋むような金属音の混じる声がした。
振り返ると、いつの間に近づいたのか身長2m近い大男が立っていた。全く気配を感じなかった。
スターウォーズに出てくるようなマントを着てフードを目深に被っているため男の表情は見えない。
「カグヤ…は…ドコダ…」
かろうじて聞き取れる摩擦音のような声。
ついに来た…
博は煌が学校へ行っている時間で良かったと頭のどこかで冷静に考えていた。
「カグヤってなんだ?あんた、誰だ?」
何を言っているのかわからないと言う様子で博は答え、間合いをみながらいきなり手近にあった鋤を掴んで相手へ向かって躊躇なく突き刺した!
「ケイちゃん、逃げろ!」
手応えはあった。相手の腹へ力任せに突き刺した鋤がズブッと刺さる。
しかし刺さった腹からは血が流れない。
「キシキシ…」
金属音は腹からも聞こえ始めた。
「カグヤ…は…ドコダ…」
まるで刺されなどしていないかのように抑揚のない声で再び男が言った。
鋤が刺さった腹からは、小さな白い虫がたくさん出て鋤を伝って博の方へ襲いかかってきた。
貝殻蟲だった。白い粉を撒きながら博へ迫ってくる害虫は驚くほどの速さだった。それと同時に男のフードがとれ、男の皮膚の表面がこの白い蟲で覆われていることが分かった。
蟲人間。
守らなくては!
脳裏に煌と啓子が浮かぶ。
博は貝殻蟲から逃れながら
草刈機用の混合オイルのポリタンクを掴み男へ向かってオイルを振りかけた。
小さな白い虫が皮膚に食い込んでくるのを感じながら博はそのまま庭でバーベキューをする時のために置いてある焚き火用のガスバーナーで火を付ける。
バッと炎が上がり、相手が怯んだすきに博は小屋から走りでてもう一度叫んだ。
「ケイ、逃げろー」
燃えている蟲男へ怯まずにさらに鋤を突き立てる。男は姿を保つことができずにざあっと
崩れた。
そこへさらにオイルをかける。
貝殻蟲には油で皮膜を…
頭の中でそれだけを考えていた。
マシン油乳剤はどこだったか。
地面へ降り積もった白い山へ再び火をつけようと踏み出した博の足に何かが巻きついた。
「ドコダ…」
今度のは、声というよりくぐもった波動のようなものだった。
博の足に巻きついた触手のようなもの…
蛸…?
いや、それは人の腕ほどの太さのあるミミズだった。地中からミミズが出てきて博の足へ絡みついている。
本体はまだ地中だ。巨大なフトミミズ。
万力のように足を締め付けてくるミミズへ博はバーナーを向ける。
すると再び地中から別のミミズが突き出てきた。それは金属ような光を放ち、錐のように尖ったかと思うと博の足の甲に突き刺さった。
「ぐわっ」
さらに、出てきた穴に小さなミミズが無数に絡み合って蠢いている。
「ケイちゃん、逃げろー」
博の声が聞こえて啓子は農作業小屋の方へ走り寄ってきた。
「博さん…?」
そこで、地中から現れた大蛇のようなミミズに襲われている博を見て愕然と立ち尽くす。
はっと我に帰った啓子はエプロンのポケットに入れていたスマホで助けを呼ぶ。
それは、警察ではなかった。
ウィジェット登録してある宛先へメッセージを送る
「助けて」
そのまま博に向かって駆け寄り、博へ巻きついているミミズへ鉈で切り付ける。
「ばか、逃げろ!」
「博さん!」
啓子は勇敢だった。そのまま力任せにミミズを鉈で薙ぎ払う。
巨大フトミミズは切りつけられるとザッと嫌な液を出して崩れ落ちた。
しかし土中の穴から大量に出てきた小さいミミズは、切り払われると死なずにさらに小さなミミズに分裂して襲いかかってきた。
キリが無い…
絶望的な気持ちになった啓子の背中へ錐のように尖ったミミズが刺さった。
さらに無数のミミズの錐が啓子に襲い掛かろうとしているのを見て博が妻を庇うように覆いかぶさる。
博の背中に次々と刺さるミミズ錐。
地面から突き出たミミズの触手がそのまま二人に巻きついてゆく。パラパラと小石が降ってくる。裏山から不気味なミシーンという音が響いた。さらに小石がざぁっと降ってきて、グラりと大地が揺れた。
「大星、急いで校長室に行きなさい」
英語の授業の時間に血相を変えた担任が呼びにきた。
「はい。」
担任の様子に気圧されて、煌は素直に後に従った。
校長室へ入ると待ち構えていた校長が言った。
「大星君、お家が大変だ。地滑りが起きた。」
「えっ?」
「消防団から連絡がきた。君のお家の人と連絡が取れない」
「そんな…」
「君のおじさんと連絡が取れたようだ。こちらに迎えに来てくれるそうだから一緒に帰りなさい」
「はい」
素直に返事をしてはみたものの、煌は不思議に思った。
「おじさん?」
煌は自分には、祖父母以外に身寄りがないと思っていた。
おじさんって誰だ?
煌が迎えに来てくれた「おじさん」の車の助手席に乗り込むと、「おじさん」は言った。
「初めまして。煌。僕の名前は、大星源と言います。初めましてと言っても実は僕は君が赤ん坊の頃に会ったことがあるんだけどね。僕は、君のお父さんとは従兄弟にあたるんだ。」
父の従兄弟…と言われても、煌には父の記憶がなかった。
この人はお父さんと似ているのだろうか…そんな思いで運転している源の横顔をチラっと見る。
男っぽい顔立ちをしている。アクション俳優の誰かと似ているような気がする。
親戚だと思って見ると、祖父の博とも目のあたりが似ているような気もする。
源はハンドルを握りながら、テレビを着けた。地元のテレビ局のアナウンサーがヘルメットを被って、実況をしていた。
「本日、29日9時55分頃、道路脇の建物が倒壊していると通行人から110番がありました。県警や消防本部などによると集落の裏山で幅約100 M 高さ30 M に及ぶ土砂崩れがおき、住宅を含む約10棟の建物が巻き込まれたもようです。住人の70代の男性と妻と連絡が取れておらず、消防が捜索しています。市は二次災害の危険があるとして付近の15世帯に避難指示を出しました。
現場は土砂災害特別警戒区域に指定されており、 東都大の伊集院教授は「大量の融雪と雨が斜面に浸透し地盤が緩んだ可能性がある」と指摘しています。市内の記録では降水量が28日時点で観測史上最多となっていました。」
画面では、飛んでいるヘリからの映像が流されていた。
裏山が集落へ向かって大きく崩れているのがわかる。
「君の家の近くは二次災害の恐れありってことで緊急避難指示が出ていて通行止めになっているから少し回り道をして行くよ」
源は、煌の集落が見渡せる丘の道をとった。
遠目なので、家の方がどうなっているのかまでは分からない。
煌の家の裏山の一部の木が突然消えて茶色い地肌になっている部分があることがかろうじてわかる。あたりには掘りおこされた土の匂いがしていた。
「おじさんとおばさんと連絡が取れていないけれど、もし何か分かったら僕の方へ警察から連絡をもらうようになっているから、今日はもうこのまま僕のところへ向かうよ。実は僕、全寮制の学校の学園長なんだ。煌はそこに住むといい。これからのことは後で考えよう。」
放心状態で車窓をぼんやり見ていた煌は、杉林の中にキラリと光る光跡が見えたような気がして思わず目で追った。
また、アレだ。
煌は時折キラキラと漂う光の粉が見える。それはいつも一瞬の煌めきで目の錯覚かと思うのだが、今日は光が帯になっていた。それはヒラヒラとひらめく天女の羽衣のように宙を漂いながらだんだん車の方へ近寄ってきた。
「守り手がいる間に、早く行こう」
驚いたことに源にもその光が見えていた。そしてその光が何なのか分かっているようだった。
「守り手?おじさん、あれが見えるんですか?あれはなんですか?」
矢継ぎ早に質問を繰り出す煌に、源は何から話をしたものか、と考えるように首を傾げた。
「話すことがたくさんあるんだ。それは着いてからゆっくり話そう。あの光は君の守り手だよ。ヤツらが君の気配を辿れないようにしてくれているんだ」
「ヤツらって?」
「その話は着いたらゆっくり話すよ」
その時、煌の耳に細い女の声がした
「ニゲテ…」
さっと、源の表情が険しくなる。
源にも声が届いていた。
「どうやらヤツらに見つかったみたいだね」
源が呟くのと同時に、林道のアスファルトが捲れ上がり、積もった雪を撒きながら巨大フトミミズが飛び出してきて車の前を遮った。
「うわっ」
声を上げる煌。
ミミズを背にして車の前に一人の少女が立った。
「見つけた」
小学生くらいのおかっぱ頭の日本人形のような娘。陶磁器のような白い肌と紅い唇。
「ねぇ。カグヤはどこ?」
甲高い声で少女は言った。
「このババアは全然喋らないのよ」
少女の背後のミミズの塊が解け、ぐったりと正気を失った博と啓子が現れた。
博の背にはミミズ錐が無数に刺さったままだ。服の背中が泥と赤黒く固まった血でべったりとしている。
「おじいちゃん!」
啓子が微かに動いたように見えた。
「煌、降りるぞ」
源は煌に言った。
煌は驚きと恐れが一瞬にして怒りへ沸騰して行くのが分かった。
あの土砂崩れはこいつのせいだ。
あの土砂崩れはこいつのせいだ。
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
怒りで目の前が真っ赤になり、少女へ掴みかかろうとする煌へ向かって小さなミミズが針のようになって飛んできた。
すかさず、源がさっと払う仕草をする。
すると、目に見えない壁に当たったかのようにミミズ針は煌の目の前の地面に落ちた。
「コイツらが素直にカグヤの居場所を教えないからいけないのよ」
少女は新しいおもちゃを見つけた幼児のような楽しそうな表情で、煌を見た。
半月型に釣り上がった唇から歌うような楽しそうな口調で言う。
「どこにカグヤを隠したとしても、コレをエサにすれば、カグヤを誘き寄せることができるわよね」
「煌は渡さないよ」
源が言った。
「よくも、博さんたちを酷い目に合わせてくれたね」
源の手にはいつの間にか槌が握られていた。
少女に向かって無造作に槌を振り下ろす。
少女はすっと飛び下がり、フトミミズの触手に助けられながらミミズの塊の上に重力を感じさせない姿勢で立った。
また大量のミミズ針が源へ向かって飛んでくる。
さらに追い討ちをかけるようにミミズ錐も飛んでくる。
再び源が払う仕草をしてミミズ針と錐を払い落とす。
源にとって針一つ一つは大した脅威ではない。ただ量が多く煌への方へ飛んで行かないように気をつけていることがこう着状態を招いた。
そのまま耐久戦になるのを狙っているのだろうか。
「キャァア!」
フイに少女が叫んだ。
ぐったりしていた啓子の目に光が戻っていた。手にはエプロンのポケットに入れたままだったさつま芋の皮をむくためのピーラーが握られていた。そのまま最後の力を振り絞って少女とそれを支えるフトミミズの「皮を剥いた」のだ。
少女の足からは鮮血が、ミミズからはあの嫌な液が出てきた。
「このクソババア、黙って死んでろ!」
少女はミミズ槍を手にして啓子を貫いた。
「おばあちゃん!」
煌の頭の中で光が爆発した。
目の前が真っ赤になり、気づくと煌の手には光でできた鎌が握られていた。
「煌、薙ぎ払え!」
我を忘れた煌へ源が叫ぶ。
反射的に光の鎌を薙ぎ払うと、鎌から光の粉が踊った。鎌の光に触れたミミズはジュッと蒸発して消えた。
そのまま二度、三度と煌は鎌を振るう。
鎌からこぼれ落ちる光の粉に触れて、小さなミミズたちはあっという間に蒸発してゆく。
「ま、まさか…お前にも力があったのか!」
少女は驚愕した。
これでは話が違う。
子供を拉致する簡単な仕事のはずだったのに。首尾よく子供を使って「カグヤ」の居場所を突き止めて「彼の方」に褒めていただこうと思っていたのに。
「地這い、帰るよ」
少女は言うなり、扉を開けるように空間を開きその「隙間」へ滑り込み逃げ去って行った。
後には、捲れたアスファルトと争ったような跡だけ。ミミズ1匹残っていなかった。
「行こうか…」
源に言われて煌は我に返った。
光の鎌は手の中から消えていた。
しかし、鎌を握った感触は覚えている。鎌をふるうのはとても消耗した。
煌は放心状態のまま助手席で眠ってしまっていたらしい。
どのようにして竹取学園に到着したのか、全く覚えていなかった。
「着いたよ」
源に揺り起こされてようやく目が覚めた。
「ようこそ、我が竹取学園へ。ここでは僕は園長と呼ばれているから、学園内では煌もそう呼びなさい」
「全寮制だからここに住めるよ、同室になる生徒が案内してくれるはずだ」
すでに煌が来ることは伝わっていたようで、園長室には煌と相部屋になる生徒が待っていた。
「初めまして、僕は陽翔(ハルト)。ハルト・ホフマンです。どうぞよろしく」
黒い髪に緑色の目をした同級生だった。肌の色も白い。
煌はそのまま陽翔について寮の部屋へ向かう。荷物と言っても元々学校へ行く時に持って出たものしかない。
「後で、学園内を案内してあげるよ、ウチの寮は寮母さんが怖いけど、食事が美味しいんだよ。」
寮の部屋は二人部屋だった。二人分のベッドと机とチェスト。シンプルで、清潔な部屋だった。
陽翔は次々に話しかけてくる。時期外れの転入生に興味津々、といった様子だった。
「今まで二人部屋に一人だったから、のびのびやっていたんだけどね。夜中に恋バナ?とかできなくてちょっと寂しいなって思ってたんだ。ねぇ君、園長先生の親戚ってほんと?」
陽翔は知りたがり屋さんだった。屈託なく煌に話しかけてくる。
「これからずっと「君」、じゃなんだから煌って呼んでいい?僕のことも陽翔って呼んでくれていいよ」
煌の通っていた中学も田舎特有の根掘り葉掘り聞くタイプの生徒がいた。悪気はないことがわかるので、陽翔の質問攻めはそれほど気にならなかった。しかし、今日起こった出来事が消化しきれずにいたために、煌は上手く反応することができずにいた。頭の芯にずしんと重い鉛でも詰まってしまったかのようだった。
そんな煌の様子をみて、陽翔は無理に聞き出そうとはしなかった。しかし、話しかける手を緩めることもしなかった。一人でしゃべっていた。それが不思議とうるさくない。
「こっちの廊下の先には食堂がある。寮ごとにテーブルが決まっているんだ。テーブルの中での席は自由なんだけど、なんとなくみんな食事の時は同じような場所に座ってることが多いかな。」
それから、と陽翔は立ち止まって言った。
「ここの…高等部と共用の階段の先にある部屋に入るのは禁止なんだ。魔法道具があるからね」
「え?魔法?」
聞き返した煌に逆に陽翔が驚いた。
「え?まさか君、魔法道具使えないわけじゃない…よね?」
驚きのあまり、煌が「君」に戻っていた。
「魔法道具って?」
「知らないの?光をまとった道具たちだよ。見たことない?」
「光の…鎌なら見たことがある…かな…」
「なぁんだ。煌は急に覚醒したんだね。それでこんな時期に編入になったのか」
陽翔は一人で妙に納得した様子だった。
「じゃあ次は購買部に案内するよ。
授業に必要なものなんかを売っているんだ。それとパンとかお菓子とか、食べ物もある。
食堂は時間が厳しいから、居残り授業や懲罰防に入って食事の時間に遅れてしまうと食べられないんだ。そんな時は購買部が頼みの綱だよ。あ、でも煌の制服やなんかは後で用務員さんが届けてくれるって寮母さんが言っていたから、まずそれをチェックしてからのほうがいいよ」
購買部へ向かって階段を降りようとした時に上の踊り場から声をかけられた。
「ヨォ、そいつがウワサの新入りかい?」
高等部の生徒のようだった。
「犬飼先輩」
陽翔は直立不動の姿勢をとった。
「明日、昼休みにソイツを部室へ連れてきてくれ」
「えっ!」
「美琴が園芸部に勧誘しろってうるさいんだ」
「わ、わかりました!」
陽翔は直立不動の姿勢のまま答えた。
どうやら、ここでは後輩は先輩の命令に絶対服従の掟があるようだった。
犬飼凛は改めて煌の方を向いて言った。
「大星君、ようこそ、竹取学園へ。俺は高等部の犬飼凛。生徒会長と園芸部の副部長をやっている。
君にぜひ、園芸部へ入ってもらいたくて勧誘にきた。明日、オリエンテーションをするから、昼休みに園芸部の部室まできてもらいたい、いいかな?」
「いいかな?」と言ってはいるが、断られるとは全く思っていない口調だった。
それでもそれほど押し付けがましく感じないのは、犬飼のざっくばらんで面倒見の良さそうな性格のためかもしれない。
「はい!」
煌が返事をする前に陽翔が返事をした。
「じゃぁ待ってるよ」
階段を登っていく生徒会長の後ろ姿を見送りつつ、陽翔が言った。
「いいなぁ。煌。園芸部の部長の藤原先輩はすっごく美人で、優しくてみんなの憧れなんだ。入学早々藤原先輩に名前を覚えてもらえて、入部の勧誘までしてもらえるなんて、明日クラスのみんなにドヤされるよ」
煌は次々と話しかけてくる陽翔がそれほど鬱陶しく感じないのも不思議に思っていた。正直なところ、自分を一人にして放っておいてくれ、と言う気分だ。今は何も感じないし、考えたくない。陽翔にはそんな煌の事情はわからないだろうに、煌を一人にして色々考え込んでしまわないように絶妙な距離感で気遣ってくれているような気がする。考えすぎだろうか。
学園内を一通り案内された頃には夕食の時間になっていた。
食堂は盆を持ってその日のメニューのうちから気に入ったものをとり、席へついて食べる方式になっている。陽翔は以外にも洋食ではなく和食メニューへ並んだので、その後ろについていた煌も和食の列に並ぶことになった。メインの料理と小鉢を二つ選ぼうとした時に、煌は和食の小鉢の中にきんとんがあるのに気づいて立ち竦んだ。煌の好物。祖母の啓子がよく作ってくれたきんとん。それまで頭の奥で痺れていた記憶が一気に蘇り、畳み掛けるように襲ってきた。
「煌、どうしたの?泣いているよ」
陽翔に言われるまで、煌は自分が立ちつくして泣いていることに気づかなかった。
「煌、そんなにそれ(きんとん)が嫌いなの?」
絶対にそうは思っていない口調で陽翔は言った。
「いや…悲しい…ことが、あったんだ」
ようやく、煌は絞り出すようにして陽翔に答えることができた。
「そう。そうなんだ」
むしろ煌が答えることができたことに安心したように陽翔はそれ以上何も言わなかった。
翌日の昼休み。
購買部で買ったサンドイッチとカレーパンを食べ終わると、陽翔は早く、早く、と
煌を急かした。教室棟にはカフェテリアがあるのだが、ゆっくり昼食をとっている場合ではない、と主張した。
「藤原先輩を待たせちゃダメだよ。」
言葉の後ろにハートマークがついている。
そのまま校舎脇の大温室へ向かう。
農業、園芸に力を入れている竹取学園の大温室は植物園のように大規模である。
温室の横に園芸部の部室があった。
「失礼しまっす!」
張り切って入っていく陽翔の後ろに煌が続く。
部屋の中は、空気がとても清浄で穏やかな気配が満ちていた。
「いらっしゃい。待っていました。大星君。生徒会長が無理強いしちゃってごめんなさいね。貴重な新入生だから、他の部の勧誘がいく前に職権濫用でフライングしてもらっちゃった」
ニコッと藤原美琴が笑うと、温室中の花が一斉に咲いたのかという気持ちになった。
こんなに綺麗に鮮やかに笑う人がいたのか…。
陽翔の目はすっかりハート型になっている。
「陽翔くんもありがとうね。大星君を連れてきてくれて」
「い、いや、僕はそんな…もごもご」
陽翔は完全にとろけ切っている。
「大星君、編入したばかりでまだ勝手がわからないと思うけど、キミに園芸部に入ってもらいたいの」
美琴は煌を正面から見つめた。
「大星君、昼休みの時間は限られているから、手短に言うよ。キミ、ここ、どんな風に感じる?」
「え?」
オリエンテーションというから園芸部についての説明を受けるのだと思っていた煌はいきなりの質問に戸惑った。
「ここって…どうって…?」
正直な話、園芸部という地味な響きのする部活動にそれほど興味はなかった。だからと言って特段入りたい部活を考えていたわけでもない。昨日の今日である。前の中学でも家が遠いことを理由に帰宅部だった。だから昨日の生徒会長雰囲気で入部を断れない雰囲気だったら別に入ってもいいかな、と考えていた。園芸部だったら、家が農業だから、まあなんとかなるかな…と考えていた。
美琴の煌を見る試すような視線でを感じて、改めて室内を見回す。室内には穏やかで優しい空気が満ちていた。植物から優しい空気が出ているようだ。
「あっ!」
煌は思わず声をあげた。
煌の目の端にあの光が瞬いていた。多肉植物のあたりでチカチカと瞬いている。
思わずそれを目で追う。
「煌クン。やっぱりそれが見えるのね」
美琴が満足したように笑った。
「藤原先輩にもあの光が…?」
美琴はニッコリして言った。
「光の声が聞こえる…?」
「声…?」
光に声があるのだろうか?光の声、光の声…
耳を澄ましてみる。
「コッチ、コッチ…」と呼んでいるような気がした。
「コッチ、コッチ…」
煌に聞こえたことが分かったのか、光が大温室の奥へ移動を始める。チカチカ、キラキラ
煌がついてくるのを待っているかのように光の粉を撒き散らしながら空中をくるくる回っていた待っている。
煌が光を追っていくと、ついに温室の奥にあったシクラメンの大鉢の上で止まった。
美琴が尋ねるような視線を向けてくる。
なんて言っているか、あててごらんなさい?
視線だけで問いかける。
今まで、煌はこの光が見えることは絶対に秘密、と祖父母に厳命されていた。ただでさえ両親がいない子としてクラスで浮いてしまいがちな上に、気味悪がられるから。煌は、おずおずと口にした。
「えっと…なんだか…花柄をとってほしいって言ってるみたいな気がするんですけど…。」
「はい、君、合格!」
美琴は嬉しそうに笑った。とても嬉しそうだった。
「やっぱり、君「緑の指」の人だよね。思った通り。ねぇ、煌クン、ウチの部に入ってくれるよね…?」
美琴の今度の「入ってくれるよね…」の圧は今までの比ではなかった。頭から、「はい」以外の答えはないと信じている口調だ。
この人も生徒会長と同じだ…
まぁ、いっか。
煌は思った。ここに入ればこの光がなんなのかわかるかもしれない。
「どうぞ、よろしくお願いします」
すると温室の奥から息を潜めて成り行きを聞いていたらしい先輩たちが現れた。
「ようこそ!大星、竹取学園園芸部へ!」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?