私のフリーランス奮闘記現在進行形【前編】
<まえがき>
以下の記事は2020年3月25日頃に下書きをし、同4月3日にRENEW LAB. 公式noteに掲載されました。RENEW LAB.の活動終了に伴い、私の個人noteへ再構成し投稿します。
現在、世界の状況はどんどん変わっています。今は何よりもあなた自身とあなたの愛する人を守り、疫病が収束するまで無理をせず、どうかご無事でいることを優先してください。その上で、私のフリーランス奮闘記が何かのお役にたったら感謝です。
<以下本文>
この3月に音楽大学等を卒業した皆さん、おめでとうございます!あの特殊な環境で4年間自分に向き合い続けた日々は、決して簡単で気楽な時間ではなかったことでしょう。それを最後までやりきった皆さん、本当におめでとうございます。
そしてこの春からフリーランス音楽家の道を選び、希望や夢、ミッションに心溢れる一方、心配、疑問等も少なくないでしょう。
私は現在フリーランス2年目です。これまで考えたこと、実践・経験したこと、次の作戦として見据えていることをシェアします。
簡単自己紹介
私は13歳で全入部制の公立中学校で嫌々クラリネットを始めましたが途中から夢中になり、高校でも熱心に吹奏楽部活動。
その後、家庭の事情で高卒就職となり、郷里の秋田県から神奈川県に単身でやってきました。
見知らぬ街に私を救なじませくれたのは音楽でした。地域の社会人吹奏楽団に参加し、とても充実したアマチュア活動を行ないました。
しかし、聖ミカエル・トールン吹奏楽団(オランダの地域楽団)の演奏に衝撃を受け、吹奏楽は芸術になり得ることを知り、同時に日本の吹奏楽および管楽器教育のスタンダードに疑問を覚え、専門的に勉強することを決意。
2014年に35歳でユトレヒト音楽院(オランダ)の学士課程に入学(高卒ですから)。このときすでに結婚10年目でしたが、夫の絶大なサポートの元、単身渡蘭。夫よ、ありがとう。
器楽専攻でしたが、演奏のみならず多岐に渡って勉強し、素晴らしいカルチャーショックを受け、2018年に無事卒業。その年に日本に完全帰国し、それ以降フリーランス音楽家として活動しています。
もっと詳しい自己紹介はコチラ
フリーランスを選んだワケ
私は吹奏楽部(団)や管楽器教育において「変化を起こすこと」をミッションとしています。なので、既存のチームや団体に参加すると動きづらくなると考え、フリーランスであることを選びました。
また、日本での会社員経験とオランダでの社会経験(そう、大学生でも社会経験するのが当たり前なオランダ)を照らし合わせ、再び日本で組織に属するのは、私にとって全くもって不向きであると判断しました。(オランダかぶれ、とも言えます)
顧客(レッスン生徒や聴衆)と直にまっすぐコミュニケーションをとることが得意であることも理由です。何かを介するよりも断然好きです。
2年間を観察期間とする
「オランダ留学してきました!」と言って、すぐに仕事が潤沢に回っては来ないことは火を見るよりも明らかでしたので、卒業後2年間を観察期間と定めました。
・どのようにフリーランスとして立ち回るか
・どんなニーズが今あるのか
・私のスキルと特徴はどのニーズとマッチするか
を徹底的に観察し、小さな実験を繰り返しています。
小さな実験の具体例は
・ブログ、Twitter、Facebook等の発信
・ビジネスメールの送付
・商品のパッケージ化
・モニターレッスンの実施
・音楽+何ができるか探る(特に、英語が得意なのでその方面)
・社会人吹奏楽団の正規団員になる
などです。
当然この間ほぼ無収入です。
しかし、私の夫がこの観察期間をサポートしてくれています。大変にありがたいことです。
ですが「主婦の片手間にやっているわけではない」ことは書き添えます。最終的には、私の収入で夫を養います。絶対。
なので、芯の通った音楽活動(演奏・レッスン・その他問わず)を目指すのであれば、経済的不安を解消しておくことが望ましいと考えます。正社員での就職、契約社員、派遣社員いろいろ手段はあるかと思います。
(当然ですが、安易に結婚すれば言い訳でもないですよ。私の場合はたまたまのタイミングです。35歳で音大入ったわけですし)
何を“売り”にするのか
この観察期間の目的の一つとして、音楽家として何を売りにするのかを見定めることも大きいです。
私は大きなコンクールで優勝したことも入賞したこともありません。というか、年齢制限でエントリーすらしたことないです。
ですが、13歳から34歳までのアマチュア経験はそれ以上の財産です。
ここを起点に、前出の小さな実験を繰り返しながら考えて行きました。
例えば、器楽奏法レッスンを提供する場合、一般的な生徒募集の多くは
初心者からベテラン、音大受験希望者まで丁寧に指導します
と謳っています。
しかし、私にそれが当てはまるかをまず考えました。
私が最も心を寄せているのは、中高吹奏楽部生と社会人演奏家の皆さんとその環境です。なぜなら、自分自身が20年以上アマチュアとして活動して「なぜ、こういうことをこういう風に教えてくれるコーチがいなかったんだろう」という経験が多いから。
だったら、吹奏楽部生と市民楽団演奏家を助けるための専門家になろう、そのためのスキルと知識を磨き、前面に押し出すことを決めました。
併せて、私はかなりののんびり屋さんなので、音大受験のような短期間指導(管楽器は中学生から始める場合が多いので、受験までの準備期間が短い場合が多い)にはメンタルが向いていない、とも考え至りました。
こんな具合に、この1年半で的を絞ることができてきました。
演奏家としても同じように自己観察と自分の得手不得手を正直に見つめています。
その結果、
・MCが得意なこと
・プログラムノーツを聴衆の特色を踏まえて書くことができること
に気づき、文化施設や教会、プライベートコンサートなどの場面で力を発揮できることがわかってきました。
前出の、顧客と直にまっすぐコミュニケーションをとることが得意であることを生かすフィールドですね。
ちなみに、音楽家として社会にどうあるべきか(プロ音楽家にならなくても)、何が得意で自分がどう特別なのかを自己問答し観察することは、ユトレヒト音楽院の3&4回生の必須カリキュラムでした。
スタディ・コーチと呼ばれる先生との定期面談、ブレスト、レポート、プレゼンが設定されており、それらを通して鍛えられました。
帰国後最初にやったこと
私の最大の特徴は
・日本の音大に行ったことがない
です。なので全くコネがありません。
ちなみに、これは私のお気にりの“強み”です。
ですので、まずは人に話しを聞きに行くことにしました。
さて、誰に聞きにいこう?
自分が関わりたい分野は吹奏楽部です。かつ、私は秋田県育ちなので、現在の活動ベースである神奈川県、特に湘南エリアの吹奏楽部事情はよくわかりません。
なので、地元出身である夫の中学時代の顧問の先生にお手紙を書き、現状や課題について教しえてください、とお願いしました。
その先生はとても快くお時間を割いてくださり、本当にたくさんのお話を伺うことができました。大変感謝しております。
その先生のご紹介で、とある公立学校の吹奏楽部の皆さんと音楽づくりをする機会もいただきました。そこでの子供達や先生方との関わりは大きな勉強になりました。
また、地域の中高吹奏楽部にビジネスメールも送ってみました。40件送って1件レッスンのご依頼をいただきました。
本当であれば営業のセオリーとして送り先に電話等のフォローを行うのが良いのですが、学校教諭の皆さんが多忙を極めているのは知っているので、ひよってしまって、今の所実行できていません(汗)
顧客は"練習室"の外にいて、仕事は“楽屋”の外にあります。
自分が関わりたいフィールドにいる人に、話を聞きに行ったり、自分の存在をお知らせするトライをすることは大いにおすすめします。
結構長くなったので今日はここまで!
後半として
・ハード面の工夫
・難儀していること
・心がけていること
・続く2年の作戦と展望について次の記事にしますね!