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為末大さんの“努力は報われるのか”を読んで。

池江璃花子選手が五輪代表内定を得た、とラジオのニュースで聴いた。祝福の気持ちを持ったと同時に、試合後のインタビューでの「努力は必ず報われると思いました」というご本人のコメントに、私は心がチクリとした。

努力は必ず報われる、果たしてそうか?

私達が中高生のころ、通っていた学校では盛んに「夢を仕事に!」「自己実現」というスローガンを掲げ、進学指導や生徒指導が行われており、それらが良い人生の答えのように叫ばれていた。

私は大学進学を希望して中学校からずっと勉強を続けていたし、それを叶えるべく進学校にも進んだ。勉強が大好きだったら勉強を続けることが私にとっては夢で自己実現の手段だった。


しかし、私は自分の意思とは関係なく大学進学を諦めざるをえなく、かつ、一度も考えたことがなかった高卒就職をしなくてはいけなかった。ここで「努力ってなんだ?」「努力は報われない」というものにガツンと突き当たった。

それから20数年、まさかの35歳でのオランダ大学生活を経験し、「努力」に対する考え方や印象はかなり変わってきた。

特に、在学中、学校推薦によりコンセルトヘボウでのブラームスのクラリネット三重奏の演奏が叶った際、友人が私に送ってくれた言葉が心に響いた。

”努力が全て報われるとは限らないけれど、努力なしでは何も起きない。おめでとう”

単純に「努力が報われたね!」ではなかったその言葉に、ハッとさせられた。そこからさらに「努力の真実とは何か」をよく考える様になった。


さて、今回の池江選手の大病からの復活は、ここ数年のスポーツニュースの中では群を抜いてとてつもない大きなインパクトだ。彼女の活躍と結果が大きく報道され続けることは必至だ。

しかし一方で、2位以下の選手の努力が足りなかったのだろうか?決してそうではない。そして彼女たちの努力は池江選手のそれと比較して優劣をつけるものでも決してない。

私は自身の高卒就職の顛末も踏まえ、池江選手の「努力は必ず報われると思いました」という言葉をうまく受け止められなく、また、あまりにもヒロイン的出来事にも勝手に打ちのめされモヤモヤしていた。

そんな時、為末さんの記事がアップされ、その導入部に引き込まれた。以下の部分である。

一方で、数少なくはありますが「努力は本当に報われるのか」という意見を拝見しました。このタイミングですと水を差すような言葉だと思われがちですが、しかし、実社会において努力は報われるとは限らないことは多くの大人が気づいていることなので、これをきちんと考えてみることも大切だと思います。

私は「努力は本当に報われるのか(いやそんなの稀だ)」と考えていた人間のうちの一人だ。そんな私にとって、為末さんの考察は、非常に腹落ちだった。(ぜひ読んでください)


どの世界もそうだと思うが、私が仕事をする管楽器演奏の世界も「努力」や「結果」という言葉たちが横行している世界だ。とても使いやすい言葉だ。そして悲しいかな、使いやすさが故、「努力」という言葉が人をジャッジするために使われる場面もとても多い。

しかし、短絡的に「努力」と「結果」という言葉を結びつけジャッジするのは、恐ろしいことだと考える。なぜなら、努力したから全てが叶うわけではないし、叶わなかったからといって努力をしていない、もしくは足りないわけではないからだ。

前述したが、池江選手が優勝したレースで2位以下の選手たちが努力しなかったわけではないし、ましてや足りなかったわけでもない。私が属する音楽の世界でも、コンクールで優勝した人の努力だけが十分なものだったわけでもない。

為末さんは前出の記事の中でこうも書いている。

池江さんの言葉が感動を呼んだのは、他ならぬ彼女だけの人生を生きている結果の言葉だからではないでしょうか。その人の言葉はその人にしか本当の意味はわかりません。そして、このような機会に私たちひとりひとりが、他ならぬ自分にしか生きられない唯一の人生を生きていることに気付かされるのだと思います。


つまり、努力には多様性があるのではないか?ここを見つめてみるのはどうだろう?なぜなら自分にしか生きられない唯一の人生を生きているのだから。


私は現在、クラリネット演奏や管楽器練習に関わるコーチングの仕事をしている。相手が大人であろうと子供であろうと「努力」について語る時は気をつけている。なぜなら努力しても自分の思った通りには結果がでないことが人生の局面では圧倒的に多いからだ。努力をする環境も本当に多種多様だ。身を持って知っている。

しかし、努力が無駄かと問われれば、友人の言葉通り、努力なしでは何も起きないのでそれは必要なものだと答える。(私の35歳でのオランダ留学も努力なしではなし得なかった。が、それについて「夢は叶う!」とは言うつもりはないが。)

今後も自分自身に対しても、そして仕事上で出会う生徒さんたちとの関わりの中でも努力とは何か、努力すると言うことは何かをよく思考し、特に子供達と対話したり共に考えたりするのに、この為末さんの記事は素晴らしい材料になりそうだ。

そして為末さんが引用しているフランクルの言葉が、「努力」を考える上での大きな指針になりそうである。

「私たちが人生に意味を問う前に、人生が私たちに意味を問いかけている」ーヴィクトール・エミール・フランクル


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Rumiko Asahara 浅原ルミ子
いただいたサポートはリードや楽譜購入、講習会受講、語学学習やオランダ再留学の費用とし、更に音楽家としてパワーアップを目指します。そして「社会に生き社会を活かす音楽家」としてバリバリ働き社会に還元します!しっかりビジネスして経済を回す音楽家になります!